handan (@Aixidaiz_lotus)

投稿一覧(最新100件)

85 0 0 0 OA 故実叢書

RT @tjgp_w57: 三条西実隆は学芸にすぐれた公家だったけれど、いかんせん滑舌は悪かったとか。 実隆が「舌足らず」だったせいで、伊勢物語や源氏物語の「大納言」を「ぢゃあなごん」と読む口伝が生まれた、と近世の随筆に書かれてしまっている。(『安斎随筆』巻之十七、『関秘録』八…
RT @holy_sengoku: 三宅国秀は遣明船について調べていて知った人物ですが、遣明船といえばこちらの論文も面白かったです。天文年間の遣明船を推進したのは誰だったのか、とか。畿内戦国史をある程度ご存知の方には、楽しめる内容かと。 https://t.co/cEPkruB…
RT @parrot_paganus: 芳澤元「「経帯麺」の初見 : ラーメンと室町文化」 https://t.co/AnKNCXcrWd #CiNii 新横浜ラーメン博物館が室町時代に食された「経帯麺」がラーメンのルーツだとしたのに対して、それよりもさらに120年前の南北朝時…
RT @Gonta_Lineiden: 今更かもだけど、戦国時代に鉄砲玉として使われてた鉛の約半分が東南アジア産だったのは衝撃。 九州の戦乱が博多とか長崎みたいな国際貿易港を巡って繰り広げられてるのも、こうした側面があったからかも。弾丸ないと鉄砲を運用出来ないからね。 ht…
↓で取り上げられた系図によると、河野通信の長男・通俊の母は、新居氏の女性とある。やはり近親としての繋がりはあったようだ。 #まったり清良記 CiNii 論文 -  天徳寺所蔵「伊予国造家 越智姓河野氏系譜」について https://t.co/gAyIVHo5c3 #CiNii
RT @akaiosorani: CiNii 論文 -  戦国時代における筑前国宗像氏発給文書の一考察 : 官途状、官途吹挙状、加冠状を中心に(II 中世社会の展開と近世社会の成立,近世社会の成立と展開,所理喜夫先生退職記念号) https://t.co/spZKRI8Xm2
RT @akaiosorani: CiNii 論文 -  房州堀考 : 戦国時代の博多の復原のために https://t.co/6S3dwzrdd6

お気に入り一覧(最新100件)

カンボジアの首都プノンペンのドンペン地区について知りたい人は、以下を参照してください。 藤澤忠盛「カンボジアの首都プノンペンにおける都市形成過程の研究」(2021年) https://t.co/LmgwvJOKql https://t.co/3HtlFiBvmp
以前から度々つぶやいていますが 『源氏物語』と『紫式部集』に詠まれる「松浦なる鏡の神」や平安時代の肥前・松浦地方のこと、『万葉集(松浦佐用姫)』との繋がりがぼんやり気になっていて検索してみたところ素敵な論文発見。メモメモ。 『源氏物語』の夕顔と松浦地方 https://t.co/gRDGeRR8X5
「八百比丘尼伝説—山陰を中心にその伝承の種々相を考える—」っていう2002年の鳥取短期大学の論文を見つけたのですが、そこに出てくる「千年比丘尼」の話の方は、高橋留美子先生の「人魚の森」の「なりそこない」を思い出す感じで、「人魚の肉を食べて幽閉される」話でした。 https://t.co/176FgD2orh
隆景のお膝元の銘酒、となると贈答用としてはもちろん、お客さんが来ればお出しして一緒に飲む機会も多かったんじゃないかな〜。 で、どんな酒か。こんな文献が転がってた。三原酒と尾道酒それぞれについても解説アリ。 https://t.co/pOVW6Bp1fA
魏晋の武冠は↓のようなかんじと思われる 漢代とちょっと違うかな? CiNii 論文 -  「朝服」制度の行方--曹魏〜五胡東晋時代における出土文物を中心として https://t.co/lM0295UhJx
弘農楊氏ってこんな場所に本貫を置いてよく滅ばなかったなあ、、、潼関からすぐ西、この界隈って何回戦場になったか分からないのに。 出典:堀井裕之「隋代弘農楊氏の研究―隋唐政権形成期の門閥」 https://t.co/jxXoVYPEZS https://t.co/xyHBvL6riH
ふと「松田豊前守」で本文検索してみたら、少々古いですが面白そうな論文がありました。治安悪化に伴い大炊御門家や転法輪三条家、中御門家といった公卿が移住していたという「橘辻子」にて、永正3年7月、侍所開闔・松田豊前守頼亮による焼討未遂事件(?)があったそうで。 https://t.co/Ynuo0krhHU
で国会デジコレで『策彦和尚入明記初渡集』https://t.co/lsMECezNg5 の大内義興十三回忌の記事を確認。ここでの吉見治部丞、確かに「正頼」と書かれていた。…これはお馴染みの石見国衆・吉見正頼ではなく、大内家奉行衆・吉見弘成の別名と解した法が自然かなと。

81 0 0 0 OA 東莠南畝讖 3巻

岐阜から栃木へ引越し住所が変わった。岐阜といえばアユが名産。「鮎」と書くのが歴史を通して一般的だが、近世には「鯮」という表記も日本で知られていた(由来は不明)。玄香という岐阜の人は18世紀に『東莠南畝讖』という動植物の写生をかいたが、そこにも鯮が使われている。 https://t.co/8CIXjSVu2C https://t.co/1dT6VeeqF2
CiNii 論文 -  阿蘇文書に見える九州方言的な中世記録語をめぐって (伊原信一教授退職記念特輯号) https://t.co/GK6iiNlYzw #CiNii
魏晋南北朝期のお茶についてはこれで大体理解できるので便利、pdfはありがたいですね。 関剣平「魏晋南北朝における喫茶の文化」(国立民族学博物館研究報告、2002) https://t.co/02wJXxGRQh
まずは、河東さんおすすめのこの論文、秦漢時代の識字率はとても目から鱗。三国志好きの方にもおすすめです。 秦・漢時代の庶民の識字 https://t.co/zgqroRFwPp
メモ:蔣侯神とは、呉の孫権の時代に建業の蔣山に祭られた蔣子文のこと。建業~南京の土地神様として有名。そして「東晋における孫呉との継承関係を示すのが蔣侯神信仰だ」と主張する論文:渡邉義浩「干寶『搜神記』の孫呉観と蔣侯神信仰(pdf)」 https://t.co/HuAGxHGJyd https://t.co/bI6yV0zJZT
鶴崎裕雄『「瀧山千句」と三好長慶』連歌の論文を多く書かれている鶴崎先生、特に三好贔屓の方には天文11年から永禄7年にかけて催された連歌会の参加者リスト「三好長慶連歌一覧」が必見ですね。個人的には天文11年6月11日の「榎列三好神五郎興行」が気になりました。 https://t.co/0SaNvq57Mz
三宅国秀は遣明船について調べていて知った人物ですが、遣明船といえばこちらの論文も面白かったです。天文年間の遣明船を推進したのは誰だったのか、とか。畿内戦国史をある程度ご存知の方には、楽しめる内容かと。 https://t.co/cEPkruBPB3
関剣平「魏晋南北朝における喫茶の文化」に描かれた、豪勢な酒宴ではなく質素な茶宴で客をもてなす桓温。帝位さえ窺う最高権力者桓温でさえ質素倹約を旨とするさまが、奢侈自慢の風潮に染まり切った西晋への深刻な反省を抱いている東晋人士の、そして東晋のいいところだと思う https://t.co/xpUHechVie
武田晴信によって信濃を追われた小笠原長時父子は遅くとも弘治の初め頃には上洛していたようです。時期的に将軍ではなく長慶を頼ってきたことが窺えます。永禄2年頃に長慶の病状を醍醐寺に伝える書状が残っているそうで、両者の関係が深いことは間違いない。こちらの論文参照 https://t.co/R0bjL3gGDO

46 0 0 0 OA 御伽草紙

まだ見られてるようなのでこっちにも書いておこう。 入試で「玉水物語」に興味を持った受験生等、若い人たちは、国語の先生と一緒に読んでみたら良いと思います。 「玉水物語」翻刻本文はNDLで画像公開されています。 https://t.co/rKPlWuemtc 電子テクストもあります。 https://t.co/JmeJX4fJRu
戦国大名による流通統制と都市支配 : 安芸国厳島を例に https://t.co/O5V8zgNHQC 厳島の商業権益を巡る大内・陶・毛利氏と海賊村上氏の動向がよくまとまっててよく読み返す論考(pdfで読める)
芳澤元「「経帯麺」の初見 : ラーメンと室町文化」 https://t.co/AnKNCXcrWd #CiNii 新横浜ラーメン博物館が室町時代に食された「経帯麺」がラーメンのルーツだとしたのに対して、それよりもさらに120年前の南北朝時代に後醍醐天皇の皇子が「経帯麺」という題の漢詩をよんでいることを指摘している。
高橋研一「戦国大名毛利氏の防長支配と元亀三年龍福寺「再興」 」 https://t.co/ubw8NrdxNs 毛利時代の山口支配に関わる黒川著保が青景隆著の関係者という指摘がある、が明確な裏付けがあるわけではないっぽい。 「加賀の大内氏」が手元にない、、、となって複写していたら次のページに載っていた
CiNii 論文 -  GTH(ごっつう・つよい・はっきん)の高温特性 (特集 白金族金属の資源と製造・リサイクル技術の新展開) https://t.co/Q8W7mrUWGY #CiNii
【メモ】山内譲「室町時代の伊予:『予章記』の背景」(『中世文学』62、2017年)https://t.co/tTFe6f31gi
【メモ】山内譲「室町時代の伊予:『予章記』の背景」(『中世文学』62、2017年)https://t.co/tTFe6f31gi
本日の新幹線のお供、細川藤孝の動向についてφ(..)薄々気づいてたが、やっぱ死ぬまで藤孝本人は長岡から細川に名前を戻さなかったんだな... https://t.co/drpLplDUep
今更かもだけど、戦国時代に鉄砲玉として使われてた鉛の約半分が東南アジア産だったのは衝撃。 九州の戦乱が博多とか長崎みたいな国際貿易港を巡って繰り広げられてるのも、こうした側面があったからかも。弾丸ないと鉄砲を運用出来ないからね。 https://t.co/v3HGA9hqBX
また、松永弾正邸の賑やかな左義長の様子に何らかの意図が込められているとすれば、単純に三好・松永を対抗勢力と捉える将軍義輝が上杉謙信に彼らの排除を要請したと見るのも早計ではないかと。幕臣として久秀を義輝に近い志向とする評価もありますし。https://t.co/wBFleBVzrB https://t.co/SE8NKmKbi8
永禄年間の三好・松永と将軍義輝の関係に興味ある方に良いまとめ。法華宗寺院や弾正邸の描写に義輝と久秀の信頼関係を読み取っていて、別方向からの久秀忠臣説と言えるかも。戦国時代展の予習にも最適? / “CiNii 論文 -  『上杉本…” https://t.co/L2B1b0O3Qj
CiNii 論文 -  16世紀における毛利氏の「おち」のあり方 https://t.co/YoVqFfSoWG 3年前の講座の講師の方の論文探したらこれしか見つからなかったけど14年前の
“CiNii 論文 -  蹴鞠伝授書から見た室町・戦国期における飛鳥井家とその周辺” https://t.co/P728dddXxw
CiNii 論文 -  大内氏の対外交流と筑前博多聖福寺 https://t.co/K6zHtDATAh
CiNii 論文 -  戦国時代における筑前国宗像氏発給文書の一考察 : 官途状、官途吹挙状、加冠状を中心に(II 中世社会の展開と近世社会の成立,近世社会の成立と展開,所理喜夫先生退職記念号) https://t.co/spZKRI8Xm2
CiNii 論文 -  房州堀考 : 戦国時代の博多の復原のために https://t.co/6S3dwzrdd6
一五五〇年代における大友氏の北部九州支配の進展 : 大内義長の治世期を中心に (特集 戦国期九州の政治過程論) https://t.co/3t2xry2e88 これは読んだ。防芸引分の前からすでに大内の九州支配は綻びをみせはじめ、大友さんが少しずつ入り込んでくる、というお話
CiNii 論文 -  大内氏滅亡後の防長旧臣層と毛利氏 https://t.co/2UYOpIfb1B これ、ゲットしてない、、、

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