著者
横山 真男
雑誌
研究報告音楽情報科学(MUS)
巻号頁・発行日
vol.2013-MUS-99, no.12, pp.1-2, 2013-05-04

フランスにおける重要なヴァイオリン弓製作者であるトルテ以降、今日でなお実用されている弓の製作者にはペカットやサルトリといった著名な製作者がいるが、各製作者によるヘッドの形状やパーツの削り方、装飾などに特徴があり、演奏者の弾き心地や音色に大きく影響している。本研究では、そういった製作者の特徴の違いによる操作性に着目し、弓性能計測装置を使用し弓の構造的、力学的な特性を測定し、また弓の特性の違いによる演奏者の操作性や音響への影響を調査した。
著者
中村 博一
出版者
文教大学
雑誌
生活科学研究 = Bulletin of Living Science (ISSN:02852454)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.119-127, 2014-03-01

2013年に実施したナイジェリア11州とニジェール南部での広域調査から、特に豆腐名称とその分布に注目し考察を行った。従来の 「アワラ」 「クワイダクワイ」 に加え 「ワラ」 「ガーラ」 「ベースケ」 の計5種類の語形を確認できるが日本で報道された名称 「トーフ」 は見いだせない。このうち 「ワラ」 「ベースケ」 とフラニ・チーズ名称 「アワラ」 を新たに確認できたことで豆腐名称 「アワラ」 の語源をめぐる考え方を変更せざるをえなくなった。フラニ・チーズ 「ワラ」 と同じCalotropis proceraの樹液を凝固剤に利用したことが豆腐 「アワラ」 に影響したと考えてきたが、むしろ食品自体の類似性が関係しており発生もナイジャ州であることが推測される。
著者
北舘 佳史
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.92, pp.343-368, 2019-09-30

本稿では13世紀末にシトー会レ・シャトリエ修道院で作成された『サルの聖ジェロー伝』を分析の対象として共同体が創建者をどのように記憶し,その記憶がどのような機能を担ったのかを検討する。院長トマは聖ジェロー崇敬を振興する事業を行ったが,その一環として聖人伝は作成された。伝記では改革者・創建者としてのジェローと地域の治癒者・聖域の保護者としてのジェローという二つの像が描かれ,聖人の墓を守る共同体・巡礼を集める聖域として修道院は再定義された。また,ジェロー派の過去とシトー会修道院の現代をつなぎ,共同体の同一性を保証する役割が聖人の身体に与えられた。ロベール・ダルブリッセルやクレルヴォーのベルナールといった普遍的な人物も修道院の在地的な記憶に歪曲されて取り込まれた。このように修道院のアイデンティティの再編の契機となった聖ジェロー崇敬はシトー会修道院と地域社会の霊的関係という点で先駆的な試みと捉えられる。
著者
太田 宏之
雑誌
人工知能
巻号頁・発行日
vol.33, 2018-07-01
著者
柳井 孝介 伊庭 斉志
雑誌
情報処理学会研究報告アルゴリズム(AL)
巻号頁・発行日
vol.2005, no.26(2004-AL-100), pp.1-8, 2005-03-17

本稿ではNo Free Lunch Treorem (NFL)の別証明を与える.NFL は「どんな問題に対しても平均的に効率良く解けるような探索アルゴリズムは存在しない」ということを主張する定理であり,探索アルゴリズムあるいは最適化法の研究に大きな影響を与えた.本稿では,より簡潔でかつ直観的な証明を与える.我々は評価関数の空間を部分集合に分割し,それぞれの部分集合ごとにパフォーマンスが得られる確率を合計する.関数空間の分割により,定理のより深い理解が可能となり,またアルゴリズムと問題の関係が明確となる.
著者
梁 蘊嫻
出版者
人間文化研究機構 国文学研究資料館
雑誌
第42回 国際日本文学研究集会会議録 = PROCEEDINGS OF THE 42nd INTERNATIONAL CONFERENCE ON JAPANESE LITERATURE (ISSN:03877280)
巻号頁・発行日
no.42, pp.81-101, 2019-03-28

Chinese historical novel The Romance of the three kingdoms (Ming Dynasty-Ruoguanzhong) was spread to Japan in Edo period. The first Japanese translation Tsuzokusangokushi (preface by Konanbunzan) was published in Genroku 2nd year (1689). Ehontsuzokusangokushi (author-Ikedatouri/illustrator-Katsushikahokusai) was published in Tenpō 7th year (1836), and was based on the story of Tsuzokusangokushi with illustrations attached. The illustrations in Ehontsuzokusangokushi were over 400 pieces and the amount were the most of “Sangokushi stories” in Edo period. Until Meiji era, there had been over 30 versions of Ehontsuzokusangokushi, and at that time, the movable-type printing was available, so the relationship among booksellers was changed from cooperation to free competition. In many publications, some were imitations of Hokusai (second generation)’s works, and some were original. Ehontsuzokusangokushi (published by Shimizuichijirou) was an original one. The title page was painted by Taiso Yoshitoshi, the illustrations in books were painted by Kobayashitoshimitsu and Mizunotoshikata. No matter the choices of setting or compositions, these were totally different from Hokusai’s works. Thus, we can see that the publisher wanted to make some differences from the classical and create an original work. In the highly-competitive publishing industry, Shimizuitijirou tried something new, such as using regular subscription for promotion or adopting original illustrations and these ways were fruitful. This study will focus on the Ehontsuzokusangokushi published by Shimizuichijirou and analyze the illustrations from the illustrators a Drawing styles. Also thinking about the meaning that original illustrations bring to classical lecture.