- 著者
-
李 成市
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.194, pp.201-219, 2015-03-31
平壌楽浪地区貞柏洞364号墳から出土した『論語』竹簡は,1990年に初元4年楽浪県別戸口簿木牘や「公文書抄本」と共に発見されたが,2009年に至るまで,その詳細な学術的な情報がなかったため研究対象になりえなかった。本稿は,まず貞柏洞364号墳出土の『論語』竹簡の基礎的なデータが公表に至る経緯を明らかにし,そのうえで,貞柏洞364号墳の性格や遺物から被葬者の性格を検討し,被葬者が現地出身の楽浪郡属吏であることを裏づけた。また,貞柏洞364号墳に副葬された『論語』竹簡については,発掘当初に撮影された2枚の写真と,さらに発掘に関わった機関の証言に基づきつつ,出土した『論語』竹簡は,写真での確認は先進31枚(557字),顔淵8枚(144字)に止まるが,元来,先進篇・顔淵2篇の全文120枚程度が存在したと推定される。被葬者と関わって重要な『論語』竹簡のテキストとしての特徴は,竹簡への書写は,章句の冒頭に黒点を示したり,章句の末尾を余白にしたりして章句と章句の間を区分させ,『論語』の文章を連続して記述していない点にある。中原の読書人とは異なり章句の冒頭を明示し,章句の末尾を空白にして文章の切れ目を明確にしたのは,そのようなテキストの読者のリテラシーの能力を反映していたと見ることができる。貞柏洞364号墳の被葬者が平壌地域の在地の伝統を継承する人物である事実を踏まえれば,貞柏洞364号墳出土『論語』竹簡は,朝鮮半島における漢字文化の受容を検討する際の重要な定点的な資料になりえる。