著者
桶川 泰
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.93-104, 2007-05-26 (Released:2017-09-22)

恋愛を礼賛する声は明治初期において芽生え、大正期においてより一層勢いを持ち、花が開くようになった。ただよく知られているように、大正期では個人の自由な配偶者選択すら認められていない現実が存在していた。それでは、当時の社会において恋愛は如何にして既存の秩序に訓化させられていたのだろうか。本稿では、恋愛が礼賛されると同時に、既存の秩序との調和を取るのに適した恋愛観・結婚観が大正期、もしくはその次の時代の昭和初期に如何なる形で存在していたのかを分析することでそれらの「問い」を解き明かそうとした。分析の結果、恋愛の情熱的な側面を盲目的なものとして批判し、危険視していく「情熱=衝動的恋愛観」言説を中心にして、恋愛が既存の秩序に訓化させられていた。そうした恋愛観は、まず恋愛には理性が必要であることを強調し、そしてその理性的判断のためには両親の意見や承認が必要であるという論理を生み出していった。またその一方で、そうした恋愛観は一時的な情緒的満足や快楽によって成り立つ恋愛を否定し、恋愛は子孫、民族のために費やさなければならないという論理を生み出すことで「優生結婚」とも結びつきを見せるようになった。
著者
松岡 慧祐
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.100-113, 2008-05-24 (Released:2017-09-22)

1990年代に厚東洋輔や若林幹夫によって、地図は個人が直接的に俯瞰することのできない「社会」の全体像を可視化し、他者と共有することを可能にするメディアであるということが論じられた。だがそれ以来、こうした発想を現代社会の分析に適用するような「地図の社会学」が展開されることはなかった。現代では、グローバル化によって個人を取り巻く「社会」がますます大規模化・複雑化し、個人の生活は<ここ>ではない場所の目に見えない影響を受けやすくなっている。そこで、個人が地理的想像力を拡張し、こうした「世界社会(地球社会)」を面的・視覚的に把握するためのモデルとして、地図の役割があらためて重要になっている。また近年、コミュニティ再生が課題となっている地域社会でも、住民みずからの地理的想像力をローカルに拡張し、面的な「地域社会」を再発見するための地図がまちづくりに活用されるようになっている。だが地理的想像力は、地図の変容や電子メディアの発達などによって、危機に晒されるようにもなっている。地図は地理的想像力を拡張し、社会(学)的想像力の手がかりになりうる一方で、現代社会における地図のあり方は、地理的想像力を断片化し、「社会」を不可視化することで、個人と社会を切り離す可能性をもちはじめているのである。
著者
金 瑛
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.11, pp.3-14, 2012-05-26

本稿の目的は、アルヴァックスの集合的記憶概念を再考することにある。そこでまず行なったのが、アルヴァックスによる記憶(memoire)と想い出(souvenir)の区別、集合的記憶と歴史の区別を検討することで、集合的記憶を定義し直すことである。集合的記憶は、時間的な連続性の流れとして定義され、言語活動・時間・空間という「枠組み」によって構成される。本稿では、従来あまり注目されてこなかった「環境(milieu)」という概念に着目することで、時間の「枠組み」を支える空間性について論じた。そしてそこでは、ノラの「記憶の場」という概念やモースの贈与論を参照軸に、「環境」と「場」の関係、「場」の変化による忘却の問題を論じた。また「環境」という観点から、個人的記憶と集合的記憶の関係、集合的記憶における忘却と想起についても論じた。本稿の論点は、「環境」が集合的記憶に対してもつ意義を説くことである。
著者
鹿島 あゆこ
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.78-92, 2018 (Released:2019-05-11)
参考文献数
21

サラリーマンという言葉の一般への普及は大正期から昭和初期といわれている。本稿の目的は、この普及に一役買ったといわれる『時事漫画』の検討を通じて、当該時期におけるサラリーマンイメージの形成と展開を明らかにすることである。『時事漫画』から選出した計297の漫画作品を、3つの時期に区分して分析した。その結果、サラリーマンという言葉の下で一定のイメージが共有されるようになっていく過程には、失業と消費という2つの要素が関係していたことが明らかになった。まず大正初期から大正中期にかけて、「サラリーメン」という言葉のもとで、社会状況や雇用主によって生活基盤を左右されやすい被雇用者という側面が焦点化された。それは、当時の日本社会においては相対的に上層の階級とみなされていた「サラリーメン」階層が、乱高下する経済状況によって次第に困窮していく過程で形作られたイメージであった。このイメージを下地にして、大正後期から昭和初期にかけては、主に広告漫画の中で、新しい消費財を消費することでよりよい生活を営む代表的な主体としての「サラリーマン」が描かれた。それは、当事者ではない他者の目線から描いたイメージが、広告という媒体によって自己のイメージに変換されはじめる過程でもあった。こうして、「私的生活においては消費者であり、公的生活においては被雇用者であるサラリーマン」という表現が誕生した。
著者
秋風 千惠
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.175-187, 2018 (Released:2019-05-11)
参考文献数
19

本稿では軽度障害当事者の語りから、彼/彼女らのディスアビリティ経験をみていくこととする。まず軽度障害者が浮上してきた経緯を述べ、その背景となったイギリス社会モデル批判を検討し、アメリカ社会モデルが妥当であると結論する。これまで社会モデルへの批判は主にインペアメントの扱いについての批判であったが、星加良司はディスアビリティについて再検討し、障害者が蒙る不利益を集合としてみる“不利益の集中”という概念を持ち込んだ。本稿では星加の不利益理論を補助線として、軽度障害者の語りを検討する。『社会的価値』『個体的条件』『利用可能な社会資源』『個人的働きかけ』といった諸要素を考慮に入れながら、主に性別役割分業に照準したディスアビリティ経験を分析してみる。
著者
福浦 厚子
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.116-130, 2017 (Released:2018-06-13)
参考文献数
36

本研究の目的は、軍隊と社会との関係についてのこれまでの研究を概観したうえで、個別的日常的な民軍関係に着目し、社会学や文化人類学での成果を紹介し、近年の研究の特徴をみていく。そのうえで、日常に埋め込まれた軍隊と社会や個人との関係性を文化人類学的な視点からみることで、軍隊研究に新たな議論の局面を示したい。その一つの例として、自衛隊を取り上げ、これまで行われてきた自衛隊研究を、1:政軍関係その1、自衛隊を取り巻く政治状況の視点から検討する研究、2:政軍関係その2:医療や災害・メンタルヘルス対策として自衛隊でどんな対処が可能かについて検討する研究、3:ノンフィクション・ルポ、自衛隊員の視点に近い立場からの提言や報告、4:民軍関係の4つに大別し、そのなかの民軍関係について概観する。自衛隊の普通化、ソフト路線に注目し、その例として自衛官の婚活に着目し、雑誌MAMORや実際の自衛隊婚活のなかで語られる自衛官像や希望する交際相手や配偶者像がどのように表象されているのか検討する。その結果、従来の軍人妻研究にみられるダブルの役割期待が婚活にも存在するにも関わらず、言及されないままになっていることが明らかになった。
著者
大越 愛子
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.28-36, 2011

戦争や武力紛争時に生じる性暴力に関しては、多くの論ずべきテーマがあろう。本論考では、この性差別的世界で、長い間沈黙を強いられ、スティグマ化されてきたが、ついに20世紀末に、彼女たちの経験してきた苦悩と加害者への怒りを語ることを決意されたサバイバーたちの観点に、焦点を当てたい。私は20年前、最初にカムアウトされ、日本軍と兵士たちを厳しく告発された、いわゆる日本軍「慰安婦」制度のサバイバー金学順の証言を忘れることはできない。特に、彼女がその惨めな生活のために「女の歓び」を奪われたと話されたことに衝撃を受けた。私はこの証言は、性暴力の核心をつくと考え、それを論じたが、今から思えば不十分なものであったと思う。これに関して、ポストコロニアル・フェミニスト岡真理から、そうした証言が「男性中心的な性表現」でなされることの矛盾を指摘された。だが私の意図は、サバイバーが性的主体として立ちあらわれ、発話されたことの衝撃を伝えることにあったのだと、当論文で改めて主張したい。サバイバー証言をいかに聞き取るかを考えるためにも、この種の議論は重要だろう。さらに、こうしたサバイバーたちの証言への応答責任として開催された日本軍性奴隷制を裁く「女性国際戦犯法廷」の意義を論じたい。これは近代の戦争と軍事システムという構造的暴力を裁く画期的な試みである。しかしこの「法廷」は、日本政府や少なからぬ論者によっても無視され続けてきた。10年経った現在、この「法廷」を受け継ぐ試みが新たに起こりつつある。構造的暴力と闘い続けるという倫理的責任が、私たちにいっそう強く求められているということだろう。
著者
近森 高明
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.4, pp.108-120, 2005-05-28

ベンヤミンの「遊歩者(flaneur)」は、近年の都市研究に欠かせない人物形象となっているが、当初より、男性的「まなざし」の具現化ではないかとのフェミニズム的批判が寄せられていた。遊歩者の特別な対象として「娼婦」が呈示される点に、その批判はとくに集中する。だがベンヤミンは娼婦に出会う遊歩者を、特権的視線をもつ観察者ではなく、むしろ主体性が解体する。一種の陶酔者と描いており、娼婦のほうも、経験的実存というよりアレゴリー的現象と考えている。それゆえ問われるべきは、娼婦の形象が喚起する主体の壊乱的作用に、いかなる理論的意義が見いだせるかという点である。こうした問題意識から本稿は、以下の三つの側面を含む論証により、ベンヤミンの娼婦論および遊歩者論のあらたな読解をめざす。第一に、娼婦のモティーフと「人形」の形象との重なりという、従来の解釈では見逃されてきた論点を中心に、「死を意味する生」というアレゴリーの謎をめぐるベンヤミンの潜在的な思考ラインを再構成する。第二に、性倒錯としてのフェティシズムやサディズムをめぐるベンヤミンの思考に焦点をあて、マルクス主義的な疎外論や物象化論による読解とは異なる、商品的存在の「死」の位相を照らしだす。第三に、従来では観察者としての面が強調されていた遊歩者について、娼婦の形象が露呈する「死」との関連より、主体の機能が失われた陶酔者としての側面を浮かびあがらせる。
著者
大前 誠
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.2, pp.14-21, 2003-05-24

この報告は、これまでさまざまな教科書を編集してきた編集者の視点から自戒をこめて率直にまとめたものである。当初、「売れるテキスト・売れないテキスト」という報告依頼があったが、ここでそれを論ずるのは無理がある。ここでは、筆者が編集者として社会学テキストを製作するにあたって、どのような点を心掛けてきたのかを中心に話を進める。これまで編集者として、教科書製作にあたって、つぎのような点にこだわってきたように思う。第1は、執筆者への問いかけ(というより「挑発」)である「これまでのテキストのどこに問題があり、どこが物足りないですか?講義でどんなことを工夫し苦労なさっていますか?」が、その「挑発」の内容である。ここを出発点にして、「より良いテキスト」の製作が始まる。テキストの場合、単独執筆かそれとも編集による編集ものか、さらに共著かによっていろいろな工夫が必要になる。また、タイトルのネーミングなども重要だ。第2に、読者である学生さんたちへのつぎのような問いかけも重要である。「この内容・文章に興味をもてますか?そもそも理解できますか?この分量・値段・装丁で不都合ないですか?」。学生の目線に立った編集は、学生がクールでドライになった時代には特に求められる課題である。第3の問いかけは、会社にむかってのものだ、「これだけの時間・コストをかけるとパワーのある良質のテキストができるがそれを会社は受け止めてくれますか?」という問いかけである。コストパフォーマンスを強調する声に応えつつ、「思い込み」で良い本を作ろうとする編集者の苦労は大きい。最後に、自分自身にとっての問いかけもある。気力と体力がどこまで続くかという問題だ。それでも、今後も体力の続く限り本をつくっていくだろう。そのためにも、先生方には、今後もキツーイ「挑発」をし続けていきたいと思う。
著者
中島 弘二
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.8, pp.64-75, 2009-05-23

本稿は近年の英語圈の人文地理学における「社会的自然」研究の視点を援用して、戦後の造林ブーム期に大分県で展開された国土緑化運動において生みだされた「みどり」の自然を批判的に読み解いていく作業をおこなった。自然をさまざまな主体間の力関係のもとで社会的に構築される媒体としてとらえる「社会的自然」研究の視点は、支配的な諸制度と結びついてメディア化した現代の環境を批判的に理解するうえで有効であると考えられる。こうした視点に基づいて、1950年代の造林ブーム期における大分県の国土緑化運動を自治体や緑化推進委員会が推し進めた「緑化の政治学]、人々をその担い手として取り込みながら県内各地で展開された「緑化のパフォーマンス」、そしてマスメディアによってうみだされた「緑化の表象」の三つの局面から分析し、それらの諸局面を通じてうみだされた種別的な「みどり」の自然を批判的に検討した。その結果、記念植樹や造林を通じてうみだされた「みどり」の自然は単にスギ・ヒノキの人工林の景観を山林原野にうみだしただけでなく、そうしてうみだされた景観を舞台として人々を緑化の担い手へと駆り立て、さらにメディアを通じて「あるべき」自然を再構成していくという一種の自己準拠的なシステムとして作用したことが明らかとなった。
著者
高松 里江
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.11, pp.54-65, 2012-05-26

これまで、アメリカを中心とする多くの研究は、性別職域分離は賃金格差の要因になることを示してきた。また、いくつかの研究は、技能とその指標となる制度をコントロールすることで、性別職域分離がどのようなメカニズムで賃金に影響するのかを明らかにしてきた。一方、日本ではいくつかの研究が性別職域分離は賃金格差の要因であることを示唆してきたが、対象となる職種が少なく、また、技能について十分に考慮されていないという課題があった。そこで本稿は、日本において、性別職域分離が日本型雇用制度と専門職制度のなかの技能とどのように結びつき、賃金に影響するのかについて分析を行った。分析には2006年および2008年に日本全国を対象に実施したJGSS調査を用い、対数変換後の時給を従属変数とする重回帰分析を行った。職種の女性比率から、男性職、混合職、女性職の3つに職種に分けて分析を行ったところ、(1)混合職と比べると女性職では賃金が高いこと、(2)女性職は混合職と比べて対物技能が高いために賃金が高いこと、(3)女性職の多くは専門職として対人技能が高いために賃金が高いことが示された。従来の研究では、性別職域分離は女性の地位を低める効果があるとされてきたが、本稿の結果からは、性別職域分離が対物技能や専門職制度を通じて女性の賃金を高めることが明らかになった。
著者
山本 めゆ
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.13, pp.5-17, 2014-05-31

本研究では、黄禍論の広がりととともにアジア人への排斥が進んだ20世紀初頭、南アフリカに移入した日本人の地位とその変遷に注目する。当国の移民政策に対して日本側はいかなる交渉、適応、抵抗を見せ、それは人種の境界をいかに動揺させたのか。反アジア主義的な移民法をめぐる研究史のなかにこれらの関心を位置づけながら、人種主義研究の観点から検討することを目指す。南アフリカでは19世紀後半よりインド人、20世に入って華人労働者が導入されたことによりアジア人排斥の動きが広がり、1913年にアジア人移民の規制強化を目的とする移民規制法が制定された。日本人がアジア人として規制の対象となったことに強い危機感を抱いた日本政府や領事館は、南アフリカ当局に対し粘り強い交渉を続けた。その結果、1930年に両国間で合意が交わされ、いくらかの制約を含みながらも、日本人の商人、観光客、研究者が禁止移民から除外されることとなる。その背景には日本側が渡航者の身分を商人や駐在員に限定し労働移民を排除するという方針を提示したことや、前年からの大恐慌で南アフリカが羊毛の市場開拓を迫られていたという事情もあった。本稿は、当時の日本人移民の地位について、バレットとローディガー(1997)によって提示された「中間性」概念を重視しながら粗描し、南アフリカの人種政策に対する日本側の批判とその限界について再検討を加える。
著者
佐々木 てる
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.9, pp.9-19, 2010-05-29

人口減少社会を迎え従来の外国人政策の見直し、さらには移民政策に関する議論も登場している。しかし外国籍者をめぐる課題も山積している。こういった問題の背景には、これまで社会統合の視点が欠けていると同時に、統合すべき社会像が一向に見えてこないためである。つまり外国籍者をあくまで一時的な滞在者としてあつかうか、もしくは将来国民としてあつかうか、国家レベルでの方針が定まっていない。今後永住者、すなわち実質的な移民をどうあつかうかが、今まさに問われている。こういった現状を踏まえた上で、本稿では現在日本にいる外国籍者、特に永住者を将来的な国民として社会統合する立場を前提とし議論を進める。具体的には日本国籍を取得した在日コリアン、すなわちコリア系日本人の事例から考えていく。コリア系日本人は後天的に国民になった人々であり、彼らの歩んできた道を振り返ること、彼らが求めてきたことを考えることは、社会統合政策を考える上で参考になる。具体的にはコリア系日本人の歴史、国籍取得の背景、さらに現代的な課題を提示していく。そして彼らをとりまく日本社会のまなざしを考え、今後の日本の外国籍者に対する社会統合政策を考えていくことにする。結論を述べれば、コリア系日本人という試みは、日本人というネーションを内部から変容せる可能性を持つものといえる。その意味で彼らの存在は今後の日本社会の向かう国民像の一つを示しているといえる。
著者
飯田 剛史
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.5, pp.43-56, 2006-05-27

「民族のお好み焼き」といわれるように、現代の日本の都市は多民族化が進んでいる。そのなかで在日コリアンは世代を重ね、生活文化は日本人のそれとほとんど均質化してきている。これまで芸能界やスポーツ界で在日のスターがたくさんいたが、いずれも日本名を名乗りその「在日性」はあまり見えなかった。しかし在日住民の一部は、この文化的均質化のなかで逆に、民族的アイデンティティを自覚的に保ちながら生きてゆこうとしている。その仕事は、多様な分野で「魅力ある差異」をもつものとして貴重な貢献をなしている。大阪府には約14.5万名(在留外国人統計2002年版)の在日韓国・朝鮮籍住民がおり、分化の様々な面でその比重は小さくない。ここでは1980年代以降の在日の民族祭りの展開を紹介し、大阪文化に創造的に関っている状況を示したい。1983年に始められた「生野民族文化祭」は、民族伝統につながる農楽を中心にした祭りのスタイルを創造し、公共の場で民族祝祭を行う口火を切った。これは2002年に終息したが、各地の在日の若者に強い影響を与え、京阪神を中心に20に及ぶ「○○マダン」と名乗る祭りが生み出された。今日これらのマダンには多くの日本人住民も参加し、多民族共生のユニークなあり方を示している。「ワンコリアフェスティバル」は、「一つのコリア」を目指しつつ、ジャンルを問わない在日ミュージシャンやその友人たちのパフォーマンスを野外音楽堂で繰り広げるものである。「四天王寺ワッソ」は、古代朝鮮から多くの人々が高い文化をもって渡米したことを、色鮮やかな衣装のパレードと、聖徳太子による出迎えの儀式で表現する。一時中断したが、2004年には、在阪日本企業の支援と多くの日本人の参加を得て、新しい大阪の祭りとして再生した。これらの祭りは、マスコミ報道を通して広く知られるようになり、地方自治体や公共団体の協賛・後援も増えてきている。また多くの日本人住民の参加によって、単に在日だけの行事にとどまらず、ヴォランティア参加型、創造型の祭りとして、今日の大阪都市文化に多民族性と新たな活力を加えるものとなっている。
著者
平井 太規
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.12, pp.31-42, 2013-05-18

「第2の人口転換論」は「家族形成の脱標準化」や「社会的背景の変容」をも含意する。単に出生率が人口置換水準以下に低下しているだけでなく、多様な家族形成やその背景に家族観や価値観などの個人主義化が見られる状態を「第2の人口転換」と定義できる。こうした現象が東アジアにおいても生じているかの検証をする必要性が論じられてきたが、これに応えうる研究は少なかった。そこで本稿では、低出生率化している日本・台湾・韓国を対象にNFRJ-S01、TSCS-2006、KGSS-2006のデータを用いて、既婚カップルの出生動向、とりわけ子どもの性別選好の観点から、「家族形成の脱標準化」を検証した。分析対象は、「第2の人口転換」期(とされている年代)が家族形成期に該当する結婚コーホートである。このコーホートとそれ以前の世代の出生動向の持続と変容を分析した。その結果、日本ではバランス型選好から女児選好に移行し、確かに「家族形成の脱標準化」は見られるものの多様化までには至らず、台湾と韓国では男児選好が一貫して持続しており、「家族形成の脱標準化」は生じていないことが明らかになった。したがって東アジアにおいては、ヨーロッパと同様に低出生率化の傾向を確認できても「第2の人口転換論」が提示するような変容は見られない。
著者
岸 政彦
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.63-78, 2016 (Released:2017-06-20)
参考文献数
11

この論文では、沖縄社会の内部にある様々な亀裂や多様性について考える。社会学では、沖縄は、本土の都市と比べて、共同体規範が極めて強い社会として描かれてきた。沖縄社会は、インフォーマルな横のつながりによって構成される、「共同体社会」であると分析されてきた。しかし、本土の他の地域と同じように、沖縄社会の内部にもまた、多様性があり、たくさんの亀裂が存在している。現在、私を含めて4名の研究者で共同でおこなっている、「沖縄の階層格差と共同体」に関するフィールドワークを概説する。それは、沖縄社会に存在する階層格差を、質的なフィールドワークから詳細に描くことを目的としている。私たち4名によるフィールドワークの概要を述べ、そこから何が導き出せるかを考える。最後に、亀裂や多様性に注目することで共同性概念を相対化したあと、もういちど日本と沖縄との植民地主義的な関係について考えなければならないことを主張する。
著者
孫・片田 晶
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.33-47, 2018 (Released:2019-05-11)
参考文献数
17

本稿は、今日の「多文化共生」をめぐる議論において、政府の「上からの」外国人住民統治策に対置される形で、その先進性を高く評価されている「下から」の「共生」の運動・実践の中に潜む問題点を明らかにすることを試みる。具体的には、公立学校の日本人教師による、在日朝鮮人の子ども達に関わる教育実践(在日朝鮮人教育)の先進的な取組みに内包された問題点を、その支配的な言説の立ち上げの時点に遡って検証していく。在日朝鮮人教育の主流の実践は、マイノリティ側のありようを変革の対象としてきた―文化的(民族的)差異の不在を「問題」とみなし、その差異の回復を志向してきた。それは同時にマイノリティ側の社会の不公正や不平等を問題化しようとする声を隠蔽してしまうものでもあった。1970年代以降の大阪市の在日朝鮮人教育運動の「指標」となり、全国的にもこの教育の支配的な言説の原型となった、大阪市立長橋小学校の運動は従来、朝鮮人の「生活現実」からの声に耳を傾け、その要求に応える教育をうちたてた動きとされてきた。しかし、朝鮮人の子ども・親の「現実」をまなざし、教育が取組むべき「問題」を語るのは日本人教師であるという権力関係に注目すると、異なる側面が見えてくる。本稿では、「ウリマルを返せ!の要求に応えて」というフレーズで知られるこの運動の語りの背後に存在した、問題の所在をめぐってすれ違う認識の行方に注目する。
著者
近森 高明
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.108-120, 2005-05-28 (Released:2017-09-22)

ベンヤミンの「遊歩者(flâneur)」は、近年の都市研究に欠かせない人物形象となっているが、当初より、男性的「まなざし」の具現化ではないかとのフェミニズム的批判が寄せられていた。遊歩者の特別な対象として「娼婦」が呈示される点に、その批判はとくに集中する。だがベンヤミンは娼婦に出会う遊歩者を、特権的視線をもつ観察者ではなく、むしろ主体性が解体する一種の陶酔者と描いており、娼婦のほうも、経験的実存というよりアレゴリー的現象と考えている。それゆえ問われるべきは、娼婦の形象が喚起する主体の壊乱的作用に、いかなる理論的意義が見いだせるかという点である。こうした問題意識から本稿は、以下の三つの側面を含む論証により、ベンヤミンの娼婦論および遊歩者論のあらたな読解をめざす。第一に、娼婦のモティーフと「人形」の形象との重なりという、従来の解釈では見逃されてきた論点を中心に、「死を意味する生」というアレゴリーの謎をめぐるベンヤミンの潜在的な思考ラインを再構成する。第二に、性倒錯としてのフェティシズムやサディズムをめぐるベンヤミンの思考に焦点をあて、マルクス主義的な疎外論や物象化論による読解とは異なる、商品的存在の「死」の位相を照らしだす。第三に、従来では観察者としての面が強調されていた遊歩者について、娼婦の形象が露呈する「死」との関連より、主体の権能が失われた陶酔者としての側面を浮かびあがらせる。
著者
富永 京子
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.17-30, 2013-05-18 (Released:2017-09-22)
被引用文献数
1

本研究は、グローバルな社会運動において運動体間の連携がどのように行われるのかを問う。先行研究は「社会問題の被害者=主要従事者」「被害者以外の人々=支援者」と定義して分析を行うが、グローバルな社会運動は被害者と加害者の境界が曖昧であるために、主要従事者と支援者を判別することが困難である。本稿はサミット抗議行動を事例とし、グローバルな運動の中で主要な運動従事者が決定される過程と、運動主体間におけるレパートリーの伝達過程を分析することにより、グローバルな社会運動における運動体間の連携のあり方を考察する。具体的には、サミット抗議行動においてレパートリーの伝達がいかになされたかを参加者50名の聞き取りデータを基に検討する。分析の結果、本運動の主要従事者はサミット抗議行動が行われる地域で普段から活動する人々であり、レパートリーは毎回の抗議行動と同様に定例化・定期化されて行われる。しかし、主要従事者は定例化されたレパートリーを義務的に行う一方、設営や資源調達といった場面で自らの政治主張や理念を反映させることがわかる。グローバルな運動における運動体の連携に関する結論として、第一に、「場所」が主たる運動従事者を決定する要素となり、第二にレパートリー伝達をめぐって「前例」が大きな役割を果たしており、第三に主要な従事者は表立ったレパートリーだけでなく資源調達によって政治的主張を行うことが明らかになる。