4 0 0 0 頼朝の挙兵

著者
五味文彦 本郷和人編
出版者
吉川弘文館
巻号頁・発行日
2007
著者
中井 大貴 河南 壮太 田原 映理 山本 有貴 福山 尚 五味 文 角所 考 岡留 剛
出版者
The Institute of Electronics, Information and Communication Engineers
雑誌
電子情報通信学会論文誌 D (ISSN:18804535)
巻号頁・発行日
vol.J106-D, no.8, pp.419-430, 2023-08-01

非侵襲な検査を可能にする光干渉断層計(OCT: Optical Coherence Tomography)によるスキャン画像において,網膜の層の厚みと,視力や病状との関係性を捉えるためには,画像における網膜の層を抽出する必要がある.本研究では,網膜剥離を伴う眼科疾患におけるOCTスキャン画像で網膜の層を抽出する手法を提案する.その手法では,各層に対し,それぞれの特徴を反映したコスト関数の最小化により層の境界を決定し,とりわけ,治療後視力と相関があると考えられる厚みを求めるために必要な網膜剥離領域の輪郭線と内境界膜・外境界膜が抽出できる.その応用として,得られた境界から層の厚みに関する特徴量を算出し,中心性漿液性脈絡網膜症の治療後視力を予測するARDガウス過程回帰を構築し,予測に有意な特徴量が,中心窩における内境界膜から外境界膜までの長さと,外境界膜から網膜色素上皮までの長さの剥離前後での変化度であることを明らかにした.
著者
五味 文 岡留 剛 荒木 敬士 福山 尚 角所 考 井村 誠孝 小椋 有貴
出版者
兵庫医科大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2019-04-01

中心性漿液性脈絡網膜症(CSC)は元来予後良好な疾患とされていたが、病状が遷延し、重篤な視力低下に至ることもある。さらに近年ではCSCと加齢黄斑変性との関連が示唆されてきており、実際一部のCSC例は滲出型加齢黄斑変性に移行することがわかってきている。本研究の目的は、CSC症例における遷延・加齢黄斑変性移行例のリスク因子を見出し、早期の介入を促すことで更なる病状進展、視力低下を抑制することである。具体的には、①眼科画像検査、②身的・外的ストレス評価、③視覚異常のシミュレーション、の3つのアプローチで、ハイリスクCSC症例の早期発見を試みる。
著者
依藤 彰記 細谷 友雅 岡本 真奈 粕本 愉美 五味 文
出版者
金原出版
巻号頁・発行日
pp.1527-1533, 2019-12-05

ブリモニジン酒石酸塩点眼液(アイファガンⓇ,以下BT)の主な副作用として結膜充血,アレルギー性結膜炎などがあるが,角膜炎の報告は少ない。BT使用の経過中に発症した角膜実質炎3例を報告する。【症例1】62歳女性。4年前から両眼にBTならびに緑内障治療薬2剤を使用。右眼鼻下側角膜周辺部に実質深層の密な新生血管を伴う濃厚な半円状角膜混濁と結膜充血を認めた。副腎皮質ステロイド薬点眼と抗ヘルペス薬を使用し,BTを中止した。混濁は軽減したが残存し,矯正視力0.8と低下した。抗ヘルペス薬は中止したが再燃はない。【症例2】79歳女性。6年前から両眼にBTほか2剤を使用。左眼鼻下側角膜周辺部に実質深層の新生血管を伴う濃厚な弧状角膜混濁を認めた。副腎皮質ステロイド薬点眼と抗ヘルペス薬を使用し,BTを中止した。混濁は軽減したが残存した。視力低下は認めなかった。【症例3】76歳男性。3年前から両眼にBTとヒアルロン酸点眼液を使用。左眼耳下側角膜周辺部に実質深層の密な新生血管を伴う濃厚な半円状角膜混濁と結膜充血,濾胞を認めた。副腎皮質ステロイド薬点眼を使用し,BTを中止した。混濁は軽減したが残存した。全例BT使用中に出現した角膜炎であること,角膜ヘルペスの既往はないこと,実質深層の新生血管を伴う角膜周辺部病変で,既報の所見に類似していることから,BTが発症に関与した可能性のある角膜実質炎と診断した。緑内障治療中の患者に周辺部角膜実質炎をみたら,BT使用歴の確認も必要である。
著者
五味 文彦
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.92, no.6, pp.1002-1031,1104-, 1983-06-20 (Released:2017-11-29)

If one were to analyze the previous research work done on provinces held in fief (chigyokoku 知行国), one could divide this work into studies on the changes which took place in that system over time and studies of the system's structural characteristics. As opposed to the former's tendency to limit itself merely to provinces held in fief by the Taira Family (Heishi 平氏), in this essay the author attempts to trace the development of provincial fiefdoms in general over the whole period of the retired emperor's house rule (Insei-ki 院政期) from 1086 to 1179. In concrete terms, the author will trace the changes which occurred in the provincial fiefdoms held not only by the Taira but also by the female members of the retired emperor's family (Nyoin 女院), house advisors (In-no-kin-shin 院近臣) and the Fujiwara Regents (Sekkanke 摂関家), and investigate the changes in relation to the political process of the time. In his investigations the author was able to discover some previously unnoticed historical materials which helped him to make the following points : 1)Provinces held in fief were established into a system in the form of allotments to house advisors ; however, this stage was only achieved after the 2nd year of the Kajo 嘉承 era (1107), when the house government of the ex-emperor Shirakawa 白河 got under way in earnest. 2)Provincial fiefdoms formed the material base of the lord/vassal relationship between the ex-emperor and fiefdom holders ; and the appointed numder of these fiefdoms was the numerical expression of the degree of intimacy between the two parties. And for that reason, all fiefdom holders went out in many ways to both maintain and increase their appaointed number. 3)The Taira Family, through the risings of the Hogen 保元 and Heiji 平治 eras (1156 and 1159), succeeded in expropriating the provincial fiefdoms held by house advisors and the Fujiwara Regents, and built the Taira hegemony upon them which lasted until 1185. 4)The fact that the infeudation of the top administrative office for Kyushu, Dazaifu 太宰府, was urged by both the Taira and the Fujiwara Regents, proves that the provincial fiefdom system also spread to various offices within the imperial court.

1 0 0 0 平氏滅亡

著者
五味文彦 本郷和人編
出版者
吉川弘文館
巻号頁・発行日
2008

1 0 0 0 征夷大将軍

著者
五味文彦 本郷和人編
出版者
吉川弘文館
巻号頁・発行日
2009
著者
五味 文彦
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.119-141, 1992-12-25

現在、国立歴史民俗博物館に所蔵されている「六曲屏風」貼付け高山寺文書は鈴木茂男・山本信吉両氏により紹介されて以来、広く注目を集めてきたものであり、その後、石井進氏は関係文書(八条院関係文書群)を収集して、ほぼ全貌を明らかしている。しかしその性格をめぐっては未だ不明な部分も多く、また未紹介の文書も幾つか存在する。そこで本稿では本文書群の全体的な性格をとらえるべく、その年代比定を出来うる限り行ってみた。第一章では、正月付の文書が多く存在する点に着目して、それらが文治四年正月の文書であること、摂関時代の僧安然が唐に渡った最澄・空海らの請来した典籍を分類整理した『諸阿闍梨真言密教部類総録』の書写に料紙として利用されたものであることを指摘した。第二章では、藤原実清充ての文書が多い点に着目して、それらが養和元年・二年の文書であることを解明した。第三章では、元暦元年の年号のある文書が多い点から、元暦元年の文書を拾い集めてその性格を考え、それらが実清の子長経の保管に関わる文書であることを指摘した。第四章では、以上には即断できない文書をまとめて考え、それらが養和元年・二年か、元暦元年のものかに分類できることを見た。全体として、藤原長経が八条院の別当として関与したことによる文書が、この八条院文書群の基本的な性格であることがわかった。
著者
服部 英雄 五味 文彦 神田 由築 高野 信治
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

差別される環境に耐えて、力強く生きた人びとの歴史を明らかにした。これまでの歴史叙述では賤民視された彼ら彼女らは貧しく劣悪な環境におかれ、虐げられた生活のみを強いられたとされてきた。それは一面ですべてではない。教科書には河原ノ者は河原に住んだと記述するものがある。このような歴史理解では、子孫が祖先の活動を誇ることはできない。「ムラ」がなかなかに解体しなかったのはなぜか。富みは確実にあった。皮革製品・製作加工業の独占である。海外交易にても不足を補充、富みを蓄積した。周囲の目は残酷で冷たかったが、かばいあうムラの中は暖かく、一般ムラよりもむしろ真に人間らしい、やさしさがあった。