著者
安田 寛 北原 かな子
出版者
弘前大学教育学部
雑誌
弘前大学教育学部紀要 (ISSN:04391713)
巻号頁・発行日
no.85, pp.91-98, 2001-03-30

明治40年前後になると,津軽の地方紙にも音楽会や唱歌教育の具体的な内容などが掲載されるようになり,津軽地方にも西洋音楽が根づいてきていた様子を知ることができる。本稿では,最初に明治40年前後の唱歌教育や音楽会の様子を明らかにし,次いでこうした洋楽普及の際に唱法に関して, トニックソルフア唱法によるドレミ唱法と数字譜によるヒフミ唱法の二種があったと思われる点について指摘する。最後に,これまで筆者等が行ってきた一連の明治期津軽地方における洋楽普及に関する研究の意義を明らかにするため,明治期の地方での洋楽受容研究について総括しつつ,近年の洋楽受容史研究に位置づける。
著者
宮本 利行 北原 かな子 肥田野 豊 北原 晴男
出版者
弘前大学教育学部
雑誌
弘前大学教育学部紀要 (ISSN:04391713)
巻号頁・発行日
no.87, pp.89-98, 2002-03-28

明治初年,廃藩置県とそれに続く秩禄処分によって職を失った士族は,深刻な経済的危機に直面することになった。こうした士族救済のため,政府は士族授産事業を遂行し,青森県でも旧藩士族らによりそれぞれ様々な試みがなされた。本稿では,最初に明治初年の青森県内に展開した士族授産事業の様子を述べるとともに,特に旧弘前藩士族の動向を取り上げ,当時,東奥義塾に招碑されていた外国人教師が地域産業開発に関わったことや,弘前で行われていた藍の産業化-の試みについて明らかにするものである。
著者
白石 睦弥
出版者
弘前大学大学院地域社会研究科
雑誌
弘前大学大学院地域社会研究科年報 (ISSN:13498282)
巻号頁・発行日
no.5, pp.176-156, 2008-12-26

岩木山は青森県津軽地域に聳そびえる標高一六二五メートルの独立峰である。火山としても知られているが、近世期を通じて火山活動は見られるものの、大規模な被害や死者をともなう火山性災害を引き起こしていない。 岩木山の活動の中に硫い おうやま黄山出火というものがある。硫黄山は岩木山南西の嶺、湯治場として知られる嶽だけ温泉の上部にあり、岩木山を描いた絵図などにその位置を確認できる。硫黄山出火は火山性の水蒸気爆発などによって露出した硫黄が延焼するというものであったが、実際的に城下町や在方の、人が居住している地域にほとんど影響は無い。それにもかかわらず弘前藩はこの出火に対応し、領民は動揺を見せながらもその消火に自主的に加わった。この様子は「金木屋日記」に記されている。硫黄山出火の特徴は、他の火山性災害と異なり、領民の尽力と藩主の威光によってコントロールできると考えられていたことである。岩木山が壊滅的な災害を引き起こさず、鎮火に至ったことは、弘前藩の権威を維持する上で大いに役立ったと考えられる。 また、岩木山に対する弘前藩の信仰は代々厚いものがあり、それは、当時下おりいのみや居宮と呼ばれた岩木山神社と別当寺である百ひゃくたくじ沢寺の維持管理といった面にもよくあらわれている。四代藩主信政は自ら神式で岩木山に葬られ、このことも岩木山信仰と弘前藩の結びつきを強めた。現在も岩木山信仰圏が津軽領と重複しており、近世期から連綿とその信仰が続いていたことが理解できる。このような信仰の対象である岩木山が青く燃える様は、弘前城下からも確認でき、領民には動揺が広がった。 このような岩木山の変事をはじめとし、地震などの災害、蝦え ぞち夷地出兵などの国家的危機に際して、下居宮や百沢寺で行われた祈祷は、弘前藩と岩木山が内外の危機から藩領すなわち藩国家を守ることを明示し、それは藩体制の強化にも繋がった。
著者
赤池 慎吾
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.121, pp.173-208, 2009-06-20 (Released:2012-07-17)

官地民木とは,国が土地を所有し,住民がそこに生立する立木を所有する形態の森林であり,制度上は国有林に区分される。官地民木は,わが国の林政史において極めて希な形態であり,その大部分は青森県津軽地方に偏在している。本論文は,資料に基づいて,官地民木の歴史的展開を整理し,その成立要因及び国有林管理経営における取り扱いを明らかにした。官地民木の成立は,藩有地に住民が自費で植栽・保護管理してきた林野を,明治初期の官民有区分に際して土地所有権は官有地に編入し,使用収益権は立木所有権として住民が継承したことに始まる。官地民木の形態が青森県津軽地方に偏在し,その後も制度として存続した要因として,藩と住民との間に分収契約が結ばれておらず政府は部分林として処理できなかったこと,青森県下における官民有区分の査定基準は極めて厳格であり,その後も官林直轄が早期に実施されたことで地方庁主管による官有地の民有移譲が行われなかったこと,が挙げられる。官地民木は,森林法制定以前においては旧藩時代の林野制度を基準とし,制定以後にあっては保安林編入の有無を基準として有償貸付・無償貸付の区分がなされており,このことは林野の有する公益性が国有林管理経営における官地民木の取り扱い区分の決定要因となったといえよう。 Kanchiminboku was a system of mixed ownership forest, whereby the forestland was owned by the state, while the stumpage on the land was owned by the village or local residents. This unique combination of national and private ownership was created in the Tsugaru area of Aomori prefecture in Northern Japan, but the existence of such an ownership system within National Forest management was extremely rare in Japanese forestry. This paper aims to determine the reasons why Kanchiminboku was established in the Tsugaru area, and to explain the stumpage rights under National Forest management. The establishment of Kanchiminboku began after the Meiji Restoration in 1876 when landownership rights and use rights were conferred on forests which residents had traditionally planted and cultivated at their own expense. The main reasons why the Kanchiminboku system emerged here and not elsewhere were the lack of any profitsharing contracts between the Hirosaki fief and local residents, the stringent division of national and private land in Aomori prefecture, and the fact that Kanchiminboku was established soon after the designation of the National Forest thus precluding further negotiations. The fiefdom forest system which had been in operation prior to the establishment of the Forest Law in 1897 was replaced by a rent payment system dependent on the presence of protective forest. Thus public benefit in National Forest management can be seen as the deciding factor in the establishment of Kanchiminboku.
著者
長谷川 成一
出版者
弘前大学大学院地域社会研究科
雑誌
弘前大学大学院地域社会研究科年報 (ISSN:13498282)
巻号頁・発行日
no.6, pp.1-63, 2009-12-28

本稿では、近世津軽領を素材として、新たな絵図の解析と同藩の森林台帳・沢絵図の分析から、近世津軽領の林政・森林経営を探る上で基本的な研究素材となる領内の植生を復元し、十七世紀から十八世紀にかけての約百年間にわたる植生景観の変容について考えてみたい。 「津軽国図」によって復元した十七世紀末の領内植生から、津軽領では、斫しゃくばつ伐が比較的やりやすく、岩木川などを活用した、材木の大消費地である都市や港湾へ運搬の利便性の高い山地に開発の集中する傾向があった、と言えよう。寛政期津軽領の植生復元図によると、十八世紀後半から末にかけての津軽領における植生景観は、十七世紀末の「津軽国図」に見られたそれと比較して、大きな変化は認められない。ただし、いくつかの地点で明らかに檜・杉などの森林が消滅した形跡はあり、開発の手は次第に奥山へ延伸していったと推定される。津軽半島の陸奥湾に面した山々や八甲田の南部境、碇ヶ関の秋田境など、市場において高価格での販売が可能な、檜・杉など高質の針葉樹の伐採と搬出の可能な限定された地域にあって、過伐→荒廃→休山のサイクルを繰り返す状況にあったようだ。 弘前藩では、天明大飢饉を契機として、領内にかつてないほどの広範な御おすくいやま救山の設定がなされた。御救山が森林資源の枯渇を誘発したことから、十八世紀末に至って、弘前藩には、領内山林に大幅な手を加える財政的な余力はすでに尽きており、森林景観を変更するような政策を打ち出せなかったと考えられる。秋田藩のように森林資源の枯渇を防ぐために、藩が主体となって植林を実施した形跡は、弘前藩には認められない。弘前藩では、藩庁の手による植林によって山勢回復を図ることなく、民衆に植林を促す仕立山の制や天然更新による森林資源の回復を待つ方策だったことから、十七世紀末から十八世紀末にいたる約百年間の植生には、大きな変容は認められなかったのである。
著者
敷田 麻実
出版者
北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院 = Graduate School of International Media, Communication, and Tourism Studies, Hokkaido University
雑誌
国際広報メディア・観光学ジャーナル
巻号頁・発行日
vol.9, pp.79-100, 2009-09-01

Community development, one of critical elements of the sustainable community management, has been increasing its importance in local communities in Japan in recent years. A gradual shift toward decentralization, since in 2003, has been forcing communities to adopt more self-sustaining development policies. At the same time, along with the enactment of the NPO Act in 1998, a variety of actors, including those outside from the communities, have entered grass-rooted activities in local communities. Such an increased involvement of outsiders in the community development process means that they also play an ever-more significant role in the empowerment of the local community. Although most articles discuss the controversial points of outsiders, there have been only a few studies evaluating the positive perspectives. This paper examines the role of outsiders in the community development process by discussing the relations between the working process and outsiders. The result of this study implies that more openly the community is managed, more significantly outsiders can contribute to the community development.
著者
竹島 博之
出版者
九州大学法学部政治研究室
雑誌
政治研究 (ISSN:02898357)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.41-61, 2008-03-31 (Released:2010-02-25)

Symposium (July 2007) Citizenship Education in Global Perspective
著者
田中 恵美子 玉木 里加子 細野 章子 田中 和徳
出版者
新潟大学教育学部地理学教室
雑誌
越後湯沢
巻号頁・発行日
pp.3-33, 1984-02

昭和58年度夏期実習(越後湯沢・最上川中流・胆沢扇状地)