著者
中平 真理子
出版者
京都大学ヒマラヤ研究会
雑誌
ヒマラヤ学誌 : Himalayan Study Monographs (ISSN:09148620)
巻号頁・発行日
no.4, pp.62-66, 1993-10-16

アンデス地方は, 1532年にスペインのピサロ将軍がインカ帝国を征服して以来, コカ葉(コカイン), キナ皮(キニーネ)など, 貴重な薬用植物をヨーロッパ社会にもたらした. しかしこれらは, この地方で使われていた植物のごく一部にしかすぎない. ここでは今も, 数知れない程多くの植物が治療薬として用いられている. このような社会で, 医薬品がどのように受け入れられているのかというのは, 非常に興味深いところである. 今回の調査では, エクアドル共和国のヴイルカバンパで唯一の病院内で検診が行われたため, 使用されている医薬品の一部を知ることができたので, 隊の携帯医薬品の利用傾向と共に報告する.
著者
吉水 千鶴子
出版者
京都大学ヒマラヤ研究会; 京都大学ブータン友好プログラム; 京都大学霊長類学・ワイルドライフサイエンス・リーディング大学院
雑誌
ヒマラヤ学誌 : Himalayan Study Monographs (ISSN:09148620)
巻号頁・発行日
no.17, pp.146-153, 2016-03-28

特集4: 雲南懇話会からの寄稿 = Special Issue 4: Contribution from the Yunnan Forumチベット民族には政治から人々の日常生活にいたるまで, すみずみまで仏教が浸透している。その歴史的背景を探ると7世紀の仏教伝来に遡るが, 国家仏教として取り入れられた事情は日本と相通じるものがある。その後も仏教は国の政治と密接に関わり, チベット民族の重要な外交手段となっていった。元朝, 明朝, 清朝という強力な中華王朝に対し, 彼らは仏教を広めることによって内陸アジア一帯にチベット仏教文化圏を形成し, 自らの生き残りを図った。その過程で生まれたのが転生活仏ダライ・ラマを頂点とする政教一致の政治体制である。一方, 仏教はチベット文化の核であり, チベット民族ばかりなくモンゴル, ネパール, ブータンの多くの人びとの精神的支えである。僧院ではさまざまな学問が行われ, インドから伝えられた仏教の教義が研究され, チベット独自の発展をとげた。現在も続くチベット仏教の主要な宗派は12世紀から15世紀の間に誕生している。 今のチベット系民族は, 中華人民共和国内の西蔵自治区, 四川省, 青海省, 雲南省, 甘粛省などの地域と, ネパール, ブータン, インドのラダック地方に居住するほか (地図1), チベットから亡命した人々とその子孫が世界各地に分散している。ダライ・ラマの亡命政府はインドのダラムサラにある。ばらばらになった彼らを繋いでいるのも仏教である。チベット民族のアイデンティティとも言える彼らの仏教の世界を, その始まりから17世紀のダライ・ラマ政権成立に至る礎の時代を通して紹介する。
著者
安成 哲三
出版者
京都大学ヒマラヤ研究会・京都大学ブータン友好プログラム・人間文化研究機構 総合地球環境学研究所「高所プロジェクト」
雑誌
ヒマラヤ学誌 : Himalayan Study Monographs (ISSN:09148620)
巻号頁・発行日
no.14, pp.19-38, 2013-03-20

本稿では第三紀末から第四紀にかけてのヒマラヤ・チベット山塊の上昇と, それに伴う気候・生態系変化が人類の起源と進化にどう影響を与えてきたかを, 最近30年の地球科学, 人類学の研究をレビューしつつ, 考察を試みた. チベット・ヒマラヤ山塊の上昇は, 第三紀末からアジアモンスーン気候と西南アジアから北アフリカにかけての乾燥気候を強化していった. 特に5-10Ma(Ma: 百万年前)頃の, 東アフリカの大地溝帯の形成による赤道東アフリカの気候の乾燥化と草原生態系の拡大は, 原人類の起源に重要な意味を持っていることが明らかとなった. チベット・ヒマラヤ山塊の上昇に伴うモンスーン降水の増加は山塊の風化・侵食過程を通して大気中のCO[2] 濃度減少を引き起こし, 地球気候を第三紀から第四紀の寒冷な氷河時代へと導入していった. CO[2] 濃度の低い大気環境によるC[4]植物の草原の拡大は有蹄類の動物の多様な進化を促し, このことは原人類の進化にも大きく影響したと考えられる. 第四紀は氷床の拡大縮小を伴う4万年から10万年周期の激しい気候変動の時代となったが, チベット高原における雪氷の拡大縮小は, 気候変動を増幅する役割を持っていた可能性が高い. 氷期サイクルに伴い東アフリカの湿潤・乾燥気候の分布が大きく変動したことは, 原人類の更なる進化とユーラシアへの移動を促す重要な契機となった. 第四紀の寒冷な気候とアジアモンスーンの弱化に伴う中央アジア・西南アジア地域の広大な草原・ステップの形成は, 多様な草食性動物の棲息の場となったが, この地域に移動した新人類の進化にとって, これらの草食性動物との共存関係は重要な意味を持つと考えられる. 最終氷期が終わった10Ka(Ka:千年前)1万年前以降, 温暖で比較的安定な完新世の気候の下で, チベット・ヒマラヤ山塊の東と西で, 人類はイネと麦類を中心とする農耕を始めて新たな文明の時代に入ったが, 同時に地球環境を人類自らが大きく変化させるという新たな問題を生み出す時代の始まりにもなっている.
著者
安成 哲三
出版者
京都大学ヒマラヤ研究会・京都大学ブータン友好プログラム・人間文化研究機構 総合地球環境学研究所「高所プロジェクト」
雑誌
ヒマラヤ学誌 : Himalayan Study Monographs (ISSN:09148620)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.19-38, 2013-03-20

本稿では第三紀末から第四紀にかけてのヒマラヤ・チベット山塊の上昇と, それに伴う気候・生態系変化が人類の起源と進化にどう影響を与えてきたかを, 最近30年の地球科学, 人類学の研究をレビューしつつ, 考察を試みた. チベット・ヒマラヤ山塊の上昇は, 第三紀末からアジアモンスーン気候と西南アジアから北アフリカにかけての乾燥気候を強化していった. 特に5-10Ma(Ma: 百万年前)頃の, 東アフリカの大地溝帯の形成による赤道東アフリカの気候の乾燥化と草原生態系の拡大は, 原人類の起源に重要な意味を持っていることが明らかとなった. チベット・ヒマラヤ山塊の上昇に伴うモンスーン降水の増加は山塊の風化・侵食過程を通して大気中のCO[2] 濃度減少を引き起こし, 地球気候を第三紀から第四紀の寒冷な氷河時代へと導入していった. CO[2] 濃度の低い大気環境によるC[4]植物の草原の拡大は有蹄類の動物の多様な進化を促し, このことは原人類の進化にも大きく影響したと考えられる. 第四紀は氷床の拡大縮小を伴う4万年から10万年周期の激しい気候変動の時代となったが, チベット高原における雪氷の拡大縮小は, 気候変動を増幅する役割を持っていた可能性が高い. 氷期サイクルに伴い東アフリカの湿潤・乾燥気候の分布が大きく変動したことは, 原人類の更なる進化とユーラシアへの移動を促す重要な契機となった. 第四紀の寒冷な気候とアジアモンスーンの弱化に伴う中央アジア・西南アジア地域の広大な草原・ステップの形成は, 多様な草食性動物の棲息の場となったが, この地域に移動した新人類の進化にとって, これらの草食性動物との共存関係は重要な意味を持つと考えられる. 最終氷期が終わった10Ka(Ka:千年前)1万年前以降, 温暖で比較的安定な完新世の気候の下で, チベット・ヒマラヤ山塊の東と西で, 人類はイネと麦類を中心とする農耕を始めて新たな文明の時代に入ったが, 同時に地球環境を人類自らが大きく変化させるという新たな問題を生み出す時代の始まりにもなっている.
著者
安仁屋 政武
出版者
京都大学ヒマラヤ研究会; 京都大学ブータン友好プログラム; 京都大学霊長類学・ワイルドライフサイエンス・リーディング大学院
雑誌
ヒマラヤ学誌 : Himalayan Study Monographs (ISSN:09148620)
巻号頁・発行日
no.16, pp.176-183, 2015-03-28

特集4: 雲南懇話会からの寄稿 = Special Issue 4: Contribution from the Yunnan Forum2000年11月、アフリカ第2の高峰、ケニア山(5199m)にナロ・モル・ルートから登り、地形・氷河湖・氷河等と観察する機会があった。ベースとなるテレキ・ロッジ(4200m)からカミ小屋を経て、トレッキング・ピークのレナナ峰(4985m)を登り、ルイス氷河を末端まで歩き、さらにそのラテラル・モレインを下って、ロッジに戻ってくる周回コースであった。途中、氷河湖(ターン)を調べ、氷河を撮影し、モレインを調べながらのトレッキングであった。ターンにはモレイン堰止湖と岩盤凹地(あるいはケトル湖?)があった。観察し撮影できた全ての氷河(クラプフ氷河を除く)は地図に載っている範囲(恐らく1988年以前)と比べると大幅に後退していた。なかでもジョーゼフ氷河は消滅寸前であった。文献によると、氷河面積は初登頂された1899年から104年後の1993年までに1/4強に減少している。
著者
安仁屋 政武
出版者
京都大学ヒマラヤ研究会; 京都大学ブータン友好プログラム; 京都大学霊長類学・ワイルドライフサイエンス・リーディング大学院
雑誌
ヒマラヤ学誌 : Himalayan Study Monographs (ISSN:09148620)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.184-193, 2015-03-28

特集4: 雲南懇話会からの寄稿 = Special Issue 4: Contribution from the Yunnan Forum1995年9月、アフリカの最高峰キリマンジャロ(5895m)に登る機会があった。ルートは、タンザニア側の一番西のマチャメ・ルートから山の南面をトラバースして登頂し、一番東側の一般ルート、マラング・ルートから下るもので、5泊6日の行程であった。途中、氷河地形(主にモレイン)や周氷河地形(構造土)、氷河などを観察するために、ラヴァ・タワー小屋跡、アロー氷河小屋跡(4800m)を経由した。バランコ小屋の周辺には大きな最終氷期?のモレインが多数分布している。また、Breach Wall からバランコ谷の上部にかけて完新世?のモレインが目の前に広がっている。バランコ小屋からはいくつものモレインを観察しながらバラフ小屋へ行った。最高峰のウフル・ピークには9月13日午前5:10に到着した。下山途中のマラング・ルートのキボ小屋(4750m)から下では、多角形土、階状土、条線、ソリフラクション・ロウブなどさまざまな周氷河地形が見られた。地図の比較(1950年代、1970年代、1980年代)によると1950年代からの氷河の後退は顕著で、文献によると、1953年から1989年の36年間で面積が6.7km[2] から3.3km[2] と半分以下になっている。I climbed Mt. Kilimanjaro (Kibo), the highest mountain in Africa at a height of 5895m, in September 1995. The route was from Machame Village via the Southern Circuit to Barafu Hut before reaching the Uhuru Peak (5895m) at 5:10 AM on September 13. Then, I walked to Gilman's Point and took the Marangu Route down to the National Park Gate. During this trekking, I observed many glacial and periglacial landforms such as moraines and patterned grounds, as well as some glaciers. Patterned grounds I recognized included sorted polygons, stripes, steps and solifuction lobes at higher than ca. 4300 m. Those glaciers on and in the crater have distinctive morphology, with vertical glacier edges. The comparisons of glaciers dipicted on old maps (the 1950s, 1970s, and 1980s) and with my photographs indicates rapid glacier retreats during the previous 40years. According to a literature, the glacier area on Kibo in 1953 was 6.7 km[2], whereas it was 3.3 km[2] in 1989, a decrease of more than 50% in 36years.
著者
高井 正成 松野 昌展
出版者
京都大学ヒマラヤ研究会
雑誌
ヒマラヤ学誌 : Himalayan Study Monographs (ISSN:09148620)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.47-65, 1996-05-15

モンゴル共和国の首都ウランバートルにおいて, 現代モンゴル人を対象に, 歯科人類学的調査をおこなった. 男性19人, 女性30人の計49人の歯列印象をアルジン酸印象材を用いて採得し, その場で硬石膏を流し込んで作製したものを現代日本人およびパキスタン最北部のワヒー・タジク人から採得した歯列印象と比較検討した. またアフガニスタンのタジク人およびパシュトン人についての同様の調査の報告(酒井ほか, 1969; 1970) と比較して, 計測項目・非計測項目の両面から彼らの人種的な考察をおこなった. 現在までの歯科人類学的研究によると, アジア地域のモンゴロイドは東南アジア・インドネシア・ポリネシアに分布する「スンダドント型」集団と, 中国・日本・シベリアなどに分布する「シノドント型」集団に大別されることが多い. 現代モンゴル人を対象とした本調査の結果を現代日本人のものと比較したところ, 「シノドント型」の形質が日本人において, より典型的に出現していることがわかった. 日本人を含めた東アジアのモンゴロイド系住民の移動と進化を考える上で, 興味深い結果を示している.
著者
木村 友美
出版者
京都大学ヒマラヤ研究会; 京都大学霊長類学・ワイルドライフサイエンス・リーディング大学院; 京都大学ヒマラヤ研究ユニット
雑誌
ヒマラヤ学誌 : Himalayan Study Monographs (ISSN:09148620)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.92-101, 2017-03-28

特集2: フィールド医学 = Special Issue 2: Field Medicine 本誌公刊にあたっては、京都大学学士山岳会、京都大学「霊長類学・ワイルドライフサイエンス」・リーディング大学院からの助成をうけました。 本稿は、総合地球環境学研究所の研究プロジェクト「人の生老病死と高所環境―『高所文明』における医学生理・生態・文化的適応」(代表奥宮清人)の一環として、ヒマラヤ地方の北西端に位置するインド・ラダーク地方(以下、ラダーク)において行った医学・栄養学調査(2010年、2011年)から、特に都市部に移住したチベット人に焦点をあてたフォローアップ調査(2013、2014年)について報告するものである。著者らは、2010年9 月にラダークの中心都市レーで、2011年7 月にはラダークの遊牧地域のチャンタン高原でメディカルキャンプを行い、その医学調査・栄養学調査の結果、高血圧や糖尿病といった生活習慣病はチャンタン高原に暮らす遊牧民に比べて、都市の住民で多く、近代化による食や生活様式の変化の影響について示唆している1~3)。そこで、生活習慣病を有するレーの住民にはどのような生活背景や食の実態があるのかを調査するため、2013年、2014年に、生活習慣病のフォローアップとして住民宅への家庭訪問を実施した。2011年のレーでの健診は、チベット難民居住区を含むチョグラムサル地区にて行ったため、健診を受診した対象者309 人のうち多くは、高原から移住した元遊牧民のチベット人であった注1)。遊牧民の定住化、とくに都市への移住による生活様式の大きな変化が、摂取エネルギーの増加と消費エネルギーの減少に影響したことが考えられる。そこで、本稿では、遊牧民の都市への移住に注目し、生活習慣病を有している移住者の食と生活背景の事例を報告する。 This article describes the lifestyle of Tibetan refugees who have settled in Leh town in Ladakh, India, and especially focuses on dietary changes from their nomadic lifestyle. These case reports are based on the follow-up research which had carried out for the Tibetan elderly who had diagnosed diabetes and hypertension by the previous medical check-up done in 2010 and 2011. Authors had reported the prevalence of lifestyle-related diseases was higher among the elderly living in Leh town than that among living in nomadic area called Changtang plateau. Through the interview, the follow-up research also revealed how they perceive their current life after moved to the town from nomadic life as well as the change of daily diet and physical activity. The roles of the elderly are less in town compared to those in the mountain life with a lot of technical tasks such as spinning a yarn from yak hair, milking and processing dairy.
著者
水野 一晴
出版者
京都大学ヒマラヤ研究会・京都大学ブータン友好プログラム・人間文化研究機構 総合地球環境学研究所「高所プロジェクト」
雑誌
ヒマラヤ学誌 : Himalayan Study Monographs (ISSN:09148620)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.142-153, 2012-05-01

インドのアルナチャル・プラデシュ州のモンパ民族地域において, 住民にとって「山」がどのような存在となっているのかを調査した. その結果, 山は, モンパ民族地域において次の3つの役割を果たしていることが判明した. 1.山は民族分布や文化, 社会の境界をつくっている. アルナチャルヒマラヤ(アッサムヒマラヤ)の山脈が流通の障害物の役割を果たし, タワンモンパとディランモンパでそれぞれ独自の言語や生活習慣が発達し, 両者の境界をつくっている. また, 山は1962年の中国軍のモンパ地域への侵攻以来, インド軍が大規模に駐留して, 自然の要塞の役割を果たしている. 2.モンパ民族が古くから信仰するボン(ポン)教の宗教的儀礼, 祭式において, 山が神として信仰の対象になっている. 各地域はそれぞれ周辺に山の神が存在し, その神に祈り, 捧げ物をする儀式, 祭りが行われている. 捧げ物は少女や家畜であり, それぞれの山の神に捧げるものが決まっている. ディランモンパ地域のディランゾン地区やテンバン地区では, 社会的階層としての上位クランと下位クランに分かれており, このような伝統的儀礼にはそのクラン(氏族)の差が明瞭に見て取れる. 3.山はモンパ民族にとって資源として重要であり, 住民は山の森林から材を得てきた. ディラン地方では森林は3つに区分され, それぞれの使用目的も異なる. しかし, 近年大量伐採によって森林破壊が顕著になり, そのため, 商業伐採が禁じられたが, 今でも違法伐採が続いている. 住民たちもそのような森林の過度の伐採に危機感を感じるようになってきたため, 伐採に代わるような現金獲得手段を考え, 森林保護を進める動きが出てきた.
著者
川本 芳
出版者
京都大学ヒマラヤ研究会・総合地球環境学研究所「高所プロジェクト」
雑誌
ヒマラヤ学誌 : Himalayan Study Monographs (ISSN:09148620)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.103-114, 2009-05-01

現代人はアフリカを起源地として進化的に短時間で拡大し多様な環境に適応しているため, 類人猿にくらべ遺伝的多様性が少ない霊長類である. 遺伝子におけるヒトの地域差は身体特徴や文化の違いとは対照的に少なく, 多様な環境への適応は, 自分たちを環境に合わせる遺伝子適応より環境を自分たちに都合良く改変する言語発達による非遺伝的伝達(文化)に支えられたところが大きいと考えられる. しかし, 一方でゲノムの一部では新規環境へ適応する際に, 短期間で選択がかかり遺伝子改変が進んだことも考えられる. 高地の低酸素環境やデンプン質食物の消化能力に関わる地域差は, ゲノム中では比率的に少ないものの, こうした遺伝的改変を伴う適応の例だと考えられる. 高地における現代人祖先の重要な生活環境改変のひとつに, 高地の野生動物の家畜化とその利用がある. アンデスとヒマラヤの高地では, おのおのにユニークな家畜が生じ, 高地民に必須の動物資源として生活を支えている. アンデスではラクダ科のグアナコやビクーニャからリャマやアルパカが家畜化され, 搾乳を伴わない利用がみられる. 野生種や家畜種の間に生殖隔離がなく, 高地で同所的に分布し自然および人為的に交雑する能力がある. 家畜化起源については, 単系説と多系説があり, 遺伝学や考古学の研究から現在検証が進んでいる. ネパール・ヒマラヤではチベット由来のヤクを在来牛と交雑利用している. ソル・クンブーでの遺伝学調査により, 伝統的に厳密な家畜繁殖管理がつづいていると推測された. ブータン・ヒマラヤではヤク利用のほかに, インドのアルナーチャルプラデシュから導入したミタンと在来牛の交雑利用がある. その繁殖システムには戻し交雑においてネパール・ヒマラヤに共通する家畜認識があり, それが原因でミタンと在来牛間に遺伝子流動が生じている可能性が考えられる. その実態につき遺伝学的および人類学的調査を進める計画でいる.
著者
横山 智
出版者
京都大学ヒマラヤ研究会・京都大学ブータン友好プログラム・人間文化研究機構 総合地球環境学研究所「高所プロジェクト」
雑誌
ヒマラヤ学誌 : Himalayan Study Monographs (ISSN:09148620)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.242-254, 2013-03-20

自然の力を利用して作物栽培を持続的かつ循環的に営むことができるのが焼畑農業である. 先人たちは, 土地に合った耕作と休閑のパターンを守り, 焼畑を何世紀にもわたって存続させてきた. しかし, 遅れた農法と見なされた焼畑は, 世界各地で規制され, その面積は急速に縮小し, 消滅の危機を向かえようとしている. 本研究では, 現在でも広く焼畑が営まれている東南アジアのラオス北部を事例に, 焼畑を持続させてきた自然資源の循環的利用や焼畑を営む人びとの生業維持の戦略にフォーカスをあてることで, 焼畑の生業にとっての価値を再考することを試みた. その結果, 焼畑の特徴は「区分」ではなく「連続性」に特徴づけられることを示した. 火入れ後の1 年間は食料を生産する「畑」であるが, その後の休閑地となっている長期間は植物の侵略と遷移が繰り返され, また各種の生物が生きる「森」である. 焼畑は畑と森の両方の機能をあわせ持ち, 森林を破壊する農法と捉えるのは適切ではない. さらに, 生業の面から焼畑を捉えると, 作物栽培を行った後, 同じ場所で牛の刈跡放牧を行い, 植物や昆虫を採取し, 狩猟まで行っている. 生態学的な連続性に加えて, 生業の連続性という特徴も有する. 焼畑を「連続性」の視点から再考すれば, 従来とは異なる価値を見いだすことができるのである.
著者
安仁屋 政武
出版者
京都大学ヒマラヤ研究会・人間文化研究機構 総合地球環境学研究所「高所プロジェクト」
雑誌
ヒマラヤ学誌 : Himalayan Study Monographs (ISSN:09148620)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.212-221, 2010-05-01

アンナプルナ山域の東側を限っているマルシャンディ川沿いにトレックした折り, 河岸堆積物, 河床, 斜面地形などを観察して, 天然ダムがあったと同定・推定できる場所を8カ所に認めた. 天然ダムは標高が低いところでは山腹崩壊による土砂が河道を閉塞してできた堰止め湖, 標高が高く支谷に氷河がある地域では氷河前進による氷河湖である. これらについて概説し, さらに典型的な土砂ダムとしてタル, 氷河ダムとしてマナンにあるガンガプルナ・タルを取り上げて若干の考察を行った.During the trekking in July-August 2009 along Marsyangdi River, east of the Annapurna Himal, Nepal, I observed sediments exposed along the riverbank, riverbed morphology and slope topography, thereby recognizing traces of natural dams at eight places (Fig. 1). Those located at lower altitudes were caused by landslides that blocked the riverbed, whereas those located at higher altitudes where glaciers exist in the tributary valleys were created by either glacier advance or landslide. Glaciers that advanced from tributary valleys into Marsyangdi River blocked the main stream together with lateral moraines, thereby having become natural dams. After briefly describing each of these natural dams at eight places, I discussed about two types of dams using typical ones. One is a typical landslide dam located at Tal, north of Chyamche, (Marked (2) in Fig. 1: Photos 1 & 2). 'Tal' in Nepalese means 'lake'; however, the lake has been completely filled up and villagers since have settled the flood plain. The other are two moraine dams formed by Ganggapurna Glacier at Manang (Marked (7) in Fig. 1 & 2: Photos 4, 5 & 6). Ganggapurna Tal, located on the right side of the main stream, is a current lake that is dammed by the terminal moraine of the Little Ice Age (LIA). Another moraine-dammed lake was formed when Ganggapurna Glacier made a strong advance before the LIA, thereby blocking Marsyangdi River by the lateral moraine (LM2, Fig. 2 & Photo 5) and ice. This dam has been long since completely filled up as seen in Photo 6.
著者
斎藤 清明
出版者
京都大学ヒマラヤ研究会
雑誌
ヒマラヤ学誌 : Himalayan Study Monographs (ISSN:09148620)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.135-140, 2008-03-31

総合地球環境学研究所(地球研)の研究プロジェクト「人の生老病死と高所環境~三大『高地文明』における医学生理・生態・文化的適応」(通称, 「高地文明」プロ)が, 予備研究から本研究に向けてすすんでいくなかで, 研究目標がはっきりしてきた. 本研究は2008年から2012年まで5年間の計画. 高地における人間の生き方と自然および社会経済環境との関連を, 世界の3大高地といわれるアンデス, ヒマラヤ・チベット, エチオピアで調査研究を行い, 比較していく. ようするに, 「高地文明」というものの解明であると, 私はかんがえる. この研究プロジェクトの予備研究に, 私は「自然学班」として加わり, 「高所環境と自然学~自然学の可能性」というテーマをかかげた. それは, 今西錦司が提唱した「自然学」を, 高地の人々の自然観を調べることによって展開させようというねらいであった. そのために, まず「自然学」というものを検討した. そのうえで, 「自然学」を展開させて「高地文明」プロに加わっていくためにどうすべきかを考え直してみた. そうして, 私にとっては馴染みのあるチベットを, 高地文明としてとらえてみようとおもった.
著者
吉田 正純
出版者
京都大学ヒマラヤ研究会
雑誌
ヒマラヤ学誌 : Himalayan Study Monographs (ISSN:09148620)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.47-60, 2000-06-30

本論文ではブータンにおけるノンフォーマル教育の分析を通して, 開発における教育を通じたエンパワーメントについて探求する. そのためにまず「開発とリテラシー」・「開発とジェンダー」の二つの領域でのノンフォーマル教育に関わる先行研究を整理し, アプローチを定位する. 次に現在のブータンにおける(ポスト)リテラシー・プログラムと女性の社会参加計画の政策・実践を分析し, エンパワーメントの可能性を考察する.