著者
定松 淳
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.16, pp.139-153, 2010-11-10

本稿は,埼玉県所沢市周辺地域におけるダイオキシン問題に対する公害調停運動を,フレーム調整の視角に基づいて分析する。1990年代この地域には無数の産業廃棄物焼却施設が集中していた。施設近隣の住民は運動を開始したが,なかなか広がらなかった。95年に科学者の協力を得て,高濃度のダイオキシンが排出されていることを明らかにしたことから,住民運動は大きく拡大した。つまり「ダイオキシンによる環境汚染」へのフレーム転換が成功したといえる。しかし拡大した住民運動は,「地域への産廃施設の集中」へとフレームの再調整を行い,埼玉県行政との対決姿勢を強めていった。これは,「ダイオキシン」という情報によって問題の存在を知らされた「新住民」たちが,自分たちの問題として主体的に問題を捉え返そうとした過程であった。そこには,ほかでもない自分たちが生活する地域の問題であるという「限定」に基づく強い当事者意識がある。「誰も当事者である」というかたちで今日広がった環境意識を相対化してゆくさい,この「限定」の契機は重要であると考えられる。
著者
西崎 伸子
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.10, pp.89-102, 2004-11-30

アフリカの国立公園の周辺では,住民参加型保全を通じて,地域住民を排除する原生自然保護による失敗を克服することが試みられている。本稿では,東アフリカ,エチオピアのマゴ国立公園を事例に,住民主体の資源管理の実態を明らかにする。マゴ国立公園周辺に位置する一部の村落では,1994年に住民が公園自警団を結成し,密猟対策を始めた。自警団結成の背景には,従来のゾーニング手法にもとつく野生動物保護に対する住民の抵抗に加えて,住民が公園内での養蜂を強く望んでいたこと,野生動物の減少に対して危機感をもっていたことがあった。自警団活動は,狩猟を通して結ばれた既存の社会関係に支えられており,自警団メンバーを通して村落内部に「狩猟の自主規制」という新たな規範がつくられつつあった。また,公園スタッフとの対立を緩和する役割を自警団メンバーが担っており,実質的な「住民主体の資源管理のしくみ」が形成されたといえる。本稿の事例から,エチオピアの野生動物保護をめぐる国家と住民の硬直した対立構造を開く方策として,行政と地域住民の共同管理(Collaborative Management)の可能性が見出せる。住民が主体的に資源管理のしくみを形成し,維持していく鍵は,人と環境の多面的な関係の中に埋め込まれた,地域社会に固有の社会関係を生かしてこそ,可能になるのではないだろうか。
著者
中野 康人 阿部 晃士 村瀬 洋一 海野 道郎
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.2, pp.123-139, 1996-09-20

本稿は、環境問題を社会的ジレンマの視点からとらえ、個人の合理的な行為に焦点を当てることにより、問題解決を目指そうとするものである。ここでは、ごみの排出量を減少させることについて、協力行動をしようと考える行為者と協力行動をしないと考える行為者との違いを探ることにより、協力行動の促進要因や阻害要因を明らかにする。1993年11月に仙台市内の1500世帯を対象に実施した調査データに基づいて、過剰包装拒否、使捨商品不買、資源回収協力、コンポスト容器利用の4つの行動について、その行動を実行する協力意志に影響する要因を分析した。判別分析によると、いずれも行動に対する規範意識がもっとも強く協力意志に影響するという結果が出たが、要因間の構造を見るために、規範意識とコスト感と心配度の3変数をPOSA(Partial Order Scalogram Analysis)に投入した。その結果、行動によって要因間の構造に差が見られた。使捨商品不買とコンポスト容器は、コスト感と心配度が改善されないと、規範意識が高まりにくく(規範後発ルート、資源回収協力は、コスト感が高かったり、心配度が低かったりしても、規範意識は高くなりうる(規範先発ルート)のである。各要因を制御する際には、こうした構造の違いを考慮に入れなければならない。
著者
原口 弥生
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
vol.16, pp.19-32, 2010

本稿は,2005年夏にアメリカ南部で発生した大規模水害を事例として,環境社会学的アプローチによる災害研究の可能性を探ろうとするものである。Erikson(1991)が指摘したように,産業災害は「汚染」を引き起こし,「自然災害」は物理的「破壊」をもたらし,環境への影響も短期間で修復されるというのが伝統的な自然災害の認識であった。05年8月末のハリケーン・カトリーナ災害は,このような自然災害にかんする伝統的パラダイムの転換を確定的なものにしたと言われる。本稿では,カトリーナ災害で都市の8割が水没した米国南部ニューオリンズを中心として,地域環境史という視点からみた都市の脆弱性の増大を指摘したうえで,近年の災害研究で注目されている「レジリエンス」(復元=回復力)概念の再検討を行う。従来,レジリエンス(resilience)概念は社会的脆弱性と強い結びつきをもって議論され,地域社会内部の組織力,交渉力,外部とのネットワークなど社会関係の構築に焦点をあてて議論されてきた。本稿では,この概念の射程を社会関係から社会と地域環境との関係性まで広げ,賢明な地域環境の管理による「持続可能なハザード緩和」という災害対応の文脈から,このレジリエンス概念の再定義を目指す。
著者
菊地 直樹
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.14, pp.86-100, 2008-11-15
被引用文献数
2

兵庫県北部の但馬地方のコウノトリの野生復帰プロジェクトは,放鳥第2世代の誕生を受け,新たな段階に入ったといえる。野生復帰とは人が何らかの関与をしながら,あるべき自然の姿としての「野生」をめざしたさまざまな取り組みの総体であるが,目標である「野生」は曖昧で,改めて問われることがない。人がどのように関与していくのかもほとんど議論されることはない。現場レベルでは,給餌の是非など「野生」をめぐって齟齬が見られなくもない。人里を舞台とするコウノトリの野生復帰では,必然的に価値基準や現状認識が多様化してしまう。どのような価値に基づき,どのように人が関与しながら,野生復帰を推進していくのかという見取り図は必要であろう。本稿では,「野生」を関係的な概念としてとらえ直した。人による動物への関与の強弱という軸と動物への価値付与という軸から,人と動物のかかわりを再野生化-家畜化のプロセスとしてとらえ,図表を提示した。「野生」と「家畜」は動的な存在であり,人と動物のかかわりによって,動物はこの象限内を移動する。コウノトリの野生復帰の取り組みをこの図に従い再考すると,再野生化という一方向に進んでいるのではなく,再野生化と家畜化の間を「行きつ戻りつ」している。正解のない「野生」をめぐるさまざまな論理や価値や感情を試行錯誤しながらつなげ,多様な主体問での目標や地域の未来像を絶えず構築し続ける仕組みが求められる。この課題に対して,「聞く」という手法を持つ環境社会学者が果たしうる役割について指摘した。
著者
金城 達也
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.17, pp.141-155, 2011-11-20

本稿は,地域社会の環境管理における主体の正統性が,自然とのかかわりによって形成された規範意識によって保証されていく過程を考察するものである。事例地となる沖縄県国頭村楚洲集落では2008年から地域おこし事業が展開された。事業では,サンゴ礁漁業によって形成された規範意識が現在における正統性を保証する要因のひとつとして利用されていることが明らかになってきた。本稿では,自然とのかかわりにおいて形成された規範意識がなぜ現在の地域環境管理における主体の正統性を保証するものになり得たのかという問題関心に対し,自然-社会の関係性の曖昧さという観点から考察するものである。その結果,楚洲集落のサンゴ礁漁業におけるメンバーシップや収穫物の分配方法の曖昧さが,規範意識や集落内外の社会関係を築くために重要な役割を担っていたことが明らかになった。また,その関係性の曖昧さゆえに,現在における地域おこしにおいても主体の正統性を保証するものとして有効性をもっていることが明らかになった。正統性の議論では,他者排除性の軽減や試行錯誤を保証するしくみの重要性が課題とされる場合がある。本稿で扱う事例のような関係性から生み出される正統性には,他者排除性を軽減するしくみや,試行錯誤を保証するしくみが備わっている可能性がある。
著者
金城 達也
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
vol.17, pp.141-155, 2011

<p>本稿は,地域社会の環境管理における主体の正統性が,自然とのかかわりによって形成された規範意識によって保証されていく過程を考察するものである。</p><p>事例地となる沖縄県国頭村楚洲集落では2008年から地域おこし事業が展開された。</p><p>事業では,サンゴ礁漁業によって形成された規範意識が現在における正統性を保証する要因のひとつとして利用されていることが明らかになってきた。</p><p>本稿では,自然とのかかわりにおいて形成された規範意識がなぜ現在の地域環境管理における主体の正統性を保証するものになり得たのかという問題関心に対し,自然-社会の関係性の曖昧さという観点から考察するものである。</p><p>その結果,楚洲集落のサンゴ礁漁業におけるメンバーシップや収穫物の分配方法の曖昧さが,規範意識や集落内外の社会関係を築くために重要な役割を担っていたことが明らかになった。また,その関係性の曖昧さゆえに,現在における地域おこしにおいても主体の正統性を保証するものとして有効性をもっていることが明らかになった。</p><p>正統性の議論では,他者排除性の軽減や試行錯誤を保証するしくみの重要性が課題とされる場合がある。本稿で扱う事例のような関係性から生み出される正統性には,他者排除性を軽減するしくみや,試行錯誤を保証するしくみが備わっている可能性がある。</p>
著者
鬼頭 秀一
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.4, pp.44-59, 1998-10-05
被引用文献数
1

環境運動には往々にして、当該地域の住民だけでなく、特に都会などの地域外の「よそ者」がかかわっている。環境運動の担い手たちが、当事者の利害を越えた普遍的な環境運動の理念を掲げる一方で、「地元」の開発賛成派の人たちが、外から来た環境運動の担い手に対して「よそ者」というスティグマを投げつける事例は枚挙に暇がない。この「よそ者」が環境運動の中でどのような役割をしているのか、そして、「よそ者」と「地元」はその運動の中でどのように変容していくのかを、諫早湾と奄美大島の「自然の権利」訴訟の事例を引きながら、理論的な探究を行なった。しかし、「よそ者」論は、環境運動の分析を、固定された「よそ者/地元」の図式で行なうことではない。そもそも「よそ者」は地域に埋没した生活では得られにくいより広い普遍的な視野を環境運動に提供し、ごく当たり前だから気づかされない自分たちの自然とのかかわりを再認識するなどの新たな視点を外から導入する役割がある。さらに、その「よそ者」はその当該の地域の人たちの生活や文化との関係の中で、その文化に同化するなど、変容を遂げていくことは多く見られる。「よそ者」も「地元」も運動の進展の中で相互作用しながら変容していくものとして捉え、環境運動の構成員のダイナミックな動きを、あるがままに捉えるための分析ツールとして考えることが必要である。この「よそ者」論は、環境社会学の方法論的な問題をも提起する。環境運動を分析する研究者は「よそ者」であり、環境運動をより普遍的な枠組みで分析し、意味づけをする役割を果たすと同時に、運動の当事者の思いや地域の生活や文化に共感と理解をもって迫ることになる。その作業は、被害者や生活者に視点を定めた研究であることを越えて、環境運動に対して普遍的観点からの何らかの評価-直接的な評価ではなく、メタレベルでの普遍性を含んだ評価-を与えることが必要になってくる。
著者
Broadbent Jeffrey
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.3, pp.121-128, 1997-09-20

This paper investigates the causes for the start of the cycle of environmental protest in Japan in the mid-1960s. Some argue that a broad cycle of protest starts when stimulated by sudden short-term openings in the political opportunity structure (POS). Alternately, others argue that a closed POS is more likely to generate a cycle of protest. In studying the Japanese case, this paper finds that while short term openings in the POS stimulated the broader cycle, they were not necessary for the later cycle of environmental protest. Rather, when the POS rejected their formal complaints, communities mobilized unruly protest throughout the nation. The findings support a two-stage model: initial POS openness, but later POS rejection of political demands based on this new frame.
著者
田窪 祐子
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.8, pp.24-37, 2002-10-31

本稿は,社会運動や自治体など政策過程に関わる諸主体の活動の「結果outcome」に注目して,エネルギー政策転換の可能性を左右する要因を検討しようとするものである。日本と,原子力・化石燃料から再生可能エネルギー重視へとシフトした西欧諸国,とくにドイツにおける,エネルギー政策の決定段階および実施段階における諸主体の役割の検討を行う。仮説的な結論として次の2点を提示する。国レベルの抜本的政策転換は,ドイツの脱原子力合意がなされた過程からみても,必ずしも直接的な「市民参加」を要請するものではなくむしろその逆である。逆に実施段階における新たな代替案としての再生可能エネルギーの導入には,アドボカシーのみではなく実践を行っていく運動がカギになる。
著者
飯島 伸子
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.6, pp.5-22, 2000-10-31

公害問題は,一般的に過去のものとみなされる風潮が生まれて久しい。本稿は,この風潮に対し,公害問題は地域社会においても,国際的規模でもいまだに発生している実態があるとの問題提起をおこなっている。さらに,国際的規模における公害・環境問題と地域規模における公害問題を含めた加害-被害関係の新たな枠組提示も,各地の調査結果を踏まえておこなった。
著者
小野 有五
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.12, pp.41-56, 2006-10-31

北海道のシレトコ(知床)は,2005年7月,ダーバンでのユネスコの会議で正式に世界自然遺産に登録された。しかし,シレトコを世界遺産候補地として国内で決定する過程において,アイヌ民族はまったく関与できなかった。しかし,アイヌ民族の「代表」組織である「北海道ウタリ協会」だけでなく,アイヌ民族のいくつかのNPO団体がIUCN(国際自然保護連合)に対してシレトコ世界遺産へのアイヌ民族の参画を求める要請を個別に行ったことで,最終的にIUCNは,アイヌ民族がエコツーリズムを通じてシレトコ世界自然遺産の管理計画に参画することが重要であるという勧告を出した。本論ではまず,日本の社会において,このような異常とも言える事態が起きた要因を分析する。この分析にもとづき,アイヌ民族がおかれている現状を環境的公正とガヴァナンスの視点から考え,先住民族のガヴァナンスを実現する手段としてのアイヌ民族エコツーリズムの戦略について検討する。本論は,研究者が自らの「客観性」や「中立性」を重んじるあまり,自らを常に対象の外において現象の記述に終始し,研究者自身が問題に介入することを避けてきたことや,問題が一応の解決を見てから「研究」を始める,という姿勢への批判的視点にたっている。シレトコ世界遺産問題を具体的な事例として,研究者=運動者という立場から今後の環境社会学の研究のあり方について考えたい。
著者
川田 美紀
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.12, pp.136-149, 2006-10-31

本稿は,ローカル・コモンズを分析の対象として,人びとと自然との問にどのような直接的な交流がなされているのか具体的に示すことを目的とする。それを示したうえで,自然を「保護」するために人びとはどのような規範をもっているのか検討する。具体的には,茨城県の霞ヶ浦周辺村落を事例として,1930〜50年頃の自然の共同利用を,空間・時間・属性・規制という4つの側面に整理して記述する。その結果明らかとなったことは,次の3点である。第1に,地域にはさまざまな資源の共同利用が重層的に存在しており,それぞれの利用で規制のあり方が異なっているということ,第2に,水田のような私有地さえも,ある条件下では共同利用空間になるということ,第3に,共同利用の規範には,制裁的なものから,楽しみとしての利用を肯定するようなものまで存在するということである。
著者
岩井 雪乃
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.7, pp.114-128, 2001-10-31
被引用文献数
2

アフリカの自然保護政策は,人間を排除する「原生自然保護」からの転換期を1980年代にむかえ,「開発か保護か」の二元論を脱却する施策として「住民参加型保全」が試みられている。しかしこの政策は,いまだ生態系の保全を重視する傾向が強く,その法規制と住民生活の実態には大きな乖離が見られる。本稿では,セレンゲティ国立公園に隣接して暮らすイコマの生活実践を事例に,この乖離点を明らかにし折衷の方向性を見出すことを試みる。イコマは政府によって狩猟が規制される以前から,野生動物を自給だけでなく商業的にも利用してきた人びとである。1970年代に規制が強化されると,パトロールに見つかりにくくかつ彼らにとって効率的な猟法を編み出し,現在では専業化と分業化の傾向を強めながら狩猟を継続している。これらの変化の中で,セレンゲティ地域における人と野生動物の距離は過去に比べると「遠く」なっている。しかし数年に一度「ヌー騒動」を経験するイコマは,野生動物との関係を比較的「近く」保っているといえる。本稿に見るイコマの実践は,「科学的」な研究にもとづいて猟法を規制し,利用可能な動物個体数を制限する政策とはかみ合わないが,その一方で,歴史的に利用してきた野生動物という資源を今後も持続的に利用していくことでは政策との接点が見出せるのである。