- 著者
-
松井 克浩
- 出版者
- 東北社会学会
- 雑誌
- 社会学年報 (ISSN:02873133)
- 巻号頁・発行日
- vol.45, pp.19-29, 2016-12-26 (Released:2018-09-25)
- 参考文献数
- 15
本稿では,福島県の隣に位置する新潟県への原発避難の事例を対象として,長期・広域避難とコミュニティとのかかわりについて考察する.避難指示区域からの避難者に対して,間隔を置いて同じ人に数回行った聞き取りをもとに,避難生活の経過と将来の見通し,故郷/福島について,奪われたもの/失ったものの順に,現状とその変化などをたどった.その結果,表面的には生活の安定がうかがわれる一方で,避難者の迷いや不安はむしろ深まっていることが分かった.何が「難民」という言葉に象徴されるような避難者の苦悩をつくりだしているのだろうか. 若松英輔の議論をふまえると,避難者は「人生の次元」抜きの「生活の次元」を強いられているといえる.すなわち,時間の蓄積をふまえた未来への展望,被害の真の回復までに要する時間,「根っこ」のある生き方,住み慣れた生活空間での承認等々を失い,しかも失っていることさえ周囲から理解されずに日々の生活に追われている.避難者が再び地に足をつけて前に進んでいくためには,「生活の次元」の再建・維持に加えて,時間的・空間的・関係的な「人生の次元」の再生が不可欠である.避難者全体の不可視化と難民化がいっそう進むのか,それとも「人生の次元」の再生がはかられるのか,現在はその岐路にあるといえる.