- 著者
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菊地 成朋
- 出版者
- 九州大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2000
五島列島のキリシタン集落は,明治以降も隠れキリシタンであり続けた集落と,明治期に名乗り出て教会に属しカトリックとなった集落とがある。隠れキリシタン集落「月の浦」の事例検討では,「クルワ」と呼ばれるキリシタン組織がもともとは血縁にもとづく属人的な集団であったと考えられ,その領域が父系の血縁集団ごとに定められ,その中で分家が展開されていったことがわかった。分家は本家を中心に放射状に展開しており,その際,段状に広がる耕地のエッジに屋敷を構えている。生産優先の原則と険しい地理条件との中で分家が慣行的に行なわれ,独特の村落景観が形成されたと解釈される。カトリック集落「大水」の事例検討では,隠居分家を基本とするイエワカレ慣行が一貫して持続され,その際,平等配分を原則とする分割相続が行なわれてきたことがわかった。ただし,明治から大正にかけてのイエワカレでは,集落エリアの外側に新たにイエと耕地をセットにして居住地を開発し,そこに分家を排出していったのに対し,後期のイエワカレは,屋敷近傍の耕地を宅地化することによって行なわれるようになった。そのため,集落景観は以前の散村的状況からやや集村的な状況へと変化してきている。両者の村落景観を比較すると,キリシタン集落は斜面に形成された段々畑の中に家々が散在する景観をもつのに対し,カトリック集落ではその焦点に教会を配した統合的な景観がみられ,空間構成は一見大きく異なっている。しかしながら,これらを領域モデルで比較すると,その構成は基本的に類似しており,さらに形成過程の分析によって両者は同じ原理で展開してきたことがわかった。五島キリシタン集落の独特の村落景観は,キリスト教徒という属性に直接起因するのではなく,斜面という立地特性をベースに,分割相続型のイエワカレ慣行とその具体的分与システムによって形づくられたとみることができる。