著者
宇田川 妙子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.75, no.4, pp.574-601, 2011-03-31

親子関係および親族関係は、現在、家族の多様化や生殖技術の発達などを背景に、多くの関心が集中し論争の場になっている。一方、人類学では、それ以前からすでに多くの議論が重ねられていたものの、周知のとおり、1970年前後からその研究は衰退の道をたどってしまった。原因の一つは、シュナイダーの議論に代表されるように、その研究姿勢に生物学的な関係を本質的とみなす前提が隠されており、その背景には西洋的な親族観が存在しているという批判であった。その後の親族研究も、1990年代以降「復興」したとはいえ、いまだ従来の西洋的な枠組みを脱したとはいい難い。むしろ、その批判・脱構築を急いだせいか、逆に西洋的枠組みの再生産につながってしまった観も否めない。こうした現状に対して本稿は、具体的にはイタリアの事例を用いながら「親子関係の複数性」という視点を導入して、親族研究そのものをより根源的に再考していこうとするものである。我々は通常、父と母は一人ずつであるという一元的な親子観になじんでいる。イタリアでも通常は、子供の親はその子を生んだ男女であるとみなされ、一元的かつ生物学中心主義的な観念はひろく普及している。その典型が2004年に成立した補助生殖医療法である。しかしその一方で、オジオバがオイメイの面倒をみるなど、子供の生活には、親以外にも様々な役割をする、非親族も含めた大人たちが常日頃から様々な形で関わっており、それらの関係が親子関係と共存しながら、その一元性を相対化しているように見える。もちろん、こうした複数的な親子関係はイタリアに限らない。ただし本稿が注目したいのは、親を父母一人ずつとみなす一元的な親子観が生物学的な生殖をモデルとしていることに気付くならば、これこそ西洋的な親族観の最も端的な象徴であり、ゆえに複数的な親子関係とは、その親族観をより根源的に相対化し、親族研究が「復興」後も抱えている根深い問題をあぶりだす有効な視点の一つになるのではないかという点である。そこからは、従来の系譜関係偏重の研究では看過されがちだったシブリング関係の意義や重要性など、新たな議論の糸口も浮かび上がってくるだろう。本稿では最後に、そうした新たな論点をいくつか具体的に指摘していくことによって、今後の親族研究の展開に資することとしたい。
著者
宇田川 妙子
出版者
京都大学東南アジア研究所
雑誌
Kyoto Working Papers on Area Studies: G-COE Series
巻号頁・発行日
vol.73, pp.1-21, 2009-03

Developments in reproductive technologies have been considered to affect and transform not only everyday notions but also academic knowledge practices of kinship, especially anthropology of kinship. In this article I would like to reexamine what really has been changing, because reproductive technologies are now being practiced and discussed more in terms of life, specifically embryo, than of kinship. Embryo-life discourse would mean that person were deprived of any relatedness, highly individualized, and then fragmented to parts such as DNA, cells, internal organs etc.. I am afraid that this shift might alienate reproductive technologies from kinship studies. But embryo-life idiom certainly interweaves with kinship one, and this very idiom might generate some new kind of relatedness that might be unpredicted, reconstructing knowledge also of nature, technology, biological facts, body etc.. So articulating this embryo-life discourse with kinship one will give new and more radical scope to kinship studies. Here I work on this issue through the analysis of the situation in Italy, especially of the debate on the medically assisted procreation law enacted in 2004.
著者
宇田川 妙子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.411-436, 1993-03-30 (Released:2018-03-27)

フェミニスト人類学は,現在,多様な専門分化を遂げてきた反面,ある行き詰まりの状態にあるとも言われている。筆者は,その原因の一つとして,これまでそこで論じられてきた女性が,結局,社会的な意味での女性,即ち,ジェンダーとしての女性でしかなかったということに注目してみたい。性とは,ただ社会的な問題としてあるだけではない。男女の対面的な場,即ちセクシャリティの場で認識される男性および女性という問題もあり,それは社会的な場面での性差にも密接に係わっている。特にイタリアの文化社会における性の問題を考えるためには,この視点が必要となる。彼等は,性の本質を常に対面的な男女の関係が作り出す二元性として捉えている。つまり,彼等にとって性とは,基本的にセクシャリティなのである。それゆえ本稿では,イタリアにおけるこのような性のあり方を具体的に明らかにしてきながら,同時に,それを,フェミニスト人類学一般に対する新たな方向性を模索する試みとしても提示していく。
著者
中谷 文美 宇田川 妙子 石川 登 今野 美奈子 宇田川 妙子 石川 登 金野 美奈子 松前 もゆる
出版者
岡山大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2005

本研究では、日本、オランダ、イタリア、ブルガリア、マレーシアという5つの異なる社会において、広い意味での「仕事」をめぐる事象や社会通念が、それぞれの社会におけるジェンダー規範や政治的・経済的変化との相互作用の中で、どのように変容し、あるいは維持されてきたかという問題を比較・検討した。その結果、何が仕事で、何が仕事でないか、といった区分も含め、多様な労働観が各社会に存在すること、また急速な産業化、政治体制の変化、社会政策の展開などが、仕事の水準をめぐる規範や特定の労働の担い手などに変化をもたらす過程を明らかにできた。