著者
中俣 均
出版者
The Human Geographical Society of Japan
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.20-31, 1997-02-28 (Released:2009-04-28)
参考文献数
71

Hogen-kukaku-ron, the theory of the 'dialectal region', developedas a subdiscipline of the study of Japanese language, established at the beginning of this century, by Japanese linguist Tojo Misao (1884-1966). He tried to classify Japanese language into some localdialects, by considering various factors including phones, vocabule, idiomatic usage, and so on, as a whole. He believed it useful to geta better comprehension of the Japanese language.It was a very unique method to Japan, but the discipline was disputed by Yanagita Kunio, the author of the book Kagyu-ko. First, the criteria of demarcation are neither clear norobjective. Second, the regional differences language exist actually, not in the dialect itself, but in each phenomenon of the language. And third, it was ambiguous whether the standpoint of Tojo's method was synchronic or diachronic.Since the 1970's, Hogen-kukaku-ron became less popular, and now it only is reviewed in some introductions and anthologies about Japanese language studies. There, some Japanese linguists, particulary linguistic geographers, criticize the idea that the 'dialectal region' is equal to the division of regions, not of language itself. Nevertheless, the language can be divided into some dialects, but never into some regions. Such misunderstanding or abuse hasderived from the fact that Tojo first expressed his idea concerning-division of dialects by using maps.The dialectal region is not a regional division, because there is not any causal relation at all between the dialects as divided and the region as expressed on a map.
著者
安岡 昭男 王 耀華 梅木 哲人 東 喜望 小川 徹 中俣 均 安江 孝司 櫻井 徳太郎 中村 哲 武者 英二 比嘉 実 中本 正智
出版者
法政大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1990

中国と琉球諸島の交流は,公的には1373年,明国皇帝の使者が沖繩に来て,中国皇帝への朝貢を勧められて,中山王が王弟を中国に派遣したことにはじまる。しかし,沖繩の先史時代の遺跡からは中国の戦国時代の貨幣などが数多く出土している。私的な交流は遥か昔から漂着などのような偶然的な事件をとうして中国の優れた文化が絶えることなく沖繩の島々に流れついていたことを想定させてくれる。私たちの今回の調査は琉球列島と中国との交流が公的に開始された時期から近代にいたるまでのことが中心であるが,両地域の言語研究や民俗研究はその時代だけに制約されない要素をもつ。換言すれば歴史的な文献や歴史遺跡の調査による歴史時代以後の研究と文献によらない研究のふたつの側面からなるものである。歴史文献や歴史遺跡にもとずく研究成果としては,琉球王国と宗主国中国との関係を規定する冊封体制の法的体系を,特に琉球王国に下賜されたものを対象に明らかにしたことが上げられる。中国を中心にした国際関係であるとする従来の冊封制度についての学説を批判して,それが皇帝を中心にした中国の国内における君臣関係の延長であることを体系的に明らかにした。また,中国の冊封秩序に組み込まれることで保証された中国貿易における琉球王国に対する免税などの特恵措置,貿易にともなう渡航,出入管理に関する官僚制度,沖繩の人々の福州で活動拠点であった琉球館,福州で死んだ沖繩の人々を葬った琉球人墓地などの調査はきわめて貴重な成果である。その外に福州から北京にいたる琉球使節のルートを実際に踏査することで二千キロにおよぶ道々に存在する琉球関係の諸施設,使節の人々が詠んだ漢詩の風景に接することができた。暖かい沖繩から真冬の北京に向かう進貢使路の途中多くの人が病に倒れたが,その旅の困難さを実感することができた。それに,今回の調査において宿泊施設や修学の地であった国子監を確認することができた。それに,今回の調査において鎖国体制にあった日本において対外関係の窓として機能していた琉球王国の役割を,医学,天文学,地理学,儒学に即して実証的に把握できたことも大きな成果のひとつであろう。建築では沖繩に現存する歴史的建造物,伝統的民居ならびに都市にみられる,中国の影響とみられる建築的要素を中心に福建省・泉州,福州市のそれらとの比較研究を実施した。その結果,沖繩民居の特徴とみられるヒンプンは中国渡来の建築要素のひとつであり,屋敷配置にみられる門-ヒンプン-中庭-仏壇といった家の中心軸線上の配置は,伝統的な中国建築の空間構成の手法であることがはっきりした。しかし,個別的な中国的建築要素については明らかな共通性と差異を発見することができた。最も大きな成果は現地研究者との連携で調査が実施できたことで,今後の研究に益すること大なるものがある。民俗,宗教では琉球諸島のそれに中国的習俗,特に道教的なヒヌカン,天妃(マソ)信仰,土帝君の影響が大きいことが今回の調査でいよいよはっきりした。言語では福建省の方言を調査した結果,琉球方言のタリー(父),ヘレー(追いはぎ),テーフア(冗談),マヤー(猫)などが福建語の流入であることを確認した。そのほか日本語の古層語彙と考えられるものが少なからず発見された。各専攻分野ごとに現地研究者と緊密な連携のもとに調査を実施することができた。今後とも両地域の比較研究を推進してゆくことが重要と考える。
著者
野間 晴雄 森 隆男 高橋 誠一 木庭 元晴 伊東 理 荒武 賢一朗 岡 絵理子 永瀬 克己 朴 賛弼 中俣 均 平井 松午 山田 誠 山元 貴継 西岡 尚也 矢嶋 巌 松井 幸一 于 亜 チャン アイン トゥアン グエン ティ ハータイン チャン ティ マイ・ホア 水田 憲志 吉田 雄介 水谷 彰伸 元田 茂光 安原 美帆 堀内 千加 斎藤 鮎子 舟越 寿尚 茶谷 まりえ 林 泰寛 後藤 さとみ 海老原 翔太
出版者
関西大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2010-04-01

東アジア世界に位置する歴史的地域としての東シナ海,日本海,黄海・渤海・中国東北地方,広義の琉球・ベトナム,朝鮮半島の5つの部分地域として,環東シナ海,環日本海沿岸域の相互の交流,衝突,融合,分立などを広義の文化交渉の実体としてとらえる。それが表象された「かたち」である建築,集落,土地システム,技術体系,信仰や儀礼,食文化等を,地理学,民俗建築学,歴史学・民俗学の学際的研究組織で,総合的かつ複眼的に研究することをめざす。いずれも,双方向の交流の実体と,その立地や分布を規定する環境的な側面が歴史生態として明らかになった。今後はこの視点を適用した論集や地域誌の刊行をめざしたい。