著者
松田 孝江
雑誌
大妻女子大学紀要. 文系
巻号頁・発行日
vol.27, pp.19-32, 1995-03
著者
松田 孝江
出版者
大妻女子大学
雑誌
大妻女子大学紀要 文系 (ISSN:09167692)
巻号頁・発行日
no.40, pp.198-185, 2008-03
著者
松田 孝江
雑誌
大妻女子大学紀要. 文系
巻号頁・発行日
vol.40, pp.198-185, 2008-03
著者
松田 孝一
出版者
東洋文庫
雑誌
東洋学報 = The Toyo Gakuho (ISSN:03869067)
巻号頁・発行日
vol.68, no.3・4, pp.219-247, 1987-03

The Ho-nan Huai-pei Mongol army 河南淮北蒙古軍 was one of the main Yüan armies. According to chüan 86 of the Yüan-shi 元史, which contains details pertaining to all of the Yüan armies, it consisted of four units of 10,000 soldiers and two additional units of 1,000 soldiers. Hsiao Ch’i-ch’ing 蕭啓慶 has already pointed out that the army was one of the Mongol armies concentrated in the Yellow River valley to separate the capital ta-tu 大都 from the southern region. My concern in this article is with the formation of the Ho-nan Huai-pei Mongol army and its activities under Mongol rule.There were two groups of army commanders. One group belonged to a family of Ta’achar from the Hü'üshin tribe, the other belonged to a family of Temütei from the Jalair tribe. Ta’achar and Temütei commanded armies at the campaign against the Chin 金 from 1231 to 1234 in the reign of Ögetei Qa’an. After the conquest Ta’achar built his base at Wen-hsi circuit 聞喜縣 to guard the region along the Yellow River between P’u Tsao 濮曹 and T’ung-kuan 潼關. The army of Ta’achar became one of the so-called Tammachi armies which was stationed in the frontier regions.The earliest record that lists the organization of the army into four units of 10,000 soldiers is dated at 1252. Two of the units were almost entirely made up of Han chinese soldiers 漢軍. The organization seems to have been formed after the conquest of the Chin, incorporating Han chinese.After the conquest of the Southern Sung, the new headquarters of the army was constructed south of Lung-men 龍門. Soldiers of the army were regularity stationed in the Chiang-nan 江南 and Kan-su 甘粛 regions. The army was also often temporarily dispatched to areas far from the bases along the Yellow River (For examples: Annam 安南 and north-western Mongolia). Although soldiers of the army gradually became impoverished due to such excessive military operations, the organization of the army remained in existence till 1350’s.
著者
松田 孝
出版者
日本デジタル教科書学会
雑誌
日本デジタル教科書学会発表予稿集 日本デジタル教科書学会第7回年次大会 (ISSN:24326127)
巻号頁・発行日
pp.25-26, 2018 (Released:2018-10-03)

プログラミング教育必修化を目前に、全国各地で先行実践が始まっている。プログラミング的思考の育成や学習指導要領の例示、そして情報端末の活用等の条件により、先行実践は中・高学年にその事例が集まりやすい傾向が見受けられる。 一方で小学校低学年の子どもたちは、既にゲーム機を身近にデジタルテクノロジーを享受して成長してきている。子どもたちを取り巻く社会状況や彼らが社会人となった時代を確かに認識する時、デジタル機器の操作スキルを含むリテラシーとネットモラルをはじめとしたインテリジェンスを磨くことは、低学年の子どもたちにとってこそ急務である。 本校ではプログラミング言語であるIchigoJam BASICをカード形式のAppsにしたCutlery Appsを活用し、低学年でプログラミング活動をメインとした授業(表現活動)を行った。この取り組みは低学年の子どもたちのリテラシーとインテリジェンスを磨くことに加え、コンピテンシーBaseの「学び」を拓くこと、さらに中・高学年のプログラミングに繋がっていく可能性のある活動であることを報告する。
著者
松田孝一編
出版者
松田孝一
巻号頁・発行日
2016
著者
白井 博史 松田 孝昭
出版者
合成樹脂工業協会
雑誌
ネットワークポリマー (ISSN:13420577)
巻号頁・発行日
vol.33, no.5, pp.250-258, 2012-09-10 (Released:2014-04-23)
参考文献数
20

省資源・省エネルギーの見地から,自動車タイヤに要求される重要な性能として省燃費性が大きくクローズアップされている。自動車の走行抵抗に大きく寄与するのはタイヤの転がり抵抗であり,この転がり抵抗を低減する技術開発が活発に行われており,多くの新しい素材が提案されている。シリカ配合タイヤは,省燃費性とウェットグリップのバランスを飛躍的に向上できることから,近年,タイヤトレッドにシリカを配合したエコタイヤの普及が目覚ましい。しかしながら,シリカは表面シラノール基の水素結合による凝集でカーボンブラックと比較して分散しにくいという問題がある。アニオン重合を利用した溶液重合スチレン・ブタジエン共重合体(S-SBR)は,タイヤの転がり抵抗を低減できる材料としてシリカタイヤトレッドに多用されており,更に官能基を導入した変性SBR を用いることで,シリカの分散性を改良しシリカタイヤの性能を向上させることが可能となった。 本報では,アニオン重合技術を活用した末端変性SBR,両末端変性SBR,マルチファンクショナルSBR の最近の変性技術について述べた。
著者
松田 孝江
出版者
大妻女子大学
雑誌
大妻女子大学紀要. 文系 (ISSN:03020304)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.19-32, 1995-03
著者
村岡 倫 森田 憲司 佐藤 智水 桂華 淳祥 渡邊 久 舩田 善之 渡辺 健哉 井黒 忍 櫻井 智美 松川 節 宮澤 知之 松田 孝一
出版者
龍谷大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-11-18

研究期間中に、ニューズレター『13,14世紀東アジア史料通信』の第16号~第22号および別冊の計8冊を刊行し、研究代表者および研究分担者・連携研究者の石刻史料に基づく研究成果を掲載した。本科研費で購入した『西安碑林全集』に関して、奈良大学図書館では「『西安碑林全集』を見る」という企画展を開催し、ニューズレター別冊は、その展示に関連して刊行したものであり、研究成果を一般に還元した。第19号、第20号も『西安碑林全集』研究の成果として刊行したものである。そのほか、特筆すべき研究として、新たに発見された漢文・パスパ文合璧碑文の研究、元代のモンゴル高原における地方行政制度の研究などが挙げられる。