著者
藤田 経世
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.一一-一八, 1977-03-15
著者
梅宮 創造
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.53-77, 1994-03-15

本稿では、『ヘンリ・エズモンド』をどう読むか、という一点に的が絞られる。この作品は従来、歴史小説、家庭小説、心理小説など名札を付けられて、サッカレイの主要作品の一つに数えられて来た。それならサッカレイにとって歴史とは、家庭とは、また人間心理とは何か。この問題はどこかで押えておかねばならない。しかし論点が抽象に流れないように、まずサッカレイの実生活を凝視するところから始めたい。当時のサッカレイが、過去に寄せる関心と現実の日々の生活とをどんなふうに重ねあわせていたか、そのあたりを各種資料のなかに探りたい。とりわけ「ヘンリ・エズモンド」となると、作品制作の上で、あの物議をかもしたブルクフィールド夫人の一件がひときわ大きい。ここに家庭の歪みやら女性心理の屈折やらが透けて見えるのは論を俟たない。もちろん、作品の読み方は各自各様であって然るべきだが、それとは別に、読みの深浅という事実は厳然として残る。その点を疎かに考えるわけにはいかない。本稿の狙いとしては、作品の周辺事から攻めて作品の中枢部に迫る、ということになろうか。叙述のそこかしこに挿んだ指摘や引用は、一つにまとまって論を成すというよりも、それぞれが即ち作品の「読み」のあらわれと云えよう。
著者
山崎博子 大原隆明 堂囿いくみ
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.75-88, 2004-03 (Released:2009-12-19)

跡見学園女子大学構内に植栽されているサクラの分布および同定調査を行った結果, 2003年10月現在, 全域にわたり合計166個体のサクラが植栽されていることが明らかになった。そのうち, 145個体30種類を同定することができたが, その主なものはサトザクラ類 (70個体, 全個体数に占める割合は42.2%), 野生型のヤマザクラ (32個体, 同19.3%), ソメイヨシノ (15個体, 同9.0%), 野生型のエドヒガン (8個体, 同4.8%) であった。最も一般的に植栽されるソメイヨシノの個体数が比較的少なく, 野生型のヤマザクラやエドヒガンが高頻度で見られるのは本調査地の特徴のひとつであると考えられる。サトザクラ類は計18品種を同定することができたが, このうち個体数が多かったものは 'イチョウ' (24個体) および 'カンザン' (17個体) の2品種のみであった。ヤマザクラやサトザクラの園芸品種中には 'コウダイジ' や 'ベニナンデン' といった栽培されることが稀なものが含まれていることも特徴的であった。なお, 今回同定できなかったものは21個体あったが, その内訳はサトザクラの一品種と思われるもの (2種類2個体) と品種名がない交雑品 (19個体) であった。
著者
山田 徹雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.172-150, 1982-03-15

帝制ドイツ建設期における国内市場の在り方をめぐる議論には, 二つの対立する見解-「統合」論と「地域分化」論-がみられる。国内市場形成の錠を握る鉄道建設の進展及びそれにともなう商品流通の深化は, なるほどドイツ経済の「統合」に促進的ではあったが, 地域間競争を排除するものではなかった。即ち, 長距離の幹線建設が地域的市場相互間の商品流通を促進し, 統一的な国内市場の形成に寄与したのに対し, ローカル線建設は工業生産の中心地を核に地域経済的循環を強化することすらあった。こうした脈絡のうちに帝制期フランケン地方の商品流通構造を確定すれば, 次のようになる。ニュールンベルクの工業生産と周辺地域の農業生産との間にみられる分業関係は, 同地方の再生産の基底をなしていた。しかし, 同地方は工業原料及び同製品の調達にあたり, 中部ドイツを始めとする国内のさまざまな地域と市場関係を結ぶ一方, 農産物の地域内自給率は相当高いにせよ, 南バイエルンの穀物生産との関係も無視できない。こうした流通構造は, フランケン地方に二種類の市場的な展望を開かせることになる。即ち, 同地方の農産物と中部ドイツの工業生産物の交換の可能性は, 前者の後者への市場的包摂を展望するものであり, またフランケン地方の工業製品と南バイエルンの農産物の交換は, 「バイエルン」市場をも展望しうる。にもかかわらず, 同地方は隣接地域の市場形成力が衝突し, 相殺しあうという緊張関係の為に, 地域内の分業関係が豊かに形成され, また逆に, 地域内分業の進展が隣接市場への包摂を阻止するという均衡状態にあった。その際, 流通の結節点であり, また地域的な生産拠点であるニュールンベルクの位置は, そこから放射線状に伸びる鉄道によって確固たるものとなっていた。
著者
岩本 憲司
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.129-139, 1983-03-15

『史記』太史公自序の一節は、津田左右吉によって、「前漢末に擬作補入せられたものではないか」と疑われている。ところで今『春秋繁露』兪序篇の一節をみると、問題の太史公自序の一節と、内容が極めてよく似ていて、両者の同時代性というものが考えられる。とすれば、兪序篇の一節の晩出性の立証と、太史公自序の一節の晩出性の立証とは、お互いに他を補完し合うという関係にあると言える。そこで、本稿では、まず「素王説」「五始説」というものに関連して、兪序篇の一節の方の晩出性を立証し、つづいて「"空言" と "行事"」というものに関連して、兪序篇の一節と太史公自序の一節との両者の晩出性を同時に立証する。そして、これらの立証と、さきの津田説とを考え合わせ、更に両者間の相互補完性というものを考慮すれば、『春秋繁露』兪序篇の一節は董仲舒のものではなく、また『史記』太史公自序の一節は司馬遷のものではなく、実は、両者はともに前漢末のものであるということが確定的となるのである。
著者
本間 小枝子
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学短期大学部紀要 = Bulletin of Atomi Junior College (ISSN:13422561)
巻号頁・発行日
no.34, pp.A45-A58, 1998-04

The wearing Japanese style clothes of Sumo-wrestlers is determined according to rank (a tradition to distinguish the clothes worn by junior-grade wrestlers, the makushita rank). Formal wear (montsuki, haori, hakama) can first be worn only after reaching the juryo rank. Based on clothing construction, this investigation was made of the hakama with respect to measurements, cut and sewing. The results show that the body measurements of wrestlers at and above the juryo rank become larger, and based on trial calculations, a cloth width of 45-48 cm and length of 1,500 cm are required. However, the tailors actually use standard hakama fabric with a cloth width of 40 cm and length of 1,100 cm, adjusting the tuck and cut for each part. Moreover, the clothing is sturdily tailored, so current practice calls for hand-sewing the portions that are visible from the front and machine-sewing the reverse side.
著者
植田 恭代
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.73-93, 2002-03-15

『源氏物語』には多くの催馬楽がとりこまれることについては、すでに諸先学の指摘があり、論者じしんもかつて検討を試みたことがある。なかでも第三部の物語では催馬楽が巻名にもなっており、とりわけ浮舟の物語との関わりは深い。ここでは、この浮舟の物語と催馬楽「道の口」をとりあげて考察を試みる。『源氏物語』で、明らかに「道の口」がみられる部分は浮舟巻にあり、手習巻にもそうではないかと指摘されてきた部分がある。それらの叙述をいま一度たどり、検討し直してみれば、やはり、両巻の当該場面は催馬楽の詞章をふまえた描写であると確認される。歌謡としての「道の口」の詞章を、時代背景をも視野に入れつつたどりみるならば、それは遊女を謡ったものであると考えられる。その遊女性が浮舟の物語に掬いあげられているのではないか。浮舟の造型には遊女性が付与され、場面にもそれが及んでいるのではないかという試案を提示するのが、本稿の目的である。
著者
木下 高徳
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.A15-A32, 1996-03-15

文学作品の理想を氷山に譬え、海面上に浮上する八分の一だけを描いて他の八分の七は海面下 (行間) に沈めてしまうというように、究極まで言葉を削り、作品を磨いたヘミングウェイは、シンボリズムの手法にハードボイルドのスタイルを乗じた方法でこれを可能にした。The End of Something においては、たとえば、パーチ (小さな虹) を餌にして虹マス (大きな虹) を釣るという場面設定をしているが、これは主人公の男女が共に小さな希望を犠牲にして大きな希望を手に入れようとしている過程を描いていることになる。こういう視点で、この作品を裁断すると、これは、若い主人公であるニックが、<自分の人生を生きる価値あらしめるもの> との期待をもってマージョリーとの恋にすべてを賭けて打ち込んだのだが、恋は理想的な形で進展したにもかかわらず、いくつかの要因で醒めてしまい、恋が期待したものではないと覚って、絶望に陥る、という体験を描いている作品だということになる。
著者
山田 徹雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.89-102, 2004-03-15

産業革命期のバイエルンが「農業的・小経営的」経済像として描かれている一方, 現在のミュンヘンを中心とする地域はハイテク産業の発展によって特徴付けられている。この対立するバイエルン経済像を生んだ要因を検証するための一作業として現代のバイエルン, ミュンヘンを統計資料に依拠して把握した。その結果, バイエルンは現在のEUにおいて, 一国規模の経済力を有し, オーバーバイエルンの中心都市ミュンヘンは, ドイツの他の都市より抜きん出て経済が堅調であること, また, ミュンヘン地域の発展にとって周辺地域の雇用創出効果がその重要性を増していることが明らかになった。
著者
高橋 善隆
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.A77-A90, 2009-09-15

アメリカ合衆国で最大のマイノリティ集団となったヒスパニックは政治の世界にどのような影響を与えているのか。2008年の大統領選挙ではニューメキシコ、ネバダ、フロリダなど民主党が共和党から奪った多くの州でヒスパニックの動向が重要であったとされている。2004年には必ずしも民主党支持を明確に示さなかったヒスパニックが2008年にはオバマの勝利に貢献したのはなぜなのか。 また人口構成の上でのシェアの拡大ばかりでなく社会的内実や質的変容においてヒスパニックはアメリカ社会にどのような変化を及ぼしているのか。 移民法改正をめぐる政治過程、移民に敵対的なカリフォルニア州の住民提案との対抗関係、西海岸にみられる新たな労働運動の担い手としてのヒスパニックの活動、などの検討を通じてヒスパニックが現代アメリカに与えているインパクトと更なる潜在的可能性について考察してみたい。
著者
高田 美一
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.99-128, 1983-03-15

明治十五年五月十四日、龍池会主催、上野公園、教育博物館、観書室におけるフェノロサ講演『美術真説』は明治文化史の展開に重要な影響をおよぼした。しかし、原英文遺稿を欠き、大森惟中の筆記としてのみ残存し、奇妙な片仮名まじりの簡潔・生硬な漢文調の文語体のため、フェノロサの真意を理解することが困難である。筆者はフェノロサが意図した深遠な「構造美学」はこれまで理解されていないと考える。「初編」、「本稿」における筆者の主題は『美術真説』を構造的に英文で再構成し、深遠ですばらしいフェノロサ芸術論を紹介するのが目的である。「初稿」とは、日本フェノロサ学会機関誌『ロウタス』第三号に寄稿した同名表題の拙論である。
著者
柴田 光彦
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.39-56, 1999-03-15

近世の墓碑銘において、文集掲載の碑銘と実際の墓の碑銘とは多くの場合、若干の異同があるのが普通であるが、しかし一般には、気づかぬままに文集と墓のそれとを同一のものとされている場合が多い。本稿では異同の多い例として「伊能忠敬」、実地検分してもなお間違えやすい程に異同の少ない例として「澁江抽齋」を例に取りあげて検証を試みた。