著者
鍛冶 博之
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.80, pp.59-84, 2008

パチンコホール業界では、1980年に登場した「フィーバー機」が第3次パチンコブームを引き起こす一方で、遊技者に対してさまざまな弊害をもたらすことになったため、1981年から85年にかけて、警察による指導とパチンコ業界による自主規制が行われた。それによりホール業界では遊技機の射幸性に依存した経営方針を改善する必要に迫られた。こうして先進的ホール企業では、これを契機にしてサービス業としてふさわしいホール経営のあり方を模索するようになる。ずなわちホール企業による「経営改革」が進められ、1990年代に本格化し、今日に至る。とはいえ、経営改革のい重要性と必要性が強調されるようになって10年以上が経過した今日でも、その重要性を認識し実行するホール企業は一部に限られているのが現状である。本稿ではホール業界において、今日でもなお経営改革がホール企業全体では十分に実施されているわけではないという事実に着目し、なぜパチンコ業界の健全化に向けた取組みであるはずの各ホール企業による経営改革が全体的に浸透していないのか、つまり経営改革の抑制要因を探ることを目的としている。
著者
福田 智子 フクダ トモコ Fukuda Tomoko
出版者
同志社大学人文科学研究所
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.44, no.4, pp.35-56, 2015-02-18

研究ノート(Note)『古今和歌六帖』は、約四千五百首の歌を、二十五項目、五百十七題に分類した類題和歌集である。収載歌には、『万葉集』『古今集』『後撰集』など、出典の明らかな歌もある一方、現在では出典未詳と言わざるを得ない歌もある。本稿では、「朝顔」から「葵」までの題に配されている出典未詳歌、九首について注釈を施す。
著者
矢野 環 岩坪 健 福田 智子 ヤノ タマキ イワツボ タケシ フクダ トモコ Yano Tamaki Iwatsubo Takeshi Fukuda Tomoko
出版者
同志社大学人文科学研究所
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.44, no.4, pp.57-85, 2015-02-18

資料(Material)竹幽文庫蔵『源氏千種香』は、『源氏物語』五十四帖にちなんだ五十四種類の組香の作法を記した、安永二年(一七七三)の自叙をもつ伝書である。本稿では、まず、蛍香から藤袴香を翻刻し、次に、これらの巻の内容について、先行する菊岡沾涼著『香道蘭之園』所収本(元文二年〈一七三七〉頃成立)と比較し、『源氏物語』およびその梗概書や注釈書との関わりを考察する。巻末には、当該箇所の影印を付す。
著者
鍛冶 博之 カジ ヒロユキ Kaji Hiroyuki
出版者
同志社大学人文科学研究所
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.44, no.2, pp.75-104, 2014-08-29

論説(Article)本稿の目的は、レジャーの商品史的考察のひとつとして日本における代表的なレジャーであるパチンコを取り上げ、パチンコの出現と普及の経緯、日本社会で普及した背景(海外で普及していない背景)、日本社会にもたらした影響を考察し、ランドマーク商品としての可能性を模索することである。第1章では、戦前期に注目し遊技機の起源とパチンコが日本社会で誰によって、いつ頃、どこで登場したのかを考察する。第2章では、戦後期に注目しパチンコ産業史の動向を主要な出来事に注目して概観する。第3章では、なぜパチンコが日本社会で普及したのか(逆になぜ海外では普及していないのか)について考察する。第4章では、パチンコが日本社会に及ぼした影響を考察する。そして最後に、パチンコがランドマーク商品とみなせるのか否かについて検討する。Pachinko is one of Japanese leisure activities and is regarded as the typical Japanese culture. The market scale of Pachinko industry in Japan amounts to about twenty trillion yen. It occupies about thirty percent in Japanese leisure industry. The purpose of this paper is to clarfy the detail of Pachinko's appearance, the reason why Pachinko can spread in Japan (in other words ; the reason why it can't spread in foreign countries), and the influence which it has on Japanese society, and to study whether Pachinko can be regarded as the Landmark Commodity or not.
著者
福田 智子
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.19-37, 2014-02

『古今和歌六帖』は、約四千五百首の歌を、二十五項目、五百十七題に分類した、我が国初の類題和歌集である。古来、兼明親王や源順が編者に想定されており、貞元・天元年間(九七六〜九八二)頃の成立かと考えられている。作歌の手引き書を意図した歌集であるが、和歌のみならず、『源氏物語』をはじめとする物語などの文学作品にも、少なからぬ影響を与えたと見られる。収載歌には、『万葉集』『古今和歌集』『後撰和歌集』や私家集・歌合など、出典の明らかな歌もある一方、現在では出典未詳と言わざるを得ない歌も多く、それらの歌数は、収載歌の約四分の一を占める。本稿では、それらの出典未詳歌のうち、第六帖の「芹」から「青葛」までの題に配されている歌、九首について注釈を施し、表現のあり方を考察する。なお、底本は、『新編国歌大観』の底本である書陵部蔵桂宮本を用い、江戸期の流布本である寛文九年(一六六九)版本を含めた九本の伝本を視野に入れた本文異同を示す。
著者
中山 俊
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.83-108, 2014-02

1887年3月30日,フランスにおいて建造物と美術品の保護にかんする法律が初めて成立した。歴史的,美術的見地から「国民の利益」を有する不動産と動産,いわば歴史的記念物を指定することで,中央政府の許可のない修復工事,譲渡等を抑止することが立法の目的であった。以後,地方の学術団体は,指定するに値する文化遺産を推薦するよう求められた。トゥールーズでは,郷土史家団体のフランス南部考古学協会(SAMF)がそれに対応した。彼らは芸術の町としての過去の栄光を誇り地元の作品を保護するため,トゥールーズ独自の建造物,美術品をも指定しようとした。しかし,とくに動産にかんしては,指定に対する所有者の消極的な態度によりSAMFは情報を十分に収集することができなかった。「国民の利益」にこだわる政府と地方の連携もまた容易ではなかった。それでも,指定された建造物,美術品はSAMFが推薦したものであった。1887年法に基づいて行われた指定事業は,文化遺産を「大きな祖国」の国民芸術として保護するためのものでは必ずしもなかった。郷土史家は指定を通じて,「小さな祖国」に特有の文化遺産の保護に貢献したのである。
著者
藤原 秀夫
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
no.92, pp.1-39, 2011

歴史的には信用創造・貨幣創造モデルは部分的なモデルとして確かに存在していたし、テキストにもしばしば現れるが、従来の信用創造および貨幣創造の説明の本質的な弱点は、この部分的モデルがマクロの同時決定モデル(一般均衡モデル)にどのように結合されるのかという点を、不均衡調整過程も含めて全面的に明らかにしていないということであった。部分的な信用創造・貨幣創造モデルをマクロ信用創造一般均衡モデルへと展開していく上で、歴史的にみて、重要な方法の1つは、フィッシャー=フリードマンの貨幣乗数の定式化であった。多くのモデルがこれを踏襲している。もう1つは、預金供給に関して、民間銀行部門の預金需要への受動的行動態度を仮定する方法である。いずれも、貨幣供給の構成要素である預金供給がマクロ経済でどのように決定されるのかが、核心的な論点である。本稿では、部分的な信用創造・貨幣創造モデルを一般均衡モデルへと展開していく上で、基本的には、上記の2つの方法を検討している。これらの方法によって、部分的な信用創造・貨幣創造モデルを一般均衡モデルへと整合的に展開することは十分に可能であったが、部分的な信用創造モデルが持つ本源的預金と派生預金の区別を重視した展開は、民間銀行部門の預金供給に関する受動的な行動態度を仮定するモデルであった。多くの論者が、一方では部分的な信用創造モデルでは本源的預金と派生預金を区別しながら、他方、一般均衡モデルでは、フィッシャー=フリードマンの定式化に従って、派生預金供給のみとして、その代替的な方法を試みないことは、整合的な議論であるとはいえない。
著者
中井 義明
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.77, pp.17-44, 2006-09

スパルタの覇権がレウクトラ以降解体していく政治過程を分析した。スパルタと同盟諸国、スパルタと正面から対立し自らの影響力を中部ギリシアやペロポネソスに拡大しようとしたボイオーティア、ペロポネソスにおけるスパルタの伝統的な競争国アルゴス、テーバイの台頭に不信感を募らせスパルタとの提携に傾いていったアテーナイ、の外交行動の分析を通じてその背後にある党派の問題を解明しようとした。スパルタと同盟諸国を結び付けていたのはそれぞれの政治指導者間の個人的な友情と同志意識、民主派に対する敵意と民主革命に対する恐怖感の共有であった。スパルタが民主派に対する安全を保障している限り、スパルタの覇権のもとにあることは意味があった。しかしレウクトラ以降スパルタがそのような保障を提供し得なくなった時、同盟諸国は独自に安全保障の道を模索するようになる。そのことが同盟と覇権の解体をもたらしたのである 。 スパルタの能力の欠如が帝国の解体の原因であった。ボイオティアではエパメイノンダスの政策に反対するメネクレイダスが緊張をもたらしていたし、アルゴスではスキュタリスモスの革命騒ぎによって大混乱が生じていた。アテーナイでは重要な政策を指導したのはカッリストラトスであった。彼はテーバイへの不信からスパルタとの提携を推奨し、スパルタとの連携によってテーバイを抑制しようとしたのである。This paper has treated the political process of the demolition of Spartan hegemony since Leuctra. Sparta, her allies, Argos, Athens and Boiotia are searched for. Relations between diplomacy and factional strife in these states are analized. Spartans like Agesilaos had friendship and comradeship with oligaichic leadres of her allies, and shared their distrust and hostility toward the democrats and fear of democratic revolution. Sparta was the guardian of the oligarchs and gave them shield. But she had decreased her power and prestige since Leuctra. Epameinondas's two invasions made clear her inability. She could not offer her allies enough support any longer. So the oligarchs of her allies had to search for another way. Epameinondas offered them such way. Boiotia allowed oligarchic constitution of Spartan allies and leadership of the oligarchs. He requested them peace with Boiotia and did not demand the other. Therefore, allies seceded from the alliance with Sparta. The lack of ability of Sparta has destroyed her empire. In Athens, the victory of the Thebans stirred up the caution of the Athenians who had fought severely against Sparta during the Boiotian war. Athens has inclined to cooperation with Sparta to control the threat from the north. It was Kallistratos to have guided this new policy. In Argos, for the revolution which is called Skytalismos, pandemonium was caused in Argos. Demos of Argos killed rich people first, and executed leaders who had agitated the murder next. This incident astonished coetaneous people. In Boiotia, Epameinondas and his companions were obtaining full trust among the Boiotians. The oligarchs as a political power had disappeared. However, the opposition existed. Menekleidas criticized Epameinondas' act on his own authority. His voice had the influence. Thus, the faction and the factional strife had exerted a strong influence on the policy of states.
著者
永井 真也
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.75, pp.75-88, 2005-09

1999年のPFI法の導入以来,2005年6月でPFIの取組件数は200件を越えた。社会資本整備手法として注目されているが,PFIの動向を分析し,今後の課題を探ってみた。今日までの傾向を分析すると、本来PFIに望まれていた民間事業者の資金の導入であるとか、ノウハウの導入はなおざりになっており、従来型の公共事業にPFIという名称を付けただけのようにも受け取れる。そうした全国的なデータの傾向を、徳島市の事例から検証をしてみた。徳島市議会の議事録から、うかがい知れる導入過程はPFIありきの議論であった。せめて、PFIを導入するのなら、京都市の御池中学校のような複合化による街づくりもふまえたモノにした方が、将来的にもよい事業ができるのではないだろうか。
著者
谷山 勇太
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.79, pp.37-67, 2007

本稿は本誌第78号「近世の嵐山と日切茶店」に引き続き、天龍寺の寺務日誌『年中記録』を素材として、近世という時間のなかで名所嵐山をめぐって繰り広げられたさまざまな人びとの営みの跡をみつめようとするものである。本稿では、とくに渡月橋の記録を通して、近世の嵐山と法輪寺、十三詣り、渡月橋のそれぞれのかかわり合いと結びつきについて考えるとともに、近世の嵐山という名所文化の一面にまなざしを向ける。
著者
村上 亮
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.103, pp.31-52, 2014-08

本稿は,ハプスブルク統治下ボスニア・ヘルツェゴヴィナにおいて展開された農業政策を事例として,ハプスブルク独特の二重帝国(アウスグライヒ)体制の一端を明らかにすることを目的とする。ボスニアは,帝国内唯一の「共通行政地域」として共通財務省の管轄下におかれ,その統治はオーストリアとハンガリーが共同対処する「共通案件」とされた。またこの地では,就業人口の9割近くが農業に従事しており,その中心をなす畜産は重要な意義をもっていた。今回はとくに,第一次世界大戦前夜に構想されたボスニア地方行政府官吏フランゲシュの農業振興法案が成立するまでの過程に着目し,次の点を明らかにした。第一は,フランゲシュの振興法案が,家畜の品種改良の促進,農業機関の設立,農業信用制度の創設を中心とするもので,ボスニアの事情と帝国本国とボスニアとの経済関係を勘案して作成されたことである。第二は,ボスニア統治が「共通案件」であったため,法案はその施行までに帝国中枢,とりわけハンガリー政府からの妨害に直面したことである。しかし,帝国中枢もボスニア議会(1910-14年)を始めとする現地の意向を勘案せざるを得ず,振興法案は縮減されたものの成立した。本稿の検証を通じて,「共通案件」をめぐる複雑な政策決定過程を跡づけた。
著者
三原 芳秋
出版者
同志社大学人文科学研究所
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
no.90, pp.1-42, 2011

論説(Article)本論考は,T.S.エリオットの「伝統と個人の才能」(1919年)が,帝国日本の思想家・西田幾多郎および植民地朝鮮の「親日派」・崔載瑞というふたりの知識人によって「誤読」された事例をめぐって,そもそもエリオットのmetoikos(居留外国人)的主体性に潜在していたイデオロギー素の解析から,この不気味な「誤読」を生んだ政治的・理論的ドラマの絡まり合いを解きほぐし,その過程で生産され抑圧された「問題」を明るみに出すThis article deals with the two uncanny "misreadings" of T. S. Eliot's "Tradition and the Individual Talent" (1919) by Nishida Kitaro, leading philosopher of the Japanese Empire, and Choe Chaeso, "pro-Japanese" intellectual of Colonial Korea. Analyzing the ideologemes inherent in Eliot's metic [i.e., metoikos] "Tradition", the author attempts to unweave the intertwined political and theoretical dramas involved in these unpredictable disseminations, and to uncover the unique "problems," or "problematics," produced and suppressed through the process.