著者
佐藤 哲
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
vol.14, pp.70-85, 2008
被引用文献数
2

<p>地域社会に特徴的な野生生物や生態系は,環境アイコンとして環境保全,自然再生,地域振興に活用されている。兵庫県豊岡市におけるコウノトリをアイコンとした地域再生,沖縄県石垣市白保におけるサンゴ礁をアイコンとした環境保全と地域振興,長野県佐久市における佐久鯉をアイコンとした稲田養鯉の復活を事例に,環境アイコンの生成要因と求心力の基盤,環境アイコンが象徴する多様な生態系サービス,環境アイコンの活用におけるレジデント型研究機関の役割,環境アイコンの活用を通じた人と自然とのかかわりを検討した。環境アイコンの生成には,環境改変による喪失・危機が契機となっており,地域の日常生活に密着した伝統文化や自然資源利用,および他の地域との差異化につながる環境アイコンの独自性を基盤とした人々の強い愛着と誇りが基盤となっている。環境アイコンの保全・再生が生態系サービスの改善をもたらすことが,多様なステークホルダーの合意形成と求心力の維持に貢献している。生態系サービスの現状と未来を評価する科学研究の担い手として,地域社会に常駐するレジデント型研究機関の役割が重要である。環境アイコンは地域振興に密接にかかわる生態系サービスを象徴するものととらえるのが適切であり,人と環境アイコンとのかかわりは,人が一方向的に破壊,保全,再生する対象ではなく,環境アイコンの保全と再生を行いつつ,多様な生態系サービスを創出してその恩恵をうける相互的な関係としてとらえなおされるべきである。</p>
著者
野田 浩資
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.12, pp.57-71, 2006-10-31
被引用文献数
2

「京都」は1994年に世界文化遺産に登録された。本稿は,1990年代後半以降の京都市の景観問題,歴史的環境保全の軌跡を,「伝統の消費」という観点から論じる試みである。具体的には,「町家保全」と「まちなか観光」の動きを追跡することとなる。前稿(野田,2000)では,主に1990年代半ばまでを扱い,<京都らしさ>を求める「外からのまなざし/内からのまなざしの交錯」が,都市計画と景観保全に制度化されたことを指摘した。本稿では,歴史都市・京都をとりあげることによって,世界遺産という「外からのまなざし」によって,「古都という名称のテーマパーク化」が進行しつつあるという,悲観的な診断をもとに,グローバル化の進む現代社会において「外からのまなざし」「グローバルなまなざし」に抗した「都市再生」のあり方について考えてみたい。
著者
青木 聡子
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
vol.21, pp.129-133, 2015
著者
大門 信也
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.9, pp.92-106, 2003-10-31
被引用文献数
1

本稿では市街地で流されるBGMやマナー放送,あるいは防災無線放送などにより生じる拡声器騒音被害について考察する。拡声器騒音は主観的な被害現象であることから従来の工学的騒音研究とは異なる視点からの分析が必要となる。そこで,拡声器騒音問題を人々の拡声器音に対する意味づけの対立と捉え以下の分析を行った。まず拡声器騒音をめぐる言説を概観したところ,この問題が受容者=多数派/被害者=少数派という図式で認識されていることが確認された。次に防災無線に関する意識調査結果と街路に流されるBGMに関する意識調査結果を分析したところ,拡声器騒音被害についての人々の認識は音を肯定する人と音を聞いていない人を同一視し,音をうるさいと感じる人をマイノリティ化させることにより立ち現れていることが明らかになった。こうした分析をつうじて受容者=多数派/被害者=少数派という認識自体が被害を生みだしていること,そしてそうした認識を現出させてしまう不特定多数の人々に音を聞かせる行為自体の加害性を指摘する。
著者
野田 浩資
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.2, pp.21-37, 1996-09-20

本稿では、岩手県平泉町の柳之御所遺跡の保存問題を検討することを通じて、〈歴史的環境〉という問題領域の特質と〈歴史的環境〉をめぐる地域の意思決定について検討を加える。従来のような「住民 対 行政」の二項の対立図式ではなく、専門家の役割に注目して「住民/専門家/行政」の三項図式を設定することにより、専門家相互もしくは専門家と住民・行政との間の相互作用過程を浮び上がらせ、〈歴史的環境〉をめぐる問題のダイナミックスをとらえてみたい。柳之御所遺跡の保存問題においては、住民団体、歴史学・考古学の専門家団体、地元マスコミという多様な担い手による保存運動が展開された。その過程で、歴史学・考古学の専門家による価値判断が行政によって重視され、一方、歴史学・考古学の専門家は(1)行政内の発掘担当者、(2)保存運動の担い手、(3)遺跡の価値の審判者という3重の役割を果たしていた。また、歴史学・考古学の専門家と地域住民、行政の間にはパースペクティブのずれが存在し、その中でどのように地域の意思決定がなされたかを明らかにする。
著者
富田 涼都
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.16, pp.79-93, 2010-11-10

環境問題の解決には,地域住民,行政,専門家,NGOなどの多様なステイクホルダーが参画し協働する必要があることは数多く指摘されてきた。しかし,こうした協働はそう簡単ではない。環境社会学では,自然環境についての価値づけが多様であることが明らかにされており,それを尊重しつつ,自然科学において明らかにされてきた不確実性をはらむ自然環境の動態に対応する方法については,まだ議論がはじまったばかりである。本稿では,そのことを踏まえ佐賀県アザメの瀬で行われている自然再生事業を事例にしながら,「一時的な同意」による,多様な価値づけが行われ不確実性をはらむ自然環境をめぐる協働にむけた合意形成の可能性と課題について考察を行う。「一時的な同意」に基づく同床異夢的な協働は,明確な合意形成の内容や時期を設計しにくく,また,いつ矛盾が発生するかわからない緊張関係をつねにはらんでしまうという点で,従来のイメージの政策の実現プロセスとしては位置づけにくい。しかし,多様な価値づけが行われ不確実性をはらむ自然環境に対する協働を考えると,「一時的な同意」を繰り返し,あえて同床異夢を許容していくことは,多様な価値を尊重しながら,自然環境の動態の不確実性にも対応していける可能性をもっており,今後の政策の実現プロセスや,市民参加のあり方を考えていくうえで有益だと考えられる。
著者
平川 全機
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.11, pp.160-173, 2005-10-25

市民参加の自然再生事業においては,人びとが長期間事業に向き合わざるをえないという特質上,時間の経過と公共性の問題を考える必要がある。というのは,討議過程においては意見の多様性を維持できても,管理の段階では,ある1つを採用することはそのプロセスにおいて同時に他にある可能性を排除しそれが累積されるからである。担い手は,時間軸の中で可能性の排除と公共性の確保というジレンマを引き受けざるをない。本稿では札幌市豊平川の堤防の法面で自然再生に取り組むホロヒラみどり会議・ホロヒラみどりづくりの会の6年間の活動を取り上げる。ホロヒラみどりづくりの会では自由参加の議論を経て決まったはずの合意を揺るがす事件が2004年に発生した。これを解決する際合意の拘束性と活動の継続性に基づく可能性の排除と手続き主義的な公共性の確保との間に発生するジレンマの問題に直面した。担い手の活動を検討すると,理念からいえぽ厳密ではなかったり忘れたりという営みが含まれていた。それは,一時的にジレンマの中にあって可能性を保障し,担い手を成立させる営みでもあった。しかし,これは再びジレンマの中に回収されてしまう。最終的に選ばれた解決は,ジレンマを覆い隠すような権力性や知識であった。今後,こうしたジレンマを覆い隠していくものを解明していく必要がある。
著者
嘉田 由紀子
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.3, pp.72-85, 1997-09-20
被引用文献数
2

所有関係は、かつて人と人の関係としてとらえられてきたが、環境問題が社会問題化されるにつれて、人と自然のかかわりの中でアプローチする立場があらわれてきた。本稿は、これまで所有関係へのアプローチが観念的、制度的であった限界を越えて、人と自然のかかわりが埋め込まれている地域社会での日常的な生活実践の中から、所有意識とその実態を探る。方法は、写真による「資料提示型インタビュー」であり、余呉湖周辺を事例としてとりあげる。ここは、ひとつの村落が、湖、水田、河川から森林まで一括管理しているミニ盆地ともいえる複合生態系を有しており、生態的場の多様性にあわせた所有観をたどるのに格好の地域である。ここで明らかにされた所有関係の基本は、対象資源の生態的特性と空間、時間という組み合わせのなかで関係論的にきまってくる"重層的所有観"であり、「一物一権主義」という近代法の原則と大きく異なる。そこには〈総有〉ともいうべき基本原理が働いており、背景には、"労働"(働きかけ)と"資源の循環的利用"のなかで村落生活を維持しようとする生活保全の原理がはたらいている。
著者
霜浦 森平 山添 史郎 塚本 利幸 野田 浩資
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.8, pp.151-165, 2002-10-31
被引用文献数
1

本稿では,滋賀県守山市を中心として活動している「豊穣の郷赤野井湾流域協議会」を事例として,地域環境ボランティア組織の活動の二元性について検討していく。協議会は,守山市の住民が主体となって水環境保全活動を行なっている組織であり,その活動は2つの方向性をもっていた。協議会は,水量確保対策や清掃活動による水環境の保全を重視する「自立型活動」を行なうとともに,これまでの水環境の管理主体である行政,自治会,農業団体の協力,協議会活動への一般住民の理解を得るための「連携型活動」を行なってきた。協議会では,活動の2つの方向性をめぐって意見対立が起こった。本校では,まず,この意見対立の経過をたどり,協議会の活動が「自立型活動」と「連携型活動」の二元性を有することを示し,次に,協議会が2つの活動を両立し得た要因について考えたい。地域環境の維持・管理を行なう新たな担い手として,地域環境ボランティア組織の役割が期待されている。地域環境ボランティア組織には,自らの活動によって地域環境を保全する「自立」的側面とともに,従来の地域環境の管理の担い手と協力関係を形成する「連携」的側面が求められる。「自立」と「連携」の両立が地域環境ボランティア組織の課題である。
著者
猪瀬 浩平
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.12, pp.150-164, 2006

「よそ者」論の要点は,環境運動のダイナミズムを,それに関わる主体の問に存在する,当該地域の自然や社会組織との関わり,拠って立つ価値観の違いによって,説明する点にある。既に指摘されているように,「よそ者」や「地元」という枠組は,固定的なものではなく,常に変容の過程の中にあり,「よそ者」と「地元」との間に連続性を想定した上で,両者を分析概念として維持し,その間を揺れ動く人びとの生き方の様態を描写する必要がある。このような認識に立った上で,本論は,「よそ者」と「地元」との間の折衝を,文化人類学におごいて得られた「学習」論の知見を応用することによって,新たな枠組を模索するものである。そこにおいて,個体中心の知識詰め込み型「学習」モデルが批判され,実践の共同体に参加し,その技能や知識を学びながら,社会関係を再生産していく過程こそが,学習であると定義される。この考えによりながら,本論文では筆者が関わる都市近郊の農的緑地空間である「見沼田んぼ」の取組みを取り上げ,埼玉県の公共政策を受けてはじまった農園活動の中で生起する,「非農家」であるよそ者と「農家」である地元との折衝の過程を素描しながら,「学習」の過程として整理する。
著者
立澤 史郎
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.13, pp.33-47, 2007-10-31

市民調査は,観察会型,研究会型,運動型,政策提言型などに類型化でき,専門性と能動性という二軸で整理できる。なかでも社会的意思決定過程という機能を重視するならば,政策提言型市民調査のあり方を議論する必要がある。そこで政策提言を目指した野生生物保全市民調査を事例に,政策提言や政策関与に至らなかった理由や,専門性と能動性の動態を振り返り,政策提言型市民調査が乗り越えるべき課題を整理した。カモシカ食害防除活動では,新たな事実や新たな技術を示した点で市民調査の成果はあったが,問題の変化や専門化に対応した目的や手法の再設定ができず,経路依存的状況に陥った。「奈良のシカ」市民調査では政策提言に至ったが,それを実際に政策化する仕組みがなかった。また両事例とも専門家が運営に深く関与したが,前者では専門家の主導が市民の能動性低下と結びつき,後者では政策化を研究者に任せたことで必要な制度作りに市民の関心が向かわなかった。これらの経験からヤクシカ調査では,まず市民参加型調査を行い,そこで高い関心と調査技術を有した島民による市民調査がアレンジされた。政策提言型市民調査では,調査技術だけでなく政策化技術の専門家との協働が必要であり,専門家は市民調査の目的や市民の専門性・能動性を踏まえた上で適切なアドバイスを行う必要がある。このような経験を共有しながら社会的意思決定過程としての市民調査の可能性が今後探られるべきだろう。
著者
霜浦 森平 山添 史郎 植谷 正紀 塚本 利幸 野田 浩資
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.15, pp.104-118, 2009-10-31

地域の水環境保全に取り組む地域環境NPOには,関連主体との協働のための多様な活動の展開が求められている。滋賀県守山市の琵琶湖流域において地域水環境保全を行うNPO法人「びわこ豊穣の郷」では,会員間の活動理念,および財源確保の方法に関する会員間の意見の相違により,活動の志向性をめぐる2つの異なるジレンマに直面していた。1つめは,住民主体による自立的な水環境保全,および地域の多様な主体との連携という2つの活動の両立のあり方を背景とする,「自立/連携」をめぐるジレンマである。2つめは,NPO法人化に伴い増加した委託事業と無償ボランティア性に基づく実践的な活動の両立のあり方を背景とする,「ボランティア性/事業性」のジレンマである。この2つのジレンマの要因について,会員を対象としたアンケート調査結果を用いて分析した。会員は3つの「活動の志向性」(「調査重視」「連携重視」「地域重視」)を有していた。「自立/連携」をめぐるジレンマは,「地域重視」,「連携重視」という2つの「活動の志向性」の間で生じていた。一方,「ボランティア性/事業性」をめぐるジレンマは,「調査重視」志向,「地域重視」志向という2つの「活動の志向性」の間で生じていた。
著者
土屋 雄一郎
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.5, pp.196-209, 1999-11-20

産業廃棄物処分場の建設は、地元土地関係者と事業主体との交渉によって決められてしまう。意思決定過程において地域住民はこの問題から排除されており、自らの意向を反映させるための制度的な回路を持ちあわせていない。産業廃棄物処分場建設をめぐる紛争において問われていることは、地域住民の代表性の問題であるといえる。社会環境アセスメントは、意思決定において疎外された地域住民の意向を反映するために実施され、処分場計画をめぐる従来の合意形成のあり方に変更を迫った。それは、住民の生活について検討する視点を採り入れることで、利害関係の枠組みを地元と県事業団との関係から、村政と県政との関係へと転換することであった。一方、住民は紛争に巻き込まれた地域社会のなかで、自らの立場を安定した状態に保つため、積極的な態度の表明を一時的に預ける社会的単位として社会環境アセスを受け入れていく。村は交渉における主導権をある一面において握り、村政にとっての必要性をみたす政策的配慮を獲得する。しかしそれは、社会環境アセスに預けられた住民の主体性が、次第に追い込まれていく変容過程であった。住民の主体性は失われ、「意思表示の空白」が発生することになる。このことは、地域住民のみならず村にとっても意図せざる結果であった。
著者
多辺田 政弘
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.5, pp.51-70, 1999-11-20
被引用文献数
1

ボーダレスな経済の拡大が、地域の経済と物質の循環を破壊し、文化と環境の世代間の継承を困難にしている。しかし、ボーダレスな資本と市場は、自己増殖の永久運動を続けることはできない。それがエントロピー論の結論であり出発点でもある。自然は無限ではなく、エントロピーを捨てる能力に限界があるからだ。問題解決の道筋は、地域経済の自立化に向かって「物質循環の作動力」の一つである経済の流れを、地域の物質循環を回復する方向へ戻していくことにある。そのような視点から、エントロピー論の議論のなかでは、通貨と物質の循環に着目して提起されてきた「地域通貨」論の流れが生まれている。すなわち、信用(通貨循環)をいかに地域に埋め込むかという議論である。この議論の流れは、玉野井芳郎によるK.ポランニー研究に始まり沖縄経験のなかでの「琉球エンポリアム仮説」「B円通貨論」の考察を経て、中村尚司の「信用の地域化」論へ発展し、その後の地域通貨論(丸山真人、室田武ら)へと展開されてきている。ここでは、エントロピー論における地域通貨論の原点とでも言うべき玉野井の沖縄の地域通貨論の視角から、戦後の沖縄経済の流れを整理し、ポランニーの言う「地域社会への経済の埋め戻し」の具体化の方法を模索した。すなわち、「信用」を地域通貨循環と非市場部門(コモンズの経済)へ埋め戻すことによって、地域経済循環を再構築しようという試論である。
著者
熊本 博之
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
vol.14, pp.219-233, 2008

<p>普天間飛行場の代替施設の建設予定地である名護市辺野古(へのこ)区は,1959年に米軍基地キャンプ・シュワブを受け入れた。以来,辺野古の社会構造にはシュワブが深く埋め込まれていき,それゆえに現在辺野古は,新たな米軍基地の受け入れを拒絶することができずにいる。本稿では,環境正義の観点から,この辺野古においておきている問題を描出していく。</p><p>環境正義には,環境負荷の平等な分配を要請する分配的正義としての側面と,環境政策の決定過程への地域住民の民主的な参加を要請する手続き的正義としての側面とがある。本稿では分配的不正義が手続き的不正義を地域社会にもたらし,そのことがさらなる分配的不正義を地域社会にもたらす「不正義の連鎖」が辺野古において生じていることを明らかにした。また,手続き的正義を,制度レベルと行為レベルとに区別し,行為レベルでの手続き的正義を地域社会において実現することが最優先されなければならないことを指摘した。</p><p>なお「不正義の連鎖」の描出は,分析概念として環境正義を捉えることで可能になった。</p>
著者
立石 裕二
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.14, pp.101-118, 2008-11-15

現代の日本ではどのような環境問題が重視されているか,それは世代ごとにどのように異なっているか,そうした違いが生じるのはなぜか。本論文ではロジスティック回帰分析を用いて,ゴミ処理・処分場の問題原生林・湿地などの保全,原子力発電に伴う問題,遺伝子組換え食品の問題資源・エネルギーの枯渇という5つの環境問題のいずれを重視するかが,どのような要因によって規定されるか分析した。子どものころ注目を集めていた環境問題を現在でも重視しがちであるという「子どものころの記憶」仮説について検討したところ,10歳ごろに新聞で多く報じられていた環境問題と,現時点で重視する問題との間にゆるやかな対応関係が見られた。1950年代後半の原子力への注目を経験した50〜64歳世代が原子力問題を,1970年代のオイルショックを経験した30〜49歳世代がエネルギー問題を,1980年代末〜90年代初頭の自然保護ブームを経験した20〜24歳世代が保全問題を,それぞれ重視する傾向が見られた。学歴と環境意識,行政・科学技術への信頼と環境意識との結びつきかたにも,世代ごとに違いが見られた。たとえば,65〜79歳世代では高学歴の人がエネルギー問題を重視するのに対し,子どものころオィルショックを経験した49歳以下の世代では低学歴の人が重視するというねじれが見られた。
著者
飯田 哲也
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
vol.8, pp.5-23, 2002
被引用文献数
2

1998年に始まった「自然エネルギー促進法」の法制化を目指す市民運動は,2002年5月31日の参議院本会議で政府提案による「電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法」(以下,「新エネ利用特措法」)が成立したことで,一応の区切りを迎えた。過去3年間余りに及ぶ「自然エネルギー市民立法」は,超党派の国会議員約250名からなる自然エネルギー議員連盟と連携しつつ,エネルギー政策ではもちろん,環境政策としても,一時は大きな運動に成長した。しばしば「鉄の三角形」と形容される政・官・業からなる「旧い政策コミュニティ」が完全に支配してきた日本のエネルギー政策に対して環境NPOが大きな影響力を持ち得たケースとしては,例外的といってもよいと思われる。その「自然エネルギー市民立法」を通して,何が達成され,残された課題は何か。グリーン電力制度の登場なども視野にいれ,ここ数年間にわたる自然エネルギーを巡る市民運動を,自然エネルギー促進運動の中心的な立場にあった当事者の視点から検証を試みた。
著者
田中 求
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.8, pp.120-135, 2002-10-31

本稿は,1996年に商業伐採を導入したガトカエ高ビチェ村を対象とし,村人が商業伐採を導入した要因をローカル・コモンズの視点から検討し,さらに商業伐採を経て形成された村人の開発観を明らかにするものである。ソロモン諸島では,親族集団による土地所有が法的に認められている。ビチェ村における商業伐採は,慣習的な土地所有代表者を通して伐採契約が結ばれたが,その過程に実際の森林利用者である村人の参加はなされなかった。村人は新たな焼畑用地と収入源の必要性から伐採開始を事後承諾したに過ぎなかったのである。商業伐採の雇用労働には多くの村人が参加した。出来高制の伐採労働は過伐の原因となり,また月曜から金曜日までの終日雇用は,安息日を中心とする生活サイクルを混乱させるものであった。村人はロイヤルティとして1世帯平均4100ソロモン・ドルを得たが,金額の不満と分配の不平等は村人相互に不信感を植え付けた。村人は,商業伐採を経て,「森林資源の共同利用制度,サブシステンスによる食糧自給,平等な利益分配による村の人間関係を維持しつつ,行うべきもの」という開発観を形成し,村人主体の製材販売を試行している。
著者
才津 祐美子
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.12, pp.23-40, 2006-10-31

世界遺産への登録を地域おこしの切札のように考えている地域は少なくない。実際現在日本各地で行われている世界遺産登録運動は,枚挙に暇がないほどである。しかし,世界遺産登録は,当該地域に望ましいことばかりをもたらすわけではない。本稿で事例として取り上げる「白川郷」では,近年特に,この文化遺産の骨子である景観に「変化」が生じていることが問題として指摘されている。この場合の変化は,観光客急増に起因した「悪化」という意味で使われることが多い。しかし,「白川郷」で起きている変化は,<景観の「悪化」>だけではない。修景行為に伴う<景観の「改善」>もまた「白川郷」で起きている変化だといえるからである。つまり,「白川郷」では,<景観の「悪化」>と<景観の「改善」>の両方に変化が生じているといえる。しかしながら,実は,個々の変化を「悪化」と見るか「改善」と見るかは,評者によって違うのである。そこで必然的に,誰がそれを判断するのか,ということが問題になってくる。また,<景観の「悪化」>であろうと<景観の「改善」>であろうと,それらの変化が「白川郷」に暮らす人々の生活に直結しているということも重要である。にもかかわらず,従来景観の変化が取り沙汰される場合,その点が軽視されがちであった。そこで本稿では,住民と「専門家」という二つの行為主体に関する考察を軸に,生活者である住民の視点に留意しつつ,現在における景観保全の在り方の問題点を明らかにした。その際これまでほとんど指摘されてこなかった,世界遺産登録後の<景観の「改善」>のための規制強化に着目し,検討を加えた。