著者
竹林 征三 今井 範雄
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.409-423, 1995-06-09 (Released:2010-06-15)
参考文献数
15

近江の国は、太占より人々が住み、人間の活動の跡が多く遺跡として多く残されている。遺跡の多くは琵琶湖周辺に位置し、人々との関わりの歴史が文明と共に始まったことが伺える。近江には古くから異常気象や天変地異等に関する記録が残されている。湖周辺の多くの旧家に伝わる古文書等には洪水による災害の記録が多く記されている。本小文は、占文書や各地に残されている痕跡から歴史洪水の記録を調べると共に、明治以降については、気象状況被害の状況等について統計的に整理し、更には明治29年の大水害を、昭和58年の土地利用状況にあてはめ想定被害状況の比較考察を行った。
著者
房前 和朋 竹林 征三
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.627-636, 1996-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
18

Before developing the machine construction, construction works depended on humanpower. The “Songs of labor” was indispensable to achieve simple and hardconstruction works. This paper studies the history of ramming which is the basic and important process for levee constructions from the “Song of labor”, or, “Pontsuki song” points of view. Ramming instruments had been heavier afterimprovements, therefore many people needed to ram together. According to that, the songs of labor had also changed. Many labor songs has disappeared nowadays, but some songs such as “Tankai-bushi” and “Hanagasa-ondo” has become local folk songs and been sung by many people even now. In this study we collect 70 labor songs used all through Japan for levee construction, clear the relations between the distribution of labor songs and construction methods, and discuss the value of the “songs of labor”.
著者
増渕 文男
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.57-67, 1993-06-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
19

昭和30年代後半に交通戦争と呼ばれる社会的な問題が生じた。そこで歩行者に対する道路横断時の安全対策として、完全な歩車分離式の横断歩道橋が考えられた。国内最初のものは昭和34 (1959) 年、愛知県に建設され、その後全国各地へ普及した。しかし、近年の社会環境の大幅な改善により、景観の観点からみると経済性に徹した横断歩道橋は、その存在に問題が生じてきた。本論文はこの横断歩道橋に着目した。類似の構造物があるため、これを整理し、横断歩道橋は人を渡す跨道橋の一部と定義した。そして跨道橋の建設事例や設計基準の変遷を調べ、我国の現在に至る跨道橋の設計思想を分析した。この結果、跨道橋の初めての建設年表を作成し、我国最初の横断歩道橋の建設とその前後の経緯を明確に整理した。また道路と跨道橋の法的関係、昇降階段の歩道への設置の経緯、そして構造形式の変遷など歴史的事実が判明した。
著者
楠田 哲也 近藤 隆二郎 原田 秀樹 迫田 章義 澤田 浩介 Peter R. Kauticke Julino R. Zapata
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.365-371, 2001-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
7

The old civilization is a typical example of the sustainable society, which may provide us with much information on it. Machu Picchu, one of the towns in Inca, was surveyed in 1999 and 2000 on the system of water supply and drainage to investigate sustainable systems which it might own.Machu Picchu had two springs for water resources. Water distribution was done with open channels made by stone. Water distributed to the town was utilized at a series of 16 fountains in cascade use and probably in time sharing. The first to the third fountains would be for ritual and others for drinking and irrigation. Machu Picchu had neither drainage nor wastewater treatment systems. The population in Machu Picchu was estimated around 2400 from the water supply capacity. The society of Machu Picchu was under severe restriction on water supply, and not safe on drinking water.
著者
神吉 和夫 神田 徹 中山 卓
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.97-104, 1995-06-09 (Released:2010-06-15)
参考文献数
29

Ditches are constructed at both sides of a street at the ancient capital cities in Japan. As the streets are laid out in a grid pattern, the ancient cities have the network of drainage by ditches. In this paper, the network of drainage in Nagaokakyo and Heiankyo is discussed. The dimensions and the connection of ditches are made clear using historical literature and the archaorogical excavation data. Considering the topography, the flow of drainage are examined. The character of ditches and the plan of storm water drainage between Nagaotakyo and Heiankyo is different from each other.
著者
藤井 三樹夫
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.323-332, 1997-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
29
被引用文献数
1

明治中期、国直轄の河川工事は、低水工事から高水工事へと大きく転換した。この背景の一つには、鉄道網の発達により、相対的に河川舟運の重要性が低下したことが指摘されている。しかし、鉄道網が発達すると、河川舟運が必ず衰退するという訳ではない。この転換は、河川における高水対策の必要性の高まりと、それを契機に、内陸輸送の担い手を河川舟運から鉄道とそれを補完する道路へと換えようとする政策とがあって行なわれたのである。ただし、そこに至るまでには、国、地方、鉄道会社、運送会社の複雑な動きが見られた。
著者
堀江 興
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.57-68, 1997-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
22
被引用文献数
1

A second half of the 1950s, Tokyo Metropolitan City Planning Council approved the underground parking garage construction at the part of Hibiya Park in the central area of Tokyo. In this council, many members discussed the right and wrong of the parking garage construction concerning the fundamental law, ownership, supervision, toll system and management by private enterprise. On march 1957, this planning and project were approved at the Council. The Japan Highway Corporation (public sector) began the construction this parking garage and spent one year and eight months. The total cost was about thousand and forty million yen. This garage began the operation on June 1960, and is now managing by private enterprise.
著者
為国 孝敏 榛沢 芳雄
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.65-79, 1992-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
32

本稿は、近代の都市の発展と鉄道との関係を探るための端緒として、鉄道が都市の発展に与えた影響について考察した。対象とした渋谷は、東京市域が大きく拡大した明治末期から昭和初期にかけて、鉄道の集中と都市化が相互に作用して発展した地域である。また渋谷は地形的には谷合いの低地であり、また地理的には江戸の外縁部であったことがその後の都市化に大きな影響を与えた。これらを背景にして渋谷は、鉄道路線網の拡充・整備が人口、土地利用、地価等に影響を与えっっ発展を遂げた。その都市化過程を本研究では鉄道の視点から土木史的に解明した。その結果、渋谷は鉄道の集中と都市化が有機的に結合して発展したことがわかった。また都市機能を立体化させることによって、昭和初期に駅を中心とした賑わいの場を創生する基礎を確立していたことがわかった。
著者
田中 尚人 川崎 雅史
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.151-159, 2000-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
40

It is useful for infrastructure planning to learn the technologies of civil engineering in the past and study a process of urban development. We classify the transition of urban development along the Lake Biwa Canal that was based on the function of navigation systems, and consider the action of the infrastructure on urban development.The Lake Biwa Canal was constructed by using water from the Lake Biwa in the 19th century applying the latest technology in Meiji period. This canal has been produced a lot of amenity for about 100 years since the construction, in spite of disappearance of shipping there. It was found through our study that navigation systems was one of the most important function of the Lake Biwa Canal and this infrastructure played an important part in the urban development of Kyoto.
著者
小林 寿朗
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.353-368, 1992-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
30
著者
高橋 彌
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.25-32, 1990-06-25 (Released:2010-06-15)
参考文献数
21
被引用文献数
1 1

日本3大急流の一つに数えられる富士川の下流部は、1500年代までは左岸岩本山下から東に向かって流れ、現在の田子の浦港方向に乱流し、扇状地を形成していた。しかし、1621(元和元)年から1674(延宝2)年まで、実に53年の年月を要して、総延長約3, 000mに及ぶ大堤防が建設された。この堤防によって富士川東流は岩本山と水神の森間で締切られ、流れは現流路方向で固定された。工事は古郡氏3代にわたる執念とも言うべき努力と洪水観察を含む当時の最新土木工事の成果であり、雁堤として現存し、逆L字の特異な形状で知られている。この成果は富士川左岸一帯の地域を洪水から守り、加島平野として豊かな田園地帯とする事を可能にした。これはまた、誕生間もない徳川幕府が全国支配のため企画した重要施策実現の一環となった。本工事完成により可能になった施策と影響は次の通りである第一に元和偃武、即ち、武士帰農の一助になり、多くの入植者を迎え入れることができ加島新田6, 000石の開発が可能となり、新旧37ケ村が栄えた。第二は、富士川の流路が定まることにより、東海道の「富士川の渡し」が定着し、幕府体制下の交通網の整備が可能となった。第三として、甲府や、諏訪、松本と言った内陸とも、富士川の船運を開発することにより交易が盛んになり、幕府財政を支えると同時に地域の経済発展をもたらす事になった。一方、自然の流れを強固な左岸築堤で締切った結果、対岸には洪水流れが流入し易くなり、しばしば右岸蒲原町方面に氾濫が繰り返し発生するようになった。雁堤はこれまで特異な形状と、治水面の効果のみが評価されていたが、本研究の結果、周辺地域に大きな影響を与えたと同時に、当時の日本の社会体制や経済を支えるうえに極めて重要な役割を果たしていたことが明かになった。
著者
遠藤 光一
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.221-226, 1997

二級河川夏井川の中流部に位置する磐域小川江筋取水堰 (福島県いわき市) は1654 (慶安4) 年に築造され、河川の曲線部で平面的には斜形、縦断的に多段式、構造的に木工沈床という国内に現存する数少ない大規摸な「斜め堰」であり、歴史的にも最も古いものである。これをケーススタディーとして、史料や「斜め堰」の類似例 (第十堰吉野川 (1752) 年、山田堰筑後川 (1790) 年) から河川工学的に比較評価し、流れを見極め、流れに逆らわない河川構造物の設計視点を提言したい。
著者
Shigeki MATSUURA
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.669-676, 1996-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
4

工部省の高官・大鳥圭介が1882 (明治15) 年、アメリカの技術書「堰堤築新按」を翻訳して出版した。290ページからなる大著で、図・絵がふんだんに盛りこまれ、分かりやすく書かれている、大鳥の翻訳の意図は、それほど知識はないが実際に現場で工事を行う農民や村職人でも分かる技術書の出版であった。工部省は、政府の官営事業を直轄し、殖産興業政策を行ってわが国産業の近代化を推進する機関であり、そのために外国人を招聘し、欧米に留学生を派遣し、大学校を立して専門家の育成を図っていた。この機関の高官が、専門家ではない一般技能者の技術向上を目的として、このような書物を翻訳していたのである。ここに近代化を目指す明治新政府の懐の深さを強く感じさせる
著者
五島 寧
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.93-104, 1993-06-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
44
被引用文献数
1

本論文は, 李氏朝鮮王朝時代からの既存の都城であった「京城」(現: ソウル) が日本帝国の植民地統治下において, 物理的あるいは空間的にどのように変容したのかという点を, 街路整備の観点から明らかにすることを目的としている。植民地時代の朝鮮半島の都市建設については, 全体を総括した既存研究が存在するが, 具体的な整備の展開について平面図上での検討は省略されているため, 本研究では街路整備の面的展開を明らかにし, 土地利用の変化から街路の機能の変化を考察した。結果として, 既存大街路の, 形態に担保された機能の積極的活用と展開, 及び事業費低減の取り組みの中での既存細街路の消極的利用を示した。
著者
原口 泉
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.623-628, 1997-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
10

鹿児島市の甲突川に架かる五つの石橋、150年にわたって鹿児島の歴史的景観を形作ってきた4連、5連の石橋群は、本年1997年1月までに完全撤去された。そして五大石橋と同時期に架けられた甲突川最後の石橋、河頭太鼓橋も本年秋から冬にかけて撤去される運びとなっている。本稿では、河頭太鼓橋の歴史的、文化的価値について論じつつ、石橋撤去の持つ意味を提起したい。
著者
馬場 俊介
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.205-218, 1994-06-09 (Released:2010-06-15)
参考文献数
7

木曽川・読書発電所の建設工事用の吊橋として1922年に架設された桃介橋は、4径間、全長247m、わが国に現存する最大・最古の木製補剛吊橋である。桃介橋は1978年の被災以降は放置されてきたが、1992年度の自治省の「ふるさとづくり特別対策事業」による起債を用いて修復・復元が進められた結果昔日の姿を取り戻し、1993年10月17日2度目の渡り初めが行われた。土木史的な観点から見た桃介橋の意義は、「文化財にふさわしい復元」のあり方を、近代土木構造物に対し初めて正面切って論じた点にある。吊橋のような複雑な構造物の場合、力学的な安全性の照査は多枝にわたり、しかも荷重、形状・寸法、発生応力は互いに線形関係にない (少しでも前提が変われば全て再計算となる) ことから、中間段階での安全性照査はどうしても簡略計算に頼らざるを得ない。桃介橋の保存・修複に係わる委員会では、こうした推定値に従って修復方針を決定し、それを受けてより正確な推定値が計算され、さらに異体的な修復工程が詰められていった。本論文では、こうした力学的な検討の変遷を詳らかにすることにより、技術的検討のもつ重要性とそれに伴う責任の重さについて分析を加える。
著者
篠田 哲昭 中尾 務 早川 寛志
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.183-190, 1991-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
41

人類が「火」を手にして以来、薪・石炭・石油・原子力とエネルギーを求め続けてきた。なかでも石炭は18世紀半ばイギリスに始まった産業革命の原動力であり、その波及効果が鎖国状態であったわが国に開国を迫る大きな力となってきた。当時の石炭は、箱館の国内向けには僅かにオランダから贈られた軍艦の燃料等として需要があった程度であるが、修好通商条約によって箱館港に入港する諸外国の黒船にとっては欠かすことのできない燃料であった。幕末の北海道における石炭山は釧路場所の白糠炭山、岩内場所の茅沼炭山が主な産地であった。先進諸外国を見聞した榎本武揚が炭山の必要条件に, 「一に運輸、二に品位、三に分量」と説いたが、本報告は茅沼炭山の「運輸」について史料を整理し取りまとめたものである。
著者
石川 幹子
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.37-48, 1991-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
22

The Central Park in New York City is the fist municipal urban park in U. S. A., established in 1858. The purpose of this paper is to clarify the role and influence of the Central Park from the point of view of the historical development of landscape architecture in U. S. A.The following four points have analysed in this paper. First; the establishment of the Centeral Park caused a nation-wide municipal urban park movement and many big parks and park systems were created as infrasturcture of the city planning. Second; the planning concept of the Central Park was to create a wide pastoral scenery, within highly developed Urban environment, for the park was regarded as lungs of city and also it had a great contribution to citizen's recreation and welfare. Third; To accomplish the above ideal, the technique of civil engineering took a great role, especially on the thorough drainage system, and the separate road system. Fourth; New professional, “Landscape Architecture” was created from the construction of the Central Park.
著者
俵谷 祐吉 戸嶋 守
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.463-470, 1996-06-05 (Released:2010-06-15)

仙岩道路を有する一般国道46号は、明治8年、内務省の許可を得て開削された仙岩峠の道が下敷きとなっており、現在はさらに緊密に秋田県と岩手県のあらゆる面をつなぐ太い動脈となっている。古代から中世にかけては豪族たち強者どもの戦の道として、藩政期は武士たちの往還や経済交易、文化交流の道として、様々な役割を果たしてきた。厳しい豪雪地帯の自然条件が、あらゆるものを拒否しつづけた中で、道に対する試行錯誤はあくことなく繰り返され、ついに大動脈たる地位を獲得した仙岩道路は、現在、一般国道46号として、地域や多くの人のためにその責任を果たしている。本報告は、自動車道路となってらも年間のおよそ半分は交通が途絶した、山岳横断道路のたくましい歴史の実態と、社会に貢献する道路建設の背景を述べるものである。
著者
石川 大輔 岩屋 隆夫
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.243-247, 2000-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
12

東京都伊豆小笠原諸島には, 「まいまいず井戸」と呼ばれる井戸がある.この「まいまいず井戸」は, 近世前の井戸形態の一つで, 直接, 地表部をオープンカットするという盤井である. これらの井戸は, 武蔵野台地や徳島県徳島市にも存在していることが確認されている. 本論は, 全国の「まいまいず井戸」を調査し, かかる井戸の特徴などを検証する.