著者
脇田 健一
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
vol.15, pp.5-24, 2009

<p>本稿では,環境ガバナンスが人口に膾炙する時代における,環境社会学の課題や役割について明らかにしていく。以上を明らかにするために,まず,環境社会学会の二大研究領域である〈環境問題の社会学〉と〈環境共存の社会学〉の代表的な研究として,舩橋晴俊の環境制御システム論と鳥越皓之らの生活環境主義を取り上げ,それらの理論的射程を再検討する。そして,両者の議論と関連しながらも,その狭間に埋もれた環境ガバナンスに関わる新たな研究領域が存在することを指摘する。そのような研究領域では,以下の2つが主要な課題になる。①多様な諸主体が行う環境に関する定義(=状況の定義)が,錯綜し,衝突しながら,時に,特定の定義が巧妙に排除ないしは隠蔽され,あるいは特定の定義に従属ないしは支配されることにより抑圧されてしまう状況を,どのように批判的に分析するのか。②そのような問題を回避し,実際の環境問題にどのように実践的にかかわっていくのか。以上2つの課題を中心に,政策形成をも視野に入れながら,「環境ガバナンスの社会学」の可能性について検討を行う。</p>
著者
脇田 健一
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究 (ISSN:24340618)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.5-24, 2009-10-31 (Released:2018-12-04)
被引用文献数
1

本稿では,環境ガバナンスが人口に膾炙する時代における,環境社会学の課題や役割について明らかにしていく。以上を明らかにするために,まず,環境社会学会の二大研究領域である〈環境問題の社会学〉と〈環境共存の社会学〉の代表的な研究として,舩橋晴俊の環境制御システム論と鳥越皓之らの生活環境主義を取り上げ,それらの理論的射程を再検討する。そして,両者の議論と関連しながらも,その狭間に埋もれた環境ガバナンスに関わる新たな研究領域が存在することを指摘する。そのような研究領域では,以下の2つが主要な課題になる。①多様な諸主体が行う環境に関する定義(=状況の定義)が,錯綜し,衝突しながら,時に,特定の定義が巧妙に排除ないしは隠蔽され,あるいは特定の定義に従属ないしは支配されることにより抑圧されてしまう状況を,どのように批判的に分析するのか。②そのような問題を回避し,実際の環境問題にどのように実践的にかかわっていくのか。以上2つの課題を中心に,政策形成をも視野に入れながら,「環境ガバナンスの社会学」の可能性について検討を行う。
著者
植田 今日子
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究 (ISSN:24340618)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.60-81, 2012-11-20 (Released:2018-11-20)
被引用文献数
2

本稿の目的は,2011年3月11日の津波で甚大な被害をうけた三陸地方沿岸の集落の人びとが,なぜ海がすぐそばに迫る災禍のあった地へふたたび帰ろうとするのかを明らかにすることである。事例としてたどるのは,津波常習地である三陸地方,宮城県気仙沼市唐桑町に位置する被災集落である。この集落では52世帯中44世帯の家屋が津波で流失したが,津波被災からわずか1ヵ月あまりで防災集団移転のための組織をつくり,2011(平成23)年度末には県内でももっとも早く集団移転の予算をとりつけるにいたった。舞根の人びとが集団移転をするうえで条件としたのは,移転先が家屋流失を免れた8世帯の人びとの待つ舞根の土地であること,そして海が見える場所であることであった。本稿は津波被災直後から一貫して海岸へ帰ろうとする一集落の海との関わりから,彼らが災禍をもたらした海に近づこうとする合理性を明らかにするものである。海で食べてきた一集落の人びとの実践から明らかになったのは,慣れ親しんだ多様な性格をもつ海は,どうすればそれぞれの場所で食わせてくれるのかをよく知り,長い海難史のなかで培われた“死と向き合う技法”と“海で食っていく技法”の双方が効力を発揮する海であった。すなわち,舞根の人びとにとって被災後なお海のもとへ帰ろうとすることが“合理的”であるのは,海がもたらしてきた大小の災禍を受容することなしに,海がもたらしてくれる豊穣にあずかることはできないという態度に裏打ちされている。
著者
嘉田 由紀子
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究 (ISSN:24340618)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.72-85, 1997-09-20 (Released:2019-03-26)

所有関係は、かつて人と人の関係としてとらえられてきたが、環境問題が社会問題化されるにつれて、人と自然のかかわりの中でアプローチする立場があらわれてきた。本稿は、これまで所有関係へのアプローチが観念的、制度的であった限界を越えて、人と自然のかかわりが埋め込まれている地域社会での日常的な生活実践の中から、所有意識とその実態を探る。方法は、写真による「資料提示型インタビュー」であり、余呉湖周辺を事例としてとりあげる。ここは、ひとつの村落が、湖、水田、河川から森林まで一括管理しているミニ盆地ともいえる複合生態系を有しており、生態的場の多様性にあわせた所有観をたどるのに格好の地域である。ここで明らかにされた所有関係の基本は、対象資源の生態的特性と空間、時間という組み合わせのなかで関係論的にきまってくる“重層的所有観”であり、「一物一権主義」という近代法の原則と大きく異なる。そこには〈総有〉ともいうべき基本原理が働いており、背景には、“労働”(働きかけ)と“資源の循環的利用”のなかで村落生活を維持しようとする生活保全の原理がはたらいている。
著者
渡辺 伸一
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究 (ISSN:24340618)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.129-144, 2001-10-31 (Released:2019-03-12)

環境の保護は,社会的に重要な課題である。しかし,環境保護の実際をみると,学術的な重要性や,保護が生み出す受益のために,特定の少数者に過重な負担や受忍を強いる例が散見される。「奈良のシカ」の事例は,こうした問題がみられてきた典型例である。奈良のシカは,「奈良公園の風景の中にとけこんで,わが国では数少ないすぐれた動物景観をうみ出している」とされる天然記念物であり,奈良における最も重要な観光資源の一つでもある。が,当地では,このシカによる農業被害(「鹿害」)を巡り,シカを保護する側(国,県,市,春日大社,愛護会)と被害農家との間での対立,紛争が長期化し,1979年には被害農家による提訴という事態にまで至ってしまった。本稿では,まず,鹿害問題の深刻化過程をみた後に,紛争長期化の背景を,「シカが生み出す多様な受益の維持」「保護主体間の責任関係の曖昧性」「受苦圈と受益圈の分離」「各保護主体にとっての保護目的の違い」等に着目しながら検討した。鹿害訴訟の提訴と和解(1985年)は,被害農家が長期に亘って強いられてきた状況を大さく改善させる契機となった。しかし,この新しい鹿害対策も,十分には機能してこなかった。そこで,後半では,鹿害対策の現状に検討を加えた上で,依然として問題の未解決状態が続いている理由と問題解決への糸口について考察した。
著者
藤村 美穂
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
vol.9, pp.22-36, 2003

<p>食の問題については,残留農薬や食品添加物の問題から,産地や流通経路の不透明さまで含めて,さまざまな問題が続出している。このような状況のなかで,人びとは,自分たちの食べ物について,漠然とした不安を抱いている。その一方で,食べ物を共有する側,すなわち農を営む人びともまた,農業のあり方や自分たちの暮らし方について不安や怒りを感じている。</p><p>本稿では,この漠然とした不安や怒りに焦点をあて,「食と農」がいかなる意味で環境問題であるのかについて,農山村の暮らしのなかから描き出す試みである。その際,注目したのは,農業が,自然と直接的にかかわる営みであるという点である。自然とのかかわりについては,資源管理や農地保全など,さまざまな文脈で語られているが,本稿では時間という変数によってそれを表現する試みである。</p>
著者
丸山 定巳
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究 (ISSN:24340618)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.23-38, 2000-10-31 (Released:2019-03-12)

水俣病問題には発生・拡大・補償救済の遅れという重大な3つの責任問題がある。そして,それぞれに原因企業に加え行政や医学それに地域社会などが深く関わってきた。原因企業チッソ(株)は,生産至上主義に徹し安全性を無視した経営を行ってきた。唯一の巨大企業として地域社会に君臨し,環境を私物化してそれを長期にわたって破壊し,ついには水俣病被害を発生させてしまった。行政もそうした企業の操業を容認し,環境破壊を未然に防止する規制を講じなかった。地元地域社会には,チッソの企業活動をコントロールする社会的勢力は存在しなかった。水俣病の発生が公的に確認された後の初期の調査で,それが魚介類を介していること,そしてその魚介類を有毒化している原因として工場排水が指摘されたにも関わらず,いずれの面でも対策が怠られた。チッソも行政も,有効な排水対策を怠った。地域社会も,チッソの操業を擁護する立場から排水規制の動きを牽制した。加えて,漁獲の法的禁止措置も講じられなかった。その一方で,原因工程の生産規模は拡大されていったために,さらに被害を拡大させてしまった。補償救済問題においても,チッソは当初は責任を認めず低額で処理した。公式に責任が確定した後は,チッソに自力補償能力がなくなり,代わって行政が「認定医学」を利用して補償対象者を制限したため,長期にわたり大量の被害者が放置される状態が続いた。現在,地元地域社会では,過去を反省して「もやい直し」をキーワードにした地域の再生が目指されているが,「チッソ運命共同体意識」からの解放が鍵となっている考えられる。
著者
才津 祐美子
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究 (ISSN:24340618)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.23-40, 2006-10-31 (Released:2018-12-25)
被引用文献数
2

世界遺産への登録を地域おこしの切札のように考えている地域は少なくない。実際,現在日本各地で行われている世界遺産登録運動は,枚挙に暇がないほどである。しかし,世界遺産登録は,当該地域に望ましいことばかりをもたらすわけではない。本稿で事例として取り上げる「白川郷」では,近年特に,この文化遺産の骨子である景観に「変化」が生じていることが問題として指摘されている。この場合の変化は,観光客急増に起因した「悪化」という意味で使われることが多い。しかし,「白川郷」で起きている変化は,〈景観の「悪化」〉だけではない。修景行為に伴う〈景観の「改善」〉もまた「白川郷」で起きている変化だといえるからである。つまり,「白川郷」では,〈景観の「悪化」〉と〈景観の「改善」〉の両方に変化が生じているといえる。しかしながら,実は,個々の変化を「悪化」と見るか「改善」と見るかは,評者によって違うのである。そこで必然的に,誰がそれを判断するのか,ということが問題になってくる。また,〈景観の「悪化」〉であろうと〈景観の「改善」〉であろうと,それらの変化が「白川郷」に暮らす人々の生活に直結しているということも重要である。にもかかわらず,従来景観の変化が取り沙汰される場合,その点が軽視されがちであった。そこで本稿では,住民と「専門家」という二つの行為主体に関する考察を軸に,生活者である住民の視点に留意しつつ,現在における景観保全の在り方の問題点を明らかにした。その際,これまでほとんど指摘されてこなかった,世界遺産登録後の〈景観の「改善」〉のための規制強化に着目し,検討を加えた。
著者
渡邊,洋之
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.4, 1998-10-05

本稿では捕鯨問題について、歴史-社会学的視点より考察を加えた。多様なクジラと「日本人」とのかかわりは、近代以降、拡張主義的方向性を背景とし、捕鯨業が一つの大きな産業として成立したことで、捕鯨というかかわりに単一化されていった。しかし、「捕鯨文化」を主張する人類学的研究は、日本の捕鯨擁護という政治的目的によりなされたため、上記の過程を無視または的確にとらえずに、捕鯨を実体化した「日本人」の「文化」であるとして正当化するという誤りを犯した。今後のクジラとのかかわりは、野生生物を守ることを基本姿勢とし、その上でかかわりの多様性を維持するという方向で検討されねばならない。その際には、国家・民族・地域を実体化しその「文化」であると表象して正当化すること、また逆に、「文化」と表象することである国家・民族・地域を実体化することは、慎重かつ批判的に考察されるべきである。
著者
平岡 義和
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.19, pp.4-19, 2013-11-10

2011年3月,東日本大震災によって福島第一原子力発電所において未曾有の大事故が発生した。この事故は,東京電力が主張するような「想定外」の事象ではない。さまざまな報告書が指摘するように,津波のリスク,全電源喪失のリスクは,いずれも事故以前に指摘されていた。にもかかわらず,東京電力,経済産業省原子力安全・保安院,内閣府原子力安全委員会の多くの不作為が積み重なり,適切な対策が取られなかったことが,結果として事故につながったのである。その意味で,この事故は,「組織の逸脱(organizational deviance)」ないしは「組織体犯罪(organizational crime)」という観点から考察することができる。本稿では,この事故同様大きな被害をもたらした水俣病事件と対比しつつ,福島事故の経緯を検討する。そして,両者に通底する「組織的無責任(organizational irresponsibility)」のメカニズムを指摘することにしたい。それは,事業者と規制当局が相互依存関係の中で,経営リスクなどの外的圧力のもと,本来対応すべき「問題」を外部との「コンフリクト」として処理してしまうというものである。それを正当化するために用いられるのが,厳密な証明を求める実証科学の論理なのである。こうしたメカニズムは,組織においてつねに働く可能性があり,巨大技術の不確実性と相まって,根本的に事故のリスクをゼロにすることはできない。その意味で原発事故は不可避と言える。
著者
牧野 厚史
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.8, pp.181-197, 2002-10-31

日本の大規模遺跡保存のモデルとなっている佐賀県吉野ヶ里遺跡の保存現場を事例として,遺跡とその周辺自治体を含む地域空間の公共性を土地利用秩序の共同性という視点から検討した。吉野ヶ里遺跡は,1989年,マスコミが遺跡を邪馬台国時代のものと報道したことから,膨大な数の見学者が訪れるようになった。そのため,佐賀県は遺跡の周囲を地域制(ゾーニング)し,景観復原を行う。それは,遺跡の活用策とみなされた。だが,地元と位置づけられていた基礎自治体(町村)の地域計画とのあいだに齟齬が生じた。このプロセスを検討した結果,複合的な土地利用を排除した一面的な地域制(ゾーニング)が齟齬を生じさせたことがわかった。地域空間の公共性を確保するためには,基礎自治体・住民による,遺跡への多面的なかかわりが保障される必要がある。だが,この点で地域制(ゾーニング)の適用の仕方に問題があったといえる。
著者
箕浦 一哉
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
vol.17, pp.180-190, 2011
著者
山室 敦嗣
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.4, pp.188-203, 1998-10-05
被引用文献数
1

原発建設計画がもちあがった地域社会において住民の意思表示は重要であるが、自らの立場をあからさまに表明しないという選択をする人々も存在する。しかし新潟県巻町では、「巻原発・住民投票を実行する会」の結成、自主管理の住民投票という一連の過程において、そのような人たちまでも意思表示をすることが可能となった。そこで、地域社会における住民の意思表示を条件づけている地域生活規範に注目しながら、日常生活レベルにおける住民の意思表示の技法と、地域社会レベルで住民の意思が発現する仕組みについて考察する。その結果、意思表示に関する地域生活規範の変化のパターンが明らかになった。