著者
諸戸 靖 田鶴浦 昭典 中村 義秋 久保田 稔
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.337-343, 1999-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
6

著者らは、三重県桑名郡長島町松蔭・白鶏地区のご老人 (延べ約30名) から、昭和初期の東南海地震を中心とした木曽三川下流域の状況について聞き取り調査を行った。この調査によって、輪中の人々が取水に起因する濃尾平野の地盤沈下と共に、海岸堤防を「撒き石工法」で護岸していたことが判明した。そこで著者らは、地域的には狭い地域ではあるが、東南海地震による被害記録と地元の人々が行った「撒き石工法」について報告する。
著者
益子 輝男 為国 孝敏 中川 三朗
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.495-500, 1997-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
15

成熟化社会をむかえたわが国において, 近年, ゆとりと潤いを求める社会状況の中で, 「観光」に対する新たな視点が求められるようになってきている。すなわち, 環境共生の中で, 観光地へのアクセス交通機関として, 公共交通機関である鉄道の新たな役割が期待されている。本研究では, 戦後の鉄道 (事業) と観光地開発との関連について, 東武鉄道の行った施策を中心に, その沿線地域にある観光地として日光, および鬼怒川温泉 (藤原町) を取り上げ, 観光活動が盛んになり始めた時代 (1955年-1975年) の社会状況を視座として史的に分析を行った。その結果, モータリゼーションの発達の影響を受けながらも, 観光活動の発展に, 鉄道サービスの向上策が, 影響を及ぼしている状況を明らかにした。
著者
坂田 利力
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
no.12, pp.369-377, 1992

熊谷市は、第二次世界大戦によって市 (当時) の約74%を焼失し、一面の焼野原と化した。復興を機会に熊谷市を埼玉県北部の政治・文化・経済の中心都市とするため、壮大な将来計画を盛り込んだ計画をたて、165.7haの区域を戦災復興都市計画土地区画整理事業として着手した。<BR>しかし、その後の政治・経済情勢の変化、他事業との調整の結果、一部区域を除外し、なお、区域を三工区に分割し、第一工区約144.4ha、第二工区約12.5ha、第三工区約5haについて事業を施行した。<BR>事業着手以来、街路の整備、街区の整備、公園の整備、下水道整備を進め今日の埼玉県の中核都市である熊谷市の発展に大きく貢献して来た。<BR>この事業は、昭和21年9月4日の戦災復興院の告示、9月10日の内閣認可以後、埼玉県知事施行により開始され、昭和30年4月1日熊谷市長に引き継がれ、昭和48年6月30日の換地処分完了まで実に27年間の長い事業であった。
著者
松浦 茂樹
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.295-307, 1994-06-09 (Released:2010-06-15)
参考文献数
23

北海道の中心地として札幌が選定されたのは、大河石狩川の舟運により内陸部そして日本海・太平洋と四方への便からであった。さらに対外関係、特にロシアの南進に備えて日本海沿いに設置されたと考えられる。この選定は、幕末、北海道調査を行った松浦武四郎の意見に拠った。松浦は京都と比較しながら、その妥当性を評価した。舟運からみて石狩川は、わが国河川の中でも有数の好条件をもつが、石狩川舟運は、当初、重視されていた。幌内炭坑からの輸送は、幌向太まで鉄道で行い、そこからは石狩川舟運によるというのが、最初の計画であり、そのためにオランダからファン・ヘントが招聘された。しかしアメリカ人技師クロフォルドにより札幌を通って小樽までの鉄道が推奨され、実施に移された。ファン・ヘントは河口で港湾計画を策定し、石炭輸送とは別途にこの計画は推進された。だが彼の死とともに計画は放棄された。また北海道は、主にアメリカ人技術者達の協力によって当初進められた。彼らの開発方針について、アメリカの国際戦略を考えてみる必要がある。
著者
伊東 孝
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.271-276, 1998-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
9

鹿児島の五大石橋を架設した肥後の石工;岩永三五郎は、従来石橋の架設者としてその名を知られている。しかし鹿児農の五大石橋問題を契機に、彼の治水技術者としての面も明らかになってきた (昨年の拙稿)。本稿は、熊本県八代地域の七百町新地の干拓、鹿児島市甲突川の中流にある河頭太鼓橋 (これも岩永三五郎の設計) 近くで最近発見された二つの隧道および川内市にある八間川と江之口橋という三地域の事例に焦点をあてて、岩永三五郎の治水技術と治水思想を検討し、総合技術者としての面に光をあてている。
著者
山根 巌
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
no.20, pp.325-336, 2000

明治末期における京都での鉄筋コンクリート橋は、有名な田辺朔郎による明治36 (1903) 年の琵琶湖疎水に架けた日ノ岡の「孤形桁橋」に始まるが、明治38年から京都市の井上秀二により、高瀬川で4橋の小規模鉄筋コンクリート橋群が架設された。<BR>一方京都府においても、明治41 (1908) 年原田碧が長崎市から転勤して来て以後多数の鉄筋コンクリート橋が架設されたが、その代表は鞍馬街道の「市原橋」と「二之瀬橋」と言えよう。これ等の橋はメラン式を発展させた日本的な考え方の軸組方式で「鉄骨コンクリート構造」のアーチ橋とトラス橋として建設されている。また明治38 (1905) 年日比忠彦により導入されたモニエ式アーチ・スラブが、I字鉄桁に用いられて「鉄筋僑」と呼ばれ大正期末迄に多数建設され、市原橋の側径間にも採用されている。<BR>明治末期の京都での鉄筋コンクリート橋は、府市共にメラン式等の試験的な小規模の橋梁が多かったが、大正2 (1913) 年に完成した柴田畦作による、鴨川での鉄筋コンクリートアーチ橋の四条及び七条大橋の架設で、鉄筋コンクリート橋は大規模化し多様化して、日本の鉄筋コンクリート橋の発展に大きな影響を与えた。<BR>こうした明治末期における京都での鉄筋コンクリート橋の導入と発展の特徴について、調査した結果を報告する。
著者
安達 實 三宅 邦彦 北浦 勝
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.235-242, 1997-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
21

富山県の庄川は、岐阜県山地に源を発し、北流して富山湾に注ぐ一級河川である。太古から大雨毎に氾濫を繰り返し、下流に土砂を堆積させ水害を大きくしていた。藩政期から治水の取り組みはあったが充分ではなく、明治後期に建設された河口の萩放水路で水害の影響は少なくなった。この工事の経緯と評価について述べる。
著者
小谷 俊哉
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
no.16, pp.327-334, 1996

都市はその発生以来、様々な要因で当初の様相を変化させていく、特に都市形成発祥の地となった場所が都市の変遷過程の中で空間的にどのよう空間構造と位置づけで今日に至っているかについて検討を進めていくことは、今後の都心について考える時に重要である。本研究では広島の城郭内部の区域を事例として取りあげ、考察を行った。研究の結果、16世紀宋の城下町築城以来の城郭構造を改変しながら、近代明治以降、終戦までの封建性の下での閉鎖的な空間から様々な変遷過程を経ながら徐々に開放的な空間へと変容していることが判明した。
著者
月岡 康一 小西 純一
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.191-197, 1994-06-09 (Released:2010-06-15)
参考文献数
10

本論は、土木史研究、第13号 (93) 掲載の「THE JAPAN MAIL米英橋梁論争」の続編として、本論争中からNOT A BRIDGE BUILDERの手紙を取り上げたものである。この手紙は、Waddellの著書を高く評価したThe Japan Mail紙の書評を受けて、NOT A BRIDGE BUILERという匿名で同誌のCorrespondence欄に投稿された、Waddellに対する反論文である。これは、約半年間に渡るMail紙上の米英橋梁論争の火蓋を切るという、重要な役割を果たした。また、多方面から数多くの論争項目を取り上げて、以後の論争のベースとなった点でも重要である。以下では、まず手紙の概要を原文に沿って招介し、続いて主な論争項目をリスト・アップして、Waddellの主張とNOT A BRIDGE BUILDERの反論を比較・整理した。最後に、本論争における、この手紙の位置付けと評価について検討した。
著者
藤原 俊雄 南木 均
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
no.19, pp.361-366, 1999

中山隧道は新潟県の山間地、山古志村小松倉地区に在り、1998年12月に新トンネルが開通して50年間余の大役を終えた。手掘り隧道建設以前の小松倉は集落戸数が60戸余り、生活の不便はいうにおよばず、積雪深4m以上となる冬季には医療の恩恵を受けられぬまま生命の危険にさらされていた。<BR>地域社会の将来を考え、集落の人々は私財を投げうち、自らの手でツルハシを握り、長さ約1kmに及ぶ全国一の手掘り隧道を昭和8年から16年間の歳月をかけて掘り抜いた。<BR>住民の力にあまる長大な隧道を自らの手で造り上げた精神と行為は、改めて社会資本の意義、役割を考えさせる貴重な土木遺産であり、さまざまな角度から研究するに値する遺産である。
著者
竹林 征三 中済 孝雄
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.437-451, 1995-06-09 (Released:2010-06-15)
参考文献数
16

野洲川は近江太郎と呼ばれる琵琶湖最大の流入河川である。上中流域は、風化花崗岩地帯で土砂流出が多く、そのため、下流域は典型的な天井川で、古来より破堤の歴史を繰り返してきた。野洲川の決潰記録は南北流がほぼ固定された14世紀から野洲川放水路が新たに開削されるまでの間に74回に及ぶ。洪水破堤記録を整理し、同じ場所が繰り返し破堤している事実を明らかにした。その箇所は河川工学的には、水衝部や断面変化部であることは教訓的である。74回の破堤記録のうち特に被害甚大で、多くの記録があるものとして、(1) 天文の戸田切れ (2) 享和2年洪水 (3) 明治18年洪水 (4) 明治29年洪水 (5) 大正2年笠原切れ (6) 昭和28年台風13号 (7) 昭和40年の水害を抽出し、被害を整理し、教訓・意義を考察した。
著者
内山 一則 奥田 朗 吉原 進
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
no.17, pp.437-444, 1997

The five stone-masonry bridges over the Kotsuki River, which flows along the center of Kagoshima City, have provided a historical outlook to this City. Among them, the Nishida Bridge has ornamental balustrade with beautifully designed balusters and this bridge is very famous as the main gateway bridge of the old Satsuma province. This paper investigates why these stone-masonry bridges were chosen for construction in kagoshima, which lies at the southern edge of Kyusyu, the circumstances of construction of these bridges and so on.
著者
越澤 明
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.9-20, 1999-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
31
被引用文献数
3 3

Sapporo City planning streets including parkways were decided in 1936. Over half the width of each parkway was given to green open space of trees, promenade and river. Scenic zones were designated in 1939 including parkway buffer zone to create the park system. And new parks were laid out near the parkways and scenic zones in 1942-1943. Before 1945, among major cities in Japan Sapporo was the only one to adopt park system theory entirely and make street network plan link to land use control for urban landscape. These progressive plans were abolished after 1945.
著者
山本 一彦
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.305-307, 1991

明治4年の廃藩置県, の時、現在の愛知県の区域は13の県に分かれており、旧藩の形態がなお残っていたが、明治5年になって名古屋県が額田県を吸収してようやく愛知県の原形が成立した。県の土木行政が実動しはじめるまでには更に数年を要したと見られる。明治8年には全国的に大巾な人事移動が行なわれ、当愛知県でも国貞廉平という人物が参事(現在の副知事)として名東県(現香川県)から転出してきた。彼は後に愛知県令(現知事)になるのであるがこの年同県から一人の若い土木技術者をスカウトしてきだ。名を黒川治悪(以下治愿という), といい、以後明治18年まで愛知県につとめた。わずか10年間ではあったが県令に昇進した国貞廉平の下で治愿は愛知県下の土木工事に多くの実績上げた。治愿の業績は「名古屋市史・人物編」始め県下のいくつかの市町村誌等に述べられているが、彼の足跡を知るうえで非常にユニークな情報源は現地に残る石碑である。彼の名とともに係った土木工事のことを刻んである石碑は広く県下19ケ所に現存している。その分布は岡崎市5、春日井市4、名古屋市・西尾市・犬山市各2、安城市・幸田町・弥富町・立田村各1である。建碑年は明治13年から大正8年に渡っており、文献上でしが確言忍できなかった1個を除き企て硯地で確認できた。多くは治水碑であり、中には頭部の欠落したものや台座が流失したとみられるものもあるが大半は良好に管理されている。また現在でも毎年田植の時期になると近辺の人々が集まり感謝の意を込めて彼の碑の前で頭を下げる祭事が行なわれているところもいくつか知られている。碑文を集めてみると、多くの場合建碑者は付近の村々の連名であり、内容はそれまでの劣悪な治水上の旧状がその土木工事を遍していかに改良されたかを記述しており、地元からみた当時の土木の事情をかいまみることができるのではないかと思う。
著者
鈴木 盛明 福島 二朗 為国 孝敏 中川 三朗
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.311-317, 1999-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
21

江戸時代に確立されていった舟運制度や河川整備手法は、明治時代に入り、政府が変革した後も踏襲されて、政策面に取り入れられている。明治政府は1872 (明治5) 年にオランダ人工師を招き、江戸川拡大の工事の方針が提出され、1875 (明治8) 年には利根川全川の測量が始まる。主要交通機関としての利根川の舟運を工事主体に置き低水工事をはじめる。そこで本研究では、江戸時代から明治初期において、舟運主体の低水工事から治水主体の河川事業の移行を調査し、その事業を推進していった政策面、為政者の思想から計画思想の変遷を明らかにした。
著者
横平 弘
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
no.19, pp.353-360, 1999

It is compared in this paper that the progress of reconstruction for four big or middle railways tunnels and corresponding passes on the national road.<BR>By the results of comparison with tunnels and passes, passes are repaired completely, however tunnels is not repaired yet. Therefore, the tunnels need to be reconstructed as soon as possible.
著者
横平 弘
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
no.15, pp.207-214, 1995

JR釧網本線の施工困難な建設路線区間について比較線を選定して費用を試算し、現有の建設路線との比較の結果、比較線の方が約114万円低額で、平成4年の卸売物価スライドで11億余万円に相当し、建設費総額の13%を占める巨額となった。また、比較線の実現により、軟弱地盤地帯にある現有路線が地震の多発による列車の不通と路盤の点検などで余儀なくされている不便や労苦と多額な保線費もかなり解消されるため比較線のメリットは大きく、従って現有の建設路線の妥当性は不十分と見られる。
著者
横平 弘
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
no.14, pp.339-346, 1994

JR釧網本線は当初の路線計画策定後の路線変更に伴って、施工された現有路線は全体的に迂回路線となった。迂回の著しい2区間について、施工の難易姓や路盤建設費から直結線と比較した結果、いずれも施工難工区を有し、迂回に伴って必要となった費用は全竣工額の18.7%にも達したことから、路線建設の妥当性は不十分とみられ、迂回のより著しい1区間については当初計画 (直結近似) 路線の方が有利である。
著者
安達 實 後迫 政道
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.217-226, 1998-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
57

This paper deals with history of flood prevention works in Kaga province from feudal period. There have been big and rapid rivers in Toyama plain in Kaga province. Since the life of the people lived there was significantly influenced by flood, the lordconstructed embankments and preserved forests. Firstly, this forest control system was discussed from the flood control point of view.Then restriction of cutting bamboo and importation of it from other province were described as a policy of flood control. It is because that bamboo cylinders which were made of stones and bamboo, were the most important materials of river embankments for the flood control. Finally it was clarified that the policies mentioned above were quite successful for prevention of flood.
著者
花安 繁郎 五十嵐 日出夫
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.1-12, 1990-06-25 (Released:2010-06-15)
参考文献数
22
被引用文献数
3

In Japan, the collection and compilation of statistical data on occupational accidents were officially initiated after the promulgation of the Japanese Factory Law in 1911. Since then the data acquisition system for the occupational accident statistics has been developed into a more elaborate and sophisticated system. This report presents a brief historical outline of the data acquisition system for the occupational accidents in Japan. In addition, an international review and comparison of the occupational accident indicators is presented. This analysis is based on the investigation of resolutions of the International Conferences of Labour Statisticians, which is promoted by the International Labour Organisation. Furthermore, necessary cares to be considered in the use of the accident statistics and another development needs in relation to the occupational accident data acquisition system are recommended.