著者
濱本 真輔 根元 邦朗
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.2_70-2_97, 2011 (Released:2016-02-24)
参考文献数
48
被引用文献数
1 1

While politicians still seem to see district activities as an important strategy for mobilizing personal votes, elections in Japan are increasingly marked by party competition. Why do they engage in such a strategy and does it really increase votes? By answering these questions, this paper aims to address how nationalized party competition affects politicians' behavior and how they adjust their different reelection strategies in changing environments. We hypothesize that personal-vote campaigning indeed increases votes and that its impact is larger where the incentives to cultivate personal votes are greater. With an original time-series dataset on the schedules of more than 150 Diet members, we offer the first systematic empirical test and find evidence confirming the hypotheses.
著者
真田 尚剛
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.1_163-1_184, 2016 (Released:2019-06-10)

本稿は, 1976年10月に閣議決定された 「防衛計画の大綱」 (防衛大綱) に至る過程について, 1970年代前半における国内環境に着目し, 論じるものである。まず, 世論調査の結果と防衛政策関係者の認識の間に乖離があることを明らかにする。次に, 世界最大の航空機事故である雫石事故, 史上初めての自衛隊違憲判決である長沼裁判, 革新勢力の伸長による保革伯仲, 各地での反自衛隊事件を受けて, 防衛政策関係者が従来にないほどの強い危機感を覚えた点を分析する。最後に, 彼らが国内での個別具体的な事案の発生を受け, 防衛政策や自衛隊の正当化を図るために, 1972年10月の4次防で防衛構想と情勢判断を初めて明示し, 1976年10月にはさらに詳しい内容となる防衛大綱を策定するに至った点について解明する。結論として, 世論調査ではなく, 日本国内での防衛問題に関連する批判的な事案の発生により, 防衛政策関係者が防衛政策や自衛隊の正当化を図るべく, 国民への説明の必要性を認識し, 初めて防衛大綱を策定するに至ったことを立証する。
著者
奈良岡 聰智
出版者
JAPANESE POLITICAL SCIENCE ASSOCIATION
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.1_40-1_61, 2009 (Released:2013-02-07)

In 1925 the Law of the election of the Lower House was revised, and the medium-sized constituency system was introduced. This system had been continued for about 70 years and given great influence to Japanese politics. Why and how was the medium-sized constituency system introduced in 1925? The aim of this paper is to answer this question.   It has often been said that the three parties in power introduced it in order to escape from competing each other and to keep their base. This is the case, but the background was much more complicated. This paper focuses on three points.   First, quite a few medium-sized constituencies had already been made when Hara Cabinet revised the Law of the election of the Lower House in 1919. It reflected wishes of Upper House, which was afraid of Seiyukai's mastery over Lower House, and wishes of some Seiyukai or independent MPs, who were afraid of changes of their constituencies.   Second, the small-sized constituency system was greatly criticized among journalism and academic world after World War I. They insisted that corruption in election and higher cost for election was due to the small-sized constituency system, and they were generally welcome to proportional representation and multi party system in Europe. In 1923 Advisory Committee on Law expressed that proportional representation should be adopt. These voices promoted the review of the small-sized constituency system.   Third, it was Kenseikai rather than three parties in power that took the initiative in introducing the medium-sized constituency system. Kenseikai did it in order to avoid returning to the large-sized constituency system, which was likely to make excessive multi party system, and to introduce the favorable election system to it. The medium-sized constituency system was favorable for Kenseikai in that it would not lose heavily. Kenseikai aimed to grow as one party in two party system, and the plan really came true after that.
著者
三谷 宗一郎
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.1_152-1_177, 2020 (Released:2021-06-16)
参考文献数
46

ひとたび成立した政策を終了させることは容易ではない。政策の不必要な継続を回避し、円滑な終了を促す目的で、米国では1970年代から州政府レベルの立法過程において、法制定時に当該政策の失効期限を定めるサンセット条項が急速に普及した。日本には、類似する立法技術として失効条項や廃止方針条項を付す法律 (以下、時限法) が存在するが、その運用実態は判然としない。時限法は当初の期限通りに失効しているのか、どのような時限法がなぜ存続するのかを明らかにし、政策終了論および立法過程論上の空白を埋めることが本稿の目的である。研究の結果、⑴戦後制定された時限法は全208件で、そのうち約半数が当初の期限通りに失効しておらず、中には最大12回延長され、半世紀以上も存続する時限法が存在していたこと、⑵時限法のうち、衆議院議員提出のもの、国土開発分野のもの、法律補助規定を有するもの、制定当初の失効期限が5年以上に設定されているものは存続する確率が高いことが明らかになった。一部の時限法は、失効期限が到来するたびに票と利益を交換する機会を創出し、関係議員の再選可能性に寄与しているため、予定されている期限通りに失効しないという矛盾を抱える可能性があると考えられる。
著者
小野 弾
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.72, no.2, pp.2_209-2_233, 2021 (Released:2022-12-15)
参考文献数
40

本稿では時事通信社の世論調査データの分析から、マクロレベルでの内閣支持の形成と変動の要因を検討する。内閣支持のサブクエスチョンである内閣支持理由にStimsonの再帰的二項モデルを適用し、「政権能力支持」、「漠然支持」 という内閣支持に関する2つのムードを析出した。数値の推移をみると、55年体制期は漠然支持、93年以降は政権能力支持ムードの値が高く、政権交代・制度改革を経て政権支持がより政権能力の評価に基づくものになっている。また、両ムードの組み合わせにより内閣支持率の93%が説明される。ベクトル自己回帰モデル (VAR) によって経済変数とそれぞれの支持ムードの関係を分析すると、日経平均株価は政権能力支持ムード、GDP成長率は漠然支持ムードに影響することがわかった。有権者は経済状況を判断材料として内閣支持を決定してきたが、55年体制期に比率が高かった漠然とした支持が経済成長に基づいたものであったのに対して、55年体制崩壊後に主となった政権の能力評価に基づく支持は日経平均株価からの影響を受けている。
著者
伊達 聖伸
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.1_122-1_144, 2013 (Released:2016-07-01)

The central figure of the Action Frarnçaise, Charles Maurras presented his “religious nationalism” amidst a tense conflict between republicans and Catholics, which culminated with the separation of the Churches and the State in 1905. The Catholic blocs supported him, because he reclaimed the Catholic monarchy from the French Republic by criticizing individualism and representative democracy. This article tries to contextualize his political thought at the dawn of the twentieth century and to analyze it from the viewpoint of political theology.   It primarily focuses on Maurras' so-called “Catholic positivism” which was largely influenced by Auguste Comte. However, Maurras deviates from the founder positivist in that he emphasizes the French “nation” instead of the “humanity”; he didn't acknowledge the idea of separation between temporal and spiritual powers. His monarchical nationalism stands on the positivistic horizon, and the autonomous nation rendered absolute doesn't require a heteronomous religious justification. This scheme of political theology, which appeared through his polemic with Marc Sangnier, bore some resemblance to neo-Thomism, despite its pagan character.
著者
藤田 将史
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.1_393-1_415, 2020 (Released:2021-06-16)
参考文献数
34

国際制度論においては、国家は基本的に国際協調を実現するために国際制度を利用すると考えてきた。しかし現実には、国家行動をあまり変えられないという意味で有効性の低い国際制度を、国家は多く利用してきたと指摘されている。では、なぜ国家は敢えて有効性の低い国際制度を利用するのだろうか。先行研究は、有効性の高い制度を構築することの困難・経路依存性・政策判断の誤りといった要因を提示してきた。しかし、それらの要因が存在しなくても国家は有効性の低い制度を利用する場合があり、先行研究の知見だけでは有効性の低い制度利用の事例群を十分に説明できない。本稿の主張は、国家行動を変化させない制度であっても国内政治上の効用があり、そのために政府によって利用される場合があるというものである。具体的には、政府が対立する国内主体からの批判を回避するために、有効性の低い国際制度を利用できるという仮説を提示する。そして、先行研究の逸脱事例であり本稿の仮説の最不適合事例に当たる、為替操作国認定問題での米国のIMF (International Monetary Fund) 利用の事例を用い、仮説を実証する。
著者
大井 赤亥
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.1_106-1_127, 2020 (Released:2021-06-16)
参考文献数
27
被引用文献数
1

冷戦終焉に伴う 「革新」 の一方的衰退をへて、1990年代以降の日本政治は、コンセンサス型意思決定によって利益配分を担ってきた 「守旧保守」 と、強いリーダーシップによって行政機構の縮小再編成を断行する 「改革保守」 との対立軸へと変容した。ここにおいて支配的趨勢となったのは 「改革保守」 であり、「改革」 が 「革新」 を代替して現状打開のための結集軸を担うようになった。 親社会主義と憲法9条を旗印とした 「革新」 と、規制緩和や民営化と日米同盟を基軸とする 「改革」 とは似て非なるものである。55年体制下において 「革新」 が左から自民党政治を攻撃したとすれば、ポスト冷戦下においては 「改革」 が自民党政治を右から解体しようとしたのであり、その方向性において二つのシンボルの出所は真逆であった。 しかしながら、「革新」 と 「改革」 とは、いずれも官僚主導や自民党の利益配分政治を否定する点において類似してもきた。二つのシンボルはいずれも現状変革の結集軸となり、ある種の等価物として機能してきたのである。 本稿はそのような 「革新」 と 「改革」 の意図せざる共振と 「改革」 が孕んだ二面性を考察するものである。
著者
本多 倫彬
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.1_178-1_200, 2020 (Released:2021-06-16)
参考文献数
24

民主党政権の外交・安全保障政策は、一般に評判が悪い。しかし、国際平和協力について民主党政権は、ハイチと南スーダンという二つの国連PKOへの自衛隊部隊派遣、東南アジア地域での防衛省・自衛隊による能力構築支援の開始、さらにジブチでの海賊対処を目的に自衛隊初の海外拠点の整備など、従来の枠を超える積極的な試みを行っている。 それにも係わらず、2011年の自民党への政権交代後、第二次安倍政権が進めた 「積極的平和主義」 に基づく国際平和協力強化の試み、就中、平和安全法制に対して、野党民主党は強固な反対姿勢を示した。これにより、批判者としての印象が先行し、民主党政権期の国際平和協力は正面から検討されることのないままとなっている。 本稿は、民主党政権の実施した国際平和協力について、後の自民党政権との相違と共通性に着目して検討を行うことで、国際平和協力における民主党政権の再評価を行った。分析を通じて、民主党政権の役割が、積極的平和主義に基づく国際平和協力の試みの基盤整備にあったことを示すとともに、自民・民主両党の国際平和協力政策の根本的相違は、国際平和協力の考え方にではなく、対米関係の考え方にあることを明らかにした。
著者
竹島 博之
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.1_11-1_30, 2016 (Released:2019-06-10)
参考文献数
29

日本では, 18歳投票権への引き下げを機に, 小中高等学校における有権者教育に大きな注目が集まっている。有権者教育を充実させることで政治への関心を高め, 若者の低い投票率を改善するためである。しかし, 近年の意識調査は, 若者の政治的関心が高まっているにもかかわらず投票率が下がるという矛盾した傾向を示している。本稿は, こうした若者の政治意識の現状を分析して若者の投票率向上に資する対策を探り, その中で有権者教育が果たす役割とその限界について考察している。若者の低投票率は, 仕事やアルバイトの忙しさ, 政治的無知や政治的無関心, 政治的有効性感覚の欠如に起因する。そのため, 投票率の向上には, 有権者教育の充実だけでは限界があり, むしろそれ以上に, 投票環境の改善や情報発信の工夫といった総合的な対策が求められる。有権者教育が効果を発揮するのは, 主には政治的有効性感覚の改善である。ただし, 投票の質を高めるという点では, 政治的リテラシーを育むシティズンシップ教育の導入が有効であると考えられる。
著者
乙部 延剛
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.2_236-2_256, 2015 (Released:2018-12-15)
参考文献数
33

政治理論は現実の政治に対してどのように関わっているのか。本稿では, 現在の政治理論が現実政治に即していないと批判する政治的リアリズムの議論を検討し, その射程と可能性を明らかにすることを目指す。バーナード・ウィリアムズ, レイモンド・ゴイスらを中心とした政治的リアリズムの潮流は, 過去10年ほど英語圏を中心とした政治理論の世界で大きな注目を集めているが, その主張内容には曖昧さが残り, 議論も続いている。本稿ではウィリアムズ, ゴイスが説く 「現実政治」 の曖昧さに注目し, それが通常政治としてイメージされる権力行使にとどまらない広範なものであり, 特定の領域への固定化に抗するものであることを明らかにする。現実政治の境界を定義できないという問題は, 現実と理論の二分法という, 政治理論で通常想定されてきた区分を揺るがすが, このことは, 必ずしもリアリズム政治理論の破綻を意味するものではない。むしろ, 固定不可能な 「政治的なもの」 を明るみに出すことを旨として, リアリズム政治理論はその独自性を主張することができる。
著者
岸見 太一
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.2_252-2_273, 2013 (Released:2017-02-01)
参考文献数
57

In this article, I reconsider legitimacy of selective immigration policy from the standpoint of political philosophy. Today states have unilateral discretion over entry policy, therefore prospective immigrants have no voice in the policy making process. However, legitimacy of those policy practices partly depends on underlying normative reasons. By focusing on individual liberty, I indicate the policy practice is illegitimate.   The issue of legitimacy of selective immigration is concerned with “democracy's boundary problem,” that is, of deciding who should be included in the democratic decision procedure. In this article, I take the lawful coercion approach to this problem among others. There is some disagreement within this approach: Thomas Nagel and David Miller argue that the current policy practices are legitimate and on the other hand, Arash Abizadeh argues that they are not. Their debates apparently focus on the conceptions of “coercion”. However, “liberty” is actually the key to their arguments. In this connection, the present article proceeds as follows: firstly I try to reconstruct their arguments by introducing two conceptions of liberty, freedom as option-availability and freedom as independence. Secondly, I critically examine these theorists and argue for Abizadeh. Finally, I briefly show the policy implications of Abizadeh's position.
著者
半沢 孝麿
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.204-250,en5, 1965-11-25 (Released:2009-12-21)

Anyone who takes a glance over the whole history of Burke studies from his death up to the present should certainly be struck at various and sometimes mutually inconsistent interpretations. We now have many Burkes, such as great statesman Burke, romantist Burke, utilitarian Burke, democrat Burke, Burke the prophet of Conservatism, Burke the natural law theorist in Thomistic tradition and so forth.The writer thinks, however, all such Burkes come from quite the same premise; the premise that we can have a political philosopher Burke free from theoretical contradictions. This article argues that it is necessary to change such a premise.The writer does not wish to describe what political philosophy Burke advocates. All that the article wishes to make clear is how he recognized the nature of the world of politics, through the inspection of his whole treatises and letters before and after 1765. At the same time, since Burke is not only an ordinary politician but also a literary man fond of talking about history and literary criticism (especially before his entrance into Parliament in 1765), the writer also tries to draw some parallelism among his ideas of political, aesthetic and historical knowledges.First. Burke's basic view on historical and aesthetic world is very near to that of his contemporary Hume. He is agnostic of the essential existence. He tries to secure the certainty of his knowledges through reducing every sensible object to the utmost of its simplicity. But, notwithstanding that method, he always has a desire, consciously or unconsciously, to know the world in the wholeness. Hence method and desire contradict each other. The result is that, for instance, his idea of the “necessity” of historical world is divided into two in its meaning; one, the necessity of mechanism composed of cognitive elements, and the other, that of transcendental will of the doers.Second. Of politics; The letters in his earlier life in Parliament show that he strongly feels that the room for choice in politics is very small to him. Very important to the writer is the fact that he extends the conclusion derived from this personal experience to the idea of the world of politics in general and says that the nature of politics is also a mechanistic necessity. Since, for instance, he sees the theory of Lockian social contract not from the side of free choice of régime by its members, but from the side of irreversibility of the state of nature, or inconveniences of the dissolution of governments.But, if it be true that the method of analysation into the ultimate elements is the only systematic way to know the nature of political world, is it also true that this nature is necessarily a mechanistic necessity? Firstly, the element of the “spirit (or temper) of people” which he often mentions always lacks concreteness in its contents. Secondly, the element of “Burke himself” is also uncertain, because, according to him, the knowledge of himself is always post facto. Thus, it is no wonder that he was “never forward in his speculation” in practical affairs.However, Burke is a flexible thinker. Through the difficulties of his party and himself at the time of the American Revolution, he gradually modifies his earlier ideas on the nature of politics, and the result appears before 1782 in the following ways. Firstly, his letters in 1778 addressed to his intimate friends emphasize the importance of the unity of his party members and the consistency of the principle. The aim is to secure the firmness of leadership in politics. This firmness will produce the cognitive element. Secondly, the same letters insist upon the necessity of “identifying with” and “inclining towards” the spirit of people as such. This assertion means that we ought to know the indefinite “elements” in politics as indefinite.