著者
幡鎌 一弘
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.148, pp.331-356, 2008-12-25

本稿は、十七世紀中葉における吉田家の活動を、執奏、神道裁許状、行法、勧請・祈祷、神学の五つに分類し、それぞれの実態と相互の関係を検討しながら、神社条目によって吉田家の神職支配が確立していった際の問題点を明らかにしたものである。以下、三点を指摘した。第一に、幕府が寛文五年に神社条目を発布したとき、吉田家の地方神職への支配は確実に広がりをみせていたが、吉田家は幕府が想定するほど朝廷内での地位を持ち合わせていなかった。そのため、従来の研究史では、吉田家の地位を過大評価することになり、執奏をめぐる争論の理解を不十分なものにしていた。第二に、従来の研究では、吉田家と地方との関係について、執奏や神道裁許状の発給による支配関係、身分編成に眼を奪われ、吉田神道の行法の広がりについて、十分理解できていなかった。このため、吉田家と地方大社の複雑な関係について、分析する視点を持ち得なかった。第三に、吉田家の神学の停滞があらわになり、神社祭祀(裁許状・行法の伝受)への特化を決定付けたのは、神社条目が発布された直後に神学への欲求の高まったことと、その発布に力を尽した吉川惟足の活動(講釈という手法)が大きく影響していた。
著者
西田 かほる 井上 智勝 岩城 卓二 梅田 千尋 志村 洋 中川 すがね 幡鎌 一弘 東谷 智 山崎 善弘 引野 亨輔 松本 和明
出版者
静岡文化芸術大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2013-04-01

夷信仰の拠点である西宮神社(現兵庫県西宮市)が所蔵する江戸時代の日記や神社文書、宮司家文書を翻刻することにより、西宮神社の活動と神社に付属する宗教者の実態を明らかにすることができた。同時に、全国の夷社人関係の史料を調査することにより、その地域分布と差異を明確にすることができた。このほか、西宮神社が所蔵する近代の日誌のデジタル撮影を行うことによって、今後の研究の体制を整えた。
著者
幡鎌 一弘
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.148, pp.331-356, 2008-12

本稿は、十七世紀中葉における吉田家の活動を、執奏、神道裁許状、行法、勧請・祈祷、神学の五つに分類し、それぞれの実態と相互の関係を検討しながら、神社条目によって吉田家の神職支配が確立していった際の問題点を明らかにしたものである。以下、三点を指摘した。第一に、幕府が寛文五年に神社条目を発布したとき、吉田家の地方神職への支配は確実に広がりをみせていたが、吉田家は幕府が想定するほど朝廷内での地位を持ち合わせていなかった。そのため、従来の研究史では、吉田家の地位を過大評価することになり、執奏をめぐる争論の理解を不十分なものにしていた。第二に、従来の研究では、吉田家と地方との関係について、執奏や神道裁許状の発給による支配関係、身分編成に眼を奪われ、吉田神道の行法の広がりについて、十分理解できていなかった。このため、吉田家と地方大社の複雑な関係について、分析する視点を持ち得なかった。第三に、吉田家の神学の停滞があらわになり、神社祭祀(裁許状・行法の伝受)への特化を決定付けたのは、神社条目が発布された直後に神学への欲求の高まったことと、その発布に力を尽した吉川惟足の活動(講釈という手法)が大きく影響していた。
著者
幡鎌 一弘
出版者
天理大学おやさと研究所
雑誌
天理大学おやさと研究所年報 (ISSN:1341738X)
巻号頁・発行日
no.16, pp.137-172, 2009

法華山一乗寺には2万点を超える巡礼札が残されており、その悉皆調査からいくつかの事実が浮き彫りになった。中世後期以来の西国巡礼の延長線上の行為として、本堂に結縁の文字を書く《落書》、札を納める、札を打つ、があった。これらは別の行為だが、《落書》の上に札が打たれ、打たれた札が落ちたりはずされたりした後、長押に納められたりするなどしていて、本堂に残された姿からすれば、それぞれの行為は重なりあっている。 西国巡礼に関する出版物がマニュアルとして流布したが、それに左右されない、それぞれの母体となる参詣講(村や地域社会)の伝統もある。ある地域に特徴的に見られる札の形態や絵柄は、地域における習慣・口伝によって、初めて特徴として現れてくるもので、経済力が顕著に反映されることもあった。出版物として広範に広がる知識と村や地域社会レベルでの慣習との両面によって巡礼の形態が規定されていた。 巡礼という非日常的な宗教行動を、先祖供養・庶民信仰など、日常生活の中に幅広く位置づけて理解する必要があると思われる。There are over 20,000 tags dedicated by pilgrims at Hokkesan Ichijoji. An inventory survey of those tags brought several facts into relief. Acts of writing on the main hall to form a connection with Buddhas, to dedicate tags, or nail tags at the temple were performed on the continuum of the Saikoku pilgrimage after the late Middle Ages. Though these acts were performed separately, they appear overlapping from the way the objects were left in the main hall because tags were nailed on writings and, when dropped or got removed, they were placed on the upper rail of the hall. While publications about the Saikoku pilgrimage were made available as manuals, there were certain influences unique to each pilgrimage fraternity (villages and local communities) that was the main body of pilgrims. Shapes and patterns of tags characteristics of particular regions are direct results of regional customs and oral traditions. Economic power was also manifest in some cases. The information widely made available through publications and customs practiced at the level of villages and local communities both determined the forms of pilgrimage. Additionally, there is a need to understand the extraordinary religious act of pilgrimage in the context of the ordinary acts of, for instance, ancestor worship and folk belief.
著者
幡鎌 一弘 井上 智勝
出版者
天理大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

神道の本所である吉田家の玄関帳「御広間雑記」元禄12(1699)年~宝永7(1710)年のインデックス約6200点を作成し、近世神道史研究を発展させるための基礎的作業を行った。あわせて、吉田家・白川家の対抗を考える上で重要な人物である臼井雅胤の活動と、臼井と一条兼香・道香によって創設された白川家八神殿の背景を明らかにした。さらに、17世紀後半における神職による神仏分離の活動が祭礼の由緒の説明に影響を与えていることを示した。