著者
藤田 翔 フジタ ショウ Fujita Sho
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.123-141, 2016-03-31

時間と空間とは何か?この問い掛けに関しては、紀元前より多くの議論が交わされてきた。近年ではこの問い掛けは、科学の最先端である物理学によって大いに解明されてきた。20世紀初頭にアインシュタインによって提唱された一般相対性理論によれば、時間も空間の一種であり、時空間そのものは構造を持っていて、その構造は存在している物体によって影響を受ける。時間の流れるスピードは一定ではなく、時空間は曲がっているという、当時の常識を越えた発想は、時空の哲学を益々飛躍させた。さらにその後も物理理論は休むことなく進展し、現代宇宙論や量子重力でも時空は4次元を超えて、物理の最も根本的な系(パラメータ)として扱われている。本論文は、その最も根本的とされる時空間の存在を、改めて哲学的にカテゴライズし、一般相対性理論の枠組みにおいて、時空の実在性にある種の答えを提供することを目的としている。時空に関してその存在を主張する実体説 (substantivalism) と、時空をあくまでモノの性質と見なす関係説 (ralationism) の長い対立を背景に、構造実在論(structural realism) という考え方を介入することによって、結局はいずれの相反する立場も突き詰めれば共通して、「時空の本質はその構造全体にある」ということに着眼していることを示す。
著者
藤高 和輝 フジタカ カズキ Fujitaka Kazuki
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.71-86, 2016-03-31

ジュディス・バトラーは『ジェンダー・トラブル―フェミニズムとアイデンティティの転覆』(1990年)の出版によってフェミニスト/クィア理論家として知られ、またその思想はポスト構造主義に連なるものとして理解されている。しかし、バトラーの思想的バックグラウンドはヘーゲル哲学にある。バトラーのキャリアはヘーゲル哲学研究に始まり、へーゲル哲学を扱った彼女の博士論文は一九八七年に『欲望の主体―二〇世紀フランスにおけるヘーゲル哲学の影響』として出版されることになる。この意味で、「バトラーのへーゲル主義」は彼女の思想を理解する上で欠くことのできない視角である。したがって、『欲望の主体』におけるバトラーのヘーゲル解釈がどのようなものであり、それが『ジェンダー・トラブル』以後のバトラー自身の思想にどのような影響を与えたのかが考察されなければならない。そこで本稿では、バトラーの『欲望の主体』を中心に「バトラーのへーゲル主義」を考察する。第一節から第三節では、バトラーが描く「へーゲル的主体」とは何かを明らかにする。第四節では、バトラーが提示した「ヘーゲル的主体」がメランコリーの構造をもつものであることを論証する。それによって、初期のへーゲル論と『ジェンダー・トラブル』以後のメランコリー論の架橋を図りたい。
著者
久山 健太 クヤマ ケンタ Kuyama Kenta
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.1-17, 2014-03-31

本稿では職業資格の受験行動の規定要因を探る。社会学分野では、教育資格=学歴については階層性や社会的地位獲得手段としての性格が実証的に研究されてきたが、職業資格=いわゆる一般的な「資格」(国家資格、民間検定など)についての実証的・経験的な研究蓄積は乏しい。分析にはSSP-I 2010データを使用した。従属変数は「資格や検定試験などを受験する」という項目であり、受験行動の頻度を尋ねたものである。独立変数には社会的属性に加え「資格活用志向」、「文化行動志向」という変数も作成して用いた。また、教育資格では男女で獲得の意味付けに違いがあると指摘されており、職業資格についても同様の性差が存在すると推測されるため、男女別にデータを分けて分析した。分析の結果、受験行動の規定要因は男女で大きな差の生じている部分と、共通する部分とが存在していた。特筆すべきは学歴と文化行動志向の関係である。文化行動志向は男女とも大きな正の効果を示し、職業資格の受験には文化行動としての側面があり、「文化資格」という類型の存在が示唆された。一方、基本モデルにおいて男性では学歴に効果がなく、女性では高等学歴に正の効果が表れていた。しかし文化行動志向を投入した拡張モデルでは、男性では高等学歴に負の効果が出現したのに対し、女性では逆に高等学歴の正の効果が消滅し、性別による学歴と資格の複雑な関係が示された。
著者
藤高 和輝 フジタカ カズキ Fujitaka Kazuki
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.103-117, 2015-03-31

本稿は、J・バトラーの一九八〇年代における身体論を考察する。バトラーの代名詞といえる『ジェンダー・トラブル』における理論的観点は一挙に形成されたわけではない。それは八〇年代における思索を通じて、ゆっくりと形成されたのである。八〇年代のバトラーにとって、第一義的な問題は身体であり、ジェンダーもそのような思索の延長にある。身体とは何か、身体の問題にいかにアプローチすべきかという問題は、八〇年代のバトラーを悩ませた大きな問題であった。この問題へのアプローチは八〇年代を通じて、「現象学からフーコーへ」の移行として描くことができる。逆にいえば、現象学との対決は『ジェンダー・トラブル』におけるバトラーの理論を生み出すうえでひじょうに重要な契機だった。本稿では、私たちはバトラーの思索において現象学が果たした役割を明らかにし、それがいかにフーコーの系譜学へと移行するかを示したい。
著者
佐藤 伸郎 サトウ ノブロウ Sato Noburo
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.69-87, 2015-03-31

宮澤賢治が提起した第四次を考察する。かつて龍樹は空を考察し、その実践方法として結跏趺坐を提起した。また、石津照璽は、第三領域を考察し、その実践方法として絶体絶命の生命的危機を提起した。宮澤賢治は、第四次を考察し、その実践方法として農業従事を提起した。第四次芸術とは、農業従事を基にして現出するものである。この第四次の洞察なくして、彼の諸作品の正確な理解は不可能と思える。空、第三領域、第四次に共通するものは、縁起である。ものは、相互依存によってある外はない。この論考において、賢治の第四次を理解するために、龍樹の空、石津照璽の第三領域を要約的に了解し、その了解によって、賢治の第四次の的確な理解を試みる。We consider the concept of the "fourth dimension" created by Kenji Miyazawa. Once, Ryu - ju(Nagarjuna) considered the concept of ku-(emptiness), and presented the way of sitting which could lead people to experience kū. Teruji Ishizu considered the third range, and presented the condition of the fatal crisis of life which could lead to experiencing the third range. Kenji Miyazawa considered the fourth dimension, and presented agricultural labor as a means to attaining it. The fourth dimension art is based upon the agricultural labor which allows for deep connections with nature. Only a proper consideration of the fourth dimension can lead people to a clear understanding of Kenji Miyazawa's works. Engi, interdependent existence, is a key word, and is connected with ku-, the third range and the fourth dimension. In this thesis, the ku- of Ryu - ju, the third range of Teruji Ishizu are properly digested in order to understand the fourth dimension of Kenji Miyazawa. These stages will communicate a proper understanding.
著者
藤高 和輝 フジタカ カズキ Fujitaka Kazuki
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.163-180, 2013-03-31

ジュディス・バトラーがスピノザの熱心な読者であるということはあまり知られていない。しかし、スピノザは彼女にとってきわめて重要な思想家である。実際、彼女は『ジェンダーをほどく』(2004)で「スピノザのコナトゥス概念は私の作品の核心でありつづけている(198 頁)」と述べている。本論はこの言葉の意味を明らかにしようとするものである。バトラーがスピノザの『エチカ』に最初に出会ったのは思春期に遡る。その後、彼女はイェール大学の博士課程でヘーゲルを通して間接的にスピノザと再会する。この二番目の出会いは、彼女の学位論文『欲望の主体』(1987)を生み出すことになる。最後に、このスピノザからヘーゲルへの移行によって、彼女は「社会存在論」を確立することができた。バトラーの著作におけるスピノザのコナトゥス概念に着目することで、私はこれらの運動を明らかにするだろう。そして、このような考察を通して、バトラーの思想においてコナトゥス概念が持つ意味も明らかになるだろう。
著者
乾 順子 イヌイ ジュンコ Inui Junko
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.39-54, 2013-03-31

本稿の目的は、既婚女性の人生満足度に着目し、過去における性別分業意識と働き方が、既婚女性の中高年期の人生満足度にどのような影響を与えるかを明らかにすることである。一時点における生活満足度と従業上の地位・性別役割分業意識との関連については、意識と働き方が一致しているもの、つまり分業賛成と無職、分業反対とフルタイムであるものの生活満足度が高いという分析結果がある。しかし、パートという分業意識と一致しているかどうかが不明確な就業形態については、その関連が明らかにされてはいなかった。また、人生後期の人生を振り返っての満足感と、変更不可能な過去の意識と働き方の関連についての分析もこれまでなされてこなかった。これらは、日本における既婚女性のパート就業率の高さやその多様さを鑑みても、今後の女性就業や雇用政策、家族政策などを考える上でも重要な課題であると考えられる。そこで本稿では、1982 年と 2006 年の2 時点で実施されたパネル調査データを使用し、過去の分業意識と働き方がその後の中高年期の人生満足度に対して影響を与えるかについての分析を行った。その結果、過去の分業意識をコントロールしても、「パート型」のものの人生満足度が最も低かった。さらに、分業意識と職業経歴の交互作用を検討したところ、平等志向の強い「パート型」のものにおいてさらに人生満足度が低くなることが明らかとなった。
著者
狭間 諒多朗 Hazama Ryotaro ハザマ リョウタロウ
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
no.34, pp.1-22, 2013

本稿の目的は地域における文化活動の担い手を探ることである。かつての行政主導であった地域文化の時代は住民主導の新たな地域文化の時代へと変貌を遂げた。この新たな地域文化の時代において、地域文化活動は地域活性化の切り札として期待されている。地域文化活動の担い手を把握することはひいてはその活性化につながると考えられる。これまでの研究から、I ターンやU ターンと呼ばれる地域移動を行った人々やパーソナルネットワークサイズの大きい人が地域文化活動の担い手であるという仮説を立て、分析を行った。その結果、I ターン者が興味を持って活動に参加し、また参加頻度が高く、活動での役割も重要であるという傾向がみられた。U ターン者が活動に参加しているという結果はあまりみられなかったが、U ターン者かつ居住年数の長い人が活動を立ち上げるというI ターン者とは違った傾向がみられた。パーソナルネットワークについては多くの結果がみられ、パーソナルネットワークサイズの大きい人ほど積極的に地域文化活動の担い手となっていることがわかった。
著者
元橋 利恵 Motohashi Rie モトハシ リエ
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
no.40, pp.73-86, 2019-03-31

研究ノート本稿は、ケアの倫理と母性研究を接続することによって、現代日本の母性主義を捉えなおしていく視角を得ることを目的としている。従来の母性研究は、社会構築主義の立場から「母性の神話」を解体してきた。しかし、1990年代以降、少子化社会化のなかで、母性研究は母性よりも親性の概念を用いていくなど、母性に対置するものとして「近代的自我」を強調し母性を乗り越えていくことが目標とされてきた。一方、ケアの倫理から発展したフェミニズム理論は、母性と近代的自我を対置するのではなく、近代的自我の条件としてケアを見出す。ケアを自己犠牲と捉えるのではなく、自分よりも弱い者との共存の原理として捉え、公私二元論批判を通じてケア関係を政治的価値のある共同体として捉えなおしていく。そして、これらの議論は、ジェンダー平等のための戦略として、ケア関係を現実的に代表するものとして母子関係を置き、母性の価値の再考を促す。このような母性の捉えかたは、本質主義とは区別される戦略的な母性主義であるといえよう。ケアの倫理による戦略的な母性主義は、2000年代以降に現れている、女性の産み育てをめぐる自己選択や自己決定に関する抑圧や、女性たちによる母性を掲げた社会運動といった、従来の母性研究の枠組みでは捉えられてこなかった母性をめぐる言語的または社会的実践を分析していく有効な視角を提供してくれるであろう。
著者
大和田 範子 Ohwada Noriko オオワダ ノリコ
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
no.34, pp.193-210, 2013

100 年前の岡倉覚三を現在からどのように捉えればよいかと考えたことをきっかけとして、彼の展示表現をそのまま受け継いでいる仏像展示に岡倉の残像を求めることから今回の調査を始めた。ボストン美術館は1909 年の新築移転により、当時の東洋部(中国・日本部)の顧問として岡倉は設計から参加し、展示会場を現在の状態に作り上げた。日露戦争を背景として、アメリカのマサチューセッツ州ボストン市で活動した彼にとって、展示は日本主張の一つの方法であり、そのままの日本をボストン美術館に再現するという当時では斬新な方法で、日本文化を西洋人に向けて発信するために、仏像展示にこだわり工夫を凝らした。このような彼の姿勢が現在どう受け継がれているかを調査するため、2011 春開催の「茶道具展」展示をもとに岡倉の残像を浮かび上がらせようと分析したのが本論である。方法として、ボストン美術館の日本部門が開催した2 月12 日開始の「茶道具展」、「茶道具展」に関連した3 月13 日の「茶のシンポジューム」、そして中国部門が2010 年11 月20 日から2011 年2 月13 日まで開催した特別展「フレッシュ・インク」の展示との比較調査を行い、2 カ月にわたる資料収集から岡倉覚三を現在から捉える試みを行ったものである。The aim of this research is to explore the legacy of Okakura Kakuzo based on the display of "Tea Instruments" at the Museum of Fine Arts, Boston (=MFA) in spring 2011. In order to understand Okakura's legacy, I looked into the display of the statue of Buddha which he designed for the MFA's Department of Chinese and Japanese Art in 1909. The display of the Buddha statue was a very important way to emphasize the excellent Japanese culture in a Western context, especially in light of the Russo-Japanese War. Furthermore, I analyze the display of the "Tea Instruments," however, it is dif cult to see in what directions Okakura's intentions have been developing in this eld. As the next step, I compare the in uence of Okakura with other displays –– i.e. "Fresh Ink" by a Chinese artist –– and discuss a lecture during a "Tea Symposium" in the MFA. This article is based on data I collected during a two-month stay at the MFA, and shows how in uential Okakura Kakuzo was for the visual representation of artifacts in the Department of Chinese and Japanese Art.
著者
正井 佐知 Masai Sachi マサイ サチ
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
no.42, pp.47-63, 2021-03-31

社会学 : 論文本稿では、地域住民、青少年、障害者、高齢者、外国人など多様なバックグラウンドを持つ人たちが参加し、30年間活動をしているオーケストラαの運営について、αの特徴である曖昧性に着目して研究を行った。曖昧性は従来の組織研究では排除すべきものとされてきたが、αでは非常に多くの場面で曖昧性が見られた。そこで、αでは曖昧性がどのように用いられ、αにとってどのような意味があるのかを明らかにするため、組織内外の公式な規則・事実記述における言語表現の分析を行った。その結果、曖昧さは(1)その場ごとの状況や経年変化に対応しやすい点、(2)同調圧力、規範性を低減する点、(3)障害の有無を開示をせずとも配慮を前提にした組織となっており、すべての団員にとって無理せずに参加しやすい場が確保されている点、(4)社会福祉や障害者の社会参加といった問題に関心のない人からのアクセスを確保している点で、αにとっては合理的な実践であると結論付けた。
著者
野島 那津子 Nojima Natsuko ノジマ ナツコ
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
no.34, pp.109-123, 2013

本稿は、病人の「役割」から病の「経験」へと視点を移動する医療社会学の流れについて概観し、その分析枠組みがもつ限界と盲点について考察する。この限界と盲点は、以下の二点に集約される。これまでの医療社会学における慢性疾患研究では、1) 病人役割の取得を半ば自明視しているため、患っているにもかかわらず病人役割を取得できないような疾患を患う人々の経験を適切に説明することができない。2)「 生きられた経験」としての「病い illness」について記述しようとするあまり、患う(suffering)という経験が、「疾患 disease」として現象するプロセスや条件に対して十分な注意が払われない。こうした限界と盲点がもっとも明瞭な形で示されるのは「医学的に説明されない症候群(MUS)」と呼ばれる患いを抱える人々の経験である。本稿では、MUS をめぐる問題から、以下の二点を、従来の医療社会学の盲点を補う視点として提起する。1) 社会は、人がただ「患う」という事態を認めないということ。2) そのために、「診断」は、特定の「患い」が社会的な是認を獲得するためのポリティクスの様相を呈するということ。こうした点から、筆者は「診断」の社会学の重要性を主張する。
著者
野島 那津子 Nojima Natsuko ノジマ ナツコ
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
no.40, pp.87-103, 2019-03-31

研究ノート本稿の目的は、「論争中の病」の代表格とされる筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)に関するNHKのテレビ番組を分析し、ME/CFSがどのようなものとして伝えられてきたか、その病気表象の変遷を明らかにすることにある。分析の結果、ME/CFSは、(1)1990年代には、「女性の弱さ」や「女性の社会進出の代償」として、(2)2000~2010年代前半には、仕事や学校生活でストレスを抱えるすべての「現代人」がかかり得る「現代病」として、そして、(3)2015年には、研究・支援されるべき深刻な「難病」として呈示されていた。こうしたME/CFSの病気表象の変遷は、「異常」の可視化と病気の「脱女性化」という特徴を有している。当初、ストレスや生活に対する女性の心持ちの問題とされていた症状は、次第に「異常」を示すさまざまなデータによって可視化されていった。とりわけ2000年代以降は、患者の脳画像を用いてME/CFSの症状を「脳の機能異常」として説明することが定型化した。また、「異常」の可視化と並行して、当初女性に「特有」の問題とされていたME/CFSは、誰もがかかり得る病気として「脱女性化」されていった。この「異常」の可視化と病気の「脱女性化」は、ME/CFSの表象が深刻な「難病」へと変容することに寄与したと思われる。
著者
宮澤 由歌 Miyazawa Yuka ミヤザワ ユカ
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
no.35, pp.89-105, 2014

ジョルジュ・バタイユの共同体論は、彼の時代の一般的な共同体への考え方に対して異質なものであった。バタイユの共同体論を検討したジャン=リュック・ナンシーとモーリス・ブランショは、この共同体を主体を露呈させる場であると捉えている。恋人たちの共同体は、そうした特徴をもっとも濃く有するものである。恋人たちの共同体において、共同体の構成員は互いに対象とは違ったイメージを見出し、それはバタイユによって宇宙と名付けられる。恋人たちの共同体と一見類似していると思われる結婚の共同体が、法に則って生起・持続し、生産を目的とすることを明らかにすることは、恋人たちの共同体の異質性を際立たせる。恋人たちの共同体の目的は生産になく、むしろ、エネルギーを消尽させることにある。さらに、この共同体は、主体の概念の再考を促す。主体は不充足の原理に貫かれている。主体は、共同体以前に存在しない。主体は共同体のなかで見出される概念にすぎない。こうしてジョルジュ・バタイユの思想が、共同体の概念の価値を劇的に変化させたことが明らかにされる。
著者
正井 佐知 小島 理永 伊藤 京子 Ito Kyoko Masai Sachi Kojima Rie マサイ サチ コジマ リエ イトウ キョウコ
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.45-55, 2018-03-31

社会学 : 研究ノートResearch Notes近年、当事者の参画は、医療・福祉現場での実践はもちろん、学術、司法、行政、政策決定など広範な分野にまで及んでいる。ICT分野でもユーザー中心の開発がなされている。本稿の目的は、アプリ普及を見据えて行った、脊髄損傷者に向けたアプリ開発と、アプリリリースのためのクラウドファンディングの経験を当事者参画という視点から紹介することである。まず第2節では、アプリの開発経緯を紹介する。2016年9月時点では、リハビリ機器を開発予定であったところ、脊髄損傷当事者のニーズを聞いてゆくことで方向性を大きく転換することとなった。そして、手が動きにくい人にも配慮した設計で、「脊髄損傷の人が出会う場を提供するための『きっかけ』を、パラスポーツの普及やスポーツの話題とし、そこから『人のつながり』を構築できるマッチングアプリ」として2017年3月にアプリPspoが完成した。本アプリでは、当事者の相互作用に期待し、当事者の知識・経験を共有できるような仕組みを構築することを試みている。第3節では、アプリ運用資金を得るためのクラウドファンディングで、「人とのつながり」の「きっかけ」を提供するというPspoのコンセプトを一貫した結果、予想に反し当事者からの資金提供がほぼ得られなかったことについて記述する。最後に、第4節ではアプリ開発とクラウドファンディングから得られた示唆と今後の見通しについて述べる。In recent years, people with disabilities participate in a wide range of fields, such as academic, judicial, administrative, and policy decision-making, as well as medical and welfare fi elds. User-centered development is also being carried out in the ICT fi eld. The purpose of this paper is to show how we developed an application for people with spinal cord injuries and our experience of cloudfunding for release of the application, from the viewpoint of involvement participation. First, we introduce the development process of the application. Although we had originally planned to develop rehabilitation equipment, having listened to the voices of people with spinal cord injuries we decided in September 2016 to make a communication tool for them. In March 2017, considering the diffi culties of controlling hands, we developed Pspo, an application which provides opportunities for communication to people with spinal cord injuries through the topic of sports. Then, we recount our experience of cloudfunding in order to obtain support for our project. Finally, we make suggestions for the future.
著者
Macyowsky Kai
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
no.38, pp.101-120, 2017-03-31

社会学 : 論文Part-time teachers (hijōkin kōshi) are the embodiment of precarious employment at Japanese universities. These part-time lecturers are hired per course and have risen in numbers over the past ten years, but nonetheless have not received much attention from the academic community. The discourse in the few sources written by unions mainly focuses on their working conditions and the consequences on the quality of education that their increase in numbers might bring. However, these works have not adequately addressed why academics are willing to take positions as hijōkin kōshi. Furthermore, the concrete impact of this kind of employment on the life and career of those people and the implications for Japan's system of higher education remain unexplored. This paper sheds light on the work and life of hijōkin kōshi with special attention to their motivation and the impact this form of employment has on their lives as academics. I argue that this kind of employment distracts them from their actual goal of career advancement by disrupting their research efforts while sustaining their hopes for a full-time career in academia and therefore progressively binding them to this kind of work with all its economic vulnerabilities and consequences. Higher education in Japan will therefore become even more education focused. In conclusion, this type of employment cannot be understood by merely looking at working conditions. A closer look at the individuals' lives as academics and their motivation is required.非常勤講師は大学での非正規雇用の代表的な存在である。このパートタイム講師は担当授業単位で採用され、過去10年来飛躍的に増え続けているのに、研究者からあまり注目されていない。わずかに存在したとしても、主に議論されるのは非常勤講師の労働条件や彼らの増加による高等教育の質への影響であった。しかし、研究者がなぜ非常勤講師の職を歓迎するのか、また非常勤講師職が彼らのキャリアや生活にどのような影響を及ぼすのかについてはまだ把握されておらず、こうした研究者を輩出する日本の高等教育制度のあり方についての示唆はなれさていない。この論文では非常勤講師の仕事と生活に光をあて、彼らが抱える問題、明らかに不利な労働条件下で彼らが働き続ける動機、彼らをそこに押しとどめているメカニズムを明らかにしたい。また、学術機関での正規研究者という彼らの目標に向かう道のりにどのような影響があるかも明らかにする。本論文では、非常勤講師として働くことは、彼らの研究活動を妨げ、その目標から彼らを遠ざけていると同時に、正規研究者になる希望を持ち続けさせていると主張する。結果として、多くの非常勤講師はますますその就業形態に縛られてしまう。要するに労働条件の調査だけでは非常勤講師の問題を理解することはできず、非常勤講師の実態を理解するためには、研究者としての個人の生活や彼らの動機をより詳しく分析することが必要になるだろう。
著者
伊藤 理史 三谷 はるよ Ito Takashi Mitani Haruyo イトウ タカシ ミタニ ハルヨ
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
no.34, pp.93-107, 2013

本稿は、「大阪府民の政治・市民参加と選挙に関する社会調査」の調査記録である。調査の目的は、2011 年11 月27日に実施された大阪市長選挙・大阪府知事選挙における有権者の投票行動や政治意識の分析を通して、大阪府民の政治・市民参加の実態を明らかにすることである。調査方法は、大阪府下の20 ~ 79 歳の男女3,000 人を調査対象とした、層化三段無作為抽出法による郵送調査であり、最終的な有効回収数は962 人有効(回収率:32.1%)であった。本稿の構成は、次の通りである。まず第1 節では、調査の経緯について簡潔に記述し、第2 節では、調査の設計に関わる研究費の獲得と郵送調査の利点について記述した。続く第3 節では、調査票と依頼状の作成について、第4 節では、サンプリングと発送について、第5 節では、発送後の電話対応と督促状、データの回収数について、第6 節では、データ入力と職業コーディングについて、実際の作業内容を記述した。最後に第7 節では、データの基礎情報として、得られたデータとマクロデータと比較検討し、データの質について記述した。本稿で得られた結果は、たとえ小規模な研究助成にもとづいた大学院生主体の量的調査でも、ある程度の質と量の伴ったデータを入手できる可能性を示している。
著者
秋山 高範
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
no.27, pp.153-158, 2006-03-31

Annette Lareau, Unequal Childhoods : Class, Race and Family Life, Univ, of California Press 2003