著者
西田 芳正
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.41-50, 2003

日本人、日本社会と在日韓国・朝鮮人の民族関係を検討する際、被差別部落の問題を避けることはできない。戦前、多数の朝鮮人が部落およびその周辺地域に流入、定着したことが知られており、職業、地域、学校などさまざまな場面で両者が近接して生活することになった。本論文では、特定地域での両者の関係史をたどり、他地区の事例も踏まえつつ両者の関係性を整理した。日本社会の差別性のゆえに職住において両者は接近せざるを得ない構造的な与件があり、職業において競合する立場に置かれることにもなる。差別的な意識を双方が抱いていることも事実であるが、日常生活場面では良好な関係が成立していたことを示す記録が多数残されている。貧困、生活苦のなかでの密接な関わりは、民族関係成立の条件を考える上で一つの手がかりとなるだろう。また、マイノリティ集団を相互に比較検討する視点もさまざまな知見をもたらすはずである。それぞれの集団に課せられた障壁=バリアのあり方、その認識と対応のあり方を比較によって検討することは、それぞれの集団の特性を浮かび上がらせるだけではなく、日本社会の差別的構造をも明らかにするはずである。
著者
仲 修平
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.48-62, 2018 (Released:2019-05-11)
参考文献数
31

本稿の目的は、戦後日本における自営業の職業構成の趨勢を対数線形・対数乗法モデルとイベントヒストリー分析によって明らかにすることである。日本の自営業は販売職や熟練職の比率の高さが一つの特徴として知られてきた。そうした自営業は1980年代の後半以降に減少してきたが、近年は専門職が増加することによって自営業の職業構成が変化の途上にあることが指摘されてきた。ところが、自営業の職業構成が長期的にどのように変化してきたのかについてはほとんど研究がなされていない。そこで本稿では、自営業と専門職の関連の強度が1955年から2015年にかけて常時雇用と比べると次第に強まったのか、個人の職業移動において専門的・技術的職業の自営業(自営専門職)への参入が他の職種の自営業への参入に比べて近年になるほど生じやすくなっているのかを、1955年から2015年に実施された社会階層と社会移動全国調査データの二次分析によって検討する。分析の結果、次の二点が明らかになった。第一に、自営業と専門職の結びつきは職業構造の変動の影響を考慮したとしても、1955年から2015年にかけて強まっていることがわかった。第二に、自営専門職への参入は近年になるほど生じやすい傾向が高まっているのに対して、販売職や熟練職の自営業への参入は生じにくい傾向となっていることが示された。以上の結果を踏まえると、自営業の職業構成は徐々に専門職化していると判断することができる。
著者
樫村 愛子
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.10-17, 2005-05-28 (Released:2017-09-22)

本論は、現在グローバル化に伴って、起こっている「脱制度化」を考察するとき、制度の成立を考察してきたこれまでの社会学理論が重要な示唆を与えうることを指摘する。「脱制度化」とは、ギデンズのいう「脱埋め込み化」であり、ローカルからの自律と時空の拡大の運動である。現在は「第二の近代」化の中で、近代的社会制度が解体して、「再帰的個人化」および「心理学化」が帰結している。しかし、そこで社会的なものは解体しているのではなく、個人の中にビルトインされており、この様式を考察する上で、社会学の近代についての、議論は示唆的である。本論では、パーソンズが指摘した「感情中立性」、ゴフマンの指摘した「儀礼」等々が、「心理学化」において、心理の中にビルトインされた社会性であることを確認する。
著者
三品 拓人
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.74-87, 2019

<p>本稿は「なぜ児童養護施設において子ども間の暴力が多発しているとされるのか」を明らかにした。子どもの身体的暴力を男性性の一種である「男子性」との関連から検討した。</p><p>児童養護施設において発生する子ども間暴力が深刻な問題として提起されてきた。先行研究においては、施設内で子ども間暴力が多く存在していることは複数の調査や語りから実証されているが、暴力が発生する文脈や状況を詳細に明らかにした研究は少ない。そこで、児童養護施設において参与観察調査を行うことによって、小学生の男子間で起きる身体的暴力が発生する文脈を把握した。</p><p>分析では、4つのタイプの身体的暴力を提示した。制裁的な暴力、ケンカにおける暴力、遊びやふざけ合いでの暴力、やつあたりとしての暴力である。身体的暴力は子ども間で適切な態度や振舞い方などを他者に再確認させる資源、ケンカの最終的な手段、遊びの一種などとして活用されていた。</p><p>以上から、身体的な暴力行為が小学生男子にとっていかに重要な他者とのコミュニケーション手段になっているか明らかになった。身体的暴力を他者とのコミュニケーションの資源として活用できる指向性を「男子性」として捉えられる。このような「男子性」は施設のみならず、広く社会にも存在するだろう。ただ、児童養護施設において小学生男子18人が共同で生活することにより「男子性」がより凝縮された形で維持され、発揮されている。</p>
著者
平尾 一朗
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.18-30, 2019 (Released:2020-05-29)
参考文献数
40

自営業と非正規雇用は代替性や類似性が指摘され比較されることが多い。しかし自営業者が退出後にどのような職業に就くかは不明であるし、代替性の議論も両者の類似性が強調されすぎている。本稿では自営業者と非正規雇用者の退出後の雇用形態を探索的に比較し類似点と相違点を示す。労働市場の二重構造論、自営業・非正規雇用の経験年数、家族構造と性別役割分業の影響を念頭に置き仮説が立てられた。2015年SSM調査(社会階層と社会移動に関する全国調査)データを用いた。分析対象は男女の非農業である自営業経験者と非正規雇用経験者である。離散時間ロジットモデルを用い、従属変数を自営業からの退出後の正規雇用、非正規雇用、無職への移動、非正規雇用からの退出後の正規雇用、自営業、無職への移動とした。分析の結果、類似点は第1に若年層を除けば二次的な労働市場における移動に制限されやすい、第2に自営業と非正規雇用の経験年数は直接的に正規雇用への移動に貢献しない、第3に出身階層の影響を受けにくい。相違点は第1に自営業者は子どもの成人後までをも含めた長期的な家族戦略、非正規雇用者は子どもの育児期までの短期的な家族戦略の影響を受けるかのようである、第2に自営業の経験年数の効果は非正規雇用への移動後に現れる。これらの相違点ゆえ仮に両者が代替的であっても自営業率の変化は非正規雇用率の変化よりも緩やかに生じるはずである。
著者
小林 多寿子
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.114-124, 2014-05-31 (Released:2017-09-22)
被引用文献数
2

質的調査データは、近年のデジタル技術発展による記録媒体の急速な変化や個人情報への配慮の高まりのもとでそのあつかい方が問われ、個人的記録と歴史的価値の問題、調査データの検証可能性や二次利用、二次分析を含む第三者のアクセスの問題、社会調査データそのもののリサーチ・ヘリテージ(調査遺産)としての価値やデータの管理保存の問題等に直面している。この現状をふまえて、質的調査データの管理・保存・公開の可能性を考え、質的調査法をより信頼性の高い社会学的研究法へ成長させていく方途を探るために、「質的調査データの管理・保存に関するアンケート」調査を2012年2月に実施した。この調査結果を社会学領域の回答者に照準して紹介し、質的調査データをめぐる現状とアーカイヴ化の可能性を考える。質的調査ではインタビューが中心的な手法であり、多様なパーソナル・ドキュメントが質的データとして併用されている実態や調査対象者への二段階の許諾プロセスという倫理観の変化があきらかになった。さらに公共財としての調査データという認識の必要性が指摘され、質的調査データの公共性の認識のもとに、データの学術的意義や社会的意味、歴史的価値を明らかにして調査データを保存管理するアーカイヴ・ルールの確立とアーカイヴ・システムの設立が求められている。
著者
伊藤 理史
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.15-28, 2017

<p>本稿の目的は、政治的疎外意識の長期的変化とその規定要因を、コーホート分析によって明らかにすることである。「政治的有効性感覚の低い状態」と定義される政治的疎外意識は、政治参加の減退をもたらす主要な要因として、様々な実証研究が蓄積されてきた。しかし日本における政治的疎外意識の長期的変化とその規定要因については、ほとんど研究されていない。そこで本稿では、「日本人の意識調査,1973~2008」の個票データの二次分析によって、政治的疎外意識の長期的変化の実態、規定要因としての世代効果と時代効果の大きさ、高齢世代と比較した若齢世代の政治的疎外意識の特徴を、明らかにする。</p><p>線形要因分解と重回帰分析の結果、次の3点が明らかになった。(1)政治的疎外意識は、1973年から1998年にかけて上昇したが、1998年から2008年にかけて低下・停滞する。またその変化の傾向は、世代間で共通する。(2)1973年から1998年までの政治的疎外意識の上昇は、正の世代効果と正の時代効果から生じていたが、1998年から2008年までの政治的疎外意識の低下・停滞は、負の時代効果が正の世代効果を上回ることで生じていた。(3)団塊世代と比べて若齢世代では、政治的に疎外されていると感じやすい。以上の結果を踏まえた上で、世代効果は戦争・民主化体験の有無、時代効果は55年体制崩壊による政権交代可能性の上昇として解釈した。</p>
著者
森田 裕美
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.8, pp.5-12, 2009-05-23

1945年8月6日、広島に投下されたたった一発の原爆は、いったいどれだけ人を苦しめたら気が済むのだろうか-。被爆地・広島の新聞記者として、六十数年を経た今なお続く苦しみや悲しみに触れ、「被爆体験」が発する今日的意味を問い続けている。世の中の事象に、ある切り口から光を当て、文字にし、短い記事の中で分かりやすく伝えるのが新聞記者の仕事だ。ただ、焦点を絞れば必ずあふれてしまう「断片」があり、ある言葉に「集約」すれば、見えなくなる「本質」もある。数々の「声」は、伝える過程で、「被爆者]や「ヒロシマ」などの言葉に集約されていく。伝える上で避けられない作業でありながら、原爆がもたらしたとてつもない「人間的悲惨」に迫れば迫るほど、表現しきれないもどかしさに苦闘する。しばしば和解の象徴として語られる被爆者は、本当に「憎しみを捨てている」のか-。被爆者でなければその記憶は継承できないのか-。記者が抱える日々の葛藤を通じ、「被爆体験」を継承する可能性を考える。
著者
井上 宏
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.57-68, 2006-05-27 (Released:2017-09-22)

大阪とはどんな街なのか、「文化」の側面から考えるとき、「笑いの文化」を抜きにして大阪を論じることはできない。大阪では、漫才や落語、喜劇などの「笑いの芸能文化」が盛んであるばかりでなくて、大阪人の生活のなかに、暮らしの仕方の中に「笑い」が織りこまれている。大阪弁をはじめとして、大阪人の生活態度、価値観、ものの考え方の中に「笑いの文化」が一貫して流れていると言ってよい。大阪は、「サムライ社会」におけるように、「笑い」を軽蔑することなく、むしろ「笑い」を奨励する文化を発達させてきた。その発達の理由は、大阪が江戸時代から一貫して「商人社会」として発展をみてきたことにあると思われる。そこに商人たちのライフスタイル、生活文化が生まれたわけである。まずは大阪人が発達させた大阪弁があげられる。商人は、「交渉する」ことが日常の生業としてあって、大阪弁を使ってそれを円滑に行ってきたわけである。当然のこととして「 口の文化」が発展する。しかも商いは厳しい「競争関係」のなかで行われるので、競争からくる緊張や対立は、笑いによって緩和する必要がある。人と人との距離をできるだけ近くにとっていこうとするとき、笑顔や笑いは欠かせない。洒落やジョーク、笑わせるための方法も発達する。毎日の生活の中に笑いがあり、笑いのある生活文化が発達をみた。大阪人の生活文化と笑いとの関係を追跡した。
著者
池本 淳一
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.75-87, 2010

武術学校とはスポーツ化した中国武術である「競技武術」の専門課程をもつ私立体育学校である。その特徴として、その多くが都市にあるにもかかわらず、生徒の多くが小学校時代に農村の公立校から転入学してきている点があげられる。本論の目的は、この都市における武術文化と農民層との結びつきを明らかにすることで、中国における「スポーツと社会階層」の結びつきの一例を示すとともに、この結びつきを生み出した中国の社会構造を浮き彫りにすることである。具体的には以下の内容を明らかにした。第1に、武術学校はスポーツを通じた中等学歴の取得を可能にする場となっていた。第2に、武術学校は衛生的で安全な寄宿舎が完備されていた。この寄宿舎は、農村から子どもを連れて都市へ出稼ぎにきたものの、低賃金・長時間の労働に従事しているために、安全で清潔な住環境や子どもの世話を見る時間を確保できない農民工家庭の児童にとって、都市の「滞在先」として利用されていた。第3に、武術学校は農村の小学校や都市の民営校である民工子弟学校と比べて、充実した教育環境にあった。それゆえ都市に連れ出したものの、制度的・経済的・学力的な理由により都市の公立学校に転校できなかった児童にとって、そこは最適な都市の「転校先」の1つとなっていた。最後に、これらの結びつきを生み出した中国の社会構造と、その構造を生み出した戸籍制度について指摘した。
著者
洪 ジョンウン
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.3-16, 2015-06-25 (Released:2017-09-22)

本稿は、1960年代において在日朝鮮人女性が「女性同盟」の活動を通じて獲得した民族アイデンティティの特徴について考察することを目的とする。北朝鮮を支持する「朝鮮総連」の傘下団体である「女性同盟」は、戦後、最も古い歴史を持つ在日朝鮮人女性団体である。北朝鮮への帰国運動が始まったばかりの1960年代初頭、大阪では「女性同盟」の活動家によって朝鮮学校に「オモニ会」が発足され、公的領域においてもオモニ役割が遂行されるようになった。北朝鮮の影響を受けて1962年に開かれた「オモニ大会」ではオモニとしての役割が公式に強調され、北朝鮮の「革命的オモニ言説」が総連系在日朝鮮人社会に広がる契機となった。「女性同盟」は「康盤石女史を見習う運動」を行い、金日成の母である康盤石を理想化した。康盤石は自ら革命家になるよりも、革命家の子どもを育てることに重点を置く女性像であったため、「女性同盟」の活動家にとって良妻賢母主義を批判的に克服することは難しかった。一方、多様な女性闘士が登場する『回想記』シリーズを用いた学習では、自ら革命の闘士となった女性像を探り出す転覆的読み方の試みが行われ、新たな遂行性の可能性を見せた。1960年代総連系在日朝鮮人の民族運動はジェンダー化されていたため、それに参加した女性主体は、オモニ役割の遂行によって、単なる民族アイデンティティではなく、オモニというジェンダー化された民族アイデンティティを遂行的に構築・再構築したといえる。
著者
武田 俊輔
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.18-31, 2016 (Released:2017-06-20)
参考文献数
20
被引用文献数
1

本論文は都市祭礼の担い手たちが、祭礼以外の地域社会における職業生活や日常的な暮らしを通じて構築した社会関係資本をいかにして祭礼に活用しているのかについて、滋賀県長浜市の長浜曳山祭を事例として明らかにする。従来の都市祭礼研究では多くの場合、その分析対象は祭礼の本番やその直接の準備と、それを行う祭礼組織の内部における担い手のネットワークに視点を限定している。しかし祭礼を構成する1人1人の担い手はより広範な都市の社会的ネットワークの中に属し、また当の都市祭礼も人的資源においても資金面でも、担い手以外の様々な人々との結びつきを通じて継承できるのであり、そうしたより広範なネットワークが、祭礼にとって持つ意味を分析する必要がある。本論文ではその点について、祭礼の執行に不可欠な資源である資金調達のメカニズムを検討することで、祭礼の担い手たちが地域社会において醸成している社会関係と祭礼の関係性を分析する。その結果①祭礼パンフレットへの広告協賛金が個々の担い手の社会関係資本の反映であり、②祭礼における協賛金のやりとりを通じて、日常的な関係性もまた保証されていること、③資金調達だけでなく、同じ町内や他町へのパンフレットというメディアにおける社会関係資本の顕示が重要で、それが担い手への社会的評価と結びついていることを示し、祭礼組織の外部に広がる社会関係資本と祭礼との結びつきについて明らかにした。
著者
孫・片田 晶
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.33-47, 2018 (Released:2019-05-11)
参考文献数
17

本稿は、今日の「多文化共生」をめぐる議論において、政府の「上からの」外国人住民統治策に対置される形で、その先進性を高く評価されている「下から」の「共生」の運動・実践の中に潜む問題点を明らかにすることを試みる。具体的には、公立学校の日本人教師による、在日朝鮮人の子ども達に関わる教育実践(在日朝鮮人教育)の先進的な取組みに内包された問題点を、その支配的な言説の立ち上げの時点に遡って検証していく。在日朝鮮人教育の主流の実践は、マイノリティ側のありようを変革の対象としてきた―文化的(民族的)差異の不在を「問題」とみなし、その差異の回復を志向してきた。それは同時にマイノリティ側の社会の不公正や不平等を問題化しようとする声を隠蔽してしまうものでもあった。1970年代以降の大阪市の在日朝鮮人教育運動の「指標」となり、全国的にもこの教育の支配的な言説の原型となった、大阪市立長橋小学校の運動は従来、朝鮮人の「生活現実」からの声に耳を傾け、その要求に応える教育をうちたてた動きとされてきた。しかし、朝鮮人の子ども・親の「現実」をまなざし、教育が取組むべき「問題」を語るのは日本人教師であるという権力関係に注目すると、異なる側面が見えてくる。本稿では、「ウリマルを返せ!の要求に応えて」というフレーズで知られるこの運動の語りの背後に存在した、問題の所在をめぐってすれ違う認識の行方に注目する。
著者
中井 治郎
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.69-81, 2013

2004年(平成16年)、その「文化的景観」が評価された「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産リストに登録された。これにより熊野三山をつなぐ参詣道も、「熊野古道」として多くの人々を引き寄せる観光スポットとして現代に蘇ることになった。しかし、2011年(平成23年)9月初旬、西日本を襲った台風12号は紀伊半島に特に甚大な被害をもたらし、我が国において平成以降最悪の水害となった。もちろん世界遺産を構成する各遺産の被害も深刻であり、なお復旧作業は継続中である。しかし、その復旧の現場では文化遺産をめぐる制度に対する様々な疑義や相対化の語りが聞かれる。本稿は、熊野の各文化遺産の復旧をめぐるこれらの語りを分析し、そこに災害前とどのような変容があるか、またその変容が何を意味しているのかを分析するものである。本稿では、モノが文化遺産化される際に、あらたな文脈に配置されることでそのモノの意味や価値が変容していくという文化遺産をめぐる再文脈化の視点からこれらの語りの分析を行う。そして平時にはグローバルな文脈である世界遺産制度やナショナルな文脈である国の文化財制度によって後景化しているローカルな文脈の価値や意味の、災害を契機とした再浮上を考察するものである。
著者
平野 孝典
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.43-55, 2013-05-18 (Released:2017-09-22)

本稿の目的は、社会的統合が自殺観に与える影響を明らかにすることである。エミール・デュルケームによって社会的統合と自殺との関係が定式化された。しかしながら、彼はこれらを結ぶメカニズムについての議論を深めることはしなかった。この問題を批判したアンソニー・ギデンズは、社会的統合と自殺を意識・心理・態度によって媒介するモデルを提示する必要性を指摘した。フランク・ファン・チューベルゲンらによる「コミュニティ-規範メカニズム」は、自殺観という態度要因に焦点をあてることにより、この問題に取り組む理論として注目すべきものである。この理論には、社会的統合が自殺観に影響を与えるという仮定がおかれている。しかし、この仮定については経験的知見が乏しく、明らかになっていない点が多い。そこでJGSS-2006を用いて社会的統合と自殺観の関係を検討したところ、以下の知見が得られた。第1に、配偶者を失った人は自殺に肯定的な態度をとりやすい。第2に、子供のいない人は自殺に肯定的な態度をとりやすい。第3に、居住年数が短い人は、自殺に肯定的な態度をとりやすい。以上の結果は、コミュニティ-規範メカニズムの仮定が経験的に妥当であることを示している。
著者
浅野 慎一
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.59-67, 2003

本稿の課題は、現代日本の"多民族社会化"の実態と意義を、諸個人の生活と文化変容のレベルに降りて把握・考察することにある。在日外国人の階級・階層は多様で、彼らを「エスニック・マイノリティ /同じエスニシティの人々」と一括するのは難しい。また彼らの多くは、多様な世界観と人生展望-ユニバーサル、ナショナル、グローバル、バイオリージョナル、インタナショナル、コスモポライト等-をもつ。これらはいずれも、周辺諸国民としての諸個人の、一方では自律的・内発的・相互平等的な国民国家形成、他方では国民国家の枠に囚われない諸個人の生活の発展的再生産という、2方向での「現代化(脱近代化)」の相克・ジレンマを孕んだ生活戦略である。彼らは、グローバリゼーションの渦中で国境間移動を余儀なくされるが、同時に自らの能力・資源を駆使した移動によって階層的上昇を模索しうる「強者」でもある。下層階級の外国人と日本人には、国籍・民族文化の違いを超えた階級・階層的な共通性がある。彼らは、グローバリゼーション下での「周辺・下層」という自己認識を共有した同じ下層階級の一員であり、多文化主義者ではない。しかし最下層の外国人の中には、孤立し、民族的劣等感に苛まれる者もいる。そこには、民族的要素が階級的矛盾を増幅させ、同時に階級的・民族的連帯をも困難にする、一種の袋小路的状態がある。