著者
米地 文夫 佐野 嘉彦
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.63-75, 2004-09-30

宮沢質治の作品に頻出する「スケッチ」という語について、自然科学の立場から検討を加えた。賢治にとって「スケッチ」とは、自然科学におけるフィールドワークの「スケッチ」に類するものであった。一般には詩と呼ばれている賢治の「心象スケッチ」は、彼自身は詩ではなく、科学的な「スケッチ」であり、彼の心象に映じた心理学的世界像を科学的に記載し、後日の分析のための論料(証拠)としようとするものであった。賢治の「スケッチ」が描く世界は、現実の世界から彼の心象に投影されたものであり、賢治にとっては、真の世界像を構築するための論料(証拠)であった。 特に「心象スケッチ」の名のもとに書かれた作品における天空の表現を例にとりあげ、すなわち、賢治の「スケッチ」の特性の一端を明らかにした。すなわち、空や雲の色を、鉱物、特に宝石、貴石を比喩に用いて描写し、それによって色相のみならず、彩度や明度まで的確に表現しようとしたのである。そのような比喩は、一般の読者には難解で衒学的と受け取られがちである。しかしながら、賢治にとって、宝石、貴石などの名称を絵の具のように選んで用いるのは、科学的に最も的確に表現するために必要なスケッチ技法として、当然のことなのであった。
著者
米地 文夫
出版者
日本地図学会
雑誌
地図 (ISSN:00094897)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.1_17-1_24, 2011 (Released:2015-11-07)
参考文献数
12
著者
米地 文夫 木村 清且 Fumio YONECHI Kiyokatsu KIMURA ハーナムキヤ景観研究所 岩手県立大学大学院総合政策研究科
出版者
岩手県立大学総合政策学会
雑誌
総合政策 = Journal of policy studies (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.29-44, 2006-12-01

賢治寓話「黒ぶだう」は,仔牛が赤狐に誘われ,ベチュラ公爵別荘にわき玄関から入り,二階で黒ブドウを食べる。狐はブドウの汁を吸って他は吐き出し,仔牛は種まで噛む。公爵たちが帰ってきて,狐は逃げ,残された仔牛はリボンを貰う。この話の公爵別荘のモデルは花巻市街に現存する菊池捍(きくちまもる)邸であることが明らかとなった。菊池邸は1926年に建てられ,外見は洋館,中が畳敷きの和室で,花巻出身で北海道清水町の明治製糖工場長であった捍氏が建主である。北海道の洋館建築の様式をとり入れつつも,武家住宅の伝統を受け継ぎ,洋館には無いはずの本玄関と脇玄関を付けた。賢治が仔牛たちは「わき玄関」から入ったと書いているのが菊池邸をモデルとした証拠である。この建物は他にも「黒ぶだう」の別荘と合う点が多い。菊池捍邸が賢治作品の創作の秘密を解く鍵として極めて重要なことがわかったが,建物自体も大正期の洋風建築として価値の高いものであり,保存保全が望ましい。In Kenji Miyazawa's fairy tale "Black Grapes, " a calf, entitled by a red fox from a pasture, entered the villa of Duke Betula through the side entrance and ate black grapes on the second floor. The fox sucked the juice of the grapes and spit out the residue, while the calf chewed the grapes and the seeds as well. When the duke and his entourage returned home, the fox ran away. The calf was left there, but was given a ribbon by the duke. It was revealed that the model of the duke's villa is the residence of Mamoru Kikuchi, that still exists in the city of Hanamaki today. Built in 1926 by Mamoru Kikuchi, from Hanamaki and manager of Meiji Seito's sugar-making factory in Shimizu town, Hokkaido, the Kikuchi Residence has a Western appearance and tatami-matted rooms inside. Although the building was designed after the style of Hokkaido Western architecture, it followed the tradition of the samurai house and has both a main entrance and a side entrance, which don't exist in an ordinary Western-style house. The evidence that this is the model is that, as Kenji wrote, the calf and the red fox entered the villa through the "side entrance." There are many elements this building has that agree with the descriptions of the Black Grapes villa. Although the Kikuchi Residence is extremely important as a key to unravel the secrets of Kenji's creation in his works, the building itself is of high value as an example of Taisho Era western architecture, which is why its total preservation is desired.
著者
米地 文夫 大木 俊夫 秋山 政一
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.40, no.3, pp.157-170, 1988-08-01 (Released:2010-04-30)
参考文献数
30

1888年7月15日の磐梯山噴火後1世紀の間にこの噴火に関して多くの論文が公にされたが, なお未解決の問題も残っている。著者らはその一つである噴火開始時の状況の解明を試みた。これまで知られていなかった資料の発見や目撃者の証言の検討によって次の結果を得た。1. 時刻: 噴火は1888年7月15日7:45a. m. に起こった。(Sekiya・Kikuchi 1890)。しかし多くの目撃者は8:00~8:10または8:30前後と証言している。検討の結果, 証言間の時刻の不一致は, 主として時法の混乱期にあったことによるものと推定された。1888年は, 1872年までの不定時法, 1873~1887年の定時法・地方時, 1888年以降の定時法・日本標準時という三種の時法・時刻の移行期であり, この地方では各時法・時刻の共存期にあったのである。2. 地点: 煙柱の噴出すなわち水蒸気爆発のあった地点は小磐梯山頂の西麓と銅沼付近とであることが, 噴火時に磐梯山麓の住民が撮影・描写した写真やスケッチから推定された。3. 噴煙高度: 最初に噴出した噴煙柱の高度は, これまで述べられていた1,200m程度という数値よりも更に小さく, スケッチや証言からわずか800mであったと推定される。この事実は, 守屋 (1980) の見解を裏付け, これを発展させた Yonechi (1987) の仮説, すなわち磐梯山の最初の水蒸気爆発自体はあまり大きくなく, 引き続いて起こった複数の, 時間間隙を持つ地すべり性の崩壊が大きかったのであるという考え方を支持している。
著者
米地 文夫
出版者
東北大学
巻号頁・発行日
1979

博士論文
著者
加藤 武雄 米地 文夫
出版者
東北地理学会
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.36-40, 1965

The Chokai Volcano, which lies on the coast of the Japan Sea, is one of the famous volcanoes of the northeast Japan, and <i>Tori-no-umi</i> is the crater lake near the top of this volcano. This is a report of the limnological survey of this lake.<br>1) This lake has an elliptical shape as is shown by the bathymetric map (Fig. 2).<br>2) As seen from Figs. 4 and 9, the vertical distribution of the water temperature and the chemical quality shows typical features at the periods of the summer stagnation and the autumnal circulation.<br>3) The result of the chemical analysis (Tables 2-4) generally reveals that <i>Tori-no-umi</i> is poor in dissolved substances.<br>4) This lake is characterized by rather high concentration of Na<sup>+</sup> and Cl<sup>-</sup>. (These features are not seen in the several lakes in the Zao and the Shirataka Volcano areas distant from the Japan Sea coast.) The writers inferred that the chemical quality of <i>Tori-no-umi</i> lake is originated from the atmospheric salt in the remaining snow around the lake.
著者
米地 文夫
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.41, no.3, pp.133-147, 1989
被引用文献数
3

歴史時代の地形を復元するには, 地形学においては従来地質学的データに比し等閑視されがちであった絵画資料を, より活用すべきである。さきに筆者は磐梯山1888年噴火の多段階崩壊仮説を呈示したが, 本論文では絵画資料を用いてその補訂を行う。新たに得られた噴火実況スケッチは新田図と小林手書き図で, 前者は噴火の模様を描き, 小磐梯の形態と名を記入し, 頂上付近を残したまま噴煙を南東になびかせているなど, 筆者の多段階崩壊説を支持する。後者には5段階の噴火過程が描かれており, 小林印刷図や大伴図との対比により, 噴火の過程がより詳細に解明された。次に磐梯山の三つの山頂を同じ方角から描いた江戸時代後期以降の絵の形態表現の正確さを比較し, 江戸後期の真景図は部分描写に優れていることを知った。噴火で失われた小磐梯の山頂の細部は不明確であったが, 江戸後期の真景図 (遠藤香村「信遊紀行図絵」と白雲「磐城紀行図巻」) および高島北海の絵を用いて地形模型を作成し, 小磐梯山山頂にそれぞれ二つの突出部を持つ二つのピークがあったと推定した。この模型と写真との照合から, 筆者の多段階崩壊仮説, すなわち「1888年磐梯山噴火の第一段階に山腹の現銅沼付近に崩壊が発生した」という推論に, 今回さらに「ほぼ同時に山頂部の北東端のピークないしは突出部が崩壊した」という想定が付加された。
著者
米地 文夫
出版者
東北地理学会
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.42, no.2, pp.111-118, 1990

磐梯山の1888年噴火は関谷・菊池 (1888) 以降, 長い間「前兆無き, 激しい水蒸気爆発」と言われてきたが, 近年多様な前兆的現象の存在を肯定する見解が出され (菊池1984, 1986, 廣井1988, 八島1988など), また磐梯山が抜けるという風説が噴火を予言していたとする話を信じる人が多くなった。前兆や予言があったとする見解が増えた一因は井上靖の小説「小磐梯」にあるが, 筆者は一次資料を検討し, 資料として小説を用いるのは妥当ではないことを明らかにした。最も信頼性の高い「磐梯山噴火口供進達之義ニ付上申」の検討の結果, 地震以外に前兆らしき確実な変事が無かったという点で23人全員の証言がほぼ一致していた。噴火前の地震に関する証言は, 磐梯山東南麓では「無し」, 東麓の磐梯山よりでは「10日程前に大きな地震があった」と答え, 北方~東北方では噴火数日前に地震を感じている。「山が抜ける」という予言的風評は, 噴火の予言ではなく, 会津地方に多発していた地すべりを指していたと考えられる。以上の結果は同噴火が「小規模な噴火と大規模な崩壊であった」という, 守屋 (1980), Yonechi (1987) らの説と整合的である。
著者
米地 文夫
出版者
山形大学
雑誌
山形大学紀要 自然科学 (ISSN:05134692)
巻号頁・発行日
vol.5, no.4, pp.901-912, 1963-03