著者
長沢 工
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.271-280, 1978-08-15
著者
松田 時彦
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.289-319, 1990-06-30

日本列島陸域の既知の活断層を,それぞれ独立して地震を起こす「起震断層」に再編成した.その際,次の場合を,それぞれ一つの起震断層とした: 1) 5km以内に他の活断層のない孤立した長さ10km以上の活断層, 2)走向方向に5km以内の分布間隙をもって,ほぼ一線にならぶほぼ同じ走向の複数の断層, 3) 5km以内の相互間隔をもって並走する幅5km以内の断層群, 4)その断層線の中点の位置が主断層から5km以上はなれている走向を異にする付随断層あるいは分岐断層.こうして得られた日本列島陸域(南西諸島を除く)のすべての起案断層をTable 3とFig. 3に示した.そして,その起震断層の長さLを用いて,その断層から発生し得る最大の地震のマグニチュードMLを,断層ごとにLog L(km)=0.6M-2.9の関係を用いて,算出した.一方,日本列島の陸域と周辺海域を,島孤系における位置,活断層や歴史地震の規模などに基づいて, 16の地帯に区分した(Fig. 4).陸域の各地帯において,その地帯内での最大のMLとその地帯内で生じた歴史地震の最大のマグニチュードMhとを比較し,そのいずれをも包含するマグニチュード(1/4刻み)をもって,その地帯で期待される最大地震のマグニチュードMmaxとみなした.ただし,地域内に例外的に大きなMLをもつ断層がある場合には,それを特定断層とよび,それが地震エネルギーを一括放出するか分割放出するかを,別途考慮することとして,各地帯のMmaxを考慮する際にはそれらのMLを無視した.海域については,活断層資料の精度が陸域と異なること,歴史時代に大地震を比較的頻繁に起こしていること,などから歴史時代の最大地震のマグニチュードをもって,その海域のMmaxとみなした.日本列島各地帯の最大期待地震規模Mmaxは次のようである(Fig. 5, Table 2). Mmax=8 1/2:東日本太平洋側沖合帯,西日本太平洋側沖合帯 Mmax=8:中部・近畿帯(西南日本内帯東部) Mmax=7 3/4:日本海東縁帯(東北日本内帯西部) Mmax=7 1/2:東北日本内帯主部,南部フォッサマグナ衝突帯,伊豆地塊,北陸帯,中国・北九州帯(西南日本内帯西部) Mmax=7 1/4:北海道中部衝突帯,九州中南部帯 Mmax=7:知床・阿寒帯,東北日本外帯,西南日本外帯 Mmax=6 1/2:千島弧外帯,北見帯 MLの最大値とMhの最大値は地帯によって大きく異なっていたが,同じ地帯では両者はほぼ同じ値を示している(Fig. 6).このことから,既存の活断層資料も歴史地震資料も,したがって上記のMmaxも,このように地帯区分した場合にはほぼその地帯の地学的特性を反映していると考えられる.
著者
松田 時彦
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.44, no.3, pp.1179-1212, 1967-01-30

1. 地形的にその存在が推定されていた跡津川断層は,少なくとも庄川-神通川の分水嶺から北東へ常願寺川上流までたしかに存在する.長さ60km以上,部分的にゆるくを彎曲するがほぼ直線状で,その平均走向N60°E,断層面の傾斜はほぼ垂直,断層面上の断層条線はほぼ水平である. 2. この断層線に沿って,古生代の飛騨変成岩類から第四紀の河床堆積物までの地層および隆起小起伏面や段丘面などの地形面が変位している.この断層の変位の向きは多少の垂直成分を伴った右ずれである.この断層が示す変位の水平成分は断層の主部で約3km,垂直成分は,概して北側の相対的隆起でその量は1km以下である.すなわち,この断層は右横ずれ活断層である. 3. 第四紀の地層・地形面は古い時代のものほど大きく変位しているが,それ以前に生じた岩石では,時代が古くなっても変位量はそれ以上増加しない.したがって,現在この断層が示す変位量3kmは第三紀後期以後に生じはじめたと考えられる.数万年前に生成した河岸段丘が20m以上変位しているから,最近の数万年間における平均の変位速度は1~数m/1000年位と考えられる. 4. 段丘の変位や谷の喰違い現象は,この断層が最近地質時代に数十m以下を単位とする小刻みのほゞ同方向の変位を繰返してきたことを示している。また,この断層沿いにみられる断層崖などの断層地形は大地震時に生じる地形によく似ている.これらのことから,この断層の約3000mの変位量は地震時の変位の集積と考えられる.安政5年(1857)の飛騨地震はこの断層の最近の活動の1つと思われる. 5. 断層線上での谷の屈曲・転移のむきは概して右であるが,その量はその断層線から谷頭までの距離の大きな谷ほど大きい.このことは,この断層が活発な右ずれ変位を繰返していること,谷の喰違い地形は変位のむき・量を大略反映していること,谷の古さは断層線よりも上流の部分の長さにほゞ対応していること,を示唆している.このような谷の累進的転位現象の有無・程度は,未知の断層の活動性を知る1つの目安になると思われる.
著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.329-338, 1986-12-10

ソ連沿海州・北朝鮮および韓国沿岸からの津波伝播図を作図し,1983年日本海中部地震津波において,波源から射出された津波が大陸から反射して日本沿岸に到達する時間を調べた.そして各地で観測された検潮記録の波形との対応を検証した.その結果,発震時から2~5時間の間に,各地で顕著な振幅が発現した時刻が,大陸からの反射波の到達時間と±10分以内で合致しており,積丹半島・能登半島周辺および山陰地方に,波向線が集まることが認められた.将来,日本海に発生する津波の予報にあたっては,大陸からの反射波の動向も注目する必要がある.
著者
目黒 公郎 伯野 元彦
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.63, no.4, pp.p409-468, 1989-03
被引用文献数
5 17

本研究は,非連続体解析法を用いたコンクリートの破壊解析手法を,提案するものである.従来,コンクリートの破壊解析は,主として媒質を均質な連続体と近似して取扱う,有限要素法(FEM)や境界要素法(BEM)などの連続体解析法を用いて行われてきた.しかし,これらの手法は,解析対象物に破壊が発生するまでの解析を主眼とするものであり,破壊発生後の挙動や大変形問題等の解析には,多くの困難を伴う.また,コンクリートの媒質は鋼などに比べて不均質であり,骨材とモルタルという物性の違う物質から成る混合体である.破壊の強度や形状は,コンクリート中の骨材の強度や粒度,その量や分布の影響を受け,更にモルタルの性質によって変化する.媒質を均質な弾性体と近似して取り扱う従来の連続体解析法を用いて,これらの現象をうまく説明することは困難である.これらの現象をうまく表現できる解析手法を提案することは,現在のコンクリートの破壊解析における,1つの大きな課題であると考えられる.ところで最近,電子計算機の計算速度の高速化と記憶容量の巨大化を背景として,解析対象物の媒質を小要素の集合体として取扱う非連続体解析法が,盛んに行なわれるようになってきた.この手法の一つに,Cundallによる個別要素法(Distinct ElementMethod, DEM)があり,先駆的なものとして知られている.しかし,主として土(地盤,石,岩盤を含む)を対象として進められてきた従来のDEM理論では,コンクリートの挙動をうまく表現する事は難しかった.それは従来のDEMでは,骨材をとり囲むモルタルの効果が考慮されていなかったからである.DEM解析において,要素の間隙を埋める物質の力学的モデル化についての研究は,間隙水の効果に関する研究,間隙の粘性土に関する研究等があるが,これらは,モルタルの挙動を表現するモデルとしては適当ではない.そこで本研究では,コンクリートにも対応できる非連続体解析手法として,改良個別要素法(Modified Distinct Element Method, MDEM)を開発し,実際にコンクリートの破壊解析に適用した.MDEMにおいてコンクリート中の粗骨材は円形要素として,モルタルは非線形なバネとして,それぞれ表現した.MDEMでは,媒質を独立した小要素の集合体と考えるので,材料の不均一性も要素のばらつきという形で考慮できる.MDEMは,大変形問題や破壊発生までの解析に加えて,破壊の進行過程までの一連の解析が可能であり,連続体解析法の欠点を補える.また,滑り面の形成やダイレタンシーの効果等が自然と表現される特徴を持つ.更に,巨視的な観点からの破壊モードの解析に加え,個々の骨材間の微視的破壊のメカニズムまで追跡することができる等の点で優れている.ケース・スタディーとして,コンクリート供試体を用いた破壊試験のシミュレーションと,コンクリート構造物の動的破壊解析を行なった.解析結果は,従来の室内実験結果,あるいは地震被害と調和的なものであり,またMDEMならではの見解も得られた.これらの結果から,改良個別要素法(MDEM)が,コンクリートの破壊解析法として有効である事が確認された.A new fracture analysis method of concrete structures is proposed in which concrete is considered a granular assembly. A number of fracture analyses of concrete structures have been made by the finite element method (FFM) in which concrete has been considered a homogeneous and continuous material. But concrete is a complex and extremely heterogeneneous material, it is difficult to analyze its fracture properties by using FEM. On the other hand, the distinct element method (DEM), in which medium has been treated as an aggregation of individuall small elements, has been studied in geotechnical engineering. But the conventional DEM is hardly applicable to the concrete structures because the effect of mortar surrounding gravels has not been considered in this method. We have developed a modified distinct element method (MDEM), and have applied it newly to fracture problems of concrete structures which had not been solved by the conventional DEM. In MDEM, two major constituents of concrete, gravels and mortar, are represented respectively as circular particle elements and nonlinear springs. The heterogeneity of material can be taken into consideration as dispersion of particle elements. This method, MDEM, can follow the total fracture process even after discontinuity of the medium occurs. Nonlinear phenomena such as shear band and the influence of dilatancy are simulated automatically. Not only the overall mode of fracture but also the microscopic fracture mechanism of individual elements are obtained. This newly proposed method, MDEM, is applied to simulate the dynamic fracture behaviors of concrete structures. Numerical results obtained in this study agree well with laboratory tests as well as seismic damages observed during past earthquakes.
著者
溝上 恵 Nakamura Masao Seto Norihiko Ishiketa Yukio Yokota Takashi
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.p287-310, 1983
被引用文献数
22

Microearthquakes in and around the Kii Peninsula, southwestern Honshu, Japan, have a three-layered hypocentral distribution as presented by the upper crustal, the transitional and the subcrustal seismic zones. Earthquakes of the upper crustal seismic zone are mainly distributed in the northwestern part of the Kii Peninsula at depths of 3-10km. Their focal mechanisms under the east-westward compression suggest an overwhelming influence of the subducted Pacific plate. On the other hand, earthquakes of the subcrustal seismic zone are distributed with an extensive area coverage over the Kii Peninsula at depths of 35-80km showing an inclination dipping towards the northwest. The focal mechanisms of the earthquakes in the subcrustal seismic zone indicate either the north westward compression or the northeast-southwestward extension related to the subducted Philippine Sea plate. In the southern part of the Kii Peninsula, the transitional seismic zone at depths of about 15-35km is separated from the upper crustal and the subcrustal seismic zones. The different types of focal mechanisms in the transitional seismic zone are classified into two groups belonging to the shallower depth range of 15-25km and the deeper depth range of 25-35km. The former tends to be common to the type in the upper crustal seismic zone, while the latter to that in the subcrustal. The complicated focal machanism variation in the transitional seismic zone suggests a mechanical instability on both sides of the Mohorovicic discontinuity at depths around 20-25km, where the stress field might be abruptly changed. The restricted area coverage of the transitional seismic zone in the southern half of the Kii Peninsula may indicate that the subducted Philippine Sea plate decouples with the overriding continental crust in the northern half of the Kii Peninsula.紀伊半島の地震活動についての従来の議論は地殻上部と地殻底部の地震の2種類の区分にもとずいていた.前者は主として太平洋プレートの沈みこみによる東西方向の主圧力軸の場で発生する地震であり,後者は主としてフィリピン海プレートの沈みこみによる北西一南東方向の主圧力軸の場ないしはプレートの自重に起因するLeading edgeに平行な主張力軸の場で発生する地震であろうとされている.紀伊半島の微小地震観測網がテレメータ化されたため震源決定の精度が高まり震源分布の微細構造が従来よりさらに明確になってきた.その結果,これまでの区分による地殻上部および地殻底部の地震活動帯のほかにモホ不連続面とほぼ一致する深さのもう一つの地震活動帯が存在することが確かめられた.この新たに確認された地震活動帯の特性を要約すると次のようである,i)この地震活動帯の震源の深さは15~35kmで紀伊半島北西部の浅い地震(震源の深さ,3~10km)と地殻底部の深い地震(震源の深さ35~80km)の中間の深さにあり他の2つのもの(地殻上部および地殻底部)に比較しその活動レベルは非常に低い.震央はおおむね半島南部に限られる.地震発生数の深さ別分布をみると震源の3層構造が判然とする.ii)発震機構は地殻上部の地震と共通の型をもつものと地殻底地震と共通の型をもつものとがある.前者は震源の深さが15~25km,後者は25~35kmである.このことから地殻上部における太平洋プレートの沈みこみの影響下にある応力場からフィリピン海プレートの沈みこみの影響下にある応力場への遷移がこの中間層の地震と対応していると考えられる.iii)紀伊半島のモホ面の深さはその北部と南端部とでは少なくとも10kmの差があり南端部でその深さは20kmより浅いと推定される.このことから紀伊半島南部にみられるこの中間層の地震帯ばモホ面の深さとよく一致すると考えられる.iv)以上のことからこの中間層の地震は紀伊半島の地殻と太平洋プレートとの相互作用が深さと共にフィリピン海プレートとの相互作用におきかわる場で発生していると考えられる.また中間層の震央が半島の南半分に限られている.このことから紀伊半島の地殻とフィリピン海プレートとのディカップリングが起きているとすればその位置の南限はこの中間層の震央分布の北限と対応している可能性が高い.
著者
佃 為成 酒井 要 小林 勝 橋本 信一 羽田 敏夫
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.64, no.3, pp.433-456, 1989-12-25

北部フォッサマグナの糸魚川・静岡構造線に長野盆地西縁断層(善光寺地震断層系)及び千曲川構造線のそれぞれの延長がぶつかる地域において発生した1986年12月30日の地震の震源パラメータや余震活動および先駆的活動の特徴,テクトニクスとの関連について調べた.震源域直上の1臨時観測点を含む近傍の観測点のデータを用いて余震の高精度震源決定を行い,さらに本震の震源についても定常観測点に基づく結果を補正した.この際,深発地震データから推定した走時の観測点補正時間を導入した.本震の深さは5.5kmで,その近傍に集中した余震(狭義の余震)の発生域はN15~20°Wの走向をもち,僅かに西に傾いた,ほぼ垂直な面上にあり,水平に6km,深さ方向に4kmの広さに収まる.この余震分布は初動の押し引きから得られた断層面の一つ(走向N19°W,傾斜角73°,すべり角26°)にほぼ一致する.この狭義の余震の外に点在する広義の余震は東西,南北にそれぞれ20kmの広さに分布する.気象庁の観測点の変位地震計記録の初動P波から推定した震源断層の破壊は,本震の震源付近から,余震が密集している南の領域へ向けて3km/sの速度で伝播した.その全面積は6km2,平均的な変位は75cm.変位の立ち上がり時間は0.5sである.また,地震モーメントは1.3×1024dyne・cm,応力降下は220barである.本震の破壊領域は既存の断層上にはなかったが,広義の余震は,2本の新第三紀層中の断層(小谷-中山断層,持京断層)が会合する地点,両断層に画された東南側の領域一帯,北部の両断層に挾まれた地域や,孤立的に東部の一地点に分布する.活動の範囲は時間とともに,拡大縮小の変化が認められた.最大余震はM3.5(広義の余震)で,本震の大きさに比べ,極めて小さく,余震回数も多くはなかったが,その減衰の定数はp=1で,通常と変わらない.この地震に先行した微小地震活動があった.その震源域は広義の余震の一つのクラスターとほぼ一致する.また,周囲半径100km以内の地震活動が1~2年前から1年後にかけて活発であった.直前の5~9日前には,飛騨山地を隔てた跡津川断層でも,目立った活動があった.大町市付近の系魚川・静岡構造線に沿った地域には,過去にも度々M6程度の地震が発生している.その中で1958年の地震の震央は,今回の地震の活動域にある.このときにも跡津川断層の活動が連動した(1858年飛越地震,M6.9).糸魚川・静岡構造線等を含む広域のネオテクトニクスの枠組みのなかに今回の地震の活動域が位置づけられるとともに,小規模の地殻ブロックの役割も注目される.
著者
加藤 健二 都司 嘉宣
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1/2, pp.39-66, 1994-09-30

本研究では,1993年7月12日に発生した北海道南西沖地震(MUMA7.8)の津波の挙動を調べた.まず最初に,津波の初期条件を求めるために断層要素の決定を行なった.断層要素の決定は,余震分布,奥尻島での鉛直,および水平の地殻変動量および江差と岩内の検潮記録に基づいて行なった.余震分布から,断層面を北側,南側の2つからなるとした.その結果,南側の断層では,低角な東下がりのものと,高角な西下がりのものがともに奥尻島の地殻変動の条件を満たすことがわかった.ここで求めた断層要素を使って,断層は南北とも西下がりであるとして,北海道周辺での津波の振舞いを調べた.津波は,奥尻海脚,奥尻海盆の影響を受けて複雑な振舞いをしたことがわかった.また,奥尻島の南西部について詳しく調べてみると,奥尻海脚によって曲げられた津波が第1波を形成し,同島南部の初松前地区に集中して,ここの集落の家屋を全滅させたことがわかった.また,奥尻海脚の東端と西端を節とするここにトラップされた固有振動が,島南端の青苗の居住地の主要部に大きな被害をもたらす第2波を形成することがわかった.
著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.60, no.3, pp.439-459, 1986-02-07

寛文・明和日向灘津波および宝永・安政南海道津波について,史料をもとに大分・宮崎県沿岸各地を現地調査し,津波の高さ,浸水域の広がりを考察した.寛文津波は宮崎平野に広く浸水し,津波の高さは4~5mと推定される.明和津波は大分県沿岸で2~2.5mの波高があり,津波よりむしろ地震災害が上回った.津波マグニチュードは,それぞれm=2と1に格付けできる.両津波の震度・波高分布および地殻変動の記録を近年の日向灘津波と比べると,波源域はいずれも沿岸付近にあったとみなされる.一方,宝永南海道津波は大分・宮崎県沿岸各地の集落に溢れ,津波の高さは3~4.5mに達している.また,熊本・長崎県沿岸にも浸水記録があり,30分程度の長周期波が卓越したことを暗示する.安政南海道津波は宝永津波よりやや小さく,大分・宮崎県沿岸の波高は2~3mと推定される.両津波の規模および震度が1946年南海道津波を上回り,予想以上に九州各地に強い影響を与えていることから,波源域が1946年津波のものより四国の南西沖に伸びていたことを考えさせる.
著者
羽鳥 徳太郎 相田 勇 坂下 至功 日比谷 紀之
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.187-206, 1983-07-28

Yuasa and Hiro located on the west side of Kii Peninsula, western Japan, have been hit by many large tsunamis which were generated about every 100 to 150 years. Sources of all these tsunamis were offshore between Wakayama and Shikoku along the Nankai Trough. Traces of the inundated level on many houses in the two towns caused by the 1946 Nankaido tsunami (Dec. 21, 1946) were surveyed, using the automatic level from Oct. 18 to 23, 1982. The behavior of the 1946 tsunami run-up on land was investigated and compared with the two historical tsunamis of Hoei (Oct. 28, 1707) and Ansei (Dec. 24, 1854). The results of the present survey are as follows: (1) At Yuasa, the inundation heights of the 1946 tsunami were 3.0-3.5 meters above M.S.L. Ground about 3.0 meters above M.S.L. was inundated, so that 450 houses were inundated but hardly any were washed away. At Hiro, the sea wall strongly protected the main part of town from the 1946 tsunami (This bank was constructed just after the 1854 Ansei tsunami from Mr. Goryo Hamaguchi's personal funds). However, the tsunami energy concentrated at the head of bay along the Egami River. The inundation heights locally reached 5 meters (above M.S.L.) or more and 22 persons were killed. (2) According to old documents, the inundation area of the 1707 Hoei tsunami elongated along the Yamada, Hiro and Egami Rivers. Forty-one lives were lost at Yuasa and 192 at Hiro. Inundation heights above M.S.L. were estimated 4-5 meters at Yuasa and 5-6 meters at Hiro. (3) By the 1854 Ansei tsunami, 28 lives were lost at Yuasa and 36 at Him. The patterns of damage at Yuasa and Hiro are similar to those of the 1707 Hoei tsunami. There remain even now traces of the inundation level on a few old houses in both towns. Inundation heights above M.S.L. were 4.0-4.7 meters at Yuasa and 5.0 meters in the center of Hiro town. Ground about 4.0 meters above M.S.L. was inundated, 0.7 to 1 meter higher than that during the 1946 Nankaido tsunami.
著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.59, no.4, pp.501-518, 1985-03-30

関東・伊豆東部沿岸を対象に,宝永・安政東海津波における各地の史料・伝承記録を集め,両津波の挙動を調査した.安政津波は,伊豆東部沿岸の集落内に遡上し,津波の高さは3~6mに推定され,半島の付け根付近が高い.また,東京湾では東京・浦安・横浜の河口付近に溢れている.1923年関東地震津波と比べると,相模湾沿岸では津波の高さは下回つたが,外房・九十九里浜では集落に溢れ2倍ほど上回った.宝永津波の高さの分布は,安政津波とほぽ似たパターンを示している,両津波の高さが予想外に大きい要因の一つとして,南海・駿河トラフで発生した津波がエッヂ波のように伊豆東海岸に伝わり,加えて波の屈折効果が作用したものと考える.
著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.547-570, 1982-01-08

The west coast of Kii Peninsula and Shikoku, western Japan, suffered severe damage from the three Nankaido tsunamis of 1707, 1854 and 1946. There are many old monuments of the 1854 Ansei tsunami along the Kochi coast. Old documents on the Hoei (Oct. 28, 1707) and Ansei (Dec. 24, 1854) tsunamis along the southwest coast of Kochi Prefecture were collected during the present field investigation and illustrated in this paper. Based on the documents, the inundation heights of the 1707 Hoei and 1854 Ansei tsunamis were surveyed by handlevel and compared with those of the 1946 Nankaido tsunami (Dec. 21, 1946). The inundation heights (above M. S. L.) of the 1854 Ansei tsunami along the southwest coast of Kochi averaged 5.5 meters. Those of the 1707 Hoei tsunami averaged 7.7 meters with maximums of 10 meters at places. Although the inundation heights of the 1946 tsunami along the entire Pacific side of Shikoku were nearly uniform, the patterns of height distribution along the west coast of Shikoku for the 1707 and 1854 tsunamis differ significantly from those of the 1946 tsunami. The inundation heights of the 1854 Ansei and 1707 Hoei tsunamis on the western Shikoku coast were 1.5 and 2.1 times respectively, higher than those of the 1946 tsunami. This suggests that the rise times and/or the amount of the slip displacements on the west part of the fault might be different.
著者
阿部 勝征
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.851-873, 1991-03-29 (Released:2008-05-30)

フィリピンのルソン島中部で1990年7月16日に発生した大地震(Mw7.6)について現地調査や波形解析を実施し,地震の発生機構を調べた.この地震はルソン島の地表に最大水平変位6mの地震断層を出現させた.それは島弧中央断層であるフィリピン断層系の一部である.地震断層の現地調査ではBongabonからRizar, Digdigを経てCapintalanまで実地踏査し,これらの地域を含めてDingalan湾よりImugan北方までを100km以上にわたってヘリコプターで上空より調査した.現地調査,地震波解析,余震データから得られたフィリピン地震の全体像は長大な左横ずれ断層運動である.断層面の走向は154°NE,傾斜角は76°Wであり,断層の長さは120km,幅は20km,断層面上での平均変位量は5.0mである.地震による横ずれ断層としては世界有数の規模である. TSKにおけるP波初動部分の変位記録は,震源での継続時間が約50秒あり,約10秒間の小さな立ち上がりに続いて2個の大きなサブイペントが約20秒の間隔で発生したことを示唆する.ラ・ウニオン州のルナで約2mの高さの津波が発生したが,局地的なもので,液状化に伴って生じたとみられる. 17日に発生した最大余震(Mw6.4)は逆断層運動によるもので,主断層運動の東側のブロックが断層の北端付近を圧縮したために起きたと考えられる. The Luzon, Philippines earthquake of July 16, 1990, with Ms=7.8, was generated by left-lateral slippage in central Luzon Island. We surveyed surface breakage over the area from Bongabon to Capintalan through Rizar, Puncan and Digdig by vehicles, and also made an aerial survey by helicopter from Dingalan Bay to north of Imugan. Ground breakage was observed and mapped for a distance of 110km along the Philippine fault system and its splay known as the Digdig fault. Maximum horizontal offset as measured on the fault at Imugan is 6m. It is one of the largest strike-slip earthquake ever recorded in the world.
著者
Santo Tetsuo A.
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.37, no.2, pp.307-325, 1959-08-25

I・G・Yの日米国内の脈動観測資料を用いて,各地の脈動嵐が何の影響でどんな起り方をするか,また各地の脈動嵐相互間の時間的な関係はどのようにかつているかを,天気図と対照しつつ調べた.その結果,1)低気圧や台風が日本の東方海上を東北進する場合には,脈動嵐はそれを追いかけるようにして西南日本から東北日本へと移つてゆく.そしてこの場合,ある地区に脈動嵐が一番ひどくなる時期は,低気圧や台風の中心がかなり行きすぎてしまつてからである.この傾向は,低気圧の場合に特に著しい.
著者
長沢 工 三浦 勝美
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.579-588, 1988-03-31

1987年9月11日に西日本上空に出現した大火球は,進行中に強い衝撃波を発生させた.その衝撃波が地表に達したときの震動は,東京大学地震研究所,白木微小地震観測所の6ケ所の地震計,高知大学地震観測点の2ケ所の地震計に記録された.これらの地震記録から計算した結果,火球は,東経133°,北緯34°.28の地点を68.6kmの高さで通過し,北から37°.7西に向いた方向へ,水平と34°.3の角をなして通過したことがわかった.したがってこの火球は四国を越えて広島県北部に達したと見られる.地震計の記録だけから火球径路が決定できたのはこれが初めてのことである.これだけはっきりと径路を決めることができれば,隕石捜索の場合には非常に有力な資料となる.
著者
溝上 恵 Nakamura Isao Chiba Heihachiro Yoshida Mitsuru Hagiwara Hiroko Yokota Takashi
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.p25-63, 1983
被引用文献数
2

The earthquake of July 23, 1982(M7.0) off Ibaraki Prefecture, Northeastern Honshu was accompanied by remarkable foreshock and aftershock activities after the quiet period of seismicity for about 16.5years since 1966. Three earthquake provinces were specified in the trench side, the transitional and the coastal zones through a systematic westward movement of the aftershock activity. In the earlier stage of the movement, a seismic activity of a shallow focal depth of less than 30km took place in the trench side province including major quakes of M5.9~6.2. An aseismic area of 30~40km in length, a possible locked portion on the plate boundary, separated the trench side province from the transitional one, where both shallow and the pronounced double-planed deeper origin earthquakes were observed. In the succeeding stage of the westward movement, the seismic activity in the coastal province seemed to be slightly strengthened on the double-planed seismic zone. A penetration of seismic activity as deep as 60~80km in the east coast of Ibaraki Prefecture was observed coupled with the occurrence of the earthquake of February 27, 1983(M6.0) in the south of Ibaraki Prefecture. It can be suggested from these evidences that the westward movement of the aftershock activity were closely related to regional effects of the subduction of the Pacific plate off and in the coast of and in the southern part of Ibaraki Prefecture.1982年7月23日23時23分に発生した茨城県沖地震(M7.0)は顕著な前震および余震活動をともなった.この活動は1966年以来の約16.5年にわたる静穏期にひきつづいて発生した.関東地方における微小地震観測網によりとらえたこの活動の特徴は次のようである.i)海溝寄りから茨城県沿岸部にかけて余震活動がひろがったが,この余震活動の時空間分布から余震域を3つの地震区A),B)およびC)に分けることができる,余震活動はこれらの地震区を束から西へと移動した.ii)余震活動の初期には東側,海溝寄りの地震区A)でM5.9~6.2を含む余震が発生しそれらの震源の深さは大部分のものが30km以浅であった.本震はこの海溝寄りの地震区の東端に位置し震源の深さは約15kmと推定される.iii)海溝寄りの地震区A)はその西隣りの地震区B)と長さ30~40kmの低地震活動域により分離されている.この低地震活動域は断層面の摩擦の大きい部分に対応する可能性がある.地震区B)ではM5.4~5.8を含む余震が発生し,それらの震源の深さは30km以浅のものとより深いものとがある.後者は沈みこむ太平洋プレートに対応する2層構造の震源に属する.iv)余震活動の終期には茨城県東岸での活動の高まりが見られその震源の深さは60~80kmであり2層構造の上面の地震活動の活発化を示唆する.v)1983年2月27日,茨城県南部の地震(M6.0)は上記の経過からみてこの茨城県沖地震と連鎖して発生した可能性が高い.茨城県沖地震(1982年7月23日,M7.0)およびその余震活動が太平洋プレートとユーラシア・プレートとの相互作用によるものと考えられるが,この茨城県南部の地震は太平洋プレートとフィリピソ海プレートとの相互作用によるものと考えられる.vi)以上から今回の茨城県沖地震にともなう余震活動の西方移動は3つのプレート間の相互作用を反映した一連の現象であると推察される.
著者
相田 勇 梶浦 欣二郎 羽鳥 徳太郎 桃井 高夫
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
地震研究所研究速報
巻号頁・発行日
vol.8, pp.58-62, 1964-09

昭和39年6月16日新潟地震調査概報