著者
多田 伊織
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.373-411, 2010-03-31

丹波康頼が永観二(九八四)年に撰進した『医心方』三十巻は、当時日本に伝わっていた中国・朝鮮やインド起源の医書や日本の処方を集大成した、現存する日本最古の医学全書である。最善本は院政期の写本が中心となっている国宝半井家本であるが、幕末に幕府の医学館が翻刻するまで、ほとんど世に出なかった。その後も文化庁が買い上げる昭和五七(一九八二)年まで秘蔵されていた。
著者
ヴォヴィン アレキサンダー
出版者
国際日本文化研究センター
巻号頁・発行日
pp.1-57, 2009-03-12

会議名: 日文研フォーラム, 開催地: キャンパスプラザ京都, 会期: 2008年7月9日, 主催者: 国際日本文化研究センター
著者
長田 俊樹
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.81-123, 2000-02-29

『播磨国風土記』の一節に、動物の血、とりわけ鹿の血を稲作儀礼としてもちいる記述がある。この一節は、折口信夫など、おおくの学者が引用している。そこで、この引用がだれによって、どのようにおこなわれてきたのか、検証するのがこの小論の目的である。
著者
キムラ-スティーブン チグサ
出版者
国際日本文化研究センター
巻号頁・発行日
pp.1-50, 2005-03-31

会議名: 日文研フォーラム, 開催地: 国際交流基金 京都支部, 会期: 2001年12月11日, 主催者: 国際日本文化研究センター
著者
早川 聞多
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.125-159, 1997-09-30

本稿は鈴木春信作『今様妻鑑』の絵解きを通して、春信の見立絵の特色を論じようとするものである。『今様妻鑑』は上中下三冊からなる艶本で、各巻は春信作の春画十一図と作者未詳の艶笑小話二話から成る。本稿で取り上げるのは主に春画であるが、各図は平安時代に成つた『和漢朗詠集』の漢詩句を頭書し、それを基に春信独特の見立てを春画によつて試みたものである。その絵解きを通して、「外面の極端な相違と内面の意外な共鳴」といふ春信独特の見立絵の構造を明らかにする。
著者
木下 昭
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.65, pp.301-319, 2022-10-31

アジア太平洋戦争中、多くの地域で、後発の帝国であった日本が、欧米諸国にとってかわって統治権を得ることになった。この支配の交代によって生じた変化を被支配者がどのように受け止めたか、そのなかで新旧帝国間にいかなる関係が見いだせるか、これらを論じることは日本帝国に対する考察を深める上で極めて重要である。 この帝国支配の移行に伴って、日本が占領下で力を注いだのが日本語を中心とする教育である。なかでもフィリピンに注目すべきなのは、日本の侵攻により全土で普通教育が複数の帝国によって施された、アジアでは希有な地域となったことである。普通教育に用いる大規模な人的物的資源や言語能力などの被支配者への広範囲に及ぶ影響を鑑みるとき、この教育を要に帝国、そして帝国間関係を論じる意義は高い。そこで本稿では、日本占領下の普通教育に関するフィリピン人たちの記憶を回想録や聞き取り調査結果を使って分析し、日本による教育がフィリピン人たちにどのように意味づけられたのか、そのなかで先行したアメリカ支配がどのような影響を与えているのかを考察した。 日本占領が甚大な被害をもたらしたフィリピンで、日本の教育に対して人々が残した言葉には、恐怖や暴力の経験が生み出す「均質化の語り」だけではなく、積極的な評価もあった。この要因として注目したのは、民間人と軍人の二種類の日本人教員の存在である。民間人教員は派遣の要件が英語力であり、これが彼らの勤務に肯定的な認識をフィリピン人にもたらしたと考えられる。というのも、アメリカ統治下の教育により、英語がフィリピンで文明化と社会的地位を表象するようになっており、民間人教員はその能力ゆえに文明の基準に沿うことになったからである。 このことは、フィリピンのアメリカ化を打破するために導入した日本の普通教育が、アメリカの普通教育によって進んだ文明化を基盤としていたことを反映している。フィリピン人たちの日本統治下の記憶は、この新旧二帝国の普通教育政策のかみ合わせから生み出されたと考えられる。
著者
唐 権 劉 建輝 王 紫沁
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.62, pp.131-172, 2021-03-31

来舶清人とは、清朝の頃に大陸から日本に渡航した中国人の中で、優れた教養を持っている一部の人たちに対する総称である。江戸中期に成立し、戦前まで広く使われていたが、戦後になると廃れてしまい、今や一部の美術史家と古美術愛好者の間でしか通用しなくなっている。しかし、この概念こそ、近世以来の日中文化交流ないし東アジア文化発展の歴史を解くための重要なツールではないか、と我々は考えている。来舶清人の中で名を後世に残した人物は、果たしてどのくらい数えられるか、という素朴な疑問から出発して、基礎データの整理作業に取り組んだ。本稿は、いわばその中間報告である。 本稿は3 つの部分からなっている。すなわち解説、参考文献と一覧表である。解説の部分はカテゴリーとしての来舶清人に注目し、概念としての特質、成立の経緯、日本文芸の世界における位置付け、我々が考えた来舶清人の外延などを説いている。参考文献の部分では、我々は来舶清人に関する日中両国の現存文献と関連の研究に可能な限りアクセスし、文献調査の結果を提示したものである。最後の一覧表は、上記の文献調査に基づいて作成したもので、計355 名の来舶清人に関する基礎データを、一人ひとりにまとめたものである。
著者
王 暁秋
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
Leaders of Modernization in East Asia
巻号頁・発行日
pp.43-54, 1997-03-31

東アジアにおける近代化の指導者たち, 北京大学, 1995年12月4日-7日
著者
合庭 惇
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.79-93, 2007-05-21

幕末から明治初年にかけての時期は、欧米の科学技術が積極的に導入されて明治政府によって強力に推進された産業革命の礎を築いた時代であった。近代市民社会の成立と印刷技術による大量の出版物の発行との密接な関連が指摘されているが、近代日本の黎明期もまた同様であった。本稿は幕末から明治初年の日本における近代印刷技術発展の一断面に注目し、活版印刷史を彩るいくつかのエピソードを検証する。