著者
魯 成煥
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.49, pp.117-146, 2014-03-31

本稿は、九州のある篤志家が自分の私有地に朝鮮の義妓である論介を祀ることによって惹起した韓日間の葛藤について考察したものである。論介は、晋州の妓女というだけでなく、全国民に尊敬される愛国的英雄で民間信仰においても神的な人物である。韓国の国民的な英雄である論介の霊魂を祀った宝寿院の建立と廃亡は、韓日間の独特な霊魂観の対立を象徴するものであった。和解と寛容、平和という純粋な理念に基づいて行われたとしても、当初から様々な問題点を抱えていた。論介にまつわる伝説を歴史的な事件として理解し、命を失った論介と六助に対する同情から彼らの墓碑が造成され、韓日軍官民合同慰霊祭が行われた。これを日本人は、怨親平等思想に基づいた博愛精神の発露だと表現するかもしれない。しかし韓国人はそれとはまったく違う感覚で見る。つまり、それは敵と一緒に葬られることであり、霊魂の分離であり、祭祀権と所有権の侵害というだけでなく、夫のある婦人を強制的に連行し、無理やり敵将と死後結婚させる行為だと考え、想像を超える民族的な侮辱であると感じるのである。
著者
CHO Sojin
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
世界の日本研究 = JAPANESE STUDIES AROUND THE WORLD (ISSN:24361771)
巻号頁・発行日
vol.2021, pp.55-63, 2022-03-23

This paper examines the Nihon University 930 reunion and Nichidai-Zenkyōtō organizations that were involved in campus-related activism in 1968. Furthermore, the paper reviews the pattern and significance of activities illuminated during a roundtable discussion during this reunion and records their experiences. The alumni association published the book series, A Record of Activism of Nihon University: Unforgettable Moments, and asked alumni to document their memories of the struggle. They have continued to devote themselves as activists to recordkeeping in order to objectively examine themselves as objects of history.
著者
北浦 寛之
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.191-207, 2014-09

近年の邦画作品、『ALWAYS 三丁目の夕日』は山崎貴監督により、二〇〇五年のその第一作目から二〇〇七年『ALWAYS 続・三丁目の夕日』、二〇一二年『ALWAYS 三丁目の夕日'64』とあわせて全三作制作、公開されているが、そのどれもが、邦画年間興行収入のベスト・テンに入り、三十億円以上を稼ぐヒット作である。全作通じて昭和三十年代(一九五五年~六四年)の東京の下町の様子が、ノスタルジックに再現されており、特に近所の者が集まってテレビを一緒に見ては、大騒ぎしている様子が、当時を知る多くの人たちの共感を呼んだと指摘されている。ただ、テレビを囲んで展開されるこうした賑やかな光景は、当時の日本映画界では、違った景色として映っていたはずである。 すなわち、「ALWAYS」三部作が描いた昭和三十年代は、日本映画界にとって繁栄から衰退へと向かう転換期にあたる。そして、その転落の要因となったのが、テレビの普及であった。一九五〇年代は映画観客が年々急増し、日本映画の黄金期と呼ばれていた。だが、一九五八年に十一億人を超える動員数を記録するも、この年を境にして減少へと転じ、その後も大衆の映画離れが拡大していく。一方のテレビはというと、一九五九年、皇太子のご成婚パレードの影響もあって、国民のテレビ購買意欲は増大し、五八年に二百万ほどだったテレビ受信契約数が倍以上の四百万超にまで急伸する。以後、着実にテレビは国民の間に浸透していき、それに対して映画の観客数は減少していくことから、テレビは映画の脅威と見なされたのである。 本論文は、そうした当時の映画とテレビの緊張関係の中で、映画製作者たちが「ALWAYS」で見られたようなテレビをめぐる場面とどう対峙したのかを探るものである。昭和三十年代の映画作品を中心に、そこで、テレビないしはテレビ業界など、総体としてテレビ・メディアがどのように表象されていたのかを分析し、いまなお大衆娯楽の中核を担う映画とテレビの攻防の歴史を、本質的な映像の次元から整理していく。
著者
山折 哲雄
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
no.15, pp.93-103, 1996-12

仏教の説話文学に登場する「捨身飼虎」の物語は、インドでつくられ、中国の千仏洞の壁画に描かれ、やがて日本の法隆寺にある厨子の側壁に再現されることになった。しかしこの絵はその残酷なシーンのためか、わが国では、その後しだいに敬遠され忌避されるようになった。ところが中世になって、三匹の野生の虎に見守られて瞑想する僧の絵がつくられることになる。「華厳絵巻」のなかに出てくる七世紀の韓国僧・元暁にかんする一シーンがそれだ。この絵巻をつくる上で大きな役割をはたしたのが明恵(一一七三~一二三二)であるが、そのかれにも、小動物や小鳥たちに囲まれて瞑想にふけっている肖像画がある。明恵の伝記によると、かれは若いころ「捨身飼虎」図に惹かれ、そのように生きようと願うが、やがて成長し、動物たちとの共存の生活を夢見るようになったのである。「捨身飼虎」の犠牲のテーマは、日本ではどうも定着しなかったようだ。
著者
岩下 哲典
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
「日本研究」再考 : 北欧の実践から
巻号頁・発行日
pp.209-214, 2014-03-31

「日本研究」再考 : 北欧の実践から
著者
Vovin Alexander
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.11-27, 2009-03

最近日本祖語、琉球祖語と日琉祖語の再構が非常に進んだとは言え、まだ不明な箇所が少なからず残っている。特に、日本語にない琉球語の特別な語彙と文法要素、また、琉球語にない日本語の特別な語彙と文法要素が目立つ。それ以外にも、同源の様でも、実際に説明に問題がある語彙と文法要素も少なくない。この論文では、そうしたいくつかの語彙を取り上げる。結論として次の二つの点を強調したい。先ず、琉球諸言語の資料を使わなければ、日琉祖語の再構は不可能である。第二に、上代日本語と現代日本語の本土方言には存在しない韓国語の要素が琉球諸言語に現れていることを示そうとした。私の説明が正しければ、ある上代韓国語の方言と琉球祖語の間に接点があったことを明示する事になるであろう。
著者
早川 聞多
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本・ブラジル文化交流
巻号頁・発行日
pp.209-219, 2009-11-30

サンパウロ大学, 2008年10月13日-15日
著者
田名部 雄一
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.161-173, 1990-09-30

食物忌避現象には、その社会におけるタブー(宗教的タブーも含む)によって表れているものと、その民族の体質(遺伝子による)によってその食物の消化・吸収・利用ができないために表れているものとがある。いずれの場合にも、ある食物に対する忌避現象は偶然に生じたものではなく、その根底に社会的な必要性があったことは無視することはできない。本論文では、この問題を、(1)肉食の完全な忌避、(2)牛肉食の忌避、(3)豚肉食の忌避、(4)犬(狗)肉食の忌避、(5)牛乳の利用に対する忌避、(6)飲酒に対する忌避に分けて記述した。
著者
森岡 正博
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
no.5, pp.p67-87, 1991-10

本論文は、パソコン通信のフリーチャットに典型的に見られる、匿名性のコミュニケーションを分析し、電子架空空間で成立する匿名性のコミュニティの諸性質について論じる。その際に、都市社会学の観点からの分析を試みる。パソコン通信を都市社会学の観点から議論する試みにはほとんど前例がない。本論文で提起されるいくつかの仮説は、今後のメディア論に一定の影響を与えると思われる。
著者
石井 紀子
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.167-191, 2005-03

一八八〇年代から一九〇〇年代にかけて北中国ミッションと日本ミッションに赴任した医師の資格を持つ一人のアメリカ女性宣教師の本国宛の書簡を手がかりに、伝道地の主体性、宣教師の専門性、ジェンダーと伝道活動の相互作用を検討した。その結果、伝道活動を決定する要因として伝道地の事情が宣教師個人の専門性より優先することが明らかになった。本事例でホルブルックは中国で専門を生かして診療所開設の上、「医療バイブル・ウーマン」を養成できたのに対し、日本では女子高等教育の中の理科教育、家庭衛生教育の分野で自身の専門性を生かした。女性宣教師はジェンダーの分離を根拠に女性のための伝道を正当化していた上、海外伝道の目的として伝道と女性の地位の向上を矛盾したものとはとらえていなかったので、ホルブルックにとって二つの伝道活動は一貫していたといえる。
著者
小田 亮
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.131-140, 2000-10

日本人における配偶相手の好みにみられる性差を、結婚相手募集広告の分析から研究した。一九九七年一〇月から二〇〇〇年一月までに個人広告雑誌に掲載された七八〇件(男性によるもの五七七件、女性によるもの二〇三件)の広告を分析対象とした。要求または提示されている特徴を比較すると、男性では要求された特徴と提示された特徴の数に違いはないが、女性は提示数よりも要求数の方が多かった。また女性は男性よりも要求数が多く、提示数は少なかった。男性は自らの経済的状況あるいは社会的地位を提示する傾向があり、女性はそれを要求する傾向があった。家庭への投資に関しては提示には偏りがなかったが、女性の方がより要求する傾向があった。身体的な特徴については要求、提示のどちらにも性による偏りがみられなかったが、相手に写真を要求するのは女性の方が多かった。連れ子の拒否については偏りがなかった。一方男性の方が女性よりも連れ子を受け入れる態度を示す傾向があった。男性は年下の女性を相手として好んだが、女性については充分なデータが得られなかった。これらの結果を先行研究ならびに質問紙を使った調査の結果と比較検討した。

3 0 0 0 IR 戌亥の風

著者
久野 昭
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
no.2, pp.p11-35, 1990-03

日本に吹く主要な季節風は二つある。ひとつは冬季に吹く北ないし西北からの季節風であり、もうひとつは夏季の南ないし東南からの季節風である。不意に激しく吹く西北の季節風は、西日本では「あなし」とよばれてきた。「あな」はこの場合は恐怖をも含む感嘆詞であり、「し」は息であり風である。古代、漁師も農夫もこの「あなし」を怖れた。しかも、この風は疫病をもたらすとも考えられ、だから疫病は風病、風の病ともよばれていた。七世紀、飛鳥に宮廷を置いた天武天皇は龍田で風祭を行ったが、龍田は飛鳥の西北に位置する。奈良時代および平安時代、不安定な政治情勢を背景に凶作と疫病の蔓延が繰り返されたとき、これらの現象は、権力の座から追い落とされて死んだ者たちの怨霊の所為にされた。怨霊は祀られねばならなかった。たとえば京都では上御霊社、下御霊社が建てられたし、御霊会が祇園で行われた。最も有名な御霊は菅原道真の怨霊だが、この御霊はこの両社に他の御霊たちとともに、また北野には単独で祀られている。古代、朝廷は出雲地方を怖れていた。おそらくこれが、出雲が黄泉と結び付けられた主な理由である。その出雲は飛鳥や奈良から西北の方角に位置する。祇園社、下御霊社、上御霊社は一直線上にある。そして上御霊社の近くから出雲路が始まる。道真の御霊の祀られた北野は祇園の西北の方向にあり、この方向も出雲を目指す。朝廷およびその周辺の人々にとって、死者の怨念は黄泉から戌亥(西北)の風に乗って都を襲ったのである。
著者
蔡 鳳書
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.263-277, 2002-04-30

これまでの中日古代文化交流歴史研究においては、文献記録の資料に主として依拠する場合が多かったが、戦後の五〇年間には中国、日本ともに考古学の研究成果が多い。この情勢により、両国の発掘調査の資料を利用し、中日文化交流史を研究することが必要になる。
著者
山村 奨
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.62, pp.111-130, 2021-03-31

近代日本において「人格」という言葉にどのような意味が与えられたのかという点と、その影響について論じる。まず1912 年に出版された『英独仏和字彙』において、Personificationという言葉に「人格化」という訳語があてられたことに対して、この言葉にどのような意味が想定されていたのかを考察する。その際、特に『英独仏和字彙』の編者である井上哲次郎と中島力造の主張を参照する。「人格化」は一般的に、「擬人化」と同様の意味で用いられている。しかし、中島の考える人格は、人間に元来ある「人格になる萌芽」、種のようなものであり、育てていくべきものである。さらに中島は、人格を自ら変化させ、よりよい状態にしていくことを主張する。中島にとって人格は道徳的な意味を含んでおり、向上させていくものである。それは井上にとっても同様であり、この点から、井上と中島らがあてた「人格化」の訳語には、よりよい状態への変化の意味があると考えられる。 中島は人格の向上のために修養を求めたが、続いて、近代日本における修養の考え方について、陽明学との関連で考察した。明治期には時代的な影響から、陽明学による精神修養を国家主義に援用する向きもあり、本論文では吉本襄や東敬治を紹介した。それに対して亘理章三郎は、陽明学によって「人格修養上の教訓」を得ようとしている点が、特徴的である。亘理には、中島や井上が人格に道徳的な意味を持たせて、その向上を求めた人格観と共通の要素がある。 最後に、安岡正篤の陽明学観を取り上げた。安岡は『王陽明研究』の中で「人格」を重視する姿勢を見せる。それを井上哲次郎の影響とする研究もあるが、本論文では安岡が特に参考文献として書名を挙げている高瀬武次郎や亘理章三郎の影響について言及した。安岡は近代日本の学術をまっとうに吸収し、陽明学が内面の修養に援用できることを主張していた。
著者
小松 和彦
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
「日本研究」再考 : 北欧の実践から
巻号頁・発行日
pp.11-13, 2014-03-31

「日本研究」再考 : 北欧の実践から