著者
山崎 彰
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 = Socio-economic history (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.81, no.4, pp.587-608, 2016

本研究は,ブランデンブルクの貴族家であるマルヴィッツ家を対象として,19世紀に同家の所領(農場)の所有形態がレーエン(封)から世襲財産へと移行した歴史的意義を検討した。レーエンでは所領は狭く領主家に限らず,親族全体の経済的基盤としての意味を持たされ,遺産相続においては共同相続人に対する平等の分割を前提としていた。しかし18世紀に領主家によるフリーデルスドルフ領の開発が進み,所領の評価価値が上昇するにつれ,共同相続人に対して遺産配分のために発行される抵当債券の残高が増大し,かえって領主家の財務状況を悪化させた。領主家は,18世紀後半には富裕な貴族家との縁組みを通じた嫁資の獲得によって債券の回収をはかったが,しかし19世紀前半には農場収益の大半が利払いによって費消されるほど,財務状況は悪化した。マルヴィッツ家によるレーエン制の廃止と世襲財産の導入(1854年)は,新規借入を停止し,農場資産の一括した継承権を長子に認めた上で,相続人から傍系男子親族を排除することによって,貴族家における親族制度の解体と小家族制の成立を意味するものとなった。
著者
國 雄行
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.67, no.6, pp.647-669, 2002-03-25 (Released:2017-06-16)

The purpose of this paper is to clarify the agricultural policy of the Ministry of Home Affairs by analyzing National Industrial Exhibitions, agricultural meetings, agricultural communications and agricultural districts. Since research up till now has concentrated on the technical aspects of the Ministry's agricultural policy, for example the introduction of western technology, the policy has received a negative evaluation. However, this evaluation is challenged by the new analysis of the institutional aspects of agricultural policy undertaken in this paper. National Industrial Exhibitions and agricultural meetings promoted domestic industry and encouraged farmers, while agricultural communications helped to set up agricultural exhibitions and spread knowledge about agriculture all over Japan. On the other hand, agricultural districts, which had been conceived as a way of encouraging agriculture, only served to define the routes followed by agricultural inspectors. In conclusion, it is clear that the negative evaluation of the Home Ministry's agricultural policy is somewhat distorted. A positive contribution was made to the development of agricultural techniques, to the growth of an agricultural information network, and to reforming the way in which farmers thought.
著者
本野 英一
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.75, no.3, pp.249-267, 2009

本稿は,中国最初の商標法となる筈だった「商標註冊試〓章程」の制定施行が無期延期になってから,第一次世界大戦終了期まで,在華外国企業と華商・華人企業の間で外国製輸入商品の商標権をめぐって何が起きていたかを,日本企業を中心に考察した論文である。華商・華人企業が日本企業保有の商標をその模造の対象とするようになったのは,1909年の鐘淵紡績の藍魚綿糸商標侵害事件がきっかけだった。この事件以来日本企業は,華商・華人企業による商標権侵害に悩まされることになった。だが,これは当時の中外間商標権侵害紛争の一面に過ぎない。日本企業は,華商・華人企業によって一方的に商標権を侵害されてばかりいたのではなかった。彼らは,西洋企業製品の模造品を製造販売する時は,華商・華人企業と提携した。両者の提携は,当初華商・華人企業が日本人製造業者を利用する形で始まっていたらしい。しかし,第一次世界大戦期になると,今度は日本人製造業者が,華商・華人企業を利用するようになっていた。それは,中国全土に広かっていた日貨排斥運動への対策として,欧米企業製品の模造品を製造販売するためであった。
著者
杉浦 勢之
出版者
社会経済史学会
雑誌
社會經濟史學 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.31-61, 1990-06-30
被引用文献数
2

Postal savings in Japan, after sluggish years in the latter 1890s, began a period of rapid progress early in this century, i. e. the time of the Russo-Japanese War from 1904 to 1905, through the development of savings promotion policy by the Japanese government. And in 1905, during the Russo-Japanese War, postal savings reached 50 million yen. After the war this increasing trend continued, and only three years later, in 1908, postal savings exceeded 100 million yen. The postal savings system began in 1875, and during the next 30 years, including the Russo-Japanese War, it reached 50 million yen, but due to the special environment created during the war, it was only three years after the war that 50-million-yen figure doubled, to 100 million. The largest factor for this remarkable progress in the postal savings was that the Japanese government paid the national treasury disbursement to individuals, increased due to the Russo-Japanese War, throngh postal savings instead of paying in cash. Therefore, the increase in postal savings during this period was not really a reflection of direct deposits, but was rather due to political reasons. Furthermore, in order to limit drawing out from the postal savings, the Japanese government decided to continue its savings promotion policy. The main reason why the government adopted this policy was to prevent a large influx of financial funds into the industrial circulation created by the war, to avoid a rapid change in domestic demand that might have initiated a post-war economic crisis, such as rising prices, increased demand for imports, and a conversion crisis. Additionally, the Japanese government tried to strengthen the supply capacity of domestic low-productivity sectors, by limiting the use of savings produced through the savings promotion policy to productive investment. This was one political measure Japan took during this period to cope with the international balance of payments imbalance. It can be said that the development of Japanese postal savings after the Russo-Japanese War reflected the position of the Japanese economy in the world economy.
著者
山川 信夫
出版者
社会経済史学会
雑誌
社會經濟史學 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.20-41, 1944-04-15
著者
佐藤 千登勢
出版者
社会経済史学会
雑誌
社會經濟史學 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.73, no.6, pp.635-656, 2008-03-25

本稿は1932年1月にウィスコンシン州で成立した失業補償法の制定過程を法案の作成から州議会における審議までを追うことによって,アメリカにおける失業保険制度の歴史的起源を探ることを目的としている。同法は全米初の失業補償制度を確立した画期的な労働立法として一般的に高く評価されている。しかし本稿では州政府や企業の裁量性を大きく認めた連邦失業保険制度の限界がウィスコンシン州失業補償法のあり方に由来するのではないかという観点から,同法の背後にある思想を明らかにするとともに,それがいかなる政治状況の下で生み出されたのかを考察する。なかでも同州での立法に際し中心的な役割を果たし,のちにフランクリン・ D ・ローズヴェルト政権下で社会保障法の制定に尽力した「ウィスコンシン派」と呼ばれる人々の思想とそれに対抗する諸勢力との関係,立法に反対し自主プランの普及を求めた実業界の動き,大恐慌の下でのフィリップ・ラフォレット知事の政策運営,州議会での共和党革新派と正統派の投票行動などに着目することによって,同法の内実を明らかにする。
著者
松沢 裕作
出版者
社会経済史学会
雑誌
社會經濟史學 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.78, no.4, pp.565-584, 2013-02-25

本稿の課題は,1872年から73年にかけて発行されたいわゆる「壬申地券」のうち,農村部における地券(郡村地券)の発行の意義を,貢租徴収との関連で考察することにある。地租改正本体(「改正地券」交付)に先立って実施された壬申地券交付事業については,近代的所有権の導入がなされたという評価が通説的地位を占めているが,村請制の存続という事実を考慮に入れるならば再検討の余地があると考える。本稿では,まず政策過程の分析から,廃藩置県以前の大蔵省が検地の回避と検見の実施を基本方針としていたこと,それが民部省の批判と廃藩置県後の状況によって破綻し,すでに1869年に神田孝平が提起していた沽券税法が一挙に採用される経緯を明らかにした。次いで,実際に壬申地券の発行がなされた武蔵国比企郡宮前村の事例を分析し,村請制と旧貢租の存続という条件のもとでは,測量の結果がそのまま地券に直結することは不可能であり,地券記載の土地面積は,村内土地所有者相互の相対的な比率を表示するものにとどまることを示した。
著者
土井 徹平
出版者
社会経済史学会
雑誌
社會經濟史學 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.76, no.1, pp.3-20, 2010-05-25

本稿では,足尾銅山と尾去沢(おさりざわ)鉱山を対象として,1900年代から1910年代における鉱業の労働市場と雇用の特質について考察した。近代の鉱山には,「坑夫」(採鉱夫・支柱夫)の同職集団である「友子(ともこ)」が存在しており,坑夫は友子を通じて同職者の「渡り」(鉱山間での移動)を保障するとともに就職の斡旋を行った。また友子は,内部で技能伝承を行うことで,市場に対し熟練労働力を供給する役割を果たしていた。したがって近代の鉱業の雇用あるいは労働市場の特質を明らかにするためには,友子を介した雇用の実態を解明する必要がある。しかし友子と雇用との関係については研究の蓄積がなく,友子の発達が労働市場に及ぼした影響についても,はっきりした結論が得られていない。このことをふまえ本稿では,友子の運営資料を用いることで,鉱山の雇用の実態を分析した。そして,友子を介した「渡り」や技能伝承の結果,近代の鉱山では労働力の需給バランスが保たれていたこと,そして市場構造に地域的な差異があったことを明らかにした。
著者
大峰 真理
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.79, no.1, pp.63-83, 2013

18世紀ナントがフランス第一の奴隷貿易港であり,王国を代表する国際商業都市であったことは,比較的よく知られている。なかでも世紀後半については,シャン・メイェールが史料「船乗り登録簿」(のちの分類名「船舶艤装申告書」)を分析して,奴隷貿易の進展を明示するとともに,ヨーロッパ沿岸貿易とアンティル諸島直行貿易の安定した成長を実証した。メイェールによる精緻な研究成果は,その後のナント海運史研究者と奴隷貿易・制度史研究者に受容され続けている。しかし彼がおこなった「18世紀前半は,記録の欠落が深刻である」という断定的な指摘は,世紀前半にかかわる史料調査と実証研究を限定してしまった。本稿は,筆者自身によるおよそ5年間の史料調査の結果『船舶艤装申告書一覧1694-1744年ロワール=アトランティック県文書館(フランス・ナント)Serie 120 J』(千葉大学,2011年)をもとに,記録情報を数量化し,最初の分析を試みて,研究史の欠落を補完しようとするものである。その結果は,18世紀前半ナント海運業の基軸分野の所在を明らかにするとともに,今後の歴史研究の展望を示唆するだろう。
著者
猪谷 善一
出版者
社会経済史学会
雑誌
社會經濟史學 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.113-137, 1931-05-10
被引用文献数
1
著者
白鳥 圭志
出版者
社会経済史学会
雑誌
社會經濟史學 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.81, no.1, pp.95-110, 2015-05-25

高度成長期の拓銀は都市銀行他行に追いつくべく強度な上昇志向を示した。しかし,エネルギー革命による道内産業の衰退もあり,1960年代半ば以降,本州内で六大銀行型経営の実現を目指した。しかし,既に拓銀が大企業向けの貸出市場に参入する余地はなく,結果的に首都圏の中小企業金融機関化した。また,預金中心の業容拡大は,特に70年代前半には恒常的な遊資体質をもたらした。ここに80年代の経営行動の歴史的前提条件が形成された。
著者
林 彦櫻
出版者
社会経済史学会
雑誌
社會經濟史學 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.81, no.1, pp.3-23, 2015-05-25

戦前から「過剰」と言われる零細小売業は1950年代後半から80年代初頭にかけて外部環境の変化にもかかわらず一貫して増加した。その背景として,市場の拡大と消費構造の変化等様々な要因があるが,本稿は店主の供給源に着目し,この間の零細小売業内部の変化を検討した。店主の供給源を家業継承者,前職店員の独立開業者と,その他の開業者に分けてみると,これらの類型には業種分布の違い,開業パターンの違い,更に存続期間の違いがみられた。1970年代以降,家業継承者と独立開業者という供給源は相対的に縮小しつつあると推測される。それは家業継承者の就業選択の変化と若年店員の減少等の供給側の要因がある一方,技術の発展,流通機構の変化,規制の緩和とともに,従来では斯業経験が必要な業種でも参入障壁が低くなり,家業継承者と独立開業者の存立基盤が縮小したことも重要な要因であると考えられる。1980年代以降,後継者難や廃業率の上昇によって零細小売業が急激に衰退するが,この時期の供給源の変化はその端緒であると考えられる。