著者
茂手木 義男 濵島 秀徳 華岡 眞幸 岡本 行人 三澤 一男 谷 博一 岡田 菜穂子 宮澤 康 櫻井 千里 高木 智幸
出版者
特定非営利活動法人 日本歯周病学会
雑誌
日本歯周病学会会誌 (ISSN:03850110)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.76-89, 2022-06-30 (Released:2022-07-07)
参考文献数
8
被引用文献数
1

現在日本において臨床で広く用いられている歯周炎分類(日本歯科医学会 JDA 2007)とCAL(臨床的アタッチメントレベル)の関係を調べる臨床研究を全国10名の臨床医が2016年から2021年まで5年間行い,1,375名のべ125,468歯の調査結果を得た。また歯周炎新分類(AAP・EFP 2018)との関係を精査することで,歯周炎指標をより有用に使用できると考えた。元々歯周炎分類はCALの検査項目はない。その為1歯毎に歯周炎分類とCAL値がひも付いた臨床研究結果から,CAL値(一部PD値,動揺度)を介して歯周炎分類と歯周炎新分類(ステージ,グレード)の関係を調べた。歯周炎新分類(AAP・EFP 2018)の重症度について「最大CAL値」から見た場合,ステージ(I,II,III,IV)各々に占める歯周炎分類値(P0,P1,P2,P3,P4)の被験歯数の分布は,IはP0,IIはP1,IIIとIVはP2が大多数だった。また複雑度について「最大PD値と動揺度」から見た場合,IはP1,IIとIIIはP2,IVはP3が大多数だった。その他ステージ重症度の「歯の喪失」及びグレード進行の直接証拠「最大CALの経年変化」では両者の関係は不明であった。
著者
宮澤 康人
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.33-56, 2003

キリスト教は「父性的原理(paternal principle)」をもつ宗教であると一般的に言われている。ところがもう一方で、キリスト教は、聖母マリア信仰が強いことでも知られる。カトリック教会に必ず置かれている聖母像を見た人は、キリスト教は、本当は「マリア教」ではなかったのかという思いを抱くことがあるはずだ。聖母信仰がもし「母性原理(maternal principle)」を意味するとしたら、そこには葛藤が生まれるのではないだろうか注2)。葛藤は、第一に、三位一体の教義のなかにマリアは含まれていないにもかかわらず、マリアをテオトコス(Theotokos)、すなわち神の子の母、と位置づけるときに表れる。第二に、マリアの夫であり、イエスの「父」であるヨセフを、天上の父との関係でどう意味づけるか、という問題として表れる。この二つの葛藤が交錯するところに、「二つの三位一体」という崇敬の対象があるように思われる。「二つの三位一体」とは、父と子と聖霊という「天上の三位一体(trinidad del cielo)」に対応して、地上における、イエスと母マリア、父ヨセフの家族、すなわち聖家族を、「地上の三位一体(trinidad de la tierra)」と名付け、その二つをセットにしたものを指す。これは、15世紀ころから聖職者たちによって提唱され、16、17世紀には、スペインの、とくにアンダルシーア地方でたくさん図像化された。けれども、18世紀には、「地上の三位一体」という言い方が、一般信徒の誤解を招くという理由で異端審問所から警告を受けることになる。それにもかかわらず、「二つの三位一体」の図像は、アンダルシーアの教会に現在でも残されているだけではない。ラテンアメリカの教会では、18世紀以降から現在に至るまで盛んに制作され崇敬され続けている。以上のようなことは、どのような文脈の中で、どのようにして起こったのであろうか。本論文は、この問題に主として図像資料を使ってアプローチする試みである。それによって、文字資料だけに頼る概念的な理解とは違う面が見えてくることを期待している。
著者
宮澤 康人
出版者
東京大学教育学部
雑誌
東京大学教育学部紀要 (ISSN:04957849)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.1-22, 1977-03-30

This paper will trace some early steps in transition of college curriculum administration in the United States from prescrided system of liberal arts to elective one of practical subjects under the following sections, and make clear that there is less difference between Ticknor and his opponents, the authors of Yale Report concerning the ultimate aim of college education than as has been widely believed.
著者
宮澤 康人
出版者
東京大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1987

(1)予想していたとおり, 青年期教育における教師・生徒関係に焦点をあわせた歴史的研究はいたってとぼしい. 研究著書・論文ばかりでなく, この主題に迫るための便利な刊行史料の類もあまり期待できない. このことは, メァリーランド大学のバーバラ・フィンケルシュタイン教授との文通その他を通じてほぼ確認できた. とくに史料については, 現地へ行って個別学校レベルや, 地方公共図書館などを調査しなくてはならない. (2)先行研究と史料状況が上記のとおりであるから, 多様な文書等のなかに断片的に埋れている事実を効果的に掘りおこすことができるように, 方法論を工夫し, しっかりとした枠組を考案しなければならない. その点で, 少し古いが, デーヴィッド・リースマンの『孤独な群衆』はたいへん示唆的であった. これは歴史的研究ではないが, 巨視的な時系列に沿った変化をとりあつかっている. そのなかで, 「伝統指向」, 「内部指向」, 「他人指向」のそれぞれの時代における両親の役割, 教師の役割の特徴が描かれている. とりわけ「内部指向」の時代の教師と生徒の関係はインパースナルであることが特徴であったという指摘は興味ぶかい. 内面性を重視するがゆえに教師はそこへ介入することを控え, 知的な教育にとどまり, 価値の教育は両親の役割とみなされた, というのである. このほかリースマンは, 各時代ごとの仲間関係やメディアの影響にも目を配っている. これはもちろんおおまかなシェーマである. しかしこれを史実によって肉づけしたり精密にする仕事ですらあまり着手されていないが, 十分に啓発的であるように思う. (3)時代と領域を限った個別研究ではあるが, David F.Allmendinger Jr.のPaupers and Scholars(1975)は19世紀の中葉のカレッジにおける学生のライフスタイルの変化が教授の権威の変質を伴うことを描いていて参考になる.