著者
阿部 勝征
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.289-303, 1988-12-23

日本周辺で1894年から1985年までの92年間に発生した地震津波について基礎データを見直し,前報のカタログにある津波マグニチュードMtや表面波マグニチュードMs気などの改訂と追加を行う.Mtは,計器観測による津波の最大振幅とその伝播距離から津波の大きさを表すスケールとして定義されたもので,かつ津波を起こした地震のモーメント・マグニチュードに関連づけられている.Mtからみて最大の津波はMt8.5の1918年ウルップ島沖の津波であり,次いでMt8.4の1963年エトロフ島沖の津波,Mt8.3の1933年岩手県沖の津波が続く.Mtが決定された104個の地震のうちの約1割はMsの割にMtが著しく大きな津波地震である.Mtから津波エネルギーEtを求める式はlogEt(erg)=2Mt+4.3で表される.これによれば,過去92年間の津波の総エネルギーは1.0×10-22ergである.これはMt=8.9の津波エネルギーに相当するが,1960年チリ津波の津波エネルギーの13分の1,同じ期間に環太平洋で発生した津波の総エネルギーの1/30に過ぎない.1年当りの平均の津波エネルギーは1.1×1020erg/年であり,Mt=7.9の津波エネルギーに相当する.
著者
阿部 勝征
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 = Bulletin of the Earthquake Research Institute, University of Tokyo (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.289-303, 1988-12-23

日本周辺で1894年から1985年までの92年間に発生した地震津波について基礎データを見直し,前報のカタログにある津波マグニチュードMtや表面波マグニチュードMs気などの改訂と追加を行う.Mtは,計器観測による津波の最大振幅とその伝播距離から津波の大きさを表すスケールとして定義されたもので,かつ津波を起こした地震のモーメント・マグニチュードに関連づけられている.Mtからみて最大の津波はMt8.5の1918年ウルップ島沖の津波であり,次いでMt8.4の1963年エトロフ島沖の津波,Mt8.3の1933年岩手県沖の津波が続く.Mtが決定された104個の地震のうちの約1割はMsの割にMtが著しく大きな津波地震である.Mtから津波エネルギーEtを求める式はlogEt(erg)=2Mt+4.3で表される.これによれば,過去92年間の津波の総エネルギーは1.0×10-22ergである.これはMt=8.9の津波エネルギーに相当するが,1960年チリ津波の津波エネルギーの13分の1,同じ期間に環太平洋で発生した津波の総エネルギーの1/30に過ぎない.1年当りの平均の津波エネルギーは1.1×1020erg/年であり,Mt=7.9の津波エネルギーに相当する.
著者
相田 勇
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 = Bulletin of the Earthquake Research Institute, University of Tokyo (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.56, no.4, pp.713-730, 1982-03-31

南海道沖におこる巨大地震による津波の波源断層モデルを数値実験によって検討した.1946年南海地震を東西二つの断層によってあらわす.今回求められた断層モデルの特徴は,西側断層の西端が,足摺岬の東側約30kmにあること,東側の断層面の傾斜角が10°と低角であることである.また西側断層による海底変動継続時間を断定することはむずかしいが,3~10分程度と,普通の地震より長い方が,計算波形と実際記録の一致がよい.1854年安政南海地震津波の波源断層モデルは,南海地震の断層とくらべて,東側断層が北側に位置し,西側断層が30km長く求められた.また,ずれの量は約15%大きい.このモデルで大阪の津波の高さは2.4mとなるが,従来の推定値よりやや低い.しかし海岸においてこの程度の高さがあるならば,堀に津波が侵入する際,多くの船を上流に押し込み,地震をおそれて船上に避難していた人多数を犠牲にする可能性は十分あると考えられる.1707年宝永津波の場合は,足摺岬付近の津波の高さが,安政津波の約1.5倍もあり,また室戸岬,高知の地盤変動量が安政地震の際の約2倍といわれている.このため安政津波と相似形の波源断層モデルではよく近似できない.ここでは西側断層を更に二つに分割して三つの断層面をもうモデルによってこれを説明した.
著者
相田 勇
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.56, no.4, pp.713-730, 1982-03-31

南海道沖におこる巨大地震による津波の波源断層モデルを数値実験によって検討した.1946年南海地震を東西二つの断層によってあらわす.今回求められた断層モデルの特徴は,西側断層の西端が,足摺岬の東側約30kmにあること,東側の断層面の傾斜角が10°と低角であることである.また西側断層による海底変動継続時間を断定することはむずかしいが,3~10分程度と,普通の地震より長い方が,計算波形と実際記録の一致がよい.1854年安政南海地震津波の波源断層モデルは,南海地震の断層とくらべて,東側断層が北側に位置し,西側断層が30km長く求められた.また,ずれの量は約15%大きい.このモデルで大阪の津波の高さは2.4mとなるが,従来の推定値よりやや低い.しかし海岸においてこの程度の高さがあるならば,堀に津波が侵入する際,多くの船を上流に押し込み,地震をおそれて船上に避難していた人多数を犠牲にする可能性は十分あると考えられる.1707年宝永津波の場合は,足摺岬付近の津波の高さが,安政津波の約1.5倍もあり,また室戸岬,高知の地盤変動量が安政地震の際の約2倍といわれている.このため安政津波と相似形の波源断層モデルではよく近似できない.ここでは西側断層を更に二つに分割して三つの断層面をもうモデルによってこれを説明した.
著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.p297-309, 1988-01

寛政5年1月7日(1793年2月17日)宮城沖に発生した地震の震度分布およびそれに伴う津波の高さを,新史料をもとに調べ,近年の宮城沖地震との比較から地震と津波の規模および波源域を考察した.各地の史料を調べた結果,震度5の範囲は岩手県中部から福島県北部に至る内陸部に分布し,震度4の範囲は東北地方から関東地方に広くまたがることが示された.1933年三陸地震・1978年宮城県沖地震などの震度分布との比較から,寛政地震のマグニチュードはM=7.8と推定された.一方,この地震に伴う津波の高さは,岩手県中部~牡鹿半島沿岸で3~5m,福島県沿岸では2~3mと推定された.筆者の方法(羽鳥,1986)によれば,津波マグュチュード(今村・飯田スケール)はm=2.5と見つもられ(1968年十勝沖津波と同じ規模),従来推定されていた値よりもやや大きい.震度および津波の高さの分布から,波源域は1897年8月の宮城沖津波の波源域を含むかたちで海溝付近にあり,長さ200km,幅80km程度の大きさであったと考えられる.The Miyagi-Oki tsunamigenic earthquake of Feb. 17, 1793 (Jan. 7, Kansei 5) hit the Tohoku district, and its aftershock activity continued for a long time. According to the old documents, in the Sendai region 12 persons were killed and 1060 houses were destroyed by the earthquake. Along the Pacific coast from Aomori to Fukushima 22 or more persons were drowned and about 500 houses and many ships were damaged by the tsunami. In this paper the distributions of the seismic intensity and tsunami behavior are investigated with the addition of newly collected data. The results are summarized as follows: 1) A seismic intensity of 5 (JMA scale) occurred inland for 230 km from Morioka to Fukushima, and an intensity of 4 was widely distributed in the Tohoku to Kanto districts. The earthquake magnitude is inferred as M=7.8 via a comparison with the seismic intensity pattern of other Miyagi-Oki earthquakes. The epicenter is estimated to have been 38.5°N, 143.5°E near the trench. 2) Considering the ground level of the damaged regions, the tsunami heights were inferred to have been three meters (above M.S.L.) along the Iwate to Miyagi coasts and locally to have reached 4~5 meters. The tsunami heights along the Fukushima coast were 2~3 meters. The head of the large bay with seiche periods of 30min or more was con- spicuously damaged, suggesting that the longperiod waves were predominant. By use of the author's method based on the classification of tsunami heights along the coast, the tsunami magnitude (Imamura-Iida scale) is determined as being m=2.5. 3) The estimated source area is lapped on the tsunami source of Aug. 5, 1897, lies near the trench. According to the statistical relation of tsunami magnitude, the source area may be 80×200 km2. It is pointed out by many seismologists that a seismic gap exists near the trench far east of Miyagi Prefecture. For future tsunamis generated in this region, the behaviors of the 1793 tsunami suggest useful information.
著者
松田 時彦 由井 将雄 松島 義章 今永 勇 平田 大二 東郷 正美 鹿島 薫 松原 彰子 中井 信之 中村 俊夫 松岡 数充
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.145-182, 1988-11-11

伊勢原断層の両側で試錐調査を行い,試料中の火山灰,14C年代,貝・有孔虫・珪藻・渦鞭毛藻などを調査した.調査地域は,約6000年前頃,内湾性の海域から低湿な陸域に変わった.その海成層の上限の高さ(当時の海抜0m)は,現在標高およそO~-2mにあるが,断層の東側の方が1.6±0.6m高い.この高度差は伊勢原断層の変位によると考えられる.この変位が生じた年代は,地層の厚さの比較から,延暦・貞観年間のテフラ層堆積以後で,宝永スコリア堆積以前である.この"伊勢原地震"の規模は,その変位量などから考えて,M7.0~7.5程度である.また,約6000年前の海成層の上下変位量と約1100年前までのテフラ層の標高差との間に有意の差がないことから,伊勢原地震の再来間隔は約5000年以上である.このような伊勢原地震に最もよく適合する歴史地震は,元慶2年(878年)の相模・武蔵の地震(理科年表M7.4)である.
著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.60, no.3, pp.429-438, 1986-02-07

津波史料をもとに別府湾沿岸を現地調査し,地盤高をふまえて各地の津波の高さ(平均海面上)や浸水域の広がりを検討した.大分市内では,流失した寺院の分布から津波の高さは4~5.5mに推定され,地盤高ぶおよそ4m以内の範囲が浸水域とみなされる.別府湾口の奈多と佐賀関ではそれぞれ7~8mと6~7mの波高に達し,湾外の上浦で4m,臼杵では3~4mと推定される.津波マグニチュードは今村・飯田スケールでm=2と格付けされる.津波・震度分布および周辺のテクトニクスから判断すれば,波源域は別府湾を包み東西方向に50km程度の長さがあったと推定される.また,瓜生島・神場洲の地盤沈降の記録は別府湾が陥没したことを暗示し,高角正断層の地震により津波が発生したと考える.
著者
松田 時彦 由井 将雄 松島 義章 今永 勇 平田 大二 東郷 正美 鹿島 薫 松原 彰子 中井 信之 中村 俊夫 松岡 数充
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 = Bulletin of the Earthquake Research Institute, University of Tokyo (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.145-182, 1988-11-11

伊勢原断層の両側で試錐調査を行い,試料中の火山灰,14C年代,貝・有孔虫・珪藻・渦鞭毛藻などを調査した.調査地域は,約6000年前頃,内湾性の海域から低湿な陸域に変わった.その海成層の上限の高さ(当時の海抜0m)は,現在標高およそO~-2mにあるが,断層の東側の方が1.6±0.6m高い.この高度差は伊勢原断層の変位によると考えられる.この変位が生じた年代は,地層の厚さの比較から,延暦・貞観年間のテフラ層堆積以後で,宝永スコリア堆積以前である.この""伊勢原地震""の規模は,その変位量などから考えて,M7.0~7.5程度である.また,約6000年前の海成層の上下変位量と約1100年前までのテフラ層の標高差との間に有意の差がないことから,伊勢原地震の再来間隔は約5000年以上である.このような伊勢原地震に最もよく適合する歴史地震は,元慶2年(878年)の相模・武蔵の地震(理科年表M7.4)である.
著者
相田 勇
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.56, no.4, pp.p713-730, 1981
被引用文献数
8

南海道沖におこる巨大地震による津波の波源断層モデルを数値実験によって検討した.1946年南海地震を東西二つの断層によってあらわす.今回求められた断層モデルの特徴は,西側断層の西端が,足摺岬の東側約30kmにあること,東側の断層面の傾斜角が10°と低角であることである.また西側断層による海底変動継続時間を断定することはむずかしいが,3~10分程度と,普通の地震より長い方が,計算波形と実際記録の一致がよい.1854年安政南海地震津波の波源断層モデルは,南海地震の断層とくらべて,東側断層が北側に位置し,西側断層が30km長く求められた.また,ずれの量は約15%大きい.このモデルで大阪の津波の高さは2.4mとなるが,従来の推定値よりやや低い.しかし海岸においてこの程度の高さがあるならば,堀に津波が侵入する際,多くの船を上流に押し込み,地震をおそれて船上に避難していた人多数を犠牲にする可能性は十分あると考えられる.1707年宝永津波の場合は,足摺岬付近の津波の高さが,安政津波の約1.5倍もあり,また室戸岬,高知の地盤変動量が安政地震の際の約2倍といわれている.このため安政津波と相似形の波源断層モデルではよく近似できない.ここでは西側断層を更に二つに分割して三つの断層面をもうモデルによってこれを説明した.Source models of past tsunamis generated off the Pacific coast in the Nankaido district are examined by the trial and error method of numerical experiments on the basis of seismic fault models. The fault model for the 1946 Nankai earthquake consists of the eastern and the western fault planes. The peculiarity of this model is that the western margin of the fault is located 30 km eastward of Ashizuri-Misaki and the dip angle of the eastern fault plane is as low as 10 degrees. It may be difficult to define uniquely the duration time of the bottom deformation from the results of present numerical experiments. The prevailing speculation, though, seems to be that the duration time of the western part is 3 to 10 minutes, which is slower than that of the eastern part. The reliability factor, k, of the model, a logarithmic standard deviation of the ratios of observed and computed values for five reference stations, is 1.12. The fault model for the 1854 Ansei-Nankai tsunami is 30 km longer in the western fault and 15% larger in the slip displacement than that for the 1946 tsunami. The computed tsunami height at Osaka is 2.4 meters, which is smaller than the published estimated value, 2.5~3 meters. However, since Osaka is situated on the delta of the Yodo river and has many small canals, a tsunami 2.4 meters high at shore may invade canals as waves like bores and do tremendous damages to many boats and bridges, just as described in old documents. In the 1707 Hoei-Nankai tsunami, the tsunami heights at the southwestern region of Shikoku were about 1.5 times higher and the uplift at Muroto-saki about 2 times larger than those of the 1854 tsunami. Therefore, the fault model similar to the 1854 earthquake cannot explain the above characteristics. A model having three separate faults is proposed for this tsunami.
著者
石辺 岳男 西山 昭仁 佐竹 健治 島崎 邦彦
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.149-182, 2009

The Earthquake Research Committee of the Headquarters of Earthquake Research and Promotion estimated the probability of an earthquake of magnitude around 7.0 occurring during the next 30 years as 70%. This is based on five earthquakes that occurred in the southern Kanto region (i.e., the 1894 Meiji-Tokyo earthquake, the 1921 and 1922 Ibaraki-ken Nanbu earthquakes, the 1922 Uraga-channel earthquake and the 1987 Chiba-ken Toho-Oki earthquake). However, it has been revealed that the Kanto region is situated on complicated tectonic conditions due to subduction of the Philippine Sea Plate and the Pacific Plate beneath the continental plate, and that various types of earthquake occur. Therefore, it is necessary to classify these earthquakes into interplate and slab earthquakes, and to estimate their recurrence intervals. In this paper, at the outset of such studies, we review previous studies on two earthquakes (the 1894 Meiji-Tokyo and 1895 Ibaraki-ken Nanbu earthquakes) that occurred in the Meiji era and collect the data.
著者
井村 隆介
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 = Bulletin of the Earthquake Research Institute, University of Tokyo (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.69, no.4, pp.189-209, 1995-03-31

霧島火山は,九州南部に位置する第四紀の複成火山であり,歴史時代の噴火記録も多く残る活火山である.20あまりの小さな火山体と火口が北西-南東方向に長い30kmx20kmのほぼ楕円形をした地域に集中している.霧島火山の活動は,加久藤火砕流の噴出(約30万年前)に引き続いて起こり,休止期をはさんで古期と新期に区分できる.古期の活動では,その基盤の上に多くの火山が形成され,現在見られる霧島火山の土台が完成した.新期の火山活動は,古期の活動後数万年の休止期をはさんで,約10万年前にはじまり,現在にいたっていると考えられる.新期の火山活動では,多くの小型成層火山,マール,単成の溶岩流などが生じた.霧島火山には西暦742年以来多くの噴火記録があるが,そのほとんどは御鉢と新燃岳で起こっている.新期霧島火山の活動を通じて,長期のマグマ噴出率は日本の第四期火山の平均に近い.しかし,詳しく見ると,活動は一様に行われてきたのではなく,溶岩流出型活動期-静穏期-爆発型活動期という変遷を休止期をはさんで2回繰り返していることがわかる.
著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.50, no.4, pp.397-414, 1976-03-31