著者
宮永 昌男
出版者
龍谷大学
雑誌
社会科学研究年報 (ISSN:0288481X)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.1-13, 1985-03-31
著者
福島 至
出版者
龍谷大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

適切な公的検死(死因究明)制度を構築するためには、独立性・中立性、公開性、専門性、標準化の基本要素が不可欠であるとの結論に至った。独立性・中立性は、政府や自治体の各機関や当事者などの影響を受けないようにして、死因特定の結論が歪められないようにする。公開性とは、最低限のプライバシー保護をしつつも、得られた知見を事故等の再発防止に役立てる。専門性とは、法医学に精通した者が判断に関与することである。標準化は、全国的に等しいサービスを提供することである。
著者
中村 尚司 津田 守 広岡 博之 河村 能夫 鶴見 良行
出版者
龍谷大学
雑誌
重点領域研究
巻号頁・発行日
1993

本年度は、2年目であるため報告書のまとめ方を念頭において、4回にわたる研究会を開催した。5月27日の第1回研究会では、津田守が「ピナトゥボ大噴火にともなう災害とルソン島中部の地域開発」について報告し、自然災害に対する救助活動の国際比較をまとめることにした。6月27日の第2回研究会では斉藤千宏「貧困・ニーズの充足・指標--80年以降の諸理論の比較検討」について報告した。あわせて中村尚司が「参加型農村開発の諸問題」を取り上げ、コロンボ大学との共同研究案を紹介した。第3回研究会は、9月8、9の両日に原グループと合同で福岡にて研究合宿を行った。川村能夫が「貧困概念とその指標について」、広岡博之が「社会経済指標の再検討について」報告した。10月17日に行なった第4回研究会では、斉藤千宏が「民衆科学運動と政府の相互作用--インド・ケララ州の事例--」、中村尚司が「海の交易と経済システム」について報告した。12月16日に、食道ガンの予後が思わしくなかった研究分担者の一人である鶴見良行が急逝し、共同研究を続けることができなくなった。まことに残念である。最終回の第5回研究会は、2月13日から15日まで長浜市において合宿し、報告書の執筆内容について各自が概要を報告し、その研究内容について討論した。この研究会の報告書は、鶴見の執筆を得られないものの、次年度の総括班の刊行物として印刷される予定である。
著者
石塚 伸一
出版者
龍谷大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

この3年にわたる調査研究、とりわけ、薬物依存に関する治療共同体や米国のドラッグ・コートの調査を通じて、われわれは、日本においても大胆なダイバージョン・プログラムを導入し、依存症回復のためのプログラムを開発する必要があるとの結論に到達した。そのためには、(1)依存症者自身が回復の主体であること、(2)その支援は非政府組織や地域社会を中心に行われるべきこと、そして、(3)再使用は回復のためのステップであることについて、司法、医療および福祉の関係者が前提理解を共有することが必要であること、なども明らかになった。その成果は、『日本版ドラッグ・コート〜処罰から治療へ〜』(日本評論社、2007年)の刊行や国際シンポジウムや学会報告を通じて公表した。この間、刑事施設の運営および社会内処遇の改善のための立法作業が進められていることもあり、われわれの「日本版ドラッグ・コート」構想にも関心が寄せられ、多くの理解者を得ることができた。しかし、この構想を実現するためには、(1)法的諸問題の精緻化、(2)社会的コストの算出、(3)効果的な回復モデルの開発、(4)関係機関・団体のネットワークの構築など、新たな課題も発見された。今後もその実現のための実践的な調査研究活動を継続していく予定である。
著者
川端 正久 勝俣 誠 原口 武彦 大林 稔 落合 雄彦 望月 克哉
出版者
龍谷大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1997

平成9年度は日本側研究者とナイジェリア側研究者との共同研究を主たる内容とした。研究項目は「変貌する西アフリカとナイジェリア」および「世界の中の西アフリカとナイジェリア」であった。日本側研究者とナイジェリア側研究者は共同研究シンポジウム(1997年12月、ナイジェリア国際問題研究所)を開催した。現地調査を実施し、大学の研究者と交流を実施した。西アフリカにおけるポスト構造調整への移行、ナイジェリアにおける民政移管の進行、ナイジェリアの状況(ビジョン2010、民政移管のプロセス、ナイジェリア経済の現状、日本・ナイジェリア経済関係、ナイジェリアの政治経済社会、市民社会の形成など)について分析した。平成10年度は日本側研究者とコートジボワール側研究者との共同研究を主たる内容とした。研究項目は「変貌する西アフリカとコートジボワール」および「世界の中の西アフリカとコートジボワール」であった。日本側研究者とコートジボワール側研究者は共同研究シンポジウム(1998年9月、社会経済研究センター)を開催した。現地調査を実施し、大学の研究者と交流を実施し、日本の援助案件のサイトを視察した。西アフリカの政治経済情勢、西アフリカにおける政治的民主化と民族・部族問題、CFA と非CFA、農業産品の生産と輸出、農業経済の状況、人民経済の可能性、アフリカ・アジア経済関係、日本のアフリカ外交などについて分析した。平成11年度は日本側研究者とアフリカ側研究者2人および研究協力者の共同研究を主たる内容とした。研究項目は研究課題全体の総括的研究であった。2回の共同研究シンポジウム(1999年9月と11月、アジア経済研究所)を開催した。西アフリカの持続的開発と金融制度、民族問題と民主化、人民経済の展望、宗教と社会、市民社会と新たなアクター、西アフリカの民主化、アフリカの民主化の成果と限界などについて分析した。研究分担者および研究協力者の論文12本で研究成果報告書を作成した。内容は西アフリカにおける政治的民主化、持続的経済開発、社会的変動などについて分析した論文から構成されている。
著者
ヤマンラール水野 美奈子 杉村 棟 関 喜房 小柴はるみ
出版者
龍谷大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

本研究では、イスラーム世界の白羊朝(1378-1508のヤアクーブ・ベク(1478-1490の宮廷で編纂された2冊の詩画帳(ムラッカア(トプカプ宮殿美術館所蔵、登録番号H.2153, 2160の書・絵画合計2152点の作品の綿密な分析・分類・研究によって、15世紀の白羊朝を中心とした書画芸術の動向を解明した。本研究によって従来ティームール朝美術の影に隠れていた白羊朝美術の独自性が鮮明になり、白羊朝が東西交流の重要な拠点の一つであることを確認した。
著者
角岡 賢一
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.1-13, 2005-09-30

英語のオノマトペ(擬音語・擬態語)語彙は、総量としては1,500語程度で日本語よりも少ないと考えられている。この英語オノマトペ語彙を語形変化・引用性という2種類の基準で分類し、語彙化の程度を4区分するというのがKakehi(1981)の提案であった。この区分は、臨時形(nonce form)のように語彙化の程度が低い部類から順に語彙を階層化するという点で非常に有効であると思われる。語彙化の程度という基準以外にTamori(1990)の語形による分類、同じくTamori(1990)の意味による4分類など、複数の分類基準が用意されている。この小論では、これらの基準によって各語彙項目のオックスフォード英語辞書(OED)初出年代に差が認められるか否かを検証した。その結果、語彙化の程度・音節数・形態的特徴による区分では有意と考えられる差が認められた。他方で、擬音語と擬態語という区分を行った意味的基準では差が認められなかった。今回は60語程度という小規模なデータベースで試行したが、対象を拡大して同様の結果が出るか否かという点は今後の課題としたい。
著者
磯野 博
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷大学大学院研究紀要. 社会学・社会福祉学 (ISSN:13439855)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.57-66, 2006-03

There are various factors to be Non-pension disabled people. However, Those factors are not regarded as social problem, but as self-responsible problem. This paper clears the problems of non-pensioner disabled people, through the history of their movement to recover pension. The first chapter In this chapter, the movement of Spinal Injuries Japan from 1975 to 1985, are shown. Spinal Injuries Japan was established in 1959. It is Spinal Injuries Japan that tackles the problems as a self help-group for the first time that tackles Non-pensioner problems for disabled people. In 1985, National Pension System was drastically reformed. A port of non-pensioner disabled people was relieved by this reforms. The second chapter In this chapter, the movement of The Association of Non-Pensioner Disabled People from 1986 to 1994, are shown. The Association of Non-Pensioner Disabled People was established in 1989. It insists strongly that problems of non-pensioner disabled people should not be regarded as problem of self-responsibility, but as problem of social responsibility. In 1982, it published the first inquiry report on problems of non-pensioner disabled people to prove the truth. The third chapter Various self-help-group tackle the problems of non-pensioner disabled students, to make the first step to solve the problems of non-pensioner disabled people. In 2001, some of self-help-groups start administrative litigation to 9 district courts. They win four cases. On April 2005, another new law to relieve non pensioner disabled people partially was enforced. The fourth chapter On November in 2005, the Association of Non-Pensioner Disabled People published the second inquiry report on the problem of non-pensioner disabled people. This report explains the problem of non-entry people and the problem of unpaid contribution. It shows these problems are non self-responsible problem, but social problem.
著者
坂元 義種
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷大學論集 (ISSN:02876000)
巻号頁・発行日
vol.470, pp.53-74, 2007-07
著者
朴 銓烈
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷大学国際社会文化研究所紀要 (ISSN:18800807)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.16-25, 2008-06

The men who handled the civil arts in the Chosun Dynasty (1392-1910) are Jaeseungin held the ceremonies at the temples, and entertainers in the series of Sajang, Sadang and Namsadang., and Suchuck in the series of northern nomads (servants belonging to Sungkunkwan), and the entertainer in the native of hereditary Mukye In the latter term of Chosun Dynasty, the activities of wandering artistic groups had been diverse in the forms with the Kulipkun who had mainly presented a performance by visiting the each home in the village. The Korea art is originated from Sanyo and Bakhee which are shared the common art and culture heritage in the Eastern Asia countries, Korea, Japan and China. The origin of Sanyo and Bakhee have the part that trace to the remote the Western China. These arts had been successfully transmitted from generation to generation because there were groups of people who transmitted them by their jobs, and there were the class of people who made their livelihood by their talents. The art people who had been in charge of the traditional art in the various methods at each generation did their job faithfully in the hard conditions. Especially the wandering entertainer who had to perform at the street, did their valuable responsibilities as a main group of artistic transmission.