著者
馬渡 玲欧
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.103, pp.139-163, 2019-10-16 (Released:2021-10-24)
参考文献数
38

本論文ではマルクーゼの「労働と遊び」論における一九三〇年代初頭の議論と一九五〇年代の議論を再検討する。前者については、必需品を生産する領域の彼方にある自由の領域において、歴史的な現存在である人間をつくりあげる「行為としての労働」にとっては、他者や対象への予測が必要となり、その予測を可能とするのは現存在の存在論的な場であることを明確にする。この場を確保するための条件として、労働と労働のあいまに位置する「遊び」が必要となるのである。マルクーゼは三〇年代の問題構成を五〇年代に洗練させる。特に本稿では精神分析家ヘンドリックが主張する、効率的な仕事が快楽をもたらすとする議論へのマルクーゼの反論を取り上げる。この過程でマルクーゼが遊びこそが疎外された労働や産業社会における生産性信仰を克服する方途であるとみなしていたことを示す。市民社会における業績原理は生産性という桎梏にとらわれており、それゆえに必然的に承認のイデオロギーや強制された自己実現の隘路に陥らざるを得ない。「労働と遊び」論の社会理論的検討は生産性信仰に陥りがちな労働の過程から距離を取ることができる点で有用である。
著者
小杉 亮子
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.165-191, 2015-07-10 (Released:2022-01-21)
参考文献数
29
被引用文献数
1

本稿は、戦後日本社会運動史の重要な契機である一九六〇年代学生運動の特徴と意義について、社会運動研究の文化的アプローチに基づき、参加者による運動への意味づけから考察を行なった。一九六八年から一九六九年にかけて東京大学で発生した東大闘争を事例に、参加者への聞き取り調査や一次資料に基づいて分析を行なった結果、次のことが明らかになった。第一に、一九六〇年代学生運動では、新左翼諸党派と〈ノンセクト・ラジカル〉、さらにはそれらと敵対する日本民主青年同盟という、三層の参加者が存在した。第二に、三層の参加者たちは学生運動にたいする意味づけが異なり、とくに運動の目的と運動組織にかんする志向性を大きく異にしていた。一九六〇年代学生運動は、この三者の混在から生じた多元性と、さらには三者間の相克による複雑な動態に特徴づけられていた。第三に、一九六〇年代学生運動の多元性の背景には、一九五〇年代後半以降に起きた、社会主義革命を目指し政治党派として大衆運動を指導する学生運動に、学生が個人として学生固有の問題に取り組む学生運動が加わるという、学生運動の質的変容があった。
著者
安藤 丈将
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.104, pp.145-173, 2020-02-21 (Released:2021-09-24)
参考文献数
36

本稿では、社会運動と民主主義との関係を論じている。主に民主主義の研究者の議論に焦点を絞り、彼らが社会運動の役割をどう見ていたのかを明らかにしていく。 一節では、民主化研究の古典を検討しながら、その中で社会運動という行為者の民主化に果たす役割が重視されていなかったことを論じる。二節では、政治学と社会学の分業化の中で、民主主義研究と社会運動研究の分離が生じたことに触れた後、一九九〇年代以降、モダニティの構造変容とそれに伴う政治の再定義の状況の中、二つの研究領域の再統合が進んでいることを見ていく。 三、四節では、一九九〇年代以降の民主主義論者の中でもっとも意識的に社会運動を位置づけてきた一人であるアイリス・マリオン・ヤングのテキストを取り上げる。彼女は、社会運動が公式の政治制度の外側に政治参加の場を提供すると同時に、その場において政治的コミュニケーションの手段を多様化して熟議的な民主主義の実現に寄与するという形で、社会運動の役割を位置づけていた。 五節では、社会運動内部の民主主義と熟議システム論という、このテーマに関する最新の研究動向を概観しながら、社会運動と民主主義というテーマの今後を展望する。
著者
小林 博志
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.105, pp.61-85, 2021-02-15 (Released:2022-03-10)
参考文献数
21

本稿では、農協婦人部の機関誌的存在である雑誌『家の光』を通し、第一次ベビーブームの親世代に着目して、高度経済成長期の農村社会における学歴アスピレーションの高まりについて考察する。一九五〇年代からの生活改善運動の展開と、一九六〇年代のテレビ普及を背景に、家族計画を一つの契機として教育への関心が高められ、その関心は子どもの成長と共に学歴取得へと向けられる。兼業化の加速による農外収入の増加と、テレビ普及による近代家族的価値観の浸透によって、工業製品の普及だけでなく、高卒という学歴も都市と同様に取得され、農村の都市化が進展する。これにより、消費財という「モノ」だけでなく、学歴という「経歴」も一般化していく。それは、都市と農村が共有しうる、「人並み」という生活水準意識の一端が形成されていく過程でもある。
著者
町村 敬志
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.104, pp.91-117, 2020-02-21 (Released:2021-09-24)
参考文献数
16

社会運動は何かを「変える」存在であった。だが社会学における社会運動論は、「なぜ運動は起きたのか」に比べ、「何を変えるのか」については十分な関心を寄せてこなかった。構造への接続を念頭に置きながら、社会運動の「効果」という論点を深めようとする場合、次の三つのアプローチの可能性がある。第一に、社会的争点の構造的布置とその変容を映し出すものとしての社会運動、第二に、マクロ-メゾ-ミクロを接合させるエージェントとしての社会運動、第三に、時間を超える構造化された効果としての社会運動である。本論が確認したことは、社会運動は、個人や親密圏のような「ローカルな局域」の水準にまず基礎づけられることで、むしろ、時間的幅をもつ構造的効果を有することができるという点であった。社会運動は、再帰的なローカルナレッジの担い手として、主体と構造の間を連接していく。
著者
上田 耕介
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.39-61, 2015-07-10 (Released:2022-01-21)
参考文献数
26

本稿は、資本主義の現状擁護論者と考えられていたダールの思想を検討し、その通説的解釈の誤りを指摘し、ダール思想の意義を論じる。最初に、ダール思想の解析の手がかりとすべく、あまり注目されてこなかったダールの生い立ちを少し詳しく見ていき、その上で、著作の検討に入る。ダールは、資本主義と社会主義の二分法を否定し、言わばダール版「イデオロギーの終焉」を宣言する。経済のあるべき姿は、「社会的諸目標」による。「社会的諸目標」とは「平等な自由の拡大」であり、ダールは格差擁護論を批判する。ダールの見るところ、最大の問題は、市場イデオロギーであった。こうしたダールの思想は、市場原理主義が世界を覆っている今日こそ、意義を持つものである。最後に、ダールの議論を手がかりに、市場イデオロギーの弱い日本で市場原理主義が力を持つ理由を論じる。
著者
坂口 奈央
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.105, pp.33-60, 2021-02-15 (Released:2022-03-10)
参考文献数
14

本稿では、三陸沿岸の漁業集落に生きる婦人会の女性たちが、能動的かつ活発な活動を続けるのはなぜか、ライフコース研究をもとに明らかにする。婦人会の女性たちには、共通点がある。それは、震災時の年齢が主に六〇歳代で、夫が遠洋漁船の乗組員や漁業関連の労働に従事し、不慮の事故で犠牲になった人が少なくないこと、生家や親戚が漁家、などである。そこで彼女たちが誕生した一九四〇年以降を出発点に彼女たちの人生についてみていくと、遠洋漁業が発展していく一九六五年以降に、結婚、出産、子育てなどの人生のタイミングと重なっていた。また彼女たちの人生、とりわけ就労に関し、夫の職業に規定されていた。例えば、夫が遠洋漁業に従事している場合、海難事故などのリスクに備え、妻は、収入が確実に得られる労働に従事していた。夫が養殖漁業や船主など自営型の漁業に従事しているケースでは、妻が漁獲物の取引に直接関与し、経済的才覚が鍛えられていく。夫がサラリーマンなどの場合でも、妻たちは専業主婦ではなく、積極的に労働に従事していた。さらに家庭内での彼女たちの役割をみると、夫の代わりに家族に関する重要な事柄の決断を担っていた。三陸沿岸の漁業集落の特徴を念頭に、主たる漁業形態という外部環境と彼女たちの日常は密接に連動し、生計維持のためには女性同士の共助が必要不可欠だった。こうした背景から、現在も婦人会活動が活発に行われていたのである。
著者
板倉 有紀
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.94, pp.109-132, 2014-04-30 (Released:2022-03-05)
参考文献数
30

本稿では、東日本大震災を経ての社会理論の課題として、「機能分化とリスク」という観点から、特に地域社会に照準して災害時要援護者・災害弱者の「包摂と排除」についてとりあげる。機能分化論において議論される「蓄積的排除」という事態について先行研究をふまえて考察し、自然災害における被害のあり方と関連づけて論じる。その上で、自然災害における「蓄積的排除」に抗する支援体制を、地域社会を基盤として構築していくさいの課題と方向性について、災害時要援護者対策や東日本大震災以降の動向をとりあげながら考察する。以上をとおして、東日本大震災をめぐる社会理論の一つの方向性と、経験的な課題としての災害時要援護者・災害弱者支援の接点を提示したい。
著者
山田 香
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.133-157, 2015-12-18 (Released:2022-01-14)
参考文献数
8

本稿は、「見えないスティグマ」を持つ四〇歳代女性関節リウマチ(以下RA)患者の経験における、他者との相互行為の特徴とその変化について整理を行い、RA患者の印象操作を中心とした生活技法獲得のプロセスを明らかにするものである。その際、ゴフマンのスティグマの可視性と不可視性をめぐる理論を参考に、RA患者のアイデンティティ管理の様相を解釈する。 一目で障害があるとわかるような著しい関節の変形や跛行がなく「健康そうに見える」若いRA患者は、スティグマが付与されることと身体への過剰な負担を回避するための戦略として、他者に対してRAの可視性・不可視性を場面に応じてある程度操作できるようになっていく。日々の生活における効果的なまたは非効果的な自己管理の経験は、よりよい疾患管理方法を患者自身に示唆するものであると同時に、RAとともに生きる自己を受容する機会にもなっていた。 慢性疾患患者のもつスティグマは、それが「見えないスティグマ」であるからこそ、スティグマをめぐる他者との駆け引きは複雑なものとなり、生活空間の分割を通した「見せる/見せない」の選択権の行使がなされることになる。言い換えれば、これらのことを自己のコントロール下に置けるようになることが、多元的な役割を持つ生活者としての慢性疾患患者の生活技法の獲得であるといえる。
著者
苫米地 なつ帆
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.95, pp.101-123, 2015-01-30 (Released:2022-02-06)
参考文献数
29

教育達成には男女間格差が存在し、特に高等教育進学においては「男性は四年制大学、女性は短期大学」という「ジェンダー・トラック」が存在していることが知られている。しかし、同じ家族の子ども、すなわちきょうだいの中でも「ジェンダー・トラック」の効果がみられるかどうかや、きょうだいの性別構成が教育達成における性別間格差とどのように関連しているかは明らかにされてこなかった。そこで本稿では、教育達成の性別間格差が生じるメカニズムについて、マルチレベル多項ロジスティック分析による再検討を試みた。分析の結果、教育達成の格差が生成されるそのメカニズムとして、性別の違いが大きな影響力をもち、同じ家族環境のもとで育った子どもであったとしても性別による教育達成格差がみられることが明らかとなった。また、自分以外のきょうだいを含めたきょうだいの性別構成はほとんど影響をもたないことが示されたが、男性のみで構成されるきょうだいは、他のきょうだいに比べて四年制大学に進学しにくい傾向がみられた。このことから、男性のみのきょうだいではそれぞれの子どもに家族の教育資源が平等に振り分けられ、男性と女性がいるきょうだいの場合には女性への配分を少なくすることで男性を四年制大学に進学させようとする家族の教育戦略があるのではないかということが、改めて示唆された。
著者
長谷川 公一
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.103, pp.7-20, 2019-10-16 (Released:2021-10-24)
参考文献数
19

ポピュリズムや反エリート主義、既成のマスメディアへの反感、反グローバリズムなどと結びついて反知性主義が猛威を奮っている。「ポスト真実」の時代の民主主義の危機は、日米英などにとどまらない、現代の先進産業社会に共通する根深い構造的な問題である。リベラリズムと普遍主義的な志向の退潮とともに、民主主義の危機は一層深刻度を増している。グローバル化する経済のもとでの格差の拡大とSNSなどの発達が、価値パターンの分断と亀裂をいよいよ深刻化させている。各個人向けにパーソナル化されたフィルターバブルによって、インターネットは、対話のメディアから、「意見の異なる他者を排除するための装置」に変質している。「ポスト真実」は一過的な徒花ではない。その意味で、パーソンズによる「ホッブズ的秩序問題」の二一世紀的な意義が再評価されるべきである。 本稿は、特集の清水・上田・寺田・鈴木論文に対するコメントである。
著者
鳶島 修治
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.104, pp.201-225, 2020-02-21 (Released:2021-09-24)
参考文献数
42

本稿では、二〇一五年に実施された「国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)」の日本調査データを用いて、小学四年生の子どもをもつ母親の教育期待の規定要因について検討した。その際、教育期待形成における「準拠集団」としての学校の影響に注目し、学校平均学力と学校SEC(保護者の大卒割合)の効果を検証した。母親の教育期待(子どもに大学進学を期待しているかどうか)を従属変数とするマルチレベル分析の結果として、子どもの学力が高いほど母親は大学進学を期待しやすいこと、母親は子どもが女子の場合よりも男子の場合に大学進学を期待しやすいこと、母親または父親の学歴や職業的地位が高いほど母親は子どもに大学進学を期待しやすいことが確認された。また、母親の教育期待に対する学校平均学力の効果については明確な結果が得られなかったものの、学校SECの効果に関しては、子どもが女子の場合には学校単位でみた母親の大卒割合が、子どもが男子の場合には学校単位でみた父親の大卒割合がそれぞれ有意な正の効果をもっていた。この結果は、子どもと同じ学校に通う児童の保護者たちが母親の教育期待形成における準拠集団としての役割を担っていること、同時に、母親の教育期待形成における準拠集団の選択が子どもの性別という要因に依存していることを示唆するものである。