著者
杉本 隆司
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.84, no.1, pp.51-74, 2010-06-30

「フェティシズム」概念の創始者ド・ブロスは、宗教の起源を論じた『フェティシュ神』(一七六〇年)の著者であると同時に、一八世紀に流行した言語起源論の論者でもあった。その書『言語形成論』の刊行は『フェティシュ神』の五年後であり、言語起源論への関心は宗教起源論よりも後にみえるが、実際は逆であり、彼の本来の主題は言語起源論にあった。本稿では、まずド・ブロスの宗教起源論を分析し、フェティシズムという概念が、一七世紀末からはじまる啓蒙思想の内部で開花した生得観念批判や、その時代の唯物論的・経験論的思考の文脈で形成された点を確認する。つづいて『言語形成論』の分析へすすみ、そこで主張された語源学の役割と、それの神話学への応用という主張を、彼の宗教起源論と突き合わせ、偶像崇拝ではなくフェティシズムという概念をド・ブロスに要請させるに至った、彼の語源学固有のロジックを明らかにし、この概念がもつ新たな射程を示す。
著者
黒川 知文
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.79, no.2, pp.475-498, 2005-09-30

十字軍、レコンキスタ、フス戦争と近代以後に起きた諸宗教戦争は、宗派対立型、教派対立型、政治対立型に類型化することができる。その本質構造は、社会的危機、経済的危機、政治的危機、宗教的危機等の危機状態になった時に、宗教に民族主義が結合して、排他的教説が採用されると、排他的戦争へと変容するということにある。排他的教説とは、二項対立論と悪魔との「聖戦」論と終末における戦争論であり、キリスト教においては、その救済論と人間論と終末論から生起したと考えられる。民族紛争における宗教の要素は宗教戦争のそれとはかなり異なっていると推定される。
著者
大宮司 信
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.80, no.2, pp.339-354, 2006-09-30

本論文では、精神医学の領域でかつてもちいられ、今はまったく捨てられたロボトミーという治療技術の盛衰を通して、医療技術の忌避の要因について考えた。第一にあげられる点は、心や精神という人間それ自体と同義に考えられる対象に対する医療の適用への嫌悪感・拒否感である。第二は治療手法の非可逆性である。ロボトミーが捨てられた最大の原因は、取り返しのつかない後遺症をもたらした点である。第三は、医療技術の開発は目的に対応する計画的な準備だけでは不十分で、多彩でしかもまったく偶然的な要素の出現が、アミダくじ的に組み合わさって可能になるという、「医療のアミダくじ的な展開」という村岡の指摘である。抗精神病薬の登場は、ロボトミーをのこすか捨てるかという当時の議論をとびこして、必要としなくてよいとする決定因のひとつとなった。このアミダくじの一部を担いうるものとして、宗教は医療や倫理とはまた違った仕方で、視座を与えうると筆者は考える。
著者
浅見 洋
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.80, no.2, pp.479-504, 2006

石川県能登地区で訪問看護師を対象に、在宅における終末期高齢者が表出した死生観に関する聞き取り調査を実施した。表出された死生観を含む言語はデータとしてコード化し、それらを質的に分析、分類した。分析結果を宗教学的視点から考察した結論として、(1)訪問看護師等の研修に死生観教育を取り入れることの意義、(2)地域における宗教文化の継承が死の準備教育としての機能を担っていること、の二点が示唆された。在宅での終末期療養は、病院・施設とは異なって、日常生活の延長上にある死への過程(生の過程)であり、ほぼ高齢者のそれまでの生活習慣や環境が持続されている。特に、能登のような地域では、伝統的な宗教的伝統や儀礼などを身近に意識しながら、在宅療養者は自然な死への過程を辿っていく。そこでは在宅医療関係者の献身的な努力とともに、現在も伝統的な宗教的・習俗的な死生観が高齢者の望む終末期を演出する一つの装置として機能している。
著者
岩崎 真紀
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.467-492, 2004-09-30

本稿は、イスラーム社会の女性の在り方を考える上で重要な対象である身分法についてエジプトを事例として検討した。一九世紀後半に始まったエジプト身分法改革運動は、改革案自体はイスラーム法から逸脱することはなかったが、運動は西洋化志向の改革者によってなされた。夫の一方的離婚権や複婚権を規制する初の法となった一九七九年法制定に尽力したジーハーン・サーダートの運動もまた西洋的なものであり、宗教復興により保守化した当時のエジプト社会において大きな議論を巻き起こした。その結果、一九七九年法は手続き違憲とされ、若干の修正を伴い一九八五年法として制定された。このことは、身分法改革が西洋化を志向する運動として行なわれることの限界を示しているということができるだろう。一方、一九八五年法に続く重要な身分法として制定された二〇〇〇年法は、聖典に基盤を置いた内容であることを前面に押し出した改革であった。これは社会が一層保守化する中で女性がより多くの法的権利を得るためには、イスラーム的価値規範に則った改革運動が必要であることを表わしているということができるだろう。
著者
市川 裕
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.85, no.2, pp.293-317, 2011-09-30

本論文は、ユダヤ教共同体が一五〇〇年間、社会的にパーリアの状態にあった共同体の内部において形成したユダヤ法の精神文化の意義を考察する。古代ユダヤ社会は、西暦一世紀から二世紀にかけて、ローマ帝国からの独立を目指して二度の大戦争を交え、神殿の崩壊、社会の壊滅、エルサレムからの追放といった一連の苦難を受けた。そののち彼らは、政治的自立と独立の夢を放棄し、唯一神の教えの徹底的な学習と実践を自らの生きる道と定めることを決断した。そこから導かれるタルムードの学問は、神への愛に基づいて、徹底した討論によって理性的に相手を説得する方法であった。それは、ユダヤ賢者が預言者の伝統である偶像崇拝との闘いを継承したことによって達成された。その具体例をタルムードにおけるラビたちの思惟方法と討論における論証法の中から抽出したい。ここでいう偶像崇拝とは、社会的権威への盲従や、先入見に無批判な知的怠慢に対する批判的態度であって、ラビたちが新たな形式での偶像崇拝批判を宗教的人格形成の根幹にすえたのである。
著者
東馬場 郁生
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.81, no.1, pp.1-22, 2007-06-30

一九八○年代以降、北米宗教学界を中心に展開した還元論争は、一学術分野としての在り方が依然不透明な宗教研究について、その理論と方法の特徴を精査するうえで貴重な議論であった。還元論争は、M・エリアーデの方法論的主張に対する社会科学系宗教研究者からの反駁として始まり、やがて、宗教現象とその研究方法の独自性を主張する非還元主義と、その立場をとらない還元主義との対立という構図を生んだ。本稿では、還元論争の展開を批判的に検討する。まず、論争のきっかけとなったエリアーデの非還元的主張を確認した後、還元主義からの反論の要旨と問題点をR・シーガルを中心にまとめる。そして、還元論争の重要な結論である、非還元主義的立場もひとつの還元主義とする論理を整理する。最後に、還元論争が残した課題として、宗教研究における還元と信仰者の立場との関係について新たな方法論的問題を提起する。
著者
谷山 洋三
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.80, no.2, pp.457-478, 2006

本稿の目的は、死の臨床において宗教者が優先するべき援助方法について考察することである。末期患者とその家族が抱える苦悩の一つに、死後についての問いがある。このことは、ターミナルケアへの宗教者の関与を促すものだが、それは日本のターミナルケアに宗教者の関与を保証するものではない。その関与の方法について、すなわちスピリチュアルケアと宗教的ケアの相違については、臨床的見地から吟味する必要がある。失敗例を含む五つの事例からは、さまざまな死後存続の信念が素朴に表わされ、それぞれの信念に沿った対応が必要であることが分かる。筆者自身がビハーラ僧として経験したものであり、それらを提示・分析した。諸事例とその考察等によって、宗教者が優先するべき援助方法は、対象者を教義的に導くこと(宗教的ケア)ではなく、対象者の信念に寄り添うこと(スピリチュアルケア)である、ということを明らかにした。
著者
鷲見 朗子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.269-294, 2004-09-30

最後のスペイン・イスラーム王朝であるナスル朝が建造したアルハンブラ宮殿の壁面や噴水には、クルアーン句、カシーダ(アラブ古典詩)句、神と統治者を崇める定式文句が美しいアラビア書体で刻まれている。本論はアルハンブラ銘刻句の図像的機能に注目し、それが表象するイスラームの美と精神を探求することを目的としたものである。イスラームの聖なる象徴である銘刻句の分析から、宮殿内の大使の間は荘厳なイスラームの七つの天を象徴し、獅子の中庭はクルアーンにあらわれる天国を表象していることが導き出された。ナスル朝スルタンはアルハンブラ宮殿を通してイスラームの信仰に基づく理想的な国家と政体を実現しようとしたのである。すなわち、銘刻句は建築物に意味と解釈を与えており、ナスル朝ムスリムの尊い宗教心と神への真摯な態度が建築芸術として表現されたものといえる。
著者
徳安 祐子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.86, no.3, pp.603-627, 2012

近代社会において、知識とは頭のなかにあったり、所有したりする対象であった。知識と個人とは強く結びつき、知識は個人を拡張させるものであった。本稿では、ラオス山地民社会における呪医の知識について検討する。呪医は、「勉強」によって力の源泉となる「知識」を身につけ、村では知識層として見られる。呪医の「感覚」に着目し、彼らが知識をどのように感じ、どのように経験しているかについて検討すると、呪医たちにとって知識とは潜在的な主体性、人格性、そして両義的力を持つものとして「精霊のようなもの」と感じられていることがわかった。呪医の身体に宿る「精霊のようなもの」を呪医たちは増強したり、飼いならしたりしながら治療実践をおこなっている。「勉強」という言葉や、彼らが村の知識層として存在することからは、呪医の知識はわれわれの考える知識に近いもののように思えるが、実際にはおよそ別の姿を持つということがわかる。