著者
安達 實 北浦 勝 上田 信二
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.637-644, 1996

富山県は、南に日本アルプスをひかえ、東や西も山に囲まれ、これらの山々から流出する土砂の堆積により、富山平野や砺波平野の扇状地が出来た。しかし多量の雨と雪は、洪水となって平野を奔流し、氾濫による災害が多く、富山県の歴史は河川との闘いの歴史でもあった。<BR>なかでも大雨ごとに災害を受ける庄川は、早くから治水ぶ始まった。庄川の河道の変遷、災害、松川除を中心とした藩政期の治水への取り組みと、明治維新から昭和初めまでの治水について述べる。
著者
山根 巌
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.175-185, 1997-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
33

1891年 (明治24) 5月、京都市蹴上水力発電所の成功以後、これに刺戟されて国内各地で小規模の水力発電所が多数建設された。明治末期には岐阜県下で、当時としては比較的大規模な2つの水路式水力発電所が建設されて、名古屋へ高圧、遠距離送電が行はれた。名古屋電燈株式会社は、1910年 (明治43) 長良川水力発電所を建設し、導水路には湯之洞水路橋が、煉瓦構造5径間連続アーチ橋として架設された。一方、名古屋電力株式会社 (工事途中の1910年名古屋電燈に吸収合併) は、1911年 (明治44) 木曽川水力発電所を建設したが、導水路には旅足川水路橋として鉄筋コンクリート構造、最大径間23.6mのアーチ橋を完成させた。長良川水力発電所は現在も稼働中であり、古いドイツのジーメンス社製の発電機が保存され、水路橋も補修して利用されている。一方、本曽川水力発電所は1917年 (大正6) に、「八百津水力発電所」と改称きれ、1974年 (昭和49) まで稼働した。旧八百津発電所の建物は、県の文化財に指定されて保存されているが、旅足川水路橋は1954年 (昭和29) の丸山ダム建設に伴い湖底に水没している。これ等の水路橋は、明治末期沼本の構道物が煉瓦構造から鉄筋コンクリート構造への変換の過渡期に建設された。この報文では、これ等の水路橋が略同時期に、相異なる構造で競争して建設された歴史的背景と意義について調査結果を報告する。
著者
今 尚之 進藤 義郎 原口 征人 佐藤 馨一
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.345-352, 1999

1987 (昭和62) 年に廃線となった旧国鉄士幌線の上士幌~十勝三股間には, 昭和10年代~30年代にかけて建設された大型のコンクリートアーチ橋梁など, 昭和戦前期北海道のローカル鉄道線建設工事の特徴的な土木構造物が数多く残存している. 本報告ではそれらの構造物の評価点とともに, 国鉄清算事業団の解散による撤去問題に対し, 地元で取り組まれ活動の経緯と特徴を報告し, さらに, 土木遺産を後世に伝えるために必要な保全や活用を支援する専門組織としての, 非営利団体 (NPO) の必要性について提案するものである.
著者
二宮 公紀
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.191-196, 1992
被引用文献数
1

江戸末期に薩摩藩の中心部に造られた甲突川五大石橋は、土木史跡として規模も優雅さも歴史的な価値の高さを誇っている。しかも現在においても、これらの石橋は鹿児島市民の生活道路の重要な一角を担っている。このため五大石橋には生活の利便性を優先させるために破壊または撤去するか、歴史的遺産として保存するかの問題が常に対立している。この問題は、近年特に鹿児島県民の注目を浴びるようになっている。<BR>ここでは、保存, 撤去問題の歴史的な経緯を調査し、これらに対する土木関係者の立場と、今後の保存に対する考察を加える。
著者
手塚 慶太 天野 光一
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.1-7, 1999-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
8

This study regards the reconstruction planning as a conflict between the plan for the future and the recovery of people's livelihood, and reviews the process of reconstruction after the 1976 SAKATA Big Fire in detail. This viewpoint is very important to make good use of the experience. Generally, the process of past reconstruction planning was not clear because the viewpoint was ambiguous and the reconstruction report only scratched the surface of the process. SAKATA Big Fire is a quite recent example of fire disaster, and therefore we were able to interview directly the planners of the reconstruction and review the report carefully from this viewpoint.As a result of this study, we were able to clarify that the planners put a lot of stress on the plan for the future in the reconstruction planning, and that they considered the recovery of people's livelihood the key to rapid reconstruction. Urban planners in Sakata city had a future vision before the occurrence of SAKATA Big Fire and they lead the project team consisting of officials of the Ministry of Construction, Yamagata Prefecture, and Sakata city. They made a lot of effort for the realization of rapid reconstruction, and this rapidness minimized the conflict.
著者
藤井 郁夫
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.101-107, 1991

支間1990mキロメートルを単位とする支間の吊橋「明石海峡大橋」は次第にその姿を現し始めた。本報告は, 藤蔓の時代から現代迄の, 日本の吊橋の変遷をみたものであり, 1. 明治以前の天然繊維ケーブルの時代, 2. ワイヤーロープ吊橋の時代, 3. 戦後の長大吊橋の時代とに分けて述べる。<BR>ただし, 本文ではいわゆる固定床の吊橋のみを取り扱うこととし, 「綱わたし」「籠わたし」「釣り越」等は省くこととした。また, 1900年前後ヨーロッパを中心に架けられた「運搬橋」の我が国での記録は見出せなかった。
著者
田中 邦博 長弘 雄次
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.475-486, 1997

日本経済の近代化に大きな影響を与えた北部九州筑豊炭田において、1887 (明治20) 年以降石炭生産量の増大と共に、従来から川ひらたと称する小舟による遠賀川の水運に頼っていた石炭の輸送が隈界に達し、陸運の必要性が高まるにつれて1889 (明治22) 年に筑豊興業鉄道が創立され、1891 (明治24) 年筑豊若松-直方間が開通した、, 以後石炭輸送の産業鉄道として活躍し、1897 (明治30) 年九州鉄道と合併するまで地域の発展に貢献したが、その創立から進展合併までの歩みを交通史としてとりまとめた。
著者
田中 邦博 市川 紀一 亀田 伸裕 畑岡 寛
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.371-377, 2000

九州鉄道に次いで、1891 (明治24) 年に筑豊炭を若松港に陸送するために敷設された産業鉄道・筑豊興業鉄道は、筑豊炭の輸送力の大幅強化をもたらした。相乗効果として、洞海湾開発や積出港の進展を促し、その後の豊州鉄道・小倉鉄道創立の引き金ともなった。また、1897 (明治30) 年、官営八幡製鉄所誘致が実現するに至り、工業都市としての北九州市の骨格が作られた。このように、産業鉄道が北九州市の近代化に果たした役割は大きなものであった。本報は、産業鉄道の内、北九州のほぼ中央を南北に縦断した小倉鉄道を取り上げ、その発足と進展の歩みを史的な立場からまとめたものである。
著者
篠田 哲昭 中尾 務 早川 寛志
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.183-190, 1991

人類が「火」を手にして以来、薪・石炭・石油・原子力とエネルギーを求め続けてきた。<BR>なかでも石炭は18世紀半ばイギリスに始まった産業革命の原動力であり、その波及効果が鎖国状態であったわが国に開国を迫る大きな力となってきた。<BR>当時の石炭は、箱館の国内向けには僅かにオランダから贈られた軍艦の燃料等として需要があった程度であるが、修好通商条約によって箱館港に入港する諸外国の黒船にとっては欠かすことのできない燃料であった。<BR>幕末の北海道における石炭山は釧路場所の白糠炭山、岩内場所の茅沼炭山が主な産地であった。先進諸外国を見聞した榎本武揚が炭山の必要条件に, 「一に運輸、二に品位、三に分量」と説いたが、本報告は茅沼炭山の「運輸」について史料を整理し取りまとめたものである。
著者
星野 裕司 小林 一郎
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.89-100, 2001-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
15

This paper studies on the battery site of Meiji period to analyze the fields and functions of the civil engineering heritage. Firstly, the current state of the battery site in the whole country was classified into four kinds (the unuse type, the single use type, the crowd use type, and the removed type). Secondly, the fields are divided into four levels (a structure level, a district level, a regional level, and the geography level), and the two functions (experience and imagine) are pointed out. Finally, the relations between the fields and functions are discussed.
著者
鈴木 聡士 五十嵐 日出夫
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.391-396, 2000

交通と都市は車の両輪である。およそ交通の便なくして都市は繁栄せず、交通システムは都市の繁栄によって、はじめて意義付けられるからである。<BR>このような観点から本研究は、この交通と都市の発展連鎖に着目し、今日では東京新都心と称されるまでに発達した「新宿」の都市形成史について略述する。さらに水運輸送と陸運輸送との結節点である船着場、港湾 (津) における「まち」の発生例として京都の花町・先斗町、次いで交通と都市の連関盛衰について青函連絡船の歴史を回顧しながら、青森市JR駅前地区の盛衰について考究する。そして、青森市の再興には東北新幹線の青森までの開業と同時に、これに接続する北海道新幹線の速やかな函館までへの延伸整備が必要であることを論述する。最後に福岡の「まちづくり」戦略を概観しながら、それとの関連において交通システム整備と「まちづくり」の連動の重要性について論究しようとするものである。
著者
韓 直林 馬場 俊介
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.77-88, 1996-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
42

Chinese suspension bridges, which have been developed in the different way compared with the modern suspension bridges in 19 century, are reviewed based on the quotations taken from historical books published by various districts in China. In Chapter 3, Chinese suspension bridges are classified into 4 categories, and developments of style from category I to IV are explained due to the quotations. In Chapter 4, the most important property of Chinese suspension bridges, that is the use of iron chain, is explained and some quotations are introduced. In Chapter 5, developments of Chinese suspension bridges are compared with those of European bridges.
著者
市川 紀一
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.111-122, 1997

Improvement works of Jinau-river, the largest river in Toyama prefecture, were performed twice during the latter Meiji era, Abstruct of these works is described in historical materials published by Toyama city and Toyama prefecture.<BR>This paper provides new aspect of these improvement works especially of the process of accomplishment based on unpublished materials owned by Ynkitaro Takada, which were newly found by author several years ago and also makes some investigation on the difference drown by existing records.<BR>It was also found Johannis de Rijke, who had been a technical advisor of the Joganji-river improvement works, had been also participated in the JinaU-river projects, The contents of his construction planning even today, enlighten us not only in theory but also in construction method.
著者
根橋 直人
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.349-354, 1993

辰巳用水 (1632・寛永9年完), 玉川上水 (1654・承応3年完) と共に江戸時代の三大用水と称された深良用水 (通称箱根用水, 1670・寛文10年完) の概要と, 後年同用水の水争いの逆川事件とその主謀者須永伝蔵の概略について述べる。
著者
森本 浩行 西田 一彦 西形 達明 玉野 富雄 森 毅
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.263-268, 2000-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
14

1959 (昭和34) 年の「大坂城総合学術調査」において, 現大阪城が豊臣秀吉創建のものではなく, すべて江戸時代初期の徳川幕府による築造であることが判明した. またこの調査により, 本丸天守台南側で地下深く埋れた石垣が発見された. その後, ガスや水道の埋設管敷設に係わる調査において, いくつかの地下石垣が発見された. 特に, 1984 (昭和59) 年に行われた大手前配水池南側の調査において, 大規模な石垣垣の隅角部が発見された. これらの地下石垣は地上の石垣とは規模も積み方も異なり, 豊臣時代の大坂城ではないかと考えられている. 本研究では, 筆者らが提示している数値評価法を用いて, この地下石垣の特徴について考察するとともに, 石垣構築の技術的な面から構築年を推定した.
著者
Itoh Takashi
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
HISTORICAL STUDIES IN CIVIL ENGINEERING (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.123-130, 1991-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
44

四谷見附橋のアーチ本体は、多摩ニュータウンに保存が決まり、目下、来年度末の完成をめざして工事中である。これに先立ち、四谷見附橋の保存について土木学会内に委員会が設置され、矯の移築保存に関する検討がなされた。筆者が過去におこなった調査研究では、主に東京の橋梁史のなかでの意義づけにとどまっていた。しかし今回の作業では、わが国のれいめい期における四谷見附橋の土木史的価値があきらかになった。また現存する他の貫重なスチール・アーチ橋についても、その意義づけをすることができた。主要な内容は、次の3点である。(1) 現存最古のスチール・アーチ橋:木町橋(大阪市)の存在があきちかになったこと(2) 四谷見附橋は、本町橋よりもわずか4ケ月遅れの2番謝こ古いスチール・アーチ橋であること(3) 明治期架設のスチール・アーチ橋が、コンクリートを巻かれてメラン式コンクリート橋として現存すること
著者
横平 弘
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.557-564, 1996-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
19

改正鉄道敷設法によって1922年に予定線となった釧美線「釧路-北見相生」は、当線と平行路線をなす釧網線「釧路-網走」が1931年に全通開業したことに伴って、未着工路線となったために、網走を経由する「釧路-北見」の最短路線の平面形態は、著しい迂回路となって現在に至っており、両都市間の交流に大きな支障となっているほか、著名な観光地・阿寒への鉄道アクセス路線が、相生線の廃止により欠如の状態にある。また釧美線の代替路線として策定された阿寒線「北見相生-阿寒湖畔-足寄町螺湾」も幻の路線と化したことから、とくに阿寒国立公園の観光交通におけるネットワークの整備の遅れと、冬の観光開発が課題となっている。
著者
中田 勝康 秋山 賢治
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.333-340, 1992-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
3

九州に残る城下町の中から久留米市 (福岡県)、鹿児島市 (鹿児島県) の城下町形態とその町割について整理し、現在の町並みに残っている地域用途と道路網への影響と問題点等を整理する。さらにこのような城下町遺産を都市づくりに生かしていく為の基本理念について論述し、久留米市寺町における提案を紹介する。
著者
岩屋 隆夫
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.123-134, 1997-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
102

In order to clear the functions of the floodway in the delta area, the history of the floodway development and the branch channel closing and the actual condition of the floodway were examined based on the consideration on the topogra phy and the geology. As the results, two conditions as the floodway of the excavated channel and the kept branch channel on the delta were confirmed: 1) For small capacity with the discharge less than 100% both the mainstream and the branch channel. 2) For restricting the channel separation by the existence of the water use forms on the old main channel.