著者
植田 恭代
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.53-70, 2009-09-15

跡見玉枝は本学の学祖跡見花蹊の従妹にあたり、明治・大正・昭和初期にかけて活躍した桜の画家である。その生涯は、玉枝自身の晩年の回想と学園の一次資料である『跡見花蹊日記』からたどりみることができる。玉枝は少女時代に花蹊の許に身を寄せた一時期があり、花蹊の身近に暮らした縁で姉小路家に出入りするようになる。それは、姉小路良子を中心とした公家文化に親しくふれ得た日々であった。また、日記や残された書簡から、桜の師宮崎玉緒と花蹊に交流があることが知られ、さらには玉緒の仕えた主君と花蹊の間にも親交が認められる。若き日の玉枝は、花蹊の豊かな人脈に支えられてあることがうかがえるのである。
著者
中野 敬子 臼田 倫美 中村 有里
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.45, pp.A75-A90, 2010-09

The Dyadic Almost Perfect Scale-Revised(Dyadic APS-R)is a self-report measure of perfectionism. The present study was intended to examine the psychometric properties of the Japanese version of the Dyadic APS-R. Japanese university students (213) completed the Japanese version of the Dyadic APS-R along with measures of mental health outcomes (self-efficacy and depression). Exploratory factor analysis revealed two factors: High Standards and Order, and Discrepancy. A reliability estimate of internal consistency of High Standards and Order, and Discrepancy was high. Confirmatory factor analysis of the Dyadic APS-R in another group of Japanese university students (108) supported the existence of 2 perfectionism factors. Cluster analysis using the two subscales of the Dyadic APS-R yielded 3 clusters: Adaptive perfectionists, maladaptive perfectionists, non-perfectionists.Adaptive perfectionists characterized by high Standards and Order scores, and low Discrepancy scores had higher scores on self-efficacy and lower scores on depression than those of maladaptive perfectionists and even of non-perfectionists.Distinguishing adaptive perfectionists from maladaptive perfectionists is discussed in the context of psychological functioning and further research.
著者
土屋 博映
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.1-8, 2010-03-15

剣豪としてあまりにも有名な宮本武蔵の実際の人物像については、本書に記されていることくらいしか知りえない。宮本武蔵がその名前を天下に知らしめたのは、吉川英治の『宮本武蔵』からである。大衆文学作品として、出色の出来栄えである。それはそれでよい。大いに評価に値する。しかし、実際の武蔵はどうだったかという、歴史的・実証的な立場から言えば、世間を惑わせたとも言えなくはない。本稿では、『五輪書』のどこがどのように、日本人の精神に影響を与えたのか、あるいはそうでないのか、それを明確にすることを目標として、『五輪書』に対峙してみたい。本稿はその手始めとして、『五輪書』の構成を記述することを主とする。
著者
福田 博同
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.A95-A110, 2010-03-15

図書館は「読む自由」を保証するため、すべての人に電子資料を含む図書館資料を提供する義務がある。図書館は今や、その電子資料を作る主体でもある。ICT の発達により「読書権」を保証する機会は拡大したが、その利用方法もアクセシビリティに配慮する必要がある。公立図書館の利用教育において、児童や障害者へのサービスは古くから取り組まれているが、重複障害者や高齢者への取り組みは緒に就いたばかりである。そのような現状において、公立図書館での利用教育の課題を分析し、インターネットによる図書館利用教育を中心として、あるべき方向を論ずる。
著者
村越 行雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.A7-A35, 1992-03-20

"Reference and Definite Descriptions" (1966) の中でドネランによって主張された確定記述における指示的使用と属性的使用の区別という考えは, それ以前のストローソンの "On Referring" (1950) の批判を通して, リンスキーの "Reference and Referents" (1963) を手掛かりとしながら浮かび上がったものであるが, またそれはそれ以後のクリプキの "Speaker's Reference and Semantic Reference" (1977) とサールの "Referential and Attributive" (1979) において批判対象となったものでもある。その意味から言うと, ドネランの主張を中心に, 彼が批判対象としたストローソン, リンスキーの両主張そして彼を批判対象としたクリプキ, サールの両主張との比較検討を行なうことは, 単にドネランの主張のみならず, ストローソン, リンスキー, クリプキ, サールのそれぞれの主張をも明確にさせる結果となり, また各主張の比較を言語行為論的・語用論的視点から検討することにより, それぞれの主張における確定記述と話し手の指示の関係をより一層明確にさせ, 最終的にストローソン-リンスキー-ドネラン-クリプキ-サールの過程が話し手の指示に関する一つの歴史であることを浮き彫りにさせることにもつながるのである。
著者
片山 泰輔
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.59-77, 2004-03

本稿では、米国連邦政府の芸術支援機関である National Endowment for the Arts (NEA) 芸術支援プログラムをめぐる議会公聴会の証言をもとに、NEAの政策が米国の舞台芸術の発展に果たした役割についての検討を行った。NEAが議会において政治的な支持を得るうえで重要な影響を与えた論点として以下の3項目が重要である。第1は、民間の寄付金を引き出す触媒としての役割の重要性、第2は、芸術団体が地域社会へ貢献することで地元の支援を受けて自立するための支援、そして、第3は、実験的試みを含む創造性への支援であり、これらは芸術団体の自立による量的拡大とも密接に結びついたものであった。
著者
要 真理子 前田 茂
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2019-04-01

20世紀初頭に英国唯一の前衛芸術運動ヴォーティシズムを先導したウィンダム・ルイスが1940年代にメディア論におけるグローバリズムの先駆的思想を提示した経緯を明らかにし、そのうえで、今日のグローバリズムならびにナショナリズムの潮流を美学的/感性論的な観点から再検証する。これまでの予備的な研究を通じて、ルイスにおいては、未来派への不信感、ナチズムへの共感、そしてマーシャル・マクルーハンの「グローバル・ヴィレッジ」概念にも通じる思想には、共通する思想背景があることが明らかとなりつつある。政治学的には両立不可能にも見える以上の態度がいかにしてルイス個人において矛盾なく共存できたのかを明らかにする。
著者
石田 信一
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.97-110, 2000-03-15

一九世紀を通じてダルマチアにおいて進展した国民統合過程との関連において、同時代のイタリアからの政治的・思想的影響、とりわけ統一国家形成をめざす運動、いわゆるリソルジメントが進展する中でのイタリア・ナショナリズムの影響について考察した。従来、クロアチア国民統合過程の視点からクロアチアとダルマチアの影響関係については多くの論考がなされてきたが、イタリアとの関係についての論考はなお不十分であり、本論はそうした事実に対する問題提起としての意味を持っている。一九世紀前半、ダルマチアの知識人の多くはイタリア系、スラヴ系を問わずイタリア諸邦で高等教育を受け、イタリア語を日常的に用いており、イタリアから最新の思想的潮流を学んでいた。オーストリアの強権的支配に抗議する意味で、彼らの中にはカルボネリアや「青年イタリア」を通じて提起されつつあったイタリア・ナショナリズムに傾倒する者もあった。しかし、多くの場合、彼らはリソルジメントを全面的に支持したわけではなかったし、ダルマチアを将来のイタリア統一国家の一部とは考えていなかった。一八四八年革命に際して、自治体レベルでも個人レベルでもヴェネツィアを支持する文書がほとんど残されていないことは、その証左である。イタリア人と南スラヴ人は反オーストリア的立場で共闘する側面を持ち、領土的要求を含む「民族」的対立は顕在化していなかったが、ダルマチアの知識人、とくにスラヴ系知識人はリソルジメントの中からむしろ自らの南スラヴ人としての国民形成・国民統合を実現する手法を学んでいったのである。