著者
篠原 徹 市川 裕平 箕輪 勇紀 荻原 淳 嶋崎 剛志 油井 信明 古武 昌幸 田中 啓司 岡田 邦彦
出版者
一般社団法人 日本臨床救急医学会
雑誌
日本臨床救急医学会雑誌 (ISSN:13450581)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.64-68, 2019-02-28 (Released:2019-02-28)
参考文献数
10

患者は60代の男性。自宅にて強直間代性の痙攣と意識障害が出現し,佐久総合病院佐久医療センター(以下,当院)に救急搬送された。来院時検査で,肝胆道系酵素と血清アンモニア濃度の著明な上昇を認めた。また,プロトロンビン時間が40%以下に低下し,昏睡Ⅱ度の肝性脳症が認められたことから劇症肝炎と診断された。ステロイドパルス療法および血漿交換,持続的血液濾過透析により血液検査所見は改善した。一般用医薬品の竜胆瀉肝湯を服用していたことが第3病日に明らかとなり,劇症肝炎の原因である可能性が考えられた。 DDW-J 2004薬物性肝障害ワークショップのスコアリングにおいて竜胆瀉肝湯は6点となり,薬物性肝障害の「可能性が高い」に分類された。一般用医薬品としても使用されている竜胆瀉肝湯については,劇症肝炎の原因薬物となり得る可能性があることに留意する必要があると考えられた。
著者
中川 幹子 江崎 かおり 江畑 有希 宮崎 寛子 手嶋 泰之 篠原 徹二 油布 邦夫 高橋 尚彦 犀川 哲典
出版者
一般社団法人 日本不整脈心電学会
雑誌
心電図 (ISSN:02851660)
巻号頁・発行日
vol.34, no.4, pp.360-367, 2015 (Released:2015-07-27)
参考文献数
21
被引用文献数
1

乳頭筋や偽腱索などの心室内構造物は,不整脈の発生と密接な関係があり,これらが心室不整脈に対する高周波カテーテルアブレーションの際に,治療の標的部位となることが報告されている.われわれは,心エコー図検査で左室内に偽腱索や乳頭筋肥大を認めた症例における心電図所見の特徴,特にJ波との関係を検討した.偽腱索を有する群は有さない群に比し,J波の出現頻度が有意に高く,QRS間隔が有意に長かった.偽腱索をその付着部位により4型に分類した結果,特に心室中隔と乳頭筋の間に付着する2つの型では,J波の出現頻度が高率であった.また,健常若年男性を対象にした前向き検討でも同様の結果が得られ,加算平均心電図記録で測定したfiltered-QRS durationも有意に長かった.一方,乳頭筋肥大を有する症例は有さない群に比し,J波の合併率が有意に大きく,QRS間隔,QTcおよびJTc時間が有意に長かった.偽腱索や乳頭筋などの心室内構造物が,J波の出現や不整脈の発生と関連がある可能性が示唆された.
著者
篠原 徹
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.41-60, 1989-03-30

Conventionally the natural and spiritual features of region (we call it “Fûdo” ) have seldom been discussed positively in our folklore. This is partly because the word “Fûdo” , which means natural and spiritual features, is much ambiguous in Japanese and that equivocal use of this word has been left to take its course both in its intensive and extensive sense. A number of people admit however that the “Fûdo” implies a sort of regional sense, sensitivity or inclination which cannot be expressed by any other wording.The “Fûdo” should therefore be regrasped in the general framework of people's recognition process of Nature, not as an object of natural science. Though this recognition was once applied in the basic theory of WATSUJI Tetsuro on which he discussed the “Fûdo” as his subject matter, his discussion developed only into his personal speculation, not into the process of people's recognition of the natural and spiritual features of regions.The “Fûdo” if it is to be defined in its intensive meaning, may be grasped as an image that can evoke a “subjectivization” of the environments which surround humans. From the standpoint of the subjectivization of environments this approach can be identified with that idea of KANI Toukichi according to which he attempted to classify the river from the point of view of the insects living therein in his ecological study.YANAGITA Kunio made no positive proposition on the problem of Fûdo. His final objective in his folkloristic works was to abstract the regional mind. He finally spellbound this mind contending that it can be understood only by persons from same regions. This paper attempted to prove that the mind is an intensive reality of the Fûdo. In the same line of understanding, such folklorists after YANAGITA as CHIBA Tokuji and TSUBOI Hirofumi, who were much interested in the problem of Fûdo, tried to break that spell.By way of abstracting an interrelation of vocabulary produced in some regions by an association, we can predict an existence of an association system such as “Saijiki” (a collection of haiku divided into four seasons), which is based on an emic image association. These predictions have been described in this paper taking up some material examples, which must be an effective approach to comprehend regional sense and sensitivity. Because the spatial range of the Fûdo is much elastic, it is not productive to understand it within the geographical framework only. The author thus proposes to rediscover our Fûdo in a folklore specialized in a study of regional sensitivity.
著者
石井 光廣 石黒 宏昭 篠原 徹 野口 秀隆 鈴木 正男 堀川 宣明 滝本 豊 余川 浩太郎
出版者
一般社団法人 水産海洋学会
雑誌
水産海洋研究 (ISSN:09161562)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.71-78, 2020-05-25 (Released:2022-03-17)
参考文献数
20

房総沿岸で小型漁船はえ縄漁業(通称:かじき縄)によって漁獲されるメバチ大型魚の漁獲特性を整理した.かじき縄は,11月から翌年6月頃に房総沿岸の黒潮流路周辺で,日中に釣針の到達深度約70 mの浅縄操業を行い,主に尾叉長110 cm以上のメバチを漁獲していた.メバチの漁獲位置の月平均表面水温は18.5–23.2°Cであり,これまでのメバチの知見と異なり,日中に水深が浅く高水温の海域で漁獲されていた.
著者
篠原 徹
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.174, pp.235-246, 2012-03

本論文は日本の俗信とことわざおよび俳諧のなかに現れる他種多様な動物や植物の表現について、俗信とことわざおよび俳諧の相互の関係性を論じたものである。こうした文芸的世界が華開いたのは、庶民にあっては「歩く世界」と「記憶する世界」が経験的知識の基本であった日本の近世社会の後半であった。俗信やことわざおよび俳諧は、近世社会のなかで徐々に発展していったと思われる。農民や漁民の生業や生活のなかでの自然観察の経験的知識は、記憶装置である一行知識として蓄積され人びとに共有されていった。この経験的知識の記憶装置である一行知識は、汽車や飛行機などの動力に頼る世界ではなく「歩く世界」を背景にした繊細な自然観察に基づいている。同時に一行知識は、そうした観察に基づく経験的知識を、活字化し書籍として可視化する世界とはまだほど遠く、記憶しやすい定型化した文字数に埋め込んだものである。経験知としての一行知識は、大きくは動植物に関する観察による領域と人間に関する観察による領域の二つに分けられる。この経験知は基本的には生活や生業におけるものごとに対する対処の方法なのであるが、経験知は感性的な側面と生活の知恵の側面と生活の規範の側面の三つの方向にそれぞれ特徴的な定型化の道を歩んだのではないか。感性的な側面は、季節のうつろいと人生のうつろいを重ね合わせる俳諧的世界を創造していく。生活の知恵の側面は、自然暦や動植物の俗信を発展させていく。生活の規範の側面は、人の生き方や社会のなかでの個のありようを示すことわざの世界を豊饒にしていく。俗信やことわざそして俳諧の世界に通底しているのは「歩く世界」と「記憶する世界」で醸成された一行知識であり、それを通じて三つの領域は親和性をもっているといえる。
著者
篠原 徹
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
no.21, pp.p41-60, 1989-03

Conventionally the natural and spiritual features of region (we call it "Fûdo" ) have seldom been discussed positively in our folklore. This is partly because the word "Fûdo" , which means natural and spiritual features, is much ambiguous in Japanese and that equivocal use of this word has been left to take its course both in its intensive and extensive sense. A number of people admit however that the "Fûdo" implies a sort of regional sense, sensitivity or inclination which cannot be expressed by any other wording.The "Fûdo" should therefore be regrasped in the general framework of people's recognition process of Nature, not as an object of natural science. Though this recognition was once applied in the basic theory of WATSUJI Tetsuro on which he discussed the "Fûdo" as his subject matter, his discussion developed only into his personal speculation, not into the process of people's recognition of the natural and spiritual features of regions.The "Fûdo" if it is to be defined in its intensive meaning, may be grasped as an image that can evoke a "subjectivization" of the environments which surround humans. From the standpoint of the subjectivization of environments this approach can be identified with that idea of KANI Toukichi according to which he attempted to classify the river from the point of view of the insects living therein in his ecological study.YANAGITA Kunio made no positive proposition on the problem of Fûdo. His final objective in his folkloristic works was to abstract the regional mind. He finally spellbound this mind contending that it can be understood only by persons from same regions. This paper attempted to prove that the mind is an intensive reality of the Fûdo. In the same line of understanding, such folklorists after YANAGITA as CHIBA Tokuji and TSUBOI Hirofumi, who were much interested in the problem of Fûdo, tried to break that spell.By way of abstracting an interrelation of vocabulary produced in some regions by an association, we can predict an existence of an association system such as "Saijiki" (a collection of haiku divided into four seasons), which is based on an emic image association. These predictions have been described in this paper taking up some material examples, which must be an effective approach to comprehend regional sense and sensitivity. Because the spatial range of the Fûdo is much elastic, it is not productive to understand it within the geographical framework only. The author thus proposes to rediscover our Fûdo in a folklore specialized in a study of regional sensitivity.
著者
篠原 徹 飯田 浩之 井上 透 金山 喜昭 杉長 敬治 濱田 浄人 佐久間 大輔 戸田 孝 桝永 一宏 松田 征也 佐々木 秀彦 五月女 賢司 半田 昌之 守井 典子 田中 善明 石川 貴敏 水澤 喜代志 佐々木 亨 柏女 弘道 大川 真 高田 みちよ 神田 正彦 岩井 裕一 土居 聡朋
出版者
滋賀県立琵琶湖博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2013-04-01

博物館を対象に全国規模で定期的に実施されている2つの調査の1つである「博物館総合調査」を継承する調査を、全国の4,045館を対象に平成25年12月1日を調査基準日として実施した。そして、その結果を分析すると共に、博物館の経営・運営と博物館政策の立案上の緊急を要する課題(現代的課題)の解決に貢献できる、「博物館の使命と市民参画」「指定管理者制度」「少子高齢化時代の博物館に求められる新しい手法の開発」「博物館の危機管理」の4つのテーマ研究を行った。これらの成果は報告書としてまとめ、Webサイトに掲載して広く公開している。
著者
岡安 祥夫 片山 正樹 篠原 徹
出版者
公益社団法人 化学工学会
雑誌
化学工学論文集 (ISSN:0386216X)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.8-12, 1996-01-10 (Released:2009-11-12)
参考文献数
8

工場プラントの運転安定化, 要員極少化の技術課題の一つとして, アミノ酸 (リジン) 精製工程における結晶の色測定への画像処理技術の適用が検討された.これまで結晶溶解液の分光光度計の透過率を人手により測定し監視していたが, 常時分析はできず, オンライン測定方法の導入が望まれていた.本論では分光光度計の原理である光の透過率の式と結晶面における光反射の式との関係を解析し, 画像処理測定値による透過率の推算式を導出した.この推算式の各パラメータを, 画像処理の実験により決定することによって, 推算式により検量誤差 3% の精度で分光光度計の実測透過率を推定できることが確認された.さらにカラー画像処理システムを実プラントに設置し, リジン結晶の色の 24 時間オンライン測定を実施することによって, その実用性の評価がおこなわれた.
著者
重田 眞義 伊谷 樹一 山越 言 西 真如 金子 守恵 篠原 徹 井関 和代 篠原 徹 井関 和代 峯 陽一 西崎 伸子
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2007

本研究プロジェクトは、エチオピアにくらす人々によって絶え間なく創り出される様々な知(=在来知)の生成過程をこれまで認識人類学がふれなかった「認識体系と社会的な相互交渉の関係」と、開発学が扱わなかった「有用性と認知の関係」の両方を射程に入れて、グローカルな文脈に位置づけて解明した。さらに、この研究であきらかになった点をふまえて、研究対象となる社会への成果還元に結びつくような研究活動を展開した。
著者
西谷 大 篠原 徹 安室 知 篠原 徹 安室 知 梅崎 昌裕
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

伝統的な技術でおこなわれてきた農耕は、ある特定の生業に特化するのではなく、農耕、漁撈、狩猟、採集といった生業を複合的におこなうことに特徴があり、これが生態的な環境の多様で持続的な利用につながってきた。本研究では、中国・海南省の五指山地域と、雲南省紅河州金平県者米地域とりあげ、伝統農耕の実践と政府主導による開発、そして自然環境という3者を、動的なシステム(いきすぎた開発と環境の復元力)としてとらえ、その関係性の解明を目的とした。対象とする地域の現象は「エスノ・サイエンスによる伝統農耕と環境保全技術」「共同体意識と環境保全」「地域社会の交易とグローバルな市場経済の影響」など、アジア地域の環境問題を考える上で重要な視点を含んでいる。中国の急速な経済発展は、さまざまな社会的矛盾を生み出すだけなく、激しい環境破壊をもたらした。2006年から開始した第11次5カ年計画は、中国政府が推進している「小康社会(生活に多少ゆとりのある社会)」の達成に重要な役割を担うものと位置づけられている。特に経済を持続可能な成長モデルに転換するため循環型に切り替え、生態系の保護、省エネルギー、資源節約、環境にやさしい社会の建設を加速するといった環境政策の大変革をおこなおうとした。しかし昨今の中国の公害問題が意味するように、経済発展が至上目標であるという点はまったく変化がない。中国において地域社会を維持してきた特徴の一つとして市の存在がある。市を介して地域内で各家庭単位での参加と「小商い」が可能な、この市の存在こそが自給的な経済活動を維持してきた。そのことが環境保全や地域社会の生業経済を両立させることに結びついてきたと考えられる。環境保全と生業経済を両立させようとするならば、地域社会の生活と経済に深く結びついた市を維持、または復活させる必要があると考えられる。
著者
小林 忠雄 篠原 徹 福田 アジオ
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1992

2ヵ年間にわたる調査研究を通じて、近代化とともに変容しつつある日本の農村社会、特に都市近郊の農村などにおいては、いくつかの特徴的な事象をあげることができる。まず、大きな変化は衣食住であり、ほとんどの地域で都市社会と変わらない均質化がみられること。しかし、近隣や親類関係がともなった人生儀礼に関しては、とりあえず旧習俗を踏襲しているが、その具体的内容には変化がある。例えば誕生儀礼は以前に比べると簡素化され、それにこれまで無かった七五三習俗が新たに導入され、近くの大きな神社に晴れ着を着飾って、ほとんど全国的に同じ習俗として定着しつつある。しかも、熊本県人吉市の場合、嫁の実家から贈られる鯉幟や名旗が初節句の折には庭先に掲げられ、これは以前より増加する傾向にある。すなわち、これまで家のステータスを象徴してきた儀礼(結婚式や葬式など)は、むしろそれを強調する傾向にあり、そうでないものは簡素化の傾向にある。かつて小さな在郷町であったマチが都市化するなかでは、マチの行事が衰退する一方で、自治体が援助する形でのイベントが創出される。しかし、それはバブル経済のなかでの傾向であって、現在の情況ではより土に根ざしたものが好まれ、同時に趣味者の集まり、すなわちグルーピング化が図られ、約縁集団化の傾向にあることを確認した。