著者
KATO Morimichi
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
Educational Studies in Japan (ISSN:18814832)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.15-24, 2006

The Western theory of education was in its Greek origin inseparably tied to the Greek concept of Being and truth. This is shown clearly by the metaphor of the Cave in the seventh book of Plato's Republic. This interdependence of education (paideia) with Being (which later was identified with Nature or God) has provided, since then, a firm ontological basis for the theory of education. However, with the rise of epistemology in the seventeenth century and the corresponding transformation of ontology (which transformed Being into sense-data or representation), the preoccupation of educational theory began to shift to the reorganization of our representations. Pestalozzi's educational method (Methode) is the classical example of this shift, even though his vision of the world is still impregnated with Platonic-Christian tradition. Now it seems that, with the rise of information technology, which increasingly abolishes the difference between the real and the virtual (this situation can be illustrated through the movie, The Matrix), the modern epistemological tradition, together with Descartes' fear of evil demon, has reached its apex, thus putting an end to the ontological dimension of education altogether. Taking Heidegger's thought on technology as a guide, we will interpret this shift from ancient ontology to modern epistemology within the context of history of ontology. We will thereby consider the problem of information technology as a fundamentally ontological problem. In order to face the challenge of information technology, philosophy of education must become keenly aware of its ontological background.
著者
坂元 昂
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.35, no.1, pp.47-60, 1968-03-30 (Released:2009-01-13)
参考文献数
37
著者
竹中 暉雄
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.67, no.3, pp.344-352, 2000-09-30 (Released:2007-12-27)

ここに紹介するのは、その存在が確実視されながら未だ確認できていなかった、E・ハウスクネヒト(Emil Hausknecht, 1853~1927)作成の中学校教員の資格と国家試験に関する勅令案である。それは、東京帝国大学の外国人教師であった(1887年~1890年)ハウスクネヒトが品川弥二郎に送った書簡の中で、「江木千之と一緒に作成した勅令案であり、すぐにでも実現して欲しい」と訴えていたものである。彼はドイツにおけると同様に、中学校教員は大学卒業者に対して2度の国家試験を課して選抜し、その地位と経済的待遇とを高める必要性を折に触れ主張していた。しかしこの勅令案では、その一番重要な点において妥協がなされている。それでもすでに存在していた日本の中等学校教員検定制度と比べると、かなり多くの相違点が存在していた。だからこそそれを日本政府に提案する意義があったのである。勅令案には、非妥協の点もあった。重要な点は2点あり、その1点目は、ドイツ流に学術上の検定と実務上の検定とをする2段階検定制を採用することであり、2点目は、予備学として全志願者に教育学・教授学を課すことである。この後者のことは、ヘルバルト主義者としては譲れない点であった。けっきょく勅令案は採用されることなく、ハウスクネヒトは失意のうちに帰国していった。けれどもその後、勅令案に含まれていた事項の多くは、検定制度改革のつど、実現されていった。ハウスクネヒトの主張でついに実現されることがなかったのは、実務の検定と複合科目試験制、上級教員称号制のみであった。しかし、実現されたといっても、それがはたして勅令案の影響によるものであったかどうか、それを肯定あるいは否定する証拠は現在のところまだない。新たな史料の発掘が残された課題である。
著者
金田 裕子
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.201-208, 2000-06-30 (Released:2007-12-27)
被引用文献数
1

<摘要邦文訳>本稿では、教室の会話に教師と子どもたちがどのように参加しているのか着目し、参加の様式の特徴を記述する方法を検討する。授業の過程は、単に認知的なだけでなく、知識と言葉を媒介にして参加者たちが社会的な関係を構成する過程でもある。その際に鍵になる概念は、エリクソンの提示した参加構造である。この概念は、いつ誰が誰に、何を言うことが出来るのかに関しての参加者たちの権利と義務であると定義できる。参加構造の研究は、教師と子どもたちの相互作用場面でのトラブルが、コミュニケーション様式についての予想が互いに異なることによって起こっていると説明してきた。しかし本稿では、以下の二点から参加構造の研究の新しい可能性を探りたい。第1に、参加構造の研究が提示している視点と研究方法は、教室に混在する会話の規則の静的なパターンを明らかにしているだけではない。コンテクストが変化するのに伴い、参加者たちの役割関係は再配分され、協同的な行為において異なる形状を作り出している。そうした点に着目することで、参加構造の研究は、教室の会話が即興的に展開していく側面を記述することを可能にする。個々の教室における参加構造の微細な変化は、会話の順番どり、発話のタイミング、会話フロアの生成に着目して記述することができる。教室の会話における即興的な側面を記述することで、子どもたちが積極的に状況を構成し、また教師が様々な方略を用いてコミュニケーションを組織している複雑な過程を捉えることが可能になるだろう。第2に、学習課題との関連をどのように捉えるかである。従来の参加構造の研究においては、構造的な会話の規則は、発話の際の手続きややりくりを簡素化して、学習の内容に集中できる機能を果たしていることが示されていた。しかし、教室のディスコースと学習課題の関係は、より複雑である。キャズデンが示した教室の「ディスカッション」では、即興的な会話の連続においては話題の選択に関する役割関係が重要になってくることが予見されていた。ランパートの研究において参加構造は、「何を知識とみなし、どのように知識を獲得するか」を決定するやり取りにおける権利と責任の配置として再定義される。その様な参加構造の形成によって、妥当な知識を決定する権威は教師から生徒たちのディスコースコミュニティへと移行し、同時にディスコースコミュニティの形成と維持において教師が果たす役割の複雑な側面が明らかになる。