天翔 (@Tensyofleet)

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陸軍特殊船M丙型の熊野丸、戦後は浮きドックになって川崎神戸で昭和40年代半ば頃まで現存していたりします J-STAGE Articles - 二重底を改造せる浮船渠の設計に就て https://t.co/9JIzUn46T8 https://t.co/hU5GxbOEYG
甲25型は丁型海防艦の主機関でもありますが、1サイズ小さい出力最大1,200shpの戦標甲12型タービンが現存しています。 写真を見てもサイズはかなり小さいのですが、そもそも3,000馬力以下の蒸気タービンというものは、あまり一般的ではない気がしますね。 https://t.co/r9RJW98z2K https://t.co/UsbbDtZEfG
時は1930(昭和5)年4月13日(日曜日)、午前10時から一ツ橋学士会館にて開催された造船協会の春季大会において、臨時総会に引き続いて開催された講演会での一幕です。当時平賀は同協会の理事でした J-STAGE Articles - 淺間丸龍田丸機關部計畫及び成績に就て https://t.co/SbCQZ9mgOW
21号缶とロ号艦本缶、戦後10年経ってもその辺に転がってたの。。。(当所=三菱横浜 J-STAGE Articles - ボイラのケミカルクリーニングについて https://t.co/tQQYZVWSMY https://t.co/zjcCBeXzj9
燃えるタンカー https://t.co/AhFR6WJN4R https://t.co/MZ8ESWrze4

2 0 0 0 港湾特論

この試作船ではなさそうだし、2隻目か3隻目のソ連に接収された方かな https://t.co/PGmWCwL6PA
満州のコンクリート船、乗ってた人の手記あるんだな https://t.co/kmArddmIkb https://t.co/xo5AUEN25l

8 0 0 0 OA 官報

官報記載の優秀船舶建造助成金の告示はこちら https://t.co/HKgDZuBIXi

21 0 0 0 OA 軍隊調理法

味噌のあれこれでふと思い出しましたが、「軍隊調理法」に記載のバター不使用な「葱味噌バタ」はどう解釈すべきなんでしょうね https://t.co/VKMVdIA1Gn https://t.co/DQf3aoAcHL
GHQの許可は1945(昭和20)年11月30日付のSCAPIN-371で出ていて、当初の期間が1945/12/1-1946/3/31。続くSCAPIN-847で1946/4/1-4/30を追加して期間延長。 https://t.co/WH5gRKR2O1 https://t.co/HOF9BN6gSS https://t.co/W062hsnbJC
@jamnekodd 最初は区別する必要がないので無印「標準船」ぽいですねぇ。戦標船の2次も最初は「改」ですし https://t.co/JA8tSkGyrT https://t.co/GuBXBW3GJn
RT @Tensyofleet: ということで、戦標2TM楠栄丸の戦標甲12タービンらしい。残ってるもんだねぇ。。。 https://t.co/r9RJW9pC4K https://t.co/DdeN4TQ3eM
別の写真とその裏書。カメラ方向が北西となっているが、遠景に写っている島は馬渡島(まだらしま)だろうか。相変わらず写真は不鮮明でよく分からないが、船首が手前側で右舷から沈みつつあるように見える。 https://t.co/dX7Yy6TRIl https://t.co/JbFzPM95w4
報告書の2番目の目標に""Suger Able Suger"、"1,000総トン"の文字が見える。2機で500ポンド汎用爆弾5発を投下、それぞれが2発ずつを命中させて、攻撃開始から2分で沈没したことになっている。 https://t.co/7s5qBADNfS https://t.co/p1KpULv8fn
1945(昭和20)年7月24日、第124哨戒爆撃飛行隊のPB4Y-2の爆撃を受けて沈みつつある日本商船。複写写真の画質が荒くてよく分からないが、第11快進丸(大連汽船,戦標2EH/川南深堀建造)の可能性が高いのではないかと思う。 https://t.co/MIL5wKi3IA https://t.co/hve3FchgGq

23 0 0 0 OA 漁船建造必携

@DrydockDreams Don't sink her, please ;p https://t.co/iZ58qkhToA

4 0 0 0 船舶

もちろん「船舶」も入っていますよ https://t.co/yn1rad6bLM https://t.co/Ta7ZlbR9c6
そうそう、雑誌「船舶」の前身である「モータシップ」も入っています。問題は国会図書館は欠号が多くて、全部見ようとすると大変なんですよね https://t.co/q02rNFpUKH https://t.co/2jKzpTbEEC
なお場所はこちら。前にいるのは原田丸かな https://t.co/3IHlJ1rZ0m https://t.co/3jmqiHgq5g
他に見つけたところですと、大型高速貨物船で初の遮浪甲板船として建造された、1931(昭和6)年竣工の霧島丸(国際汽船)のかなり解像度の高い図面が見られます 。右はその広告 https://t.co/5fXsmoJLMh https://t.co/LLV0KckMqs

1 0 0 0 海運報国

@minelayer11 ここだと「開戦以来8輸送船」みたいな記述もあるんですよね https://t.co/Hd2ybepSQL
違う記事ではこのような記載があります。更生大発ですね https://t.co/AMjdDDhrxY https://t.co/YD2WYK9186
一方で、大洋漁業の第二天洋丸では「大型発動艇」「発動艇」との名称が使われています。『鋼製』とされる14mの方はどうやら旧軍で使用した大発そのものらしいのですが、10mの木製の方はよく分かりません。ちなみに極洋捕鯨も「大発」らしいですね https://t.co/dbDJhft95r https://t.co/irx773nh70
捕鯨工船の搭載艇ですが、日本水産の摂津丸は「川崎船」との名称でその要目はこちら。通常は『ボート甲板』となるところ、図面上『川崎甲板』になっているのも面白いですね https://t.co/Gu2is9alTH https://t.co/FM3W4xyoEL
あるぜんちな丸は電動揚錨機を持っていて、出力は120馬力。仮に25馬力あったとしても、代替は無理じゃないかな J-STAGE Articles - 世界一周航路貨客船あるぜんちな丸 https://t.co/DJZbIDu1D2 https://t.co/Dn5mBfUI6j

2 0 0 0 OA 日本船名録

23トンの木船にそういうのがいるな。見た目は底引船に見えるけれども。 https://t.co/bZlssnOS5e https://t.co/w1ApvxUHvE

14 0 0 0 OA 日本近世造船史

設計はいずれも英国です https://t.co/J0DSBBmI3V https://t.co/2LIuNp1APO
7,000トンの第1浮船渠は三菱長崎で建造され、1905(明治38)年7月に神戸に回航された後8月8日に開渠式を行い、この日が神戸三菱造船所の創立記念日となっています。12,000トンの第2浮船渠は三菱神戸の建造で、進水に2度ほど失敗したりしていますが。 https://t.co/G1Mt7Ks2pF https://t.co/pL8z6dyBA6

5 0 0 0 OA 中部翁略伝

林兼の当時の社長である中部幾次郎の伝記には、主機2台では漁期に間に合わない旨が記されているが、速力云々については記述がない。 https://t.co/hJjgcqnPg0 https://t.co/MH9MUQFImK
一方で、日新丸を建造した川崎造船所では異なる理由が伝わっているようだ。日新丸の原型である"Sir James Clark Ross"より「速力を増したい」との船主の要求があり、原型の2軸を1軸に改造した、となっている。 https://t.co/mHThw17kPC https://t.co/6uGLalITq8
私もこの記述をどこで見たかは忘れました。。。>ウィンドスル 川崎神戸の職工学校の教科書(1940(昭和15)年発行)にも記載はありますね。 https://t.co/do23mX2xRS https://t.co/URFlVvjk0r https://t.co/VuWuPcx6Eb

20 0 0 0 OA 最新漁船図集

現代でトローラーと言えば船尾のスリップウェイから揚網するスターントローラーですが、戦後この形式が登場する前はトローラーと言えば舷側から揚網するサイドトローラーでした。駿河丸も右舷に網を揚げるギャロースを装備しているので、左右非対称になっています。 https://t.co/j1q6TzeetZ https://t.co/nWO4sxetNG https://t.co/nMyd9hKNx8
1945(昭和20)年1月12日付、VF-11の報告書添付の写真。同航空隊はUSS Hornet搭載のF6F。攻撃を受けているのはヒ86船団の戦標2TL、極運丸(極洋捕鯨,10,045総トン)。 https://t.co/E5hlq3xhgx https://t.co/Y0DXFR6n9e

31 0 0 0 OA 米国海軍の真相

RT @mits3263: https://t.co/Gt3wMfHrNH 『米国海軍の真相』って国会図書館デジタルコレクションにあったんだ。他のページろくに読んでないけど、この本の「推進機関の進歩の現状」がとにかく良いんですよ。特に電気推進の利害得失が実に丁寧に書かれていて。
もっとも、このストーカは使いづらかったらしく、間もなく撤去されたことが記されている。 https://t.co/xBAe6TaC8L https://t.co/QImi92ZbW3
固体燃料である石炭は中々に扱いづらい代物で、一旦船に積んだら缶に投げ込むところまで機械化したい、と考えるのが人情。そうは問屋が卸さないのが現実。戦前「水管缶用のメカニカルストーカ」を装備したとされる船も、それほど数がある訳ではない。 https://t.co/C5x6wmdRB2 https://t.co/xS6JWGYJTg
@minelayer11 @jamnekodd ところでこの話の出典は↓なんですが、ここに出てくる「特型駆逐艦」とやらはやっぱり特々のことなんでしょうかね 造船工作法の今昔 : 大供(おおども)会座談会の記録 https://t.co/O0VLRYjk3M https://t.co/vyZl5rRvG8
@minelayer11 @jamnekodd ちなみにこんな論文が三菱横浜から出ていますが、執筆されたのは1964(昭和39)年です。1万総トンの貨物船で、立体ブロックの重量は29~55tのようですね。 「船体建造における立体ブロック方式について」 https://t.co/M2aOnfUi9w https://t.co/Ahi4LWXcju
@jamnekodd お米を炊くにも手を抜かない! CiNii 論文 - 艦船用蒸気飯釜に關する研究 https://t.co/SkYtEVdvOL

69 0 0 0 OA 国産機械図集

戦前日本で製造された舶用ディーゼル機関のうち、単機出力1万馬力(定格)に達したものは川崎MAN(10,000bhp)だけで、次いで横浜MAN(9,400bhp)と三井B&W(9,800bhp)。もっとも、川崎MANは掃気ポンプが別体型で別に動力が必要だが、一体型の横浜MANと三井B&Wは不要。 https://t.co/sIdFDsDXfC https://t.co/0fogy1dPW9

69 0 0 0 OA 国産機械図集

戦前の川崎型油槽船の主機として有名(?)な、川崎神戸のMAN DZ型複動2サイクルディーゼル。総製造数は38基、製造期間は昭和9~28年で、戦後の製造台数も1/3の13基に及ぶ。 https://t.co/epCLnVuj14 https://t.co/SBKD0jaGzG
@lrt_kyuu ex熊野丸の浮きドックは改装経緯も残ってますね https://t.co/9JIzUnl9V8

20 0 0 0 OA 最新漁船図集

複筒一段減速で出力2,100shp、最大速力16ktと中々に快速であるが、後が続かなかったことをみるに、好評とはいかなかったらしい。部分負荷時の効率の悪さ、操業時の頻繁な発停・前後進の切替や、後進時に全力が出ないあたりは蒸気タービンの特性上苦手とするところである。 https://t.co/wOlWlliNnJ
修理不可能とも見られていたが1949(昭和24)年7月、真っ二つになりかけていたのを二つに切り離し、舞鶴まで曳航して繋ぎなおした記録が残っている。 https://t.co/pllI5UVlaD https://t.co/je6wy1k563
実はSCAPIN-847とほぼ同じ文書が1945(昭和20)年11月30日付(SCAPIN-371)で出ていて、よく見ると371の期間が1945/12/1-1946/3/31、847が1946/4/1-4/30で、371の期間を延長したものらしい https://t.co/WH5gRKR2O1

6 0 0 0 OA 捕鯨業

さて、南氷洋の捕鯨母船と付属捕鯨船の組み合わせは、年によって若干異なるもののおおむね決まっている。これは、母船の建造に合わせて捕鯨船も整備されることと、南氷洋捕鯨船団が農林省の認可制であることがその理由。 https://t.co/iGcstJ0DoZ https://t.co/V6YVh4wuds https://t.co/Q6XvItPY12
当時日本有数の建造能力を持つ川崎神戸において、戦標1TLを建造した際の記録。最大のブロック重量は23トン。呉工廠の100トン吊れるクレーンは、当時の日本において破格の性能>RT (もっとも西島大佐によれば、肝心なのはクレーンの吊り上げ重量ではない、とのこと) https://t.co/K4gzevf9jG https://t.co/X2BPgkD6lw

4 0 0 0 碎氷船

昭和18(1943)年の造船協會會報72号、「碎氷船」より。宗谷=地領丸を含む天領丸級3隻はリストにない。 まあ、「現存せず」となっている壹岐丸は樺太丸と名を変えて就航してはいるのだけれども。 https://t.co/LPKlSXpP5y https://t.co/MqbbPEKANf

5 0 0 0 OA 我社の生立

白鹿丸の進水式は社史にも写真が掲載されている。 https://t.co/vVUtEc5Uri https://t.co/439t9bErlT

5 0 0 0 OA 我社の生立

公開年は1918年=大正7年らしく、浅野の社史を見るに、どうやらA型船の白鹿丸らしい。浅野造船所はこの前年の大正6年に開所している。 https://t.co/TyVhADNvRT https://t.co/YxMJDA6hjo
RT @G21772179: @Tensyofleet 横から失礼します ワクワクさせられる映像ですね 映像の2:55頃、車体に「形式 ソ1」と描いてあるように見えます リンク先(PDF)の図と見比べると、形態からしてソ1形のソ2以降ではないでしょうか https://t.co…
年代的には相応だけれども、翔鳳丸型は甲板上に通風機室がない。 「鉄道技術発達史 第6・7・8篇」 https://t.co/J1fzfRap53
最後に、タイプシップである翔鳳丸型連絡船。こちらも円缶搭載船と水管缶搭載船があるが、後者のみ缶室密閉式であることが分かる。 「日本近世造船史 大正時代」 https://t.co/xRkx79Fzni https://t.co/jW6m4peN8d
さらに昔は「石油」と「瓦斯」だけども 「動力付漁船ニ関スル統計. 大正15年3月」 https://t.co/EQWSoBWwAF https://t.co/OR0NEPP48A

5 0 0 0 OA 官報

時は昭和7(1932)年9月末、官報に船舶改善助成金の内容が掲載された。代船建造の申請書は10月1日以降に提出すること、となっている。 https://t.co/zzNGCEMdeR
それでも冬季北太平洋の荒海には抗しがたかったらしく、時折船体に破損が生じていたようだ。みんな大好きさんぢゑご丸も、就航2年を目前に荒天に遭遇して船体中央部に損傷が発生している。 https://t.co/NEPvfPBR2s https://t.co/sUznd4lgQv

14 0 0 0 OA 日本近世造船史

本船の油槽船としての図面。船体に縦通隔壁はなく、積荷の自由表面を制限するのは膨張トランクのみとなっている。 https://t.co/nrs540u84a https://t.co/ajxc3YHklv
大阪鉄工桜島→日立桜島の第一号船渠は1万トン級で、寸法はこちら。684ft=208.5mですので葛城には寸足らずですね。 https://t.co/z6p7qIr8l8 https://t.co/W5feWw4RNm

14 0 0 0 OA 日本近世造船史

なお、竣工時の図面はこちらにあります。 https://t.co/tR5fGlnyXa

4 0 0 0 OA 日本船名録

@LChcek ・画像は昭和14年版「日本船名録」の一部です ・登録されている「大久丸」の名を持つ船舶を例示しました ・この大久丸は、総トン数90トンの機関を有する木製帆船です ・同船のここに記載されている事項以外については承知していません https://t.co/W4vtCTBofo https://t.co/AZxkM9Drl3
@jamnekodd 「縦隔壁が撤去されることはありませんでした」って書いてあるので、ご存じない可能性もありますが>孔 すでにこういうのもありますけれども J-STAGE Articles - 平賀譲先生を考える1 https://t.co/0yafBDAniG
船のサイズは置いておくとしても、大正2(1913)年に139隻いた本邦のトロール船は5年後に6隻まで激減しております。その後復活しますが、70隻の規制があるのでそれ以上は増えませんね https://t.co/dDdu91ka11 https://t.co/LncBzCwipy
終戦直後>RT https://t.co/dIrNHCbWxq https://t.co/LdEuVaIacH
撮影日不明の戦標2TM。ルバング島で座礁した、となっているが、あの辺りで原型をとどめたままのし上げた2TMってどれだろう。 https://t.co/w1961MfRNc https://t.co/3crhnSyEjV
船名不詳の戦標2TL。コロン湾、ということになっているけれども。。。 https://t.co/CZCdIahMeA https://t.co/xhq5QZkWxs
@jamnekodd 全然関係ないですけど船底起爆用の凧でもお楽しみください https://t.co/2lRsKc50DZ https://t.co/WUB5C83yRb

8 0 0 0 OA 官報

次いで9月1日付で運輸省の告示が出て、両者の内容が示されている。 https://t.co/tyj52Q7gGd https://t.co/RMZXPJhGJG

3 0 0 0 OA 官報

昭和19(1944)年6月24日付で、海軍省令第三十七号として「船舶用圓罐焚火要具操法」「船舶用圓罐汽釀教範」が定められる。 https://t.co/OHXXWWMUUZ https://t.co/BjF2lqhx3A
こないだまでインターネット公開されていた資料が、いきなり国立国会図書館内限定になっているでござる。。。 https://t.co/HnAFay9AaD
砕氷船ふじの船体中央断面図。アイスベルトは船首部で45mm、中央で30~35mm、船尾で38mmらしい。 J-STAGE Articles - 南極観測船「ふじ」について(第68期年度秋季大会における特別講演) https://t.co/CgIYKhEL2q https://t.co/QOyKeHMehg
戦間期日本における肥料需要=消費構造 https://t.co/dlh5xK8Ngo
当時の生産と消費、流通から成り立っている構造を、戦後の視点で一面だけから見ても、正しい形は見えてこないのですよ 1920年代における水産物冷蔵流通構想と実践 : 葛原冷蔵の創業と失敗について https://t.co/usiDlb45sf
消費量が増えてるのは事実だけれども、結構な割合が非食用として生産されていたのも事実。これは非食用目的に生産していたもので、取り過ぎて腐らせていた、というのもまた正確ではない。昭和時代に入ると、化学肥料に押されてはくるのだけれども。。。>RT https://t.co/btrMx8oP2L https://t.co/z1heoEmqhG
昭和18年下半期から第三船台埋めてみたでござる https://t.co/zvV5ZJSoco https://t.co/CrKqh4uoWg https://t.co/oFMec08nOb
数年前からこんな論文とかが出てて、一度見てみたいなぁとは思っているのです。 CiNii 論文 - 「昭和十五年/十六年度漁場日誌」に見る戦前の南氷洋捕鯨について : 中部利三郎資料より(前編) https://t.co/cuQnViLNy0 #CiNii

14 0 0 0 OA 日本近世造船史

第一大福丸の図面。第三船倉は船橋と煙突の間、すなわち缶室直前に位置している。 https://t.co/4Ulo0zVEeW https://t.co/n8qMkKAJLI

6 0 0 0 OA 碎氷船

@baron_yamaneko 色々な形式があるので一言で示すのは難しそうですが、概ねその表現で実態に即しているのでは。時々見かけますが、十把一絡げに「マイヤー型船首」と表現するのはどうかなと思います。 J-STAGE Articles - 碎氷船 https://t.co/V5sM6Sxat7 https://t.co/vWo6RilRAg

3 0 0 0 OA 南洋の油田

同じ時期のもの。こちらは各油田の歴史などもう少し詳しい。 「南洋の油田」 https://t.co/IzWF2ljDzr
南洋産原油の色々。1940(昭和15)年のものなので、開戦直前の油田の位置や生産量の概略が分かる。 J-STAGE Articles - 南洋の石油資源 https://t.co/lCvTvOAmz2
RT @Tensyofleet: 日本郵船が昭和10年頃からディーゼル船にの燃料に汽罐燃油こと缶用重油を混入し始めた頃の記録。ここで取り上げられているのは要目と主機から見て照国丸級だな。 舶用ディーゼル機關燃料管見 https://t.co/YkOiCO5hTF https:/…
ふろりだ丸と玖馬丸。共に三島型で長さも同じ船だが、前者が木材の甲板積を、後者はばら積み貨物を考慮した設計になっている。玖馬丸は機関室前方にディープタンクを持っているのが目を引く。 J-STAGE Articles - 「フラガー」式「ディーゼル」機關に就て https://t.co/PvOftv3MIp https://t.co/DwZ70Nevqd
@minelayer11 ( ゚∀゚)o彡゜節米!節米! https://t.co/6D4GvdX8X3 https://t.co/nex1pUm7M0

14 0 0 0 OA 日本近世造船史

本船は1922(大正11)年に建造された2,170総トン、試運転最高速力11.7ノットの大阪商船の南方三国間用貨客船。甲板客搭載のため、後部甲板に「遮陽甲板」を持っている。 https://t.co/tR5fGlnyXa https://t.co/jRhxLxz3we
終戦直後の川南工業香焼島造船所。黒く潰れてしまっているけれども。。。 https://t.co/bLJxJWXBLU https://t.co/SJRasViVId
船舶はあらかじめ各国において運河トン数の証書の交付を受けておき、これに基づいて通航料を支払った。日本ではこのような規定が1915(大正4)年に定められている。 https://t.co/NOozQ3lI3g https://t.co/PrPZ5FeOD6
@RX2662 本船は冷凍工船第二天洋丸(ex大橘丸(未成,戦標1TL),川崎神戸)で、鳳翔のものとされる150馬力直流電動機は、冷凍機の冷媒圧縮機の原動機3台に使われたようです。 https://t.co/Ub94iEB5HO https://t.co/vldITndHNx
造船規程(逓信省)と鋼船規則(帝国海事協会)が並行運用されていたのは、1922(大正11)年からであるらしい。 https://t.co/lThY32CWjE https://t.co/UnNZ0vOR3Z
そこで1940(昭和15)年、旧来の「造船規程」に代わるものとして「鋼船構造規程」が制定された。 ここで明確に単語として登場するのは「遮浪甲板船」だけとなり、その他の船型の名称は消えている。 https://t.co/VPGJPLS5rx https://t.co/GEgBWml6yQ
この辺りの規程がどうの、というのを初めて見たのはここだったかな。鉄道連絡船のことを調べていた当時に、「日本近世造船史」で行き当たった関釜連絡船の壱岐丸級の項目。 https://t.co/hWSkIFpyAL https://t.co/JQ5M6hQZz7

6 0 0 0 OA 官報

造船規程は数回の改正を経て、1922(大正11)年の改正で、この定義が「重構船」「軽構船」「全通船楼船」「遮浪甲板船」の4つに変更される(第二条(削除)→第五条)。 https://t.co/67d5k3XUuP https://t.co/i8oaH3qK8i

7 0 0 0 OA 官報

さて、船を造るには法令の縛りがある。日本の場合、1896(明治29)年制定の「造船規定」がその一つである。 この規定の第二条には、「重甲板船」「軽甲板船」「覆甲板船」なる定義が登場する。 https://t.co/5wQGfwNj3J https://t.co/Vqw6IStZ7m
追加。1945(昭和20)年2月10日~3月4日までの空母ホーネット(CV-12)の戦闘詳報。 恐らく上2枚が長白山丸。”OFF KATENA”となっているけれども、記述からは"DD"と"Large SD"が那覇付近にいたことになっている。下2枚は同じくこの日沈没した水雷艇真鶴だろう。 https://t.co/sVEv4egGV5 https://t.co/SkY5EYZwGp

3 0 0 0 OA 漁船統計表

電気着火機関は、漁船に関する統計上にも出てくる用語であったりする。 漁船統計表. 昭和9年 https://t.co/RVJtoNeAc3 https://t.co/WhjacPDXFm

お気に入り一覧(最新100件)

別の写真とその裏書。カメラ方向が北西となっているが、遠景に写っている島は馬渡島(まだらしま)だろうか。相変わらず写真は不鮮明でよく分からないが、船首が手前側で右舷から沈みつつあるように見える。 https://t.co/dX7Yy6TRIl https://t.co/JbFzPM95w4
報告書の2番目の目標に""Suger Able Suger"、"1,000総トン"の文字が見える。2機で500ポンド汎用爆弾5発を投下、それぞれが2発ずつを命中させて、攻撃開始から2分で沈没したことになっている。 https://t.co/7s5qBADNfS https://t.co/p1KpULv8fn
1945(昭和20)年7月24日、第124哨戒爆撃飛行隊のPB4Y-2の爆撃を受けて沈みつつある日本商船。複写写真の画質が荒くてよく分からないが、第11快進丸(大連汽船,戦標2EH/川南深堀建造)の可能性が高いのではないかと思う。 https://t.co/MIL5wKi3IA https://t.co/hve3FchgGq

2 0 0 0 OA 日本船名録

23トンの木船にそういうのがいるな。見た目は底引船に見えるけれども。 https://t.co/bZlssnOS5e https://t.co/w1ApvxUHvE

5 0 0 0 OA 中部翁略伝

林兼の当時の社長である中部幾次郎の伝記には、主機2台では漁期に間に合わない旨が記されているが、速力云々については記述がない。 https://t.co/hJjgcqnPg0 https://t.co/MH9MUQFImK
一方で、日新丸を建造した川崎造船所では異なる理由が伝わっているようだ。日新丸の原型である"Sir James Clark Ross"より「速力を増したい」との船主の要求があり、原型の2軸を1軸に改造した、となっている。 https://t.co/mHThw17kPC https://t.co/6uGLalITq8
1945(昭和20)年1月12日付、VF-11の報告書添付の写真。同航空隊はUSS Hornet搭載のF6F。攻撃を受けているのはヒ86船団の戦標2TL、極運丸(極洋捕鯨,10,045総トン)。 https://t.co/E5hlq3xhgx https://t.co/Y0DXFR6n9e
もっとも、このストーカは使いづらかったらしく、間もなく撤去されたことが記されている。 https://t.co/xBAe6TaC8L https://t.co/QImi92ZbW3

69 0 0 0 OA 国産機械図集

戦前日本で製造された舶用ディーゼル機関のうち、単機出力1万馬力(定格)に達したものは川崎MAN(10,000bhp)だけで、次いで横浜MAN(9,400bhp)と三井B&W(9,800bhp)。もっとも、川崎MANは掃気ポンプが別体型で別に動力が必要だが、一体型の横浜MANと三井B&Wは不要。 https://t.co/sIdFDsDXfC https://t.co/0fogy1dPW9

69 0 0 0 OA 国産機械図集

戦前の川崎型油槽船の主機として有名(?)な、川崎神戸のMAN DZ型複動2サイクルディーゼル。総製造数は38基、製造期間は昭和9~28年で、戦後の製造台数も1/3の13基に及ぶ。 https://t.co/epCLnVuj14 https://t.co/SBKD0jaGzG
船のサイズは置いておくとしても、大正2(1913)年に139隻いた本邦のトロール船は5年後に6隻まで激減しております。その後復活しますが、70隻の規制があるのでそれ以上は増えませんね https://t.co/dDdu91ka11 https://t.co/LncBzCwipy
撮影日不明の戦標2TM。ルバング島で座礁した、となっているが、あの辺りで原型をとどめたままのし上げた2TMってどれだろう。 https://t.co/w1961MfRNc https://t.co/3crhnSyEjV
船名不詳の戦標2TL。コロン湾、ということになっているけれども。。。 https://t.co/CZCdIahMeA https://t.co/xhq5QZkWxs

8 0 0 0 OA 官報

次いで9月1日付で運輸省の告示が出て、両者の内容が示されている。 https://t.co/tyj52Q7gGd https://t.co/RMZXPJhGJG

3 0 0 0 OA 官報

昭和19(1944)年6月24日付で、海軍省令第三十七号として「船舶用圓罐焚火要具操法」「船舶用圓罐汽釀教範」が定められる。 https://t.co/OHXXWWMUUZ https://t.co/BjF2lqhx3A

14 0 0 0 OA 日本近世造船史

第一大福丸の図面。第三船倉は船橋と煙突の間、すなわち缶室直前に位置している。 https://t.co/4Ulo0zVEeW https://t.co/n8qMkKAJLI
船舶はあらかじめ各国において運河トン数の証書の交付を受けておき、これに基づいて通航料を支払った。日本ではこのような規定が1915(大正4)年に定められている。 https://t.co/NOozQ3lI3g https://t.co/PrPZ5FeOD6
造船規程(逓信省)と鋼船規則(帝国海事協会)が並行運用されていたのは、1922(大正11)年からであるらしい。 https://t.co/lThY32CWjE https://t.co/UnNZ0vOR3Z
そこで1940(昭和15)年、旧来の「造船規程」に代わるものとして「鋼船構造規程」が制定された。 ここで明確に単語として登場するのは「遮浪甲板船」だけとなり、その他の船型の名称は消えている。 https://t.co/VPGJPLS5rx https://t.co/GEgBWml6yQ

6 0 0 0 OA 官報

造船規程は数回の改正を経て、1922(大正11)年の改正で、この定義が「重構船」「軽構船」「全通船楼船」「遮浪甲板船」の4つに変更される(第二条(削除)→第五条)。 https://t.co/67d5k3XUuP https://t.co/i8oaH3qK8i

7 0 0 0 OA 官報

さて、船を造るには法令の縛りがある。日本の場合、1896(明治29)年制定の「造船規定」がその一つである。 この規定の第二条には、「重甲板船」「軽甲板船」「覆甲板船」なる定義が登場する。 https://t.co/5wQGfwNj3J https://t.co/Vqw6IStZ7m
図面上でも6番と7番の倉口に挟まれて存在するのが分かる。 J-STAGE Articles - 沈船聖川丸の修復工事に就て https://t.co/gdQhG3sZGx https://t.co/dCE9ryF56B
「遮浪甲板船」は『常設閉鎖装置を備えざる甲板口』を持ち、その開口部を持つ区画の容積を除外して総トン数を小さくするもの。 https://t.co/tUAjpUZbcc https://t.co/xcqcdbbs5e
なので開戦までに整備された遠洋トローラーはそこまで数は多くない。昭和一桁台後半あたりから遠洋トロール船が増えだすのが分かる。 汽船「トロール」漁業ノ現況 昭和11年3月 https://t.co/JkoKv0w3Qj https://t.co/pgRjHrGb2a

20 0 0 0 OA 最新漁船図集

なぜ本船が戦時中に特設運送船(給糧船)になったかというと、漁獲物の冷凍設備と冷蔵倉を持っているため。 https://t.co/j1q6TzvhvZ https://t.co/FfgxCLbwLb

22 0 0 0 OA 国産機械図集

参考までに、川崎型(日本丸)の機関室配置と、ここに収まっている主機D8Zu72/120Tの長さは13,370mm=13.4m。 https://t.co/UodjgVoqii https://t.co/pmHoIw8HGP
ちなみにどれくらい長いかというと、あるぜんちな丸の船体中央部のフレーム間隔は900mmなので、どこまでの寸法を取るかによるけれども、図の範囲だとおよそ17.5m前後ではなかろうか。 J-STAGE Articles - 世界一周航路貨客船あるぜんちな丸 https://t.co/DJZbIDu1D2 https://t.co/E31oqRnIGC

5 0 0 0 OA 油槽船に就て

なお、本船は上部構造物に流線形を採用して所要馬力を数百低減させつつ、その優美な姿が称賛されていたりもするが、強風の場合甲板室の周囲に風下となる部分がなくなり、船員の交通に支障が出る、といったこともあったようだ。 J-STAGE Articles - 油槽船に就て https://t.co/u0YKH7TI1O https://t.co/aRcaAst5SS
本タービンは就航3か月後の1927年(昭和2)年2月を始めとして同年5月、1930年、1933年とタービン翼折損を起こし、1934(昭和9年)頃、遂に三菱長崎の「三菱ツェリー式2汽筒」タービンに換装されてしまう。 https://t.co/3xm698Azje https://t.co/WVsy8qdfDa
前後船倉と機関室は中心線に、その他は左右に入れた、とあり、この中心線両脇に走るず太い2本の構造物がソレなのだろう。やはりというか、「すげぇ邪魔」だったようだ。 https://t.co/Wfr0Lay4hS https://t.co/ZGliOGtCg0
本船の中身は中々興味深く、長さ/深さ比が17.8に達することから船体内にトラスを入れた。 https://t.co/wbGTNAe8g2 https://t.co/wvJN65OdTK

4 0 0 0 OA 官報

第六日東丸が名簿から消えた理由は詳らかではないが、1935(昭和10)年12月5日の官報において、11月21日付で第六日東丸私設無線電信廃止の旨が掲載されている。 https://t.co/rTEEfeuoq8 https://t.co/KIBguAYOHo

4 0 0 0 OA 日本船名録

1年遡って昭和10年の日本船名録。 船舶番号は第六日東丸が37121、第七日東丸が37122。つまり、第六日東丸が名簿から消え、第二十五日東丸は第七日東丸を改名したものではなかろうか。 https://t.co/q6W5aebwa2 https://t.co/6FjxEg1Gwm

4 0 0 0 OA 日本船名録

第二十五日東丸は1931(昭和6)年9月の建造であるらしい。昭和11年の日本船名録では、第五の次にいる。そして、船舶番号は第五が37120、第二十五が37122である。 https://t.co/5QBrts5Br0 https://t.co/X44M3JGSQK
さて、昭和14年版の船主別日本船名録を確認すると、第六と第七が欠になっている一方、新たに第二十五が追加になっている。どういうことだろうか。 https://t.co/HgtE0zZS7Z https://t.co/Q1qgKaZCu2

13 0 0 0 OA 冷蔵資料

冷蔵運搬船榛名丸(手前)と秩父丸(奥)。1923(大正12)年に横浜船渠(のち三菱横浜)で建造された1,462総トンの冷蔵運搬船で、同所で建造された同型・準同型計8隻の最終グループ。 https://t.co/DfwS0IxpvT https://t.co/pdeb4dozSt
戦後に調製された、戦時中における浦賀造船所の修理艦船調査表。戦没船はともかく、戦時中の軍艦や民間船舶の修理の状況は全くといってよいほど分からないこともあって、中々面白い。 https://t.co/oYmRlEAvIz https://t.co/hxaWXUJ8GV
遮浪甲板船とは、『常設閉鎖装置を備えざる甲板口』を持ち、上甲板(測度甲板)を一段下げて船の容積を小さくするもの。 https://t.co/sAUdyjFKtt https://t.co/NHY3hw5io6

8 0 0 0 OA 新海事法令集

戦時標準船1D型が1,900総トン、戦標2Dが2,300総トン、2TMが2,850総トンですね、ハイ。 「航行区域」は戦前の「船舶安全法施行規則」に定められていて、今も変更はない筈。 https://t.co/iYkCSyGSwE https://t.co/67rrNrt5s5

8 0 0 0 OA 官報

これが「船舶資格定員表」なのだけれども、昭和19年改正で、機関士も『公称馬力』ではなく「総トン数」を基準にすることになった。表も随分すっきりした。 https://t.co/xxQEdUSm5P https://t.co/dh8CGH8ade
3)昭和19年改正前の船舶資格定員表。乗組員はこの要件を満たす必要があった。例えば、「近海区域」「総トン数二千トン未満」だと船長:乙種船長免状(1名)、一等運転士・二等運転士:乙種一等運転士免状(各1名)の乗船が必要。 https://t.co/KZgNJInLOU https://t.co/4Bu5ZlINJU

8 0 0 0 OA 官報

最後となった昭和19年改正では、下記の三点が大きく変わっている。 1)「運転士」の名称が「航海士」に、無線通信士を追加 2)海技免状の種類を整理・削減 3)船舶資格定員表の改正 https://t.co/6ljWk1e5G6 https://t.co/8t5V2EE5nj

6 0 0 0 OA 日本船名録

記録としてはこれくらいしか残っていないので、汽缶圧力100ポンド/インチ、二連成往復動蒸気機関(復水器あり)1基、としか分からない。公称馬力18馬力から逆算して、1気筒あたりの直径は平均16インチくらいになるのではなかろうか。 。。。所有者大隈重信なんだ。。。 https://t.co/E4u4WJywfz https://t.co/0NIcpwm5re

29 0 0 0 OA 南極記

当時の人がそう書いてしまっているのだけれども、このサイズで18軸馬力はないだろう。 https://t.co/iVjqVEe7oy https://t.co/4x0TzbP2kj
余談ですが、陸上設置のボイラーには「ボイラーの馬力」として「公称馬力」が設定されていたりもします。これも意味合いとしては同じで、必ずしも実態を表していないもの。 https://t.co/ioOD0nqb6p https://t.co/4IFMdLhiyE
この「公称馬力」、船舶機関士の免状の要件だったりもするので中々廃止されなかったのだけれども、昭和19(1944)年の船舶職員法の改正で、船長と機関長、および追加になった通信士のすべての要件が「総トン数」によるものになったのでようやくお役御免となる。 https://t.co/rUKAm36bzU https://t.co/CvV1bouveV

12 0 0 0 OA 漁業者便覧

この「公称馬力」が各種法令に用いられていたのだけれども、時代が下るにつれ、石油発動機だの焼玉機関だのディーゼル機関が登場するので新たに修正が入ったりもする。 https://t.co/wC0awE4PGN https://t.co/Wc6qtryBRF

13 0 0 0 OA 官報

遡れば、明治17(1884)年制定の法令で定められたもので、当時舶用機関として一般的であった往復動蒸気機関の「大きさ」を示すものである。馬力の算定に用いる数字は気筒直径のみで、当時としてはこれでも一つの目安として有効であったのかもしれない。 https://t.co/WZmzflzTtt https://t.co/gUWTqZO9Z1
そういえば大東亞戰爭海軍作戰寫眞記録の1巻の方ですが、この写真はおそらく第二・第三図南丸のいずれかですね。ええい、そんな凝った構図はいらんから全景を写せ全景を https://t.co/rEiN1HXfN2 https://t.co/FtS9F6JCrJ
1945年1月4日撮影、奄美大島の名瀬港で座礁中の捕鯨母船極洋丸。時期的には、すでに船体の放棄が決定された後である。 https://t.co/L60lMRS2I9 https://t.co/KgszF4iaB7
アジ歴のは解像度が悪いから読みにくくていけない。第三図南丸のもの。 https://t.co/lEm6mMtJKD https://t.co/jw5ztdkryu
復旧工事の概要についてはこちらなど。 J-STAGE Articles - 沈船聖川丸の修復工事に就て https://t.co/gdQhG3sZGx https://t.co/iDomUGolsa
3Aがいるのが第5,第6船台で、手前から第2,1船渠を挟んで海防艦が係留されている付近が第1船台、未成海防艦がいるのが第2~4船台だろう。 https://t.co/EejlW5cznv https://t.co/bnUvJE0nIY
" View from atop a gantry crane control house"とあるが、船台右横の2基のうち、どちらかからの撮影だろうか。 https://t.co/cenObzRbce https://t.co/GRrGKjwp6J
捕鯨母船はまたの呼び名を「鯨工船」ということもある。船舶としての構造は油槽船の上に鯨油製造工場を設置したものだけれども、本質的にはむしろその工場が本体ともいえる。写真は日新丸(16,764総トン,大洋捕鯨,1936年)。 J-STAGE Articles - 鯨工船日新丸の建造に就て https://t.co/KWv8V1uP3j https://t.co/aLyzdlbaB8
主機全損、改21号型水管ボイラ1缶全損、他は80%良好、弁全損、配管全損、発電機操舵機復水器ポンプ類全損、ウインチのうち3台全損、2台とウイドラスは浸水せずそのまま使用。 J-STAGE Articles - 沈沒船内機関の腐蝕状態について https://t.co/NQs9R8BRc8
こちらは三菱横浜造船所。同様に、ここで建造された戦標1TMの進水重量は2,384トン、最大ブロック重量は6トン、船体外板の溶接:鋲接率は32%:68%。戦標2TLの進水重量は3,921トン、最大ブロック重量は18トン、船体外板の溶接:鋲接率は40%:60%。 https://t.co/vqAaQT2jUi https://t.co/SghY1hmiGd
この資料から分かることは、尼崎造船所で建造された戦標2Dの進水重量は800トン、最大ブロック重量は船尾ブロックの5トン、外板の溶接:鋲接率は15%:85%。 https://t.co/Hq2HABhroM https://t.co/1ipTEB9HGF
その回答の一部が国会図書館のデジタルコレクションに残っている。残念ながら全部ではないけれども。。。例えばこれは尼崎造船所のもの。 https://t.co/wvuAspTKSc
明治41(1908)年発行の「軍艦機關計畫一班」では、先のような理由から、すでに用いられなくなっている旨の記述がある。確認した国会図書館所蔵のものは、大正8(1919)年の増補版だけれども。 https://t.co/GcGrT7EQ48
"kingston valve"は、構造上弁棒が折損しても海水圧力で浸水が防げる利点がある一方、欠点としては円錐型の弁を弁棒と一体に製造する必要があり、弁が大型になるほど折損時に自重で外れる可能性もあることから、やがて用いられなくなっていく。 https://t.co/lVa5TUyijk https://t.co/o0BYdj2gkY

27 0 0 0 OA 日本近世造船史

日本で二番目に建造された軍艦である天城(初代,スループ)。主機関は『還働,横置,三気筒,二回膨張連成式』らしいが、図面を見るに、どうやら3つ並んだ同径のシリンダーの中央が高圧シリンダーで、その排気が前後のシリンダーに導かれているようだ。 https://t.co/cAxceGkytM https://t.co/BT0Fb3Ch16

22 0 0 0 OA 舶用汽缶学

なお、缶水に真水を用いてもやはり定期的に缶水を入れ替える必要があるので、この役割を持つ船底弁は引き続き使用されています。 https://t.co/KWRs9e7sNc https://t.co/SLuGnX5P5d
やがて缶水に海水が使われなくなってからも、船底弁にこの名称が用い続けられたのだろう。1908年にアメリカでFrederick Charles Kingston氏が、今に続くバルブの製造会社F. C. Kingston Companyを興したことが話を複雑にしているように思う。 海軍五等機関兵機関学教科書附図 https://t.co/lVa5TUyijk https://t.co/JwHVPOV86S
海水をボイラーで焚けば、当然その塩分濃度は上昇する。この煮詰まった海水を排出するための配管に設けられたのが、当初の「キングストン弁」の役割であった。 海軍五等機関兵機関学教科書(明治29年=1896年出版) https://t.co/jqhKCOKR2Q https://t.co/snls06gTqX
戦標1D型の写真はあまり見かけないのだけれども、こういう形で残っているのもなんともはや。 https://t.co/FEt3CNYIhG https://t.co/o8GCIEDgp6
1945(昭和20)年7月15日、空母ベローウッド艦載機の攻撃を受ける輸送船。おそらく留萌沖で沈没した七洋丸(戦時標準船1D型,1,938総トン,朝鮮郵船)。 https://t.co/EG8THcQU7N https://t.co/yGq24Gq4Mi
1945(昭和20)年7月15日、空母艦載機の攻撃を受ける日本商船。場所は北海道の"Fukuyama Wan"沖とのことだが、どこだ。。。 https://t.co/D7BAqAjE8D https://t.co/vonbEGAbQX
1945(昭和20)年5月6日、朝鮮半島沖で米PB2Y-5飛行艇2機の攻撃を受ける戦時標準船2A型、おそらく那珂川丸(6,886総トン,東洋海運)。報告書によれば、PB4Y-2 2機も攻撃を加えているようだ。 https://t.co/HcCs8KIgF1 https://t.co/MH1n92qRp1
1945(昭和20)年3月31日の空母ベローウッド航空隊の作戦報告書。赤円内が極洋丸、青円内が同時に座礁した丹後丸(6,893総トン,日本郵船) https://t.co/SgACIR3aeq https://t.co/1q8hnTsPVz
オフィシャルの回答と実情は違うのだろうけども、客船の方は実際のところどうだったのか気になるところではある。 J-STAGE Articles - N.D.L."Scharnhorst"級3船の航海實績 https://t.co/KR78jL0YFH https://t.co/u7kkqPiP1L
いずれの船も機関関係に不具合を出しつつ、それなりに運用されていたようで。 J-STAGE Articles - N.D.L."Scharnhorst"級3船の航海實績 https://t.co/KR78jL0YFH https://t.co/TEsFjf96RA
最後の設計を改めた1隻は新和丸(1,199総トン,飯野海運)で、本船を紹介する論文では題名に「全溶接船」と高らかに歌い上げているが、よく読むと鋲を全廃している訳ではない。 CiNii 論文 - 全熔接船に就て https://t.co/2HSwzKQbTv #CiNii
このグラフのうち、戦標缶各種の方は同じ著者の別の論文に数字が載っている。「危険水面」の考え方や、戦標缶についての記述もある。 https://t.co/PHrOwCYzyu https://t.co/SbncqpGVB7

14 0 0 0 OA 舶用機関研究

こちらが円缶で、戦標1C、2TMに搭載された3号缶。 https://t.co/z9XLbxZVzK https://t.co/NYXtlS0rSf

69 0 0 0 OA 国産機械図集

川崎型主機のD8Z 70/120。こちらはボルト直径6インチと読めるが、果たしてナット直径いくばくなりや。 https://t.co/mhb50qxeKc https://t.co/oYLH0Yo0AS
当時五号船台に載っていたのはどの船だろうか。撮影は7月1日となっているので、9日後に進水を控えた日南丸ではなく、日輪丸だろう。起工からおよそ4か月にしては、工事の進捗がいまいちのように思えるが。。。 https://t.co/lxPkcImb5Y https://t.co/BYDimtABBw
昼にRTした資料をパラパラと見ていて気付いたもの。撮影日時と場所からして、ヒ86船団所属の戦時標準船K型、辰鳩丸(辰馬汽船,5,396総トン)だろう。日本鋼管鶴見建造のK型の写真は初めて見るなぁ。 https://t.co/d6eBmx2WUG https://t.co/Si2zeuiuIc

6 0 0 0 OA 碎氷船

白陽丸の中央断面図と思われるもの。水線下は氷海航行用に傾斜を持つ独特の形状である。ビルジキールもあるようだ。 J-STAGE Articles - 碎氷船 https://t.co/V5sM6Sxat7 https://t.co/Rw8BNsZaOu
電気推進の欠点として、損失がすべて熱に変換される発電機・電動機の冷却が面倒、ということはあまり知られていない。しらせ(2代)でも制御機器はともかく、電動機は空冷であるようだ。 https://t.co/Yxu7cV70Vy
じゃあアメリカの電気推進の戦艦や空母はどうしていたのかというと、レキシントンでは『主交流發電機及び主推進電働機冷却用としては舷外よりの空氣を使用せす、艦内にて室氣冷却を行ひ之を循環す。』となっている。図は同艦の機関配置。 https://t.co/moaLKozHVa https://t.co/7ItqpsFp6S
結露対策とかどうしていたのかな、と思ったら、どうやら停泊時はヒーターで温めていたらしい。運転時は発電機・電動機自体が熱を持つので必要ないのだろう。 https://t.co/KGG14WsNmm
同型(?)3隻のうち、三菱長崎で建造された浅間丸と龍田丸は、主機に単動2サイクルズルツァー8ST68/100を4基搭載したディーゼル船である。 CiNii 論文 - 淺間丸龍田丸機關部計畫及び成績に就て https://t.co/CeDUFk4G60 https://t.co/qR7h5C0U5a
本船は大阪商船の大連航路に就航していた黒龍丸(7,369総トン)。燃料を石炭とするため、水管式ボイラーにメカニカルストーカを備えている。誘導通風が要るのはそのせいもあるのだけれど。。。 https://t.co/C5x6wlVImU https://t.co/kvfpjmyiXo
もうちょっと何かないかと探していたら、同じホーネット飛行隊の翌日の報告書(台湾の飛行場を爆撃している)に紛れて3枚の写真が。。。おそらくこれも吉備津丸ではないかと思う。 https://t.co/FGKfjDLhvn https://t.co/4VkWMNPV7p
国会図書館デジタルコレクションより、1945(昭和20)年1月3日に台湾沖で米空母ホーネット航空隊の攻撃を受ける輸送船。おそらくマタ40の吉備津丸。 https://t.co/USPAhcCYjt https://t.co/Kom5lvo4vl
「当社」というのは赤阪鐵工所なのだけれども、1945(昭和20)年4月から6月にかけて4台を竣工させ、川崎重工に納入したらしい。とすれば、この辺りの潜水艦に搭載されている可能性が高いだろう。 https://t.co/1bPAYzA9cb https://t.co/yakIbgHYOj
主機は500馬力のディーゼルエンジンを2基、各々が330kWの直流発電機を駆動し、400馬力の推進電動機に電力を供給している。 J-STAGE Articles - ヂーゼルエレクトリツク曳船住吉丸に就いて https://t.co/98WYVL865W https://t.co/u4YcElmPvC
客船シャルンホルスト(のちの神鷹)も電気推進だけれども、一般配置図くらいしか見たことがなくてよく分からないが、データはある。色々壊れた旨の記述があるが、当時ならこの程度はよくあることのように思う。 CiNii 論文 - N.D.L."Scharnhorst"級3船の航海實績 https://t.co/uX1CU3D1Om #CiNii
まあ、18万馬力に比べると象と蟻であるが。。。 CiNii 論文 - 米國軍艦「レキシントン」の歴史、設明及び受領試験 https://t.co/oIdLRvVKRb #CiNii https://t.co/AJ09mVvIIC
外観はなんら特徴のない三島型貨物船であるが、図面のタイトル"THE FIRST ELECTRICALLY-PROPELLED SHIP IN JAPAN"が何やら晴れがましい。 J-STAGE Articles - 電氣推進汽船美洋丸に就て https://t.co/WY6UDVjoDz https://t.co/enar1xz9vN

14 0 0 0 OA 日本近世造船史

この船、鉄道連絡船ならではの高い航海速力(最高14kt弱だけれども)と、低い甲板高さが求められたため、主機に蒸気タービンを積んでいる。2基2軸で定格1,400shpだから、1基700馬力で日本史上最少出力の舶用蒸気タービンではないかと思う。 https://t.co/BaeI6dpbss https://t.co/86hwh7oZwe
あ、やられた。ここで「喫水浅き高速船用」とぼかしてある図面と同じじゃないか。これメクロン級のだったんだな。 J-STAGE Articles - 浦賀式聯動汽機と其の實績 https://t.co/hj8YScpFdN https://t.co/SoAo7Yh2LB

23 0 0 0 OA 漁船建造必携

まもなく始まった一連の空襲で、対空戦闘を行う船団各船は周囲を顧みる余裕すら皆無であったらしく、その経過はよく分からない。鴻が早い段階で直撃弾を受け、水柱の中に消えたことだけが分かっている。この空襲は1時間ほど続いたようだ。 (写真:間宮丸(同型船北見丸))https://t.co/YwRxiVS2kF https://t.co/lzLSQlPje9
とはいえその誕生までにはひと悶着あり、入札時における鋼材価格の急激な値上がりの結果、船価低減のため速力を1ノット低下させる羽目になっている。機関部重量が軽くなったため動揺が激しくなり、後に300トンの固定バラストを搭載することになる。 https://t.co/qrf8ljSim6 https://t.co/46DAtXBDhM
さあ、これさえ読めば、あなたも明日から戦時標準船の艤装工事ができる! 速成工用電気艤装の手引. 商船の部 https://t.co/j5VXU8Z0Mc https://t.co/CNkx3Vvjx2

12 0 0 0 OA 機械工学年鑑

「機械工学年鑑」昭和17年より、おそらく平時標準船C型用の日立製1,400shp単車室タービン。多分これの改良型になるんだろう。 https://t.co/OQnuOji46f
ということで、戦標2TM楠栄丸の戦標甲12タービンらしい。残ってるもんだねぇ。。。 https://t.co/r9RJW9pC4K https://t.co/DdeN4TQ3eM
そういや摂津丸(戦標M甲型)もWeb上に図面あったな、と。こちらは日本水産の塩蔵/冷凍工船なので、「川崎船」の方になる。なおチャームポイントは船橋上の22号電探と主機の艦本式22号ディーゼルだ。 https://t.co/Gu2is9alTH https://t.co/5q7m17B5c3

37 0 0 0 OA 実用船舶便覧

同型でただ1隻三連成蒸気レシプロであった濱江丸も、通常とは少し異なる排気タービン付のものを搭載している(下から4行目右端あたり)。本船を蒸気タービン搭載船とする書籍もあるが、筆が滑ったのだろう。 https://t.co/gUwSNbKcFN https://t.co/494x6jDop3

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