著者
郭 基煥
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.15-48, 2015-12-18 (Released:2022-01-14)
参考文献数
20

東日本大震災のあと、いたるところで国家や民族を含めた社会的カテゴリーが一時中断されるという現象が見られた(災害時ユートピアの一形態)。そこには、外国人と日本人の間の境界を越えた「共生社会」に向けて、ドラスティックな転換が起こり、「想像の共同体」としてのネーションのリアリティが減退した社会が後続する可能性が孕まれていた。しかし、これまでのところ、ヘイトスピーチなどに象徴されるように、特に日韓関係に関する現実は、複数の場面でそうした方向とは正反対の方に向かって進んできたように見える。本稿では、特にコリアンの震災経験を検証することで、こうした「現実」がそれとは別のものになっていたかもしれない可能性を探り、特に在日コリアンを標的とする日本における排外的なナショナリズムを超えるための方策を考察する。 排外ナショナリズムについては、日本国内の格差が背景にあるとする議論がある。また戦後の日本政府による政策に根本的な問題があるとする議論もある。また特に前者の観点に立って、排外ナショナリズムの克服には、いわば「賢明なナショナリズム」が必要だとする考えもある。本稿ではこれらの議論の検討を通し、最終的には、どのようなナショナリズムによっても排外ナショナリズムは乗り越えられず、問題の解決にはむしろ震災時に見せた〈共生文化〉を現在に継承した地域社会の成熟こそが求められている点を示すことになる。
著者
永吉 希久子
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.49-74, 2015-12-18 (Released:2022-01-14)
参考文献数
35

本研究の目的は、在日外国人の非集住地域である宮城県における、在日外国人住民の社会的ネットワークの類型と、その規定要因を明らかにすることである。在日外国人住民にとって、日本人との、また、同国出身者とのネットワークが、異なる形で物質的、精神的な生活状況に影響することはよく知られている。その一方で、どのような条件のもとでネットワークが形成されるのかについては、十分に検証されていない。本研究では、文化的・社会経済的同質性と接触機会の程度の影響に着目し、外国人住民のネットワークの規定要因を分析する。宮城県の外国籍県民に対する社会調査データの分析の結果、以下のことが明らかになった。第一に、外国籍者のネットワークは、同国出身者を中心とする母国型が全体の七割以上を占め、次いで、日本人を中心とする日本人型の割合が高く、一部に身近な個人とのネットワークではなく公的・民間機関を相談相手とする制度型が存在した。第二に、社会的ネットワークの類型の規定要因について、文化的類似性に基づく同類結合を支持する結果が得られる一方、社会経済的類似性に基づく同類結合は支持されなかった。また、失業率が高い程、制度型になりやすくなる傾向がみられ、経済状態が悪いことによってネットワークが縮小される可能性が示唆された。さらに、非集住地域の人口規模では、地域の外国籍人口の大きさがネットワークの類型には影響を与えないことが示された。
著者
清水 晋作
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.63-82, 2015-07-10 (Released:2022-01-21)
参考文献数
28

本稿は、知識人ダニエル・ベルの死がもつ意味を考察し、ベルの知識人論を検討することによって、「知識人の死」というテーマについて論じる。ベルは、二〇一一年一月に亡くなったが、「公共知識人」と評されるニューヨーク知識人の一員であり、さらにはその知識社会における中心的存在であった。R・ジャコビーは、ベルを含む同世代のニューヨーク知識人たちを「最後の知識人」と評価した。知識人として「公衆」に訴えかけるスタイルをとった最後の世代という意味である。 ベルの知識人論において、ニューヨーク知識人の特徴が示される。ニューヨーク知識人たちが共通にもつ特徴は、イデオロギーを掲げ、疎外の感覚をもち、思想闘争に参画してきたことである。ただしベル自身は、他のニューヨーク知識人と比べて、関心と活動の範囲が広く、特異な位置を占めていた。ベルは、公共政策の領域に深く関わり、政策レベルの論争に踏み込むことがしばしばあった。そのうえで、強い理論的志向を併せもち、彼の究極的意図は、社会学理論の再構築にあった。 知的専門分化が進み、そうした知的状況への批判として「公共社会学」について活発に議論される時代にこそ、「公共知識人」として評価されるベルやニューヨーク知識人の足跡を辿ることに意義があろう。
著者
牛渡 亮
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.83-113, 2015-07-10 (Released:2022-01-21)
参考文献数
28

二〇一四年二月一〇日、スチュアート・ホールは腎不全による合併症のため、八二年にわたる生涯をイギリスで終えた。 本稿の課題は、ホールが遺した多方面にわたる理論的営為を、彼が晩年の論考で提示した「ネオリベラリズム革命」という視角から整理したうえで再検討し、その今日的な意義を解明することにある。 ホールは、一九七〇年代以降のイギリス政府の連続性を「ネオリベラリズムの長きにわたる行進」と表現し、政党にかかわらずそれぞれの政権がすべて「ネオリベラリズム革命」をそれぞれに推し進めてきたと主張している。 本稿の分析によって、ホールが生涯一貫して、戦後の「合意に基づく福祉国家型社会」から今日の「強制に基づくネオリベラリズム型社会」へといたる転換過程と「ネオリベラリズムの長きにわたる行進」に関する諸問題を、みずからの中心的な研究対象としてきたことが明らかになる。さらに、彼が死してなお、この「ネオリベラリズム革命」がこれからを生きる私たちにとって重要な課題であり続けることが示される。
著者
斉藤 知洋
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.94, pp.133-156, 2014-04-30 (Released:2022-03-05)
参考文献数
21

本稿の目的は、母子世帯および父子世帯出身者の教育達成過程および文化資本に着目して、家族構造間の教育達成格差が生じるメカニズムについて検討を行うことである。 全国規模の社会調査データである『二〇〇五年社会階層と社会移動全国調査』(SSM調査)を用いた多変量解析の結果、以下の点が明らかになった。(1)ひとり親世帯出身者は、二人親世帯に比べ、高等教育進学以前の教育達成段階(高校進学、高校学科)において不利を被っている。(2)しかし、高校学科と高等教育進学に対する負の効果は母子世帯のみに限定された。(3)ひとり親世帯出身者の教育達成上の不利は家庭の文化資本(文化財・親の最終学歴)が媒介要因として機能している。(4)家族構造と高等教育進学をつなぐ媒介要因として、高校のトラッキング機能が働いている。 本分析から、母子世帯および父子世帯では家庭の文化資本が寡少になりやすいことが子どもの教育達成に負の影響を与えていることが明らかになった。その要因として、ひとり親世帯における学歴階層性が挙げられ、ひとり親世帯は、子どもへの教育投資や子どもへの教育期待が希薄になりやすい独自の文化的環境をなしている可能性が示唆された。
著者
鳶島 修治
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.95, pp.1-23, 2015-01-30 (Released:2022-02-06)
参考文献数
20

一九九〇年代前後の教育改革を主導する理念として提起された「新学力観」のもとでは、児童・生徒の「個性」や「主体性」、「創造性」の伸長が目標とされた。そこでは知識を「教え込む」従来の授業方法が否定的に捉えられ、教師には「支援者」として児童・生徒の主体的な学習に関与することが要請されるようになった。本論文では、こうした新学力観にもとづく授業方法の転換が中学生の学力や学力の階層差とどのように関連しているのかを検討する。二〇〇三年に実施された「国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)」の日本調査データを用いてマルチレベル分析による検討を行った結果、生徒の学力水準や学力の階層差の大きさと学級レベルでの授業方法との間には明確な関連が見られないこと、先行研究で指摘されていた学力と授業方法の関連は、同じ学級に所属している生徒間での各タイプの授業の頻度に関する認識の相違に起因するものであることが示された。これまで、新学力観にもとづく教育改革によって学力の階層差の拡大がもたらされる可能性がたびたび指摘されてきたが、本論文の分析結果はこのような見方が必ずしも妥当でないことを示唆するものである。
著者
木村 雅史
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.95, pp.49-74, 2015-01-30 (Released:2022-02-06)
参考文献数
19

本稿の課題は、アーヴィング・ゴフマンの後期の著作『フレーム分析』(Goffman 1974)において提示されている「人-役割図式(person-role formula)」概念を、ゴフマン独自の「状況の定義」論として展開されている『フレーム分析』の問題設定、概念枠組との関連において検討し、その意義を明らかにすることである。 人-役割図式概念を検討するにあたって、まず、二節では、『フレーム分析』の基本的な問題設定や概念の検討を行う。この作業を通して、「アクティヴィティー」概念が状況が定義された状態を記述するために設定されていること、「フレーム」概念がアクティヴィティーの獲得や変化を生み出している原理として設定されていることを確認する。三節では、二節の作業を踏まえた上で、人-役割図式概念やその関連概念(役割-役柄図式、バイオグラフィー)の検討を行う。こうした作業を通して、人に関する認知が「状況の定義」が獲得され、変化していく際の重要な資源を構成していることを示す。 四節では、三節までの作業を踏まえた上で、人-役割図式論の要点を整理する。最後に、人-役割図式論の意義を、個別の状況や「状況の定義」の多層性のもとに、そこに参加している人々の自己の立ち現れ方の多層性を描き出していく視角の提供として結論づける。
著者
土田 久美子
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.95, pp.75-100, 2015-01-30 (Released:2022-02-06)
参考文献数
15

東北地方に在住する外国出身の移住者たちについては、その組織化の難しさがこれまでの先行研究で指摘されてきた。しかし東日本大震災以降、そうした移住者たちの組織化が複数件確認されている。本稿は、宮城県A市在住のフィリピン出身女性たちによる組織を事例とし、彼女たちの語りに即してその形成プロセスを明らかにした。特に本稿が焦点をあてたのは、そうした組織化が可能となった社会的条件と、震災後の彼女たちの状況とそれまでの問題意識との結びつきである。
著者
中川 恵
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.95, pp.125-143, 2015-01-30 (Released:2022-02-06)
参考文献数
9

本稿は、宮城県の有機野菜生産者たちが始めた放射性セシウム測定活動の事例から、〈提携〉関係の再生をめぐり、彼ら生産者が直面する困難な状況を明らかにする。東日本大震災によって引き起こされた原発事故を契機として、食料の安全性確保は重要な課題となった。調査によって、有機野菜生産者たちが国の行う放射能測定によってではなく、自らの手によって安全性を証明しなければならないと考え、早期に測定体制を整えたことが分かった。それは、有機農業が国の安全基準や規制を批判的に捉え、自省的に厳しい安全性を追求する営みであったことに由来する。彼らは放射能測定においても「行政安全検査」が証明する安全性では納得せず、自らの手で確認できるまでの間は安全性が証明されていないと考えた。その後、測定が続けられているが、〈提携〉関係は回復していない。にもかかわらず、生産者はこのことを消費者の無理解によるものとは批判しない。なぜならば、〈提携〉関係において安全かどうかを決めるのは、国でも生産者でもなく、消費者自身だからである。そもそも〈提携〉関係とは食の安全という旗印を掲げた有機農産物を介した関係であった。生産者が〈提携〉を重視する程、〈提携〉関係の解消が必然的に生じるという逆説的状況がここには存在するのである。
著者
三上 剛史
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.94, pp.29-54, 2014-04-30 (Released:2022-03-05)
参考文献数
26

東日本大震災を体験した後の社会において、我々は、リスク社会とどのように向き合わねばならないのか。個人化社会において、ますます社会から切り離されてゆく個人と、〝終焉〟しつつあると言われる「近代」社会は、どのような形で新たに接続され得るのか。そして社会学は、このような個人と社会の関係を、いかなる形で新たに構想すべきなのか。 社会学は、個人と社会という、二つの別個の存在をうまく調停しバランスを取ろうとしてきたが、今やリスク社会によって、個人も社会も、これまでとは異なったあり方を求められている。これまでの社会学の考え方に替わる、いかなる理論的観点が存在し得るのか。この点について検討することが、本稿の課題である。 本稿では、この問題を近代的な理論的シンボリズムの隘路として捉え、「シンボリックなもの」(結合と連帯を生む契機)と「ディアボリックなもの」(分離と個別化を生む契機)の対比において把握し、リスク社会においては、ディアボリックなものへの注目が求められることを示したい。 社会学においては、「シンボリックなもの」は結合と連帯を生む契機として、もっぱらプラスの意味で使用されている。だが、シンボリックな契機による結合と連帯は、今やリスク社会の到来と共に深刻な制度疲労を起こしつつあり、それとは反対の契機に道を譲らねばならぬ位相に来ているのではないか。
著者
小松 丈晃
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.94, pp.55-79, 2014-04-30 (Released:2022-03-05)
参考文献数
35

本稿では、社会学理論・学説研究の視点から、「無知をめぐる争い」とでも言いうる事態がますます顕在化するにいたった東日本大震災後の状況について、政治と科学の関わりに焦点を当てて観察するためのありうる一つの見方を、呈示したい。そのためにまず、社会システム理論の知見を援用しつつ、「不確実性吸収」のプロセス、および、それによる「無知の潜在化」がもたらす多大な「リスク」について論じる。その上で、外的な要求圧力が、「シンボリック・メディア」のインフレーション/デフレーションをもたらし、過剰な信頼とそれによるリスク増大が帰結しうることを、指摘する。またこのことは、「偽」であることによる損害よりもむしろ、「真理」であることによる損害という別種の問題への対応が迫られることをも意味する。最後に、こうしたメディアのインフレーション/デフレーションが生じるとき、人格や役割やプログラムといった予期の各レベルの過度な圧縮や分離がもたらされ、科学への信頼や不信に多大な影響をもたらしうることを示す。
著者
高橋 徹
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.94, pp.81-108, 2014-04-30 (Released:2022-03-05)
参考文献数
28

東日本大震災は、日本社会に深甚かつ複雑な課題を残した。その課題の克服には、官民を問わぬ多元的なアクターの連携が必要である。ガバナンス論の分野は、このようなアクターの多元的な連携について示唆的な研究を蓄積している。本稿の課題は、ガバナンス論が示唆するガバナンスの多様な可能性に学びつつ、現代社会が持ちうるガバナンスの可能性を最大限に発揮するための可能性の条件を社会理論、とりわけ機能分化論の見地から考察することである。 機能分化論は、国家・市場・市民社会のいずれの領域にも傾斜せず、社会が直面する問題の設定とその解決のための方途をつねに比較検討することを促す。ガバナビリティとは、両者をたえず適切に組み合わせてゆくことである。このような意味でのガバナビリティを最大限に発揮するためには、問題とその解決に向けた取り組みに対する柔軟な比較検討の視点、そして社会が内蔵するリソースを問題解決に機動的にあてるための多元的な流動性が必要なのである。