著者
深谷 潤 フカヤ ジュン FUKAYA JUN
出版者
西南学院大学
雑誌
西南学院大学人間科学論集 (ISSN:18803830)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.41-56, 2018-08

山本七平の思想における「日本教」の特徴と問題点について、特に日本社会におけるキリスト者との関係から考察する。
著者
尹 芝惠
出版者
西南学院大学
雑誌
若手研究(スタートアップ)
巻号頁・発行日
2006

本研究では,岡山県に残された朝鮮通信使の足跡について,主に絵画作品を中心に調査研究してきた。岡山藩における通信使の宿館であった牛窓の本蓮寺には,多くの墨跡や調度品が残されている。このことは,従来から知られてきたことではあるが,本研究における聞き取り調査において,第二次大戦中に憲兵がその遺物を持ち去って破壊しようとしていた事実が明らかとなった。このことは逆説的に,通信使が先進文化を伝えたことが周知の事実であったことを物語っている。破壊をおそれて遺物を隠匿し,また通信使を話題にさえ出さなくなったために,同じく牛窓に伝わる「唐子踊り」はいまだに伝承経路さえ明らかにされ得ないのであろう。また,四宮家から船団図が発見された下津井,あるいは足守においてもフィールドワークを展開したが新たな成果を上げることはできなかった。本研究において特筆すべきは,倉敷市連島にある宝島寺における調査である。「米友仁を倣う」と但し書きされ「李金谷」の落款がある水墨山水画,王勃『滕王閣序』の一節を屏風に仕立てたものに関しては,寺に残された文献には通信使との関わりが示唆されているものの,真偽のほどは不明である。とりわけ後者は,詩の途中から書き始められていること,誤字脱字があること,詩の連の順番を間違えていることなどから,偽作の可能性が高いが,そうでなければ使臣の誰かが練習用に書したものを日本人がこっそり持ち帰り寺に寄進したのではないかと推測される。制作年代の特定が急がれる。また,第10回の朝鮮通信使の随行員朴敬行らと岡山藩士近藤篤との筆談集『停嵯邂逅録』,および「矢上山」の扁額が第10回の朝鮮通信使に随行した金啓升の手によるものであることも久しく忘れられていた(李元植による詳細な目録,「筆談唱和集総目録」や「通信使の遺墨」にも記載されていない)が,本研究において再び明るみに出された。
著者
松見 俊
出版者
西南学院大学
雑誌
西南学院大学神学論集 (ISSN:03874109)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.127-146, 2005-03-11
著者
加藤 浩 山村 英司
出版者
西南学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

本研究ではSocial capitalが産業発展にどのように関係しているかを分析した。実証的な結果より、Social capitalは人的資本の形成を促し、ローカルな需要を高めることが分かった。これらの実証結果から、Social capitalは供給面、需要面の双方から産業発展を促すことが明らかになった。理論的な分析では、需要の不確実性が産業発展に与える影響について焦点を当てた。大きな発見としては、不確実性が大きいほど産業ライフサイクルが短くなるというものである。したがって、Social capitalが需要の不確実性にどのような影響を与えるかを明らかにすることが今後の研究課題となる。
著者
山本 健
出版者
西南学院大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2013-04-01

本研究では、1970年代後半から80年代初頭のヨーロッパにおける緊張緩和の国際政治過程の史的検討を行った。特に、NATO内でのデタント研究と1980年~81年に起こったポーランド危機に注目し、西側同盟内の構想を分析した。その結果明らかになったのは、1975年以降、さらなる緊張緩和を進める上で、西側諸国は具体的にどの分野で東側陣営と協力を進めるのかについてコンセンサスを形成できないまま、新冷戦と呼ばれる新たな対立の時代に突入していったというものであった。
著者
小森 雅子
出版者
西南学院大学
雑誌
西南学院大学法學論集 (ISSN:02863286)
巻号頁・発行日
vol.32, no.4, pp.47-75, 2000-03-10
著者
上垣 彰 田畑 伸一郎 丸川 知雄 亀山 康子 堀井 伸浩 佐藤 隆広
出版者
西南学院大学
雑誌
新学術領域研究(研究領域提案型)
巻号頁・発行日
2008

ロシア・中国・インドの3つの地域大国の比較経済研究を通じて、次のことを明らかにした。第1に3国の経済改革を促した条件には共通性があること、第2にその後の改革の過程は区々であったこと、第3に現在3国が直面する課題には共通性があること。現在直面する課題とは、国内産業の生産性向上と社会的格差の縮小である。
著者
土方 久
出版者
西南学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2010

複式簿記を包摂して「会計」に進化するとしたら、簿記と会計の接点にあるのは「年度決算書」。世界で最初に規定されたのは17世紀の中葉。簡便ないし簡単な簿記としての「単式簿記」を頼りに「財産目録」の貸借対照表を作成することが普通商人(小売商)にのみ規定されたのである。大商人(卸売商)および銀行家に規定されることがなかったのは、すでに、17世紀、18世紀に、複式簿記を頼りに「損益勘定」と「残高勘定」を作成、この残高勘定を貸借対照表の代用にしえたからである。しかし、ドイツに複式簿記が普及するのは19世紀の中葉。「損益勘定」に相当する「財産目録の検証表」まで作成しなければならなくなると、単式簿記は複雑ないし煩雑な簿記に陥ってしまい、むしろ、退化して、複式簿記に融合することになる。さらに、株式会社が急増する19世紀の中葉に、ドイツ株式法、ドイツ商法によっては、貸借対照表に併存して、「損益計算書」も作成することが規定されることから、複式簿記に、最終的に融合したにちがいない。
著者
金 尚均
出版者
西南学院大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1999

「環境保護刑法の研究」の二年目にあたる本年度は、現代社会における刑法の機能・機能化との関連から、また、企業の通常の生産活動から生じる環境汚染との関連から、環境保護のための刑法のあり方や可能性について検討した。科学技術の発展による文明生活の発展と近代化の過程において、未知の危険とこれが人に与える脅威の潜在的可能性が高まっている。ここで焦点を当てられる「危険」とは、個人的法益ないし社会的法益としての「危険」を越えて、社会問題としての、常在する危険のことである。これは、危険のグローバル化とか、危険の社会化とも呼ばれることがありますこれに対処するため、刑法を機能的に理解する見解が有力化している。その現れの一つとして、法益保護のために処罰段階の前段階化・早期化の傾向がある。危険犯、とりわけ抽象的危険犯が多用化されている。ドイツにおいて環境汚染に対して刑法をもって規制されているが、その効果や執行状況が思わしくないということは、衆目の一致するところである。この原因の一つとして、近代刑法の処罰客体が「個人」であったことにある。これに対して、企業による大規模な環境汚染については、実務上また理論上も根本的な対策が執られてこなかった。近年では、企業を一つの有機的なシステムとして捉え、これに対して刑事的に問責する主張が行われている。これに加えて、企業に対する刑罰的制裁として企業に対する後見制度が提唱されている。処罰段階の前段階化の問題と関連させながら、これらの試みが、環境保護にとって有効なのか、また従来の刑法理論に抵触することなく、理論構成することができるのかなどについて、できる限り早期にまとめていきたいと考えている。
著者
西村 将洋
出版者
西南学院大学
雑誌
若手研究(スタートアップ)
巻号頁・発行日
2007

本研究は、19世紀から20世紀へと移行する世紀末転換期から、1945年の第二次世界大戦終結までの期間を対象として、ヨーロッパで形成されたジャポニスムの内実を検討しつつ、その上で、日本人がジャポニスムをいかに受け入れ、そして、いかなる日本イメージを再構築したのかを調査・考察した。研究成果は大きく以下の4点にまとめられる。(1) ロンドンでの文献調査ロンドンの専門機関を利用して、1910年に開催された日英博覧会や、同時期のロンドン演劇界に深く関わった劇作家・舞踏研究家の坪内士行の足跡を調査し、1910年代の日英異文化交渉の一端を明らかにした。(2) ジャポニスムに関する日本語文献の収集と分析当時の日本人によるヨーロッパの旅行記やジャポニスム関連文献を収集することで、日露戦争(1904-1905年)前後から第二次世界大戦終結までの期間を対象として、通史的な観点から、ジャポニスム概念の質的な変化を析出した。(3) 1910年代のイギリス・ジャポニスムと日本人についての考察イギリスのジャポニスムと日本人の関係を探るために、特に1910年代に注目し、日英博覧会、演劇批評、文芸批評の観点から、日英異文化交渉の一面を明らかにした。具体的には、1910年代前後にイギリスを訪れた長谷川如是閑、坪内士行(作家・坪内逍遙の息子)、長谷川天渓らの異文化体験について考察を加えた。(4) 1930年代~1940年代の日仏文化交流についての考察1930年代から1940年代にかけてのパリにおける日本文学紹介や、異文化交渉の状況を調査した。具体的には、川路柳虹、松尾邦之助、坂本直道(坂本龍馬の末裔)、藤田嗣治について考察を加えた。