著者
大平 晃久
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.75, no.3, pp.121-138, 2002-03-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
91
被引用文献数
3 2

場所の社会的構築において言語は中心的な役割を担い,地名もその一部として位置付けられる.しかし,固有名論を適用した地名の検討は個人名に比べ従来ほとんど行われていない.本研究では地名の名付け・使用の検討から,地名は場所を直接指示するという常識的な理解は誤りであり,地名も一般名同様にカテゴリーとして機能していることを示す.すなわち,個体化と類似性の設定に基づくカテゴリー化の能力によって,複数の範域が同一視され,また,無数の時間的・空間的切片の差異が捨象され,地名・場所は成立している.その上に,階層構造としての下位の地名の上位地名によるカテゴリー化,範域内の全事物・事件の地名によるカテゴリー化が加わることで,現実の豊かな地理的知識が構成されているのである.このように能動的・動態的なカテゴリー化として地名を理解することは,認知言語学や認知地図研究との接合によって,大きな発展の可能性を持っていると考えられる.
著者
大平 晃久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.83, no.3, pp.270-287, 2010-05-01 (Released:2012-01-31)
参考文献数
60
被引用文献数
1

本稿では,3種の比喩,すなわちメタファー,メトニミー,シネクドキの認知プロセスとしての役割に注目し,場所が比喩によって構築されていることを認知言語学の視点によりつつ論じた.まず,場所の意味形成の全体像を探るため,場所をめぐる表現や認識,地名による命名を検討し,従来は指摘されていなかった事例も含め,場所に関する比喩を網羅的に提示した.その上で,場所の意味が3種の比喩によってネットワーク状に拡張していることを明らかにした.また場所の意味拡張においては,メトニミーの上にメタファー,シネクドキが働く例が多いという場所の特徴を引き出した.さらに,場所が参照点として成立することに着目して,メトニミーは場所それ自体を構築する認知プロセスとしてみることが可能であることを論じ,意味形成にとどまらない比喩の意義の一端を示した.比喩は場所の言語的構築の基本的な部分に大きな役割を果たしていると考えられる.
著者
大平 晃久
出版者
長崎大学教育学部
雑誌
長崎大学教育学部紀要 = Bulletin of Faculty of Education, Nagasaki University, Combined Issue (ISSN:21885389)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.281-290, 2018-02-28

長崎大学教育学部紀要:人文科学 通巻 第84号(Bulletin of Faculty of Education Nagasaki University: Humanities, Vol.84) 飯塚知敬教授 退職記念号
著者
大平 晃久
出版者
長崎大学教育学部
雑誌
長崎大学教育学部紀要 = Bulletin of Faculty of Education, Nagasaki University, Combined Issue (ISSN:21885389)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.163-178, 2022-03-01

長崎大学教育学部紀要:人文科学 通巻 第88号(Bulletin of Faculty of Education Nagasaki University: Humanities, Vol.88)
著者
大平 晃久
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2011年 人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.20, 2011 (Released:2012-03-23)

文化地理 岐阜県内の文学碑の事例を中心に、記念碑と場所の関係を比喩として読み解き、記憶-場所論に新たな視点を提示する。
著者
大平 晃久
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2009年 人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.59, 2009 (Released:2009-12-16)

人文地理学において記念碑を対象とした研究は隆盛をみているが、個別の記念碑研究ではなく、記念碑と場所の関係の一般化を指向する研究は少ない。本発表では,まず,既存のモニュメントを否定するアンチ・モニュメントの事例,とりわけベルリン・バイエルン地区の「追憶の場」を紹介し,そこにみられる記念碑と場所との関係を考える。その上で,バイエルン地区「追憶の場」の事例から,場所間の見立てという記念碑の働きに注目する。 アンチ・モニュメントとは,ドイツにおいてナチスの記憶と向き合う中で生まれた,従来の記念碑の概念を打ち崩そうとする作品群に与えられた名称である。ザールブリュッケンやカッセルの不可視の「記念碑」,ベルリン・ゾンネンアレのセンサーが感知したときのみ説明文が浮かび上がる「記念碑」、ホロコースト記念碑の計コンペで落選した、ブランデンブルク門を破壊してその破片をばらまくというプラン,ブランデンブルク門南の敷地にヨーロッパ各地の強制収容所跡地行きのバスが発着するバスターミナルを建設し,アウシュヴィッツなどの行き先を表示した真っ赤なバスが市内を毎日行き来すること自体を「記念碑」とするプラン,アウトバーンの一部区間を走行速度を落とさざるを得ない石畳にすることで「記念碑」とするプランなどが事例としてあげられる。 ベルリンの「バイエルン地区における追憶の場」はそうしたアンチ・モニュメントの系譜に位置づけられるプロジェクトである。戦前にアインシュタイン,アーレントなど中流以上のユダヤ系住民が数多く暮らしていたこの地区では,地域の歴史を掘り起こす住民運動が起こった。その結果,1993年に記念碑の設計コンペが実施され,シュティ, R.とシュノック, F.によるプランが1位となった。閑静な住宅地区であるここバイエルン地区では,あちこちの街灯に妙な標識が取り付けられている。全部で80枚のそれらの標識は,例えば片面がカラフルなパンのイラスト,もう片面には「ベルリンのユダヤ人の食料品購入は午後4時から5時のみに許可される。1940. 4. 7」というナチス時代のユダヤ人を迫害する法令の文章が記され、,標識の下に簡潔な記念碑としての説明が取り付けられている。商店の看板とみまがうようなポップなイラストと恐ろしい文言からなる標識群は,その形態からも,またそれらが日常の生活の場にあり生々しい過去と日々向かい合うように設けられている点からも,まさに既存の記念碑を否定するアンチ・モニュメントといえよう。 これらのアンチ・モニュメントにおける,場所と記念碑の関係を検討すると,まず,脱中心的であったり不可視であったりすることから,そもそも場所との位置的な対応を問うこと自体が無効である可能性がある。一方で,アンチ・モニュメントが決まったメッセージを伝えるのではなく,記念碑をめぐる実践が意味を作り出す点は場所的な特性として指摘できる。このようにアンチ・モニュメントは場所と記念碑の関係に新たな視点をもたらすものなのである。 バイエルン地区「追憶の場」については、個々の標識については第三帝国当時ではなく現在の景観とおおむね対応している点も特徴的である。過去におけるパン屋や病院など小スケールの事物を記念するというオンサイトの記念碑の文法に則りながら,通常の意味でオンサイトの記念碑ではない点は訪れる者を戸惑わせるものである。しかし,歴史地理的な探索ではなく,現代における実践を誘うものとしてこの記念碑(標識群)は捉えられるべきであろう。現代のスーパーマーケットの前の標識をみてナチス期の商店を想起するという実践は,場所間の見立てであり、バイエルン地区の標識は,そうした見立てを誘うものとして捉えられることを指摘したい。そして,管見の限り,アンチ・モニュメントはいずれも場所間の見立てである一方,大半の記念碑はそうではない。例外は記念碑としては周辺的である文学碑の一部と,聖地など宗教関係の記念碑に限定されると考えられる。 ここで垣間みた場所間の見立ては記念碑の対場所作用の一例に過ぎない。そうしたレトリカルな分析の可能性,また広義の記念碑=「記憶の場」まで含めた考察の必要性を試論的に指摘しておきたい。
著者
大平 晃久
出版者
長崎大学教育学部
雑誌
Bulletin of Faculty of Education, Nagasaki University, Combined Issue (ISSN:21885389)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.1-15, 2020-03-01

長崎大学教育学部社会科学論叢 通巻 第82号(Bulletin of Faculty of Education, Nagasaki University: Social Science, Vol.82)
著者
大平 晃久
出版者
長崎大学
雑誌
浦上地理
巻号頁・発行日
vol.1, pp.33-40, 2014-11-01
著者
大平 晃久
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100088, 2015 (Released:2015-10-05)

住宅営団は,1941年3月に「労務者其ノ他庶民ノ住宅供給ヲ図ル」(住宅営団法第一条)ために設立された特殊法人である.資本金は1億円でその全額が政府出資による公益性の強い企業体であり,1941年度から5か年で30万戸の供給を計画していた. 住宅営団が供給した住宅地について塩崎らは,戦後の都市化の中で良好な住宅ストックとなり,定住人口増加に寄与するとともに,公共施設や公園整備を促したことなどを評価している(塩崎・中山・矢田2000).また,戦前・戦中期の営団住宅地は軍需工場の近隣に多く,営団住宅地の研究は,総力戦体制下の中での地域像を解明するものになろう.さらに,都市形成の歴史地理的な解明としても営団住宅地の研究は意義を持つものと考えられる.   住宅営団による住宅地建設・経営の具体的な状況を全国的に把握できる資料として,1943年11月末時点での「一般会計住宅経営状況調書」(以下、「調書」)がある.ただし,営団はこれ以降の戦中も住宅地を建設し,戦後には戦災復興住宅地を数多く建設した.これらを含めた全国的動向は不明である. 営団住宅地の既往研究としては,特定の住宅地を扱うもののほか,大阪支所管内といった地域を対象に住宅地の位置や規模を復原・比定するものがある.九州の営団住宅地については,松尾らの研究がある(松尾・塩崎・堀田2003).ただし,住宅地19か所の位置を明らかにしたのみで,長崎県内では「調書」記載の5か所中,3か所にとどまる.加えて,営団住宅地は『新長崎市史』・『佐世保市史』などの地元自治体史でもほとんど取り上げられない.資料に乏しいことがこうした研究の遅れの原因といえるだろう. 本研究では,1941年~1947年の長崎県内で刊行された新聞を可能な限り閲覧し,住宅営団関連記事の収集を行った.合わせて,空中写真や住宅地図,土地台帳を用い,現地調査を踏まえて,長崎県内における戦前・戦中期の営団住宅地9か所(表1中の①~⑨,従来知られていなかったもの5か所),営団戦災復興住宅地4か所(⑪~⑭,同3か所)を明らかにした. 住宅地の位置,規模,残存状況は表1の通りである.住宅営団が供給した住宅地は,決して優れてはいないが特徴的な市街地として今日の景観に残るとともに,戦後につながるインフラ整備として明瞭なインパクトをもたらしたといえるだろう.
著者
大平 晃久
出版者
長崎大学教育学部地理学研究室
雑誌
浦上地理 (ISSN:21893179)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.17-20, 2020-05-01
著者
大平 晃久
出版者
長崎大学教育学部
雑誌
長崎大学教育学部紀要 = Bulletin of Faculty of Education, Nagasaki University, Combined Issue (ISSN:21885389)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.25-37, 2019-03-01

長崎大学教育学部紀要:人文科学 通巻 第85号(Bulletin of Faculty of Education Nagasaki University: Humanities, Vol.85) 池田俊也准教授・堀内伊吹教授 退職記念号
著者
大平 晃久
出版者
九州地区国立大学間の連携事業に係る企画委員会リポジトリ部会
雑誌
九州地区国立大学教育系・文系研究論文集 = The Joint Journal of the National Universities in Kyusyu. Education and Humanities (ISSN:18828728)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.No.15, 2017-09

本稿は,長崎原爆落下中心碑と爆心地にどのような表象が向けられ、どのように構築されてきたか,場所の系譜をたどった。そして,1980年代まで等閑視されていた中心碑・爆心地が,1990年代になって,行政による「聖域化」と,中心碑撤去反対運動を契機として,重要な,そして広く知られる「記憶の場」として確立したことを明らかにした。その上で,中心碑・爆心地を含む長崎原爆関連モニュメント聖地化の空間的な特徴として,西村明が示した「シズメ」と「フルイ」という慰霊の二側面が分離していること,すなわち,死者の追悼と生者に対する平和祈念という慰霊の両側面を兼ね備えた中心碑・爆心地と,平和祈念に特化した平和祈念像・平和祈念像地区が空間的に峻別された,極めて意図的・操作的な聖地形成がみられることを明らかにした。
著者
大平 晃久
出版者
長崎大学教育学部
雑誌
長崎大学教育学部紀要 = Bulletin of Faculty of Education, Nagasaki University, Combined Issue (ISSN:21885389)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.1-16, 2017-03-01

長崎大学教育学部社会科学論叢 通巻 第79号(Bulletin of Faculty of Education, Nagasaki University: Social Science, Vol.79)
著者
大平 晃久
出版者
九州地区国立大学間の連携事業に係る企画委員会リポジトリ部会
雑誌
九州地区国立大学教育系・文系研究論文集 (ISSN:18828728)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.2, 2021-03-31

本稿では,負の記憶の景観化の事例として,関東地方における1968年以降の返還,かつ返還面積の比較的広い米軍基地跡地45か所を取り上げた。これら基地跡地の記憶が,現地へのモニュメントや解説板などの設置によって,いかに可視化されているかを調査・報告するとともに,アメリカの歴史地理学者フットの示した,負の記憶の景観化の4類型について考察を行った。 対象とした基地跡地のうち,基地跡地に関わるモニュメントがあるのは7か所,解説板があるのは12か所にとどまる。米軍基地跡地そのものを記念したモニュメント類は皆無で,基地跡地の記念が忌避され,あえてモニュメントがつくられていないようにみうけられる事例もある。さらに、米軍基地跡地のなかには,「平和」という表象によって否定的に記念されている事例,基地闘争への勝利・基地跡地の復興を記念することによって否定的に記念されている事例があることを示した。これらはフットが4類型の一つとして定義した,現地を放置する,景観的な「抹消」とは異なるものの,現地において表象レベルで米軍基地跡地の記憶を「抹消」するものであり,フットの4類型に若干の見直しが必要であることを試論的に示した。
著者
大平 晃久
出版者
長崎大学教育学部
雑誌
長崎大学教育学部紀要 = Bulletin of Faculty of Education, Nagasaki University (ISSN:21885389)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.1-14, 2016-03

長崎大学教育学部社会科学論叢 通巻 第78号(Bulletin of Faculty of Education, Nagasaki University: Social Science, Vol.78)
著者
大平 晃久
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.59-59, 2009

人文地理学において記念碑を対象とした研究は隆盛をみているが、個別の記念碑研究ではなく、記念碑と場所の関係の一般化を指向する研究は少ない。本発表では,まず,既存のモニュメントを否定するアンチ・モニュメントの事例,とりわけベルリン・バイエルン地区の「追憶の場」を紹介し,そこにみられる記念碑と場所との関係を考える。その上で,バイエルン地区「追憶の場」の事例から,場所間の見立てという記念碑の働きに注目する。<BR> アンチ・モニュメントとは,ドイツにおいてナチスの記憶と向き合う中で生まれた,従来の記念碑の概念を打ち崩そうとする作品群に与えられた名称である。ザールブリュッケンやカッセルの不可視の「記念碑」,ベルリン・ゾンネンアレのセンサーが感知したときのみ説明文が浮かび上がる「記念碑」、ホロコースト記念碑の計コンペで落選した、ブランデンブルク門を破壊してその破片をばらまくというプラン,ブランデンブルク門南の敷地にヨーロッパ各地の強制収容所跡地行きのバスが発着するバスターミナルを建設し,アウシュヴィッツなどの行き先を表示した真っ赤なバスが市内を毎日行き来すること自体を「記念碑」とするプラン,アウトバーンの一部区間を走行速度を落とさざるを得ない石畳にすることで「記念碑」とするプランなどが事例としてあげられる。<BR> ベルリンの「バイエルン地区における追憶の場」はそうしたアンチ・モニュメントの系譜に位置づけられるプロジェクトである。戦前にアインシュタイン,アーレントなど中流以上のユダヤ系住民が数多く暮らしていたこの地区では,地域の歴史を掘り起こす住民運動が起こった。その結果,1993年に記念碑の設計コンペが実施され,シュティ, R.とシュノック, F.によるプランが1位となった。閑静な住宅地区であるここバイエルン地区では,あちこちの街灯に妙な標識が取り付けられている。全部で80枚のそれらの標識は,例えば片面がカラフルなパンのイラスト,もう片面には「ベルリンのユダヤ人の食料品購入は午後4時から5時のみに許可される。1940. 4. 7」というナチス時代のユダヤ人を迫害する法令の文章が記され、,標識の下に簡潔な記念碑としての説明が取り付けられている。商店の看板とみまがうようなポップなイラストと恐ろしい文言からなる標識群は,その形態からも,またそれらが日常の生活の場にあり生々しい過去と日々向かい合うように設けられている点からも,まさに既存の記念碑を否定するアンチ・モニュメントといえよう。<BR> これらのアンチ・モニュメントにおける,場所と記念碑の関係を検討すると,まず,脱中心的であったり不可視であったりすることから,そもそも場所との位置的な対応を問うこと自体が無効である可能性がある。一方で,アンチ・モニュメントが決まったメッセージを伝えるのではなく,記念碑をめぐる実践が意味を作り出す点は場所的な特性として指摘できる。このようにアンチ・モニュメントは場所と記念碑の関係に新たな視点をもたらすものなのである。<BR> バイエルン地区「追憶の場」については、個々の標識については第三帝国当時ではなく現在の景観とおおむね対応している点も特徴的である。過去におけるパン屋や病院など小スケールの事物を記念するというオンサイトの記念碑の文法に則りながら,通常の意味でオンサイトの記念碑ではない点は訪れる者を戸惑わせるものである。しかし,歴史地理的な探索ではなく,現代における実践を誘うものとしてこの記念碑(標識群)は捉えられるべきであろう。現代のスーパーマーケットの前の標識をみてナチス期の商店を想起するという実践は,場所間の見立てであり、バイエルン地区の標識は,そうした見立てを誘うものとして捉えられることを指摘したい。そして,管見の限り,アンチ・モニュメントはいずれも場所間の見立てである一方,大半の記念碑はそうではない。例外は記念碑としては周辺的である文学碑の一部と,聖地など宗教関係の記念碑に限定されると考えられる。<BR> ここで垣間みた場所間の見立ては記念碑の対場所作用の一例に過ぎない。そうしたレトリカルな分析の可能性,また広義の記念碑=「記憶の場」まで含めた考察の必要性を試論的に指摘しておきたい。