著者
青山 薫 鈴木 賢 日下 渉 北村 由美 伊賀 司 石田 仁 小田 なら 林 貞和
出版者
神戸大学
雑誌
挑戦的研究(開拓)
巻号頁・発行日
2023-06-30

性的マイノリティの存在を認め、すべての人の人権を擁護するために定着した「性の多様性」。だが、この概念は英語由来のジェンダー二元論を超えてはいない。二元論ではその存在が十分に説明できない人たちがアジアを始めさまざまな文化で確認されてきており、現在の概念系は、この人たちを承認し、人権としての「性の多様性」とその侵害を正確に把握することができないでいる。そこで本研究は、アジア9ケ国でいわゆる「非典型的な性」の歴史を調べ、現在生きている当事者に聞き取りをして、《性の多様性》とは何かを改めて明らかにする。そして、こちらの《多様性》に基づいて、現行のジェンダー概念を超える性の概念を構想する端緒をつける。
著者
日下 渉 初鹿野 直美 伊賀 司 小島 敬裕 宮脇 聡史 今村 真央 日向 伸介 北村 由美 新ヶ江 章友 青山 薫 小田 なら 田村 慶子 岡本 正明
出版者
名古屋大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2016-04-01

世界各地の国家と市民社会は、性的マイノリティに対して「黙認」「抑圧」「矯正」「支援」など多様な対応をとってきた。なぜ国家と市民社会による性的マイノリティへの対応は、かくも多様なのか。一般に西洋では、民主主義と自由な市民社会が性的マイノリティの権利拡大に寄与するとされる。しかし東南アジアでは、性的マイノリティの権利要求は、民主主義体制のもとで何十年も放置されたり(フィリピン)、暴力的な弾圧されたり(インドネシア)、一党独裁制や軍政の下で進展を見せたり(ベトナム、タイ)、権威主義体制下で限定的に認められることもある(シンガポール)。このように、性的マイノリティの権利拡大の異なる程度は、政治体制の違いや市民社会の自由度からでは説明できない。本研究では、諸国家と市民社会による性的マイノリティへの異なる対応は、国民国家の正統性を支える「象徴」として、彼女/彼らがどのように利用されているかによって説明できるのではないかと仮説を立てて研究してきた。本年度は、6月にアジア政経学会において「アジアにおける性的マイノリティの政治:家族・宗教・国家」と題したパネルを開き、田村慶子が台湾とシンガポールについて、伊賀司がマレーシアについて、宮脇聡史がフィリピンについて、それぞれの事例を報告した。10月中旬には合宿を行い、2日間にわたってメンバー全員が報告を行い、共通の課題について徹底的に議論した。10月末には、マレーシアからPang Khee Teik氏 、インドネシアからAbdul Muiz氏を招いて、国際ワークショップを開催した。翌年2月にも、マレーシアからtan beng hui氏、フィリピンからJohn Andrew G. Evangelista氏、オーストラリアからPeter A. Jackson氏、タイからAnjana Suvarananda氏を招聘して、国際ワークショップを開催した。
著者
小田 なら
出版者
京都大学
雑誌
研究活動スタート支援
巻号頁・発行日
2016-08-26

本研究は、出産という私的な領域に、社会や国家権力の影響が及ぶ過程を明らかにするものである。フランス植民地期には助産の担い手であった「産婆」に近代西洋医学の研修を受けさせ、農村での出産に関与していた。しかし、植民地からの独立を経たのち、南北ベトナム分断期にはそれぞれ公的医療制度のもとで「助産師」を養成し助産院での出産を推奨してきた。一方、家庭内では妊産婦へ母親や女性親族が様々な養生法のような習慣を伝承してきていた。しかし、戦争や産児制限の導入という要因により、少なくとも都市部では、そのような習慣を厳格に継承していっているとは言いがたい。「出産」は、近代と伝統的価値観が混交しあう場なのである。
著者
伊藤 正子 下條 尚志 小田 なら
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2016-04-01

2017年度はハノイ、フエ、メコンデルタで華人と明郷についての調査を行った。まずハノイでは旧市街の元華人街を中心にインタビューを実施、短期間ではあったがしつこく何度も通ったかいがあり、水面下に残る華人ネットワークをたどって、1978年の中越関係悪化時に中国に戻らず、ベトナムに残っている人たちの証言を得ることができた。その結果、ベトナム人男性と結婚していた華人女性はベトナムに残ることができたが、それ以外の人々はほとんど残ることができず、ほぼ中国へ渡っていることがわかった。中部・南部からも難民となってベトナムから脱出した中国系住民は多いが、ハノイほど徹底して追い出されてはおらず、政治都市ハノイの厳格さと、北部から華人人口の大部分が出国したとされていた通説を確認することにもなった。さらに以前の教育状況や今は政府に接収されてしまっている会館の活動、華僑・華人大量出国の前後の状況など歴史を具体的に明らかにできた。ハノイに残った華人についての調査はこれまでないので貴重な資料を収集できたと言える。通常外部者は入れない、接収され小学校にされている元広東会館の建物内部も見ることができ幸運にも恵まれた。12月にはハノイ大のチン教授と分担者とともに、フエでインタビュー調査、フエ大学で華人に詳しい研究者と交流し文献資料収集を行った。フエは観光客で賑わうホイアンと同様、華人会館などの施設が揃っているにも関わらず、全く観光開発されていない。ホイアンやホーチミン市に比べ華人社会が衰退しつつあり、観光開発に関わるような人材も少ないことがわかった。行政側もフエには王宮関係の施設がたくさんあるために、ベトナム的でない華人施設に注目する必要がないと捉えているようだ。また阮朝に高官として仕えていた明郷の子孫が残っているのも古都の特徴で、抽象的にしか言われていない明郷のかつての活躍ぶりを具体的に明らかにできた。
著者
小田 なら
出版者
京都大学
雑誌
東南アジア研究 (ISSN:05638682)
巻号頁・発行日
vol.53, no.2, pp.217-243, 2016-01-29

This paper aims to examine to what extent and how the government of South Vietnam (1954-75) institutionalized "Eastern medicine (Dong Y)" that is, traditional medicine, in its medical system. It also analyzes the social background of the significant Chinese influence, which prevented South Vietnam from institutionalizing Vietnamese traditional medicine as was the case of the North. Today, Vietnamese traditional medicine, which consists of Thuoc Nam (medicine of the south) and Thuoc Bac (medicine of the north), is institutionalized in the medical system. This has been attributed to the North Vietnamese policy to improve Vietnamese medicine, whereas South Vietnam purportedly did not take the initiative to make the most of Vietnamese traditional medicine. This paper reveals that South Vietnam did try to promote traditional medicine and to integrate it into the public health care system. However, due to the large population and influence of the Chinese, Eastern medicine in South Vietnam was not represented by traditional Vietnamese medicine but by its Chinese counterpart. In order to incorporate more of Vietnamese traditional medicine, the government had to restrict Eastern medicine practices to the Vietnamese. South Vietnam also attempted to institutionalize traditional medicine. However, it was premised on a more complex principle than the North's.