著者
折原 由梨
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
no.8, pp.19-46, 2009-09

本論文では、「おたくの消費行動の先進性を実証し、今後の消費動向を見通して行くこと」を目的とする。「おたく」の定義は、「主に学問として体系化されていない特定の分野・物事に熱中し、そのことにこだわりを持つ人」である。また「単に消費するだけではなく、表現や創作を行う人」とする。また「先進性」とは、消費するだけではなく創造的に情報発信することを意味する。
著者
曽田 修司
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
no.6, pp.1-20, 2008-03

世界中で現代アートの国際展の数が急激に増加している中で,日本においても,近年,横浜,越後妻有,福岡の各都市,地域で,国際展が回を重ね,次第に定着してきた.従来の国際展の目的は,世界の最先端のアートの潮流を見せることや,新しい才能を発見して世界に紹介するきっかけをつくることであったが,最近では,どの国際展でも同じようなアーティストの名前が並ぶ「世界サーキット」化による均質化が指摘されている.「横浜トリエンナーレ」は,当初主催団体や関係者の間で国際展のあり方についての明確な認識がなく,運営体制がはっきりしないまま,開催延期やディレクターの途中交代など迷走を続けたが,第2回展(2005年)では現代美術家川俣正が結合ディレクターに就任し,オープンでフレキシブルな運営方法を採用したため,市民が積極的に展覧会に参加するしくみが多数試みられ,これまでにないユニークな展覧会として成功を収めた.今後,国際展が意味を持ち続けるためには,地域に根ざした独自性が不可欠である.その際,アートの専門家(ディレクター)だけに企画運営をまかせてしまうのではなく,観客(愛好家),市民,行政,マスコミなどが,国内的視野だけでなく,国際的視野からも国際展のあり方について積極的にかかわり,地域全体でアートを楽しむという発想が必要になる.川俣は,今後の国際展の運営上の重要な要素として「ホスピタリティ」を挙げている.流通可能性の高い欧米の基軸文化を一方的に優先するのではなく,地域文化との間で相互にコミュニケーションが起こるような態度が「ホスピタリティ」であり,それによって,それぞれの地域文化の形成と変容に市民が深く関わり,文化の自己決定性が向上することが期待される.
著者
曽田 修司
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF MANAGEMENT (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
no.25, pp.27-40, 2018-01

2016年以来、コンサート等のチケット転売問題が、社会的な注目を集めている。このうち、個人の事情に起因する転売のニーズヘの対応は、公式転売サイトの設立によってほぼ解決が可能である。残る課題は、主催者側が依然として抽選制によるチケット販売方式にこだわっているためにファンがチケットを人手しづらい状況を作り出していること、その結果としてネット上のオークションサイトで異常な高値でチケットが転売されていること、さらに、組織的な営利目的の転売業者の大規模な参入により転売の利益が音楽業界以外に流出しているという構造的な問題の解決である。本論考では、これらの複合的な課題を総称してチケット高額転売問題と呼ぶ。音楽業界の収益構造における収入源の主力が、CD・レコードの販売や音楽配信などからライブ・コンサートに移行しつつある現在、チケット高額転売問題は、音楽業界が業界をいかに成り立たせ、新たな才能の発掘や音楽環境の整備など、将来に向けてどのように持続可能性を高めていくかという問題と直結している。これまでのところ、チケット転売を抑えるための方策として「本人確認」を厳格化することがしばしば行われているが、このやり方では、チケット購入者の側の「ルールの遵守」義務が前面に押し出され、もっぱら購入者のモラルが問題とされるのみで本来の課題の所在が明確になっていない傾向が見られる。 本来は、社会における公正とは何かという観点から、供給者(コンサートの主催者)の側で需給のバランスをどう取って極端な需給ギャップが生じないようにするかという視点からの適切な制度設計が望まれる。また、善良な音楽ファンを経済的負担と心理的負担のダブルバインドに陥らせないような効果的方策の導人を業界全体として早急に検討することが必要である。
著者
藤崎 康彦
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.39-55, 2003-03-15

男性,女性の他に「第三のジェンダー」を認識する文化があるという主張が,文化人類学的研究の一部でなされることがある。本稿はその理論的意味を考えることを目的として,具体的な民族誌のレベルで検討を行い,いかなる条件で,またどのような理論的意味合いで「第三のジェンダー」が可能かを考察する。具体的には男でもない,女でもないというカテゴリーがある点で共通な社会である,インドのヒジュラとアメリカ先住民のベルダーシュ,特にナバホ族のそれを検討した。ヒジュラの場合には呪術-宗教的機能が明瞭であり,かつはっきりとしたイニシエーションがある。他と区別される地位が与えられる。これに対してナバホのベルダーシュの場合はより日常的な存在であり,特別に他と区別されるような地位が与えられるようには見えない。しかし全く聖なる性質が認識されていないわけでもない。地位自体がじつは暖昧である。暫定的なまとめとして,むしろ仮説的ではあるが,西欧的な「二元的対立」に基づくジェンダー観を有する文化では,例えば性的に暖味な「間性」は通常のジェンダーカテゴリーには納まりにくく,「聖なる」存在と位置付けられるのではないか。それに対してそのような二元的対立が緩やかで,異なる性/ジェンダー観を持つ社会の場合は,「第三のジェンダー」カテゴリーも認識する可能性があるのではないか,と考える。
著者
鈴木 隆芳
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.9-28, 2010-03-15

「言葉とは何か」と問われて、返答に窮して黙りこくってしまう人はそういない。この種の問題については、だれもが自分流の切り口を持っているものだ。だがそんな時、突然、「あなたが今話しているのは、それは言葉そのもののことではありませんね。」と言われたらどうだろう。はっとして振り返ると、自分の言っていたことがなにも言葉に限った話しではないことに気づく。言葉と同じ用途、性質、役割をもったものなど他にいくらでもあるものだと思い至る。 言語学が得意としてきたのは実はこうした譬え話である。「言葉のように見えて、ほんとうは言葉でないもの」は「言葉そのもの」よりもよっぽど扱うに易しいからである。 ここでは、こうした「言葉のように見えるもの」が、言語学にもたらした功罪を考える。なぜなら、それは言語学にとって毒にも薬にもなってきたからである。
著者
藤沢 伸介
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.A69-A76, 2001-03-15

大学生の学力低下が話題になっているが, きちんとしたデータの裏付けなしに語られることが多い。筆者は, たまたま15年間継続して大学生に計算問題を課してきていたので, 学力変化のひとつの資料としてその正答状況を提示するのが, 本稿の目的である。行ったのは四則演算を1度ずつ含む学力偏差値の計算問題である。結果は, 1979年度生まれ以降の学生が, 有意に正答率が落ちていた。学力低下の原因としては, 制度, 教育者の行動変化, 学習者の行動変化, 時代の変化など様々な要因が考えられるが, 本調査で見られた急激な変化は, 制度的要因が最も大きいことを示唆しているようにみえる。
著者
福田 博同
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.53, pp.A49-A75, 2018-03

建武頃(1334-35)山城で活躍した〔初代信国〕から応永頃活躍した三代信国までの刀匠〔山城信国〕については、『跡見学園女子大学文学部紀要』No.52,2017,p.79-107 1)(以下、「前号」という)で推敲した。本稿では、永享十二年(1440)豊前宇佐へ移住した四代信国からハ代信国までの〔宇佐信国〕や、慶長七年(1602)筑前へ移住した九代信国から明治までの〔筑前信国〕(総称し〔筑紫信国〕という)を中心に、より史実に近い系譜を推敲する。