著者
三澤 真美恵 貴志 俊彦 佐藤 卓己 孫 安石 川島 真 小林 聡明
出版者
日本大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

本研究では東アジアの複数の地域(日本、中国、香港、台湾、シンポール、韓国、北朝鮮)および複数の視聴覚メディア(テレビ、映画、レコード、ラジオ)を対象に、地域間・メディア間の相互連関性を検討した。各年度に行われた国際ワークショップや国際シンポジウムを通じ、国内外の研究者が多様なディシプリンを持ち寄ったことで、東アジアに固有の相互連関の具体的様態についても明らかにすることができた。本研究の成果は論文集として公刊される予定である。
著者
亀田 尭宙 貴志 俊彦 原 正一郎
雑誌
研究報告人文科学とコンピュータ(CH) (ISSN:21888957)
巻号頁・発行日
vol.2019-CH-119, no.12, pp.1-4, 2019-02-09

京都大学東南アジア地域研究研究所では,戦前戦中に発行された東アジアの絵葉書をデータベースとして整理 ・ 公開している.これまで国際連携のために,Linked Open Data や International Image Interoperability Framework に対応した公開を進めてきた.また,それぞれの弱点である,ドメイン研究者によるデータの簡便な登録と更新や応答の早い検索 API について,当研究所が構築してきた My データベースや Elasticsearch との連携によって補っている.本稿では,データの具体的な形式やシステム間の連携について詳述し,活用に至るまでの課題について議論する.
著者
貴志 俊彦
出版者
島根県立大学
雑誌
北東アジア研究 (ISSN:13463810)
巻号頁・発行日
no.1, pp.245-268, 2001-03

I Under the Circumstances Leading up to the Foundation of NCTT : The Telecommunications Problems of the East Hebei District and Hebei-Chahar District before and after the Lukouqiao Incident II The Trend of NCTT under the East Asian Telecommunication Block System III The Reorganization of NCTT on the Final War System This article is a basic research for summing up the East Asian media history in the former century and establishing the historical viewpoints to foresee the forthcoming multimedia society in the 21st century. From the viewpoint of the political cultural media history, I argue various topics about NCTT, which was established in Aug. 1938 and was famous as the nonpolitical telecommunication company in North China. Fortunately, there are 2, 256 volumes of documents about NCTT written in Japanese at the 2nd Historical Archives (Nanjing). So we can research the wartime telecommunication block and control system by using them. Before the Chinese-Japanese War, Manchuria Telegraph & Telephone Co. (MTT) took advantage of the agreement to reform the telecommunication system with the Autonomous Committee in East Hebei and got the opportunity for invading beyond the Great Wall. After Lukouqiao Incident, MTT established telecommunication bureaus at Tianjin and Beijing and began to control the telecommunication system of major cities in North China area. But NCTT encountered many difficulties, which Japan's North China Garrison Army compelled it to undertake. And it had to manage its own business under the contradictory control between MTT, which was looking forward to construct the second Manchuria Kingdom, and Japanese Ministry of Telecommunication (JMT), which was seeking to extend the Japanese Style System. And to oppose against Chongqing Nationalist Government and the Chinese Communist Party, NCTT had to develop original and applicable technologies (ex. nonloaded cable, a Japanese telegraph code, and so on) and to seek "Enclosed Innovation" under East Asian Telecommunication Block Regime. In April 1941, NCTT was attempting to integrate and coordinate the East Asian Telegraph Telephone System, which included North China, Manchuria, Mongol, and Central China. This new system would mean that the JMT leading Japanese system would came to include the networks of North China and Central China. NCTT's Organization was changed into decentralized Local General Bureaus at Beijing, Tianjin, Qingdao, Jinan, Taiyuan, and Xuzhou. In December 1941, as the Asia-Pacific War broken out, North China and Central China came to be important regions as military base for entering the South area. As the System moved to a wartime structure, rising prices and the lack of materials had serious impact on NCTT. In January 1942, according to the Telecommunication Business Agreement of East Asia Mutual Prosperity Bloc, a new mutual aid system was introduced to an integrated structure within the area of Japanese Imperial domination. But in fact, this united structure had many systematic problems. In January 1943, the Nationalist Government decided to join World War II , the managing condition of NCTT became tense. In 1944, the telecommunication functions were gradually paralyzed, so by 1945, NCTT could no longer manage them at all. On the other hand, in 1941, after the Nationwide Telecommunication Conference, the Nationalist Government was set to reform the domestic long-distant telephone network. And by using wireless networks, it could escape deviating from worldwide telecommunication networks. The contrast between these strategies and the visions of NCTT was remarkable.
著者
貴志 俊彦 陳 來幸 石川 禎浩 武田 雅哉 川島 真 柴山 守 松本 ますみ 孫 安石 大澤 肇 小林 聡明 谷川 竜一 菊地 暁 富澤 芳亜 泉水 英計 西村 陽子 李 梁
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2013-04-01

本共同研究では、近100 年間に東アジア域内で起こった歴史的事件、あるいは時代の画期となるトピックをとりあげ、それぞれの局面で登場した非文字史料がはたした役割とその受容者の解釈を検討した。国内外における広範な調査と成果発表にあたっては、複数の地域で製作された非文字史料を比較対照するとともに、(a)図像解釈学的分析、(b)語彙分析による情報処理、(c)コミュニケーション・パターン分析等を導入して、紛争・協調の時代イメージと非文字史料との因果関係を明らかにした。
著者
貴志 俊彦
出版者
島根県立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1999

この4年間、各地の文書(案)を中心に調査、研究するなかで、本研究に関連する文書はアジア諸国だけでなく欧米各国にも膨大にあることを知ることができた。その一部は、概括的なものながら、実際に文書にあたることができ、調査報告も公表した。各地の文書調査を通じて、たんに黄渤海地域に限定されない歴史学上の課題にも直面し、本研究は萌芽的ながらも地域研究、外交史、社会史を交錯させた研究成果としてまとめることができた。さらに、こうした調査を通じて、マルチリンガル・アーカイブの手法による歴史学研究という点で日本はやや遅れをとっていることも痛感され、こうした手法による都市やメディアに関わる研究成果の公表につとめた。本年度の研究では、4年間の研究成果をまとめ、公表することに重点をおいた。実際に、上海及び日本国内の数箇所の研究会で、成果発表をおこない、批判をあおいだ。こうしてまとめた『研究成果報告書』の構成は、次のとおりである。第1章 近代中国における<都市>の成立-不平等条約下の華と洋-第2章 近代天津の都市コミュニティとナショナリズム第3章 帝国の「分身」の崩壊と「異空間」の創出-第一次大戦期の天津租界接収問題をめぐって-第4章 メディア文化とナショナリズム第5章 日中通信問題の一断面-青島佐世保海底電線をめぐる多国間交渉-第6章 天津租界電話問題をめぐる地域と国家間利害第7章 戦時下における対華電気通信システムの展開-華北電信電話株式会社の創立から解体まで-第8章 日中戦争期,東アジア地域におけるラジオ・メディア空間をめぐる政権の争覇第9章 啓蒙と抗日のはざまで-国民政府による電化教育政策をめぐって-4年間で一定の成果を得たとはいえ、課題も残った。例えば、本研究の時期として設定していた1950年代の問題はほとんど触れることができず、第二次世界大戦後の都市やメディアの変化を明らかにできなかった。また、黄渤海地域の都市といいながら、結局中国サイドのそれしか留意できず、朝鮮半島や日本の都市に言及できなかった。こうした課題に対しては、日本を含めた北東アジアの諸地域を意識した研究が必要であると考えている。広範囲な地域における文書調査は今後も続けたい。
著者
貴志 俊彦 川島 真 陳 來幸 佐藤 卓已 佐藤 卓己 北村 由美 小林 聡明
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010

この国際共同研究では、日本国内、台湾、韓国などで展開された学術交流によって、今後の関連研究に貢献できる次のような論点を明らかにできた。(1)エスニック・メディアに掲載された見解を分析することで、太平洋戦争終結による時代性の非連続的側面よりも、社会の環境および観念の連続性をより検出できた。(2)華人、金門人、日本人、コリアンとも、戦後直後においては、東アジアと東南アジアといった地域を移動する流動性が顕著であったため、時空間横断分析を進め、地域相関型の研究を推進することの重要性が確認された。(3)エスニック・メディアは、文字資料のみならず、映画、ラジオなど多様な非文字資料の役割が重要であるとともに、集団的、個人的コミュニケーション手段がコミュニティの拠点どうしを結ぶ機能を果たしていることを明らかにできた。なお、エスニック・メディア・データベースの構築は、引き続き課題として残された。
著者
土屋 由香 戸澤 健次 貴志 俊彦 谷川 建司 栗田 英幸 三澤 真美恵
出版者
愛媛大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

冷戦初期(1950年代を中心に、1970年代初めまで視野に入れて)に、米国の政府諸機関-国務省、陸軍省、広報文化交流庁(USIA)、中央情報局(CIA)など-およびそれらに協力した民間部門-一般企業、ハリウッド映画業界、財団、民間人など-が行った対外広報宣伝政策について国際共同研究を行った。米国側の政策のみならず、韓国、台湾、フィリピン、ラオスにおける受容の問題も取り上げ、共著書『文化冷戦の時代-アメリカとアジア』(国際書院、2009年)にまとめた。