著者
稲葉 浩幸
出版者
近畿大学
雑誌
商経学叢 (ISSN:04502825)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.149-165, 2003-12-20

本稿では, ファイアマークの図案を分析し, その由来や意図を検証することを目的とする。ファイアマークとは火災保険契約の証として, 被保険者宅に取り付けられたプレートのことであり, わが国では1887年に設立された東京火災のファイアマークが最古のものである。ファイアマークの役割は, 消防組織が消火活動を行う際の目印また保険会社の広告・宣伝という実益的な機能がクローズアップされるが, そのデザインには「水」や「魔除け」といった図案が多用され, 防火の「お守り」としての側面も見られる。こうしたファイアマークの歴史的・文化的価値を評価し, わずかに現存するファイアマークを保存していく必要がある。
著者
朝比奈 彩 稲葉 浩久 新谷 恒弘
出版者
南江堂
雑誌
胸部外科 (ISSN:00215252)
巻号頁・発行日
vol.62, no.12, pp.1032-1034, 2009-11
被引用文献数
1
著者
稲葉 浩
出版者
一般社団法人 日本血栓止血学会
雑誌
日本血栓止血学会誌 (ISSN:09157441)
巻号頁・発行日
vol.26, no.5, pp.524-533, 2015 (Released:2015-10-19)
参考文献数
12

要約:次世代シークエンス解析は,その圧倒的な塩基配列解読能力によって遺伝学や分子生物学の研究を一変させた.この技術は医学の分野にも多様な応用が可能であり,単一遺伝子に起因する遺伝性疾患の解析はもとより,がんや多因子疾患など,その発症や病態に遺伝子が関与する各種疾患を解析する目的で臨床医学にも応用され始めた.次世代シークエンスの有する“網羅的解析を迅速かつ低コストで行うことができる”という特長は,診断のためのツールとしても極めて有用である.本稿では次世代シークエンス解析について,自験例を交えて概説する.
著者
稲葉 浩幸
出版者
近畿大学
雑誌
生駒経済論叢 (ISSN:13488686)
巻号頁・発行日
vol.4, no.2, pp.255-266, 2006-12-20

わが国に近代的な生命保険事業が紹介されたのは,1867年の福沢諭吉『西洋旅案内』が最初とされる。明治維新以後,政府は富国強兵・殖産興業をスローガンに資本主義化を推進し,1881年にはわが国初の近代的な生命保険会社,明治生命が開業した。黎明期の生命保険事業は類似保険および経営基盤の脆弱な生保会社の乱設などの諸問題を抱えながらも,保険業法制定,第一生命保険相互会社の創立と順調な発展を遂げた。生命保険の浸透にともない,小説の題材としても次第に生命保険が登場するようになった。本稿では,黒岩涙香『生命保険』(1890年)と夏目漱石『吾輩は猫である』(1905年)の2編を採り上げ,その内容を生命保険の観点から検証する。
著者
稲葉 浩幸
出版者
近畿大学商経学会
雑誌
商経学叢 = Kinki University journal of business and economics (ISSN:04502825)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.1-18, 2003-12-20

"本稿では, ファイアマークの図案を分析し, その由来や意図を検証することを目的とする。ファイアマークとは火災保険契約の証として, 被保険者宅に取り付けられたプレートのことであり, わが国では1887年に設立された東京火災のファイアマークが最古のものである。ファイアマークの役割は, 消防組織が消火活動を行う際の目印また保険会社の広告・宣伝という実益的な機能がクローズアップされるが, そのデザインには「水」や「魔除け」といった図案が多用され, 防火の「お守り」としての側面も見られる。こうしたファイアマークの歴史的・文化的価値を評価し, わずかに現存するファイアマークを保存していく必要がある。HIROYUKI INABA. Features of Fire Marks in Japanese Insurance Companies. In this paper, fire marks' designs are analyzed and it aims at verifying those origins and intentions. Fire marks are the plates attached in the insured's houses as a proof of a fire insurance contract, and the fire mark of the Tokyo fire insurance company founded in 1887 is the oldest thing in Japan. As fire marks' roles, there are utility-functions of the mark at the time of a firefighting organization performing fire-extinguishing activities and the advertisement of insurance companies. However, designs, such as ""water"" and a ""talisman"", are used abundantly and the side as a ""charm"" of fire prevention is also looked at by Japanese fire marks. It is necessary to evaluate such fire marks' historical value and cultural worth, and to save the fire marks who are slightly living."
著者
稲葉 浩幸
出版者
近畿大学商経学会
雑誌
商経学叢 (ISSN:04502825)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.15-30, 2010-07

本稿では, わが国に近代的保険業が誕生した明治期に創刊された, 宮武外骨による諷刺雑誌『滑稽新聞』と北沢楽天による漫画雑誌『東京パック』の中から, 保険について書かれた記事を抜粋し, 創成期の保険業の状況を解読することを目的とする。特に, 当時人気を博した諷刺漫画は, 辛らつかつ滑稽味に溢れた作風で保険の制度や保険会社を鋭く調刺した。 (英文) This paper looks at Gaikotsu Miyatake 'Kokkei Newspaper' and Rakuten Kitazawa 'Tokyo Pack' from the viewpoint of insurance after Meiji era in Japan. Especially, the popular caricatures sharply satirized the system of insurance and the insurance company at Meiji ear by the style that had sense of humor and bitter irony.
著者
稲葉 浩一
出版者
尚絅大学
雑誌
尚絅大学研究紀要. A, 人文・社会科学編 (ISSN:21875235)
巻号頁・発行日
no.47, pp.89-106, 2015-03-31

本稿は学校教育における,児童生徒の知的関心・意欲にもとづいた学習を導く「教育方法」に関し次のように論考を展開する。まず日常生活者である子どもたちにとっての「知識」の意味を確認し,そのうえで学校教育という制度的空間において求められる<児童生徒>としての知識の探求のありかた(=規範)を考察し,そこに潜在する根本的な困難を指摘する。そしてそのオルタナティブとしての児童生徒の「探求的学習」の方法を模索する。
著者
稲葉 浩一
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.93, pp.91-115, 2013-11-30 (Released:2015-03-25)
参考文献数
13

本稿は『生徒指導提要』(文部科学省)の記述に見られるように,児童生徒の個性尊重と児童生徒理解の方法が,しばしば多くの「注文」をつけて語られることに着目し,その実践の起源ともいえる個性調査において実際の教師たちはどのように児童らを「理解」していたのかを明らかにするものである。主として大正期から昭和初期にかけて多く発刊された個性調査のテキストは,典型的には教師の個性調査実践を「客観的基礎」に欠けものとし,そこに「失敗」の可能性を想定するものであった。だが一方本稿が見た大正期の個性調査簿の記録は,そのような方法をもって児童の「ありのまま」に接近するようなものではなく,むしろ個性調査簿の様式に則りながらも,前年度までの児童の「個性」をその次の年度の教師が参照し,児童たちの「らしさ」ともいえる「パターン」を再構成するという言説-解釈実践を行うものであった。これはいうなれば教師による児童の「性格づけ」・「語り継ぎ」の実践であったといえるだろう。以上のことからわかるのは,公的な言説が要求する「理解」のあり方と異なったものであっても,教師は日常生活者として十分な理由をもって児童らの個性を理解=解釈していたということである。その意味で「よりよい精確な」理解が教育現場に要請される以上そこには原理的な「困難」が常に潜在し,「注文」が尽きることはないというのが本稿の結論となる。