著者
Shigeki MATSUURA
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.669-676, 1996-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
4

工部省の高官・大鳥圭介が1882 (明治15) 年、アメリカの技術書「堰堤築新按」を翻訳して出版した。290ページからなる大著で、図・絵がふんだんに盛りこまれ、分かりやすく書かれている、大鳥の翻訳の意図は、それほど知識はないが実際に現場で工事を行う農民や村職人でも分かる技術書の出版であった。工部省は、政府の官営事業を直轄し、殖産興業政策を行ってわが国産業の近代化を推進する機関であり、そのために外国人を招聘し、欧米に留学生を派遣し、大学校を立して専門家の育成を図っていた。この機関の高官が、専門家ではない一般技能者の技術向上を目的として、このような書物を翻訳していたのである。ここに近代化を目指す明治新政府の懐の深さを強く感じさせる
著者
五島 寧
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.93-104, 1993-06-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
44
被引用文献数
1

本論文は, 李氏朝鮮王朝時代からの既存の都城であった「京城」(現: ソウル) が日本帝国の植民地統治下において, 物理的あるいは空間的にどのように変容したのかという点を, 街路整備の観点から明らかにすることを目的としている。植民地時代の朝鮮半島の都市建設については, 全体を総括した既存研究が存在するが, 具体的な整備の展開について平面図上での検討は省略されているため, 本研究では街路整備の面的展開を明らかにし, 土地利用の変化から街路の機能の変化を考察した。結果として, 既存大街路の, 形態に担保された機能の積極的活用と展開, 及び事業費低減の取り組みの中での既存細街路の消極的利用を示した。
著者
原口 泉
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.623-628, 1997-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
10

鹿児島市の甲突川に架かる五つの石橋、150年にわたって鹿児島の歴史的景観を形作ってきた4連、5連の石橋群は、本年1997年1月までに完全撤去された。そして五大石橋と同時期に架けられた甲突川最後の石橋、河頭太鼓橋も本年秋から冬にかけて撤去される運びとなっている。本稿では、河頭太鼓橋の歴史的、文化的価値について論じつつ、石橋撤去の持つ意味を提起したい。
著者
馬場 俊介
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.205-218, 1994-06-09 (Released:2010-06-15)
参考文献数
7

木曽川・読書発電所の建設工事用の吊橋として1922年に架設された桃介橋は、4径間、全長247m、わが国に現存する最大・最古の木製補剛吊橋である。桃介橋は1978年の被災以降は放置されてきたが、1992年度の自治省の「ふるさとづくり特別対策事業」による起債を用いて修復・復元が進められた結果昔日の姿を取り戻し、1993年10月17日2度目の渡り初めが行われた。土木史的な観点から見た桃介橋の意義は、「文化財にふさわしい復元」のあり方を、近代土木構造物に対し初めて正面切って論じた点にある。吊橋のような複雑な構造物の場合、力学的な安全性の照査は多枝にわたり、しかも荷重、形状・寸法、発生応力は互いに線形関係にない (少しでも前提が変われば全て再計算となる) ことから、中間段階での安全性照査はどうしても簡略計算に頼らざるを得ない。桃介橋の保存・修複に係わる委員会では、こうした推定値に従って修復方針を決定し、それを受けてより正確な推定値が計算され、さらに異体的な修復工程が詰められていった。本論文では、こうした力学的な検討の変遷を詳らかにすることにより、技術的検討のもつ重要性とそれに伴う責任の重さについて分析を加える。
著者
山根 巌
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.531-540, 1996-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
18

旅足橋は、木曽川中流の岐阜県八百津町において、丸山ダム [関西電力] の設置に伴う補償代替道路として、木曽川支流旅足川の合流点に、1954年 [昭和29年] に架設された「下路型単径間補剛トラス吊橋」である。支間114m、幅員4.5mで、支間の中央二分の一部分の補剛トラス上弦材を主ケーブルが兼用した、合理的な吊橋である。この吊橋は、アメリカの吊橋の大家D.B.Steinman博士の設計により、1926年ブラジルに架設された南米最大の吊橋Florianopolis橋の型式を導入した特異な吊橋であり、世界で5橋架設されているが、我が国では唯一の型式である。現在は、国道418号線のバス路線の一部として、地域交通の要となっているが、洪水防禦を目的とした新丸山ダム [高さ122.5m] の嵩上げ工事の為に、2002年 [平成14年] には撤去の予定となっている。ここでは、旅足橋のこの型式への選定の背景と、吊橋としての歴史的、技術的な意義を検討して報告する。
著者
西野 保行 小西 純一 中川 浩一
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.253-258, 1995-06-09 (Released:2010-06-15)
参考文献数
16

わが国における鉄製鉄道橋梁については、トラス橋及びプレートガーダーについては、その記録も多く、またかなり系統的設計がなされたため、その現況ならびに歴史的経緯についても、かなり明らかになってきている。この中にあって、第1次世界大戦のために、大形鋼板が入手しにくくなった時代において、突如として出現したラチス桁は、ヨーロッパにおいてはかなり一般的な存在ではあったけれども、わが国の鉄道用鉄 (鋼) 製桁の流れの中においては、異流に属するものであった。それでもその使用範囲は北海道から中国地方に及んだが、本格的採用とはならず、その後は撤去による減少を重ね、現在は3橋梁を残すのみとなっている。また橋梁架設時の仮桁として使用されたものも現存している。本論文は、その現況から入って、過去の使用状況を中心として、その歴史的経緯を探ろうとするものである。
著者
西澤 泰彦
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.147-158, 1999-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
42
被引用文献数
1

The first dry dock in Japan is No.I Dock of Yokosuka Dock Yard and was built up in 1871 by French civil engineers. After that more than thirty dry docks had been built in Japan until the end of Meiji period. Now one of them is designated as a cultural asset, and another one is registered as a cultural asset by Japanese Government. So we need systematize a history and building technology of them. For that purpose, this paper tries to understand over the general state of them by following three steps. Firstly it makes a list of dry docks built up in the Meiji period, secondly we collect each material of them, thirdly, we visit to see existent dry docks.This paper indicates the characteistics of all the dry docks built in Meiji period from the folowing three view points:1) original technology for building dry docks was introduced by French engineers, 2) most of them were built of stone, 3) some of them are located in specified area, Kanagawa, Nagasaki, and the Inlands Sea.
著者
神吉 科夫
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.153-164, 1998-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
33

In this paper, the abolishment of 4 waterworks (Aoyama, Se Dkawa, Mita and Honjo) at Edo in 1722 is chazussed by use of historical literatures on Kyoho Reformation, the disasters (fire, flood damage) occurred during 1590-1722 at Edo and the old maps related to the water supply districts. The abolishment of 3 waterworks (Aoyama, Senkawa and Mita) was carried out for the agricultural development at Musasino hill and in thes water supply districts people could get drinking water by the wells. The abolishment of waterworks (Honjo) was carried out for the reduction of the governmental mense.
著者
山根 巌
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.325-336, 2000-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
31
被引用文献数
2

明治末期における京都での鉄筋コンクリート橋は、有名な田辺朔郎による明治36 (1903) 年の琵琶湖疎水に架けた日ノ岡の「孤形桁橋」に始まるが、明治38年から京都市の井上秀二により、高瀬川で4橋の小規模鉄筋コンクリート橋群が架設された。一方京都府においても、明治41 (1908) 年原田碧が長崎市から転勤して来て以後多数の鉄筋コンクリート橋が架設されたが、その代表は鞍馬街道の「市原橋」と「二之瀬橋」と言えよう。これ等の橋はメラン式を発展させた日本的な考え方の軸組方式で「鉄骨コンクリート構造」のアーチ橋とトラス橋として建設されている。また明治38 (1905) 年日比忠彦により導入されたモニエ式アーチ・スラブが、I字鉄桁に用いられて「鉄筋僑」と呼ばれ大正期末迄に多数建設され、市原橋の側径間にも採用されている。明治末期の京都での鉄筋コンクリート橋は、府市共にメラン式等の試験的な小規模の橋梁が多かったが、大正2 (1913) 年に完成した柴田畦作による、鴨川での鉄筋コンクリートアーチ橋の四条及び七条大橋の架設で、鉄筋コンクリート橋は大規模化し多様化して、日本の鉄筋コンクリート橋の発展に大きな影響を与えた。こうした明治末期における京都での鉄筋コンクリート橋の導入と発展の特徴について、調査した結果を報告する。
著者
篠田 哲昭 中尾 務 早川 寛志
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.183-190, 1991-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
41

人類が「火」を手にして以来、薪・石炭・石油・原子力とエネルギーを求め続けてきた。なかでも石炭は18世紀半ばイギリスに始まった産業革命の原動力であり、その波及効果が鎖国状態であったわが国に開国を迫る大きな力となってきた。当時の石炭は、箱館の国内向けには僅かにオランダから贈られた軍艦の燃料等として需要があった程度であるが、修好通商条約によって箱館港に入港する諸外国の黒船にとっては欠かすことのできない燃料であった。幕末の北海道における石炭山は釧路場所の白糠炭山、岩内場所の茅沼炭山が主な産地であった。先進諸外国を見聞した榎本武揚が炭山の必要条件に, 「一に運輸、二に品位、三に分量」と説いたが、本報告は茅沼炭山の「運輸」について史料を整理し取りまとめたものである。
著者
石川 幹子
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.37-48, 1991-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
22

The Central Park in New York City is the fist municipal urban park in U. S. A., established in 1858. The purpose of this paper is to clarify the role and influence of the Central Park from the point of view of the historical development of landscape architecture in U. S. A.The following four points have analysed in this paper. First; the establishment of the Centeral Park caused a nation-wide municipal urban park movement and many big parks and park systems were created as infrasturcture of the city planning. Second; the planning concept of the Central Park was to create a wide pastoral scenery, within highly developed Urban environment, for the park was regarded as lungs of city and also it had a great contribution to citizen's recreation and welfare. Third; To accomplish the above ideal, the technique of civil engineering took a great role, especially on the thorough drainage system, and the separate road system. Fourth; New professional, “Landscape Architecture” was created from the construction of the Central Park.
著者
俵谷 祐吉 戸嶋 守
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.463-470, 1996-06-05 (Released:2010-06-15)

仙岩道路を有する一般国道46号は、明治8年、内務省の許可を得て開削された仙岩峠の道が下敷きとなっており、現在はさらに緊密に秋田県と岩手県のあらゆる面をつなぐ太い動脈となっている。古代から中世にかけては豪族たち強者どもの戦の道として、藩政期は武士たちの往還や経済交易、文化交流の道として、様々な役割を果たしてきた。厳しい豪雪地帯の自然条件が、あらゆるものを拒否しつづけた中で、道に対する試行錯誤はあくことなく繰り返され、ついに大動脈たる地位を獲得した仙岩道路は、現在、一般国道46号として、地域や多くの人のためにその責任を果たしている。本報告は、自動車道路となってらも年間のおよそ半分は交通が途絶した、山岳横断道路のたくましい歴史の実態と、社会に貢献する道路建設の背景を述べるものである。
著者
石川 大輔 岩屋 隆夫
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.243-247, 2000-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
12

東京都伊豆小笠原諸島には, 「まいまいず井戸」と呼ばれる井戸がある.この「まいまいず井戸」は, 近世前の井戸形態の一つで, 直接, 地表部をオープンカットするという盤井である. これらの井戸は, 武蔵野台地や徳島県徳島市にも存在していることが確認されている. 本論は, 全国の「まいまいず井戸」を調査し, かかる井戸の特徴などを検証する.
著者
昌子 住江
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.289-293, 1992-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
6

東京の無秩序な膨張を抑えようとした東京緑地計画の環状緑地帯は、戦時下の東京防空空地帯計画に受け継がれ、さらに戦後の東京戦災復興計画で緑地地域として指定されたところにほぼ重なることは既に知られている。東京戦災復興計画では緑地地域の内側に、大公園と緑地帯から成る緑地計画があった。東京のなかを縦横に走る緑地帯を配した計画としては、戦前東京市が作成し構想に終った皇都都市計画の防空緑地帯をあげることができる。なお同計画は、人口と産業の再配置を意図した、東京大都市圏に関する計画の一環として構想されたものである。ここには、江東・墨田の一帯を飛行場や大公園にするという大胆な計画もあった。本稿では、結局実現には至らなかった東京戦災復興計画での緑地計画について、その淵源を探るとともに消滅の背景についても考察する。[戦中~戦後・緑地・市街化抑制]
著者
宮本 裕 岩崎 正二 出戸 秀明
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.269-279, 1993-06-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
15

Arch bridge is one of the bridges which have long time history in the world. It is supposed that the first arch bridge was constructed in the Middle and Near East. From the Middle and Near East, arch bridge technique were transmitted to Rome, China or another country. It is sure that the arch bridge technique was transmitted from China to Japan in the Edo period.We examine in this paper the possibility that the arch bridge technique was transmitted from China to Japan before the Edo period.We are proposing that the transmission of the arch bridge technique should be studied with considering another cultural transmission.
著者
望月 崇 島 正之 篠田 裕
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
no.18, pp.545-552, 1998
被引用文献数
1

The Sumida River, running through the eastern basin of Tokyo, used to be one of the main traffic means and often caused flood damages such as inundation, flood tides and so On.<BR>During our highly rapid economic growth, We had constructed perpendicular banking along the river, which was named on &ldquo;KAMISORT TEIBOU&rdquo;, to protect against these to damages.<BR>In this reports_we will investigate each case of Perpendicular Banking along the Sumida River in viewpoints of both histories and technologies, and will finally find out why so-called KAMISORI TEIBOU was established.
著者
畑岡 寛 田中 邦博 市川 紀一 亀田 伸裕
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.207-212, 2001-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
11

九州の石炭産業は大正・昭和期に発展している。その炭田炭鉱地域において特に土木産業遺産に着目した場合、志免の竪坑は全国で唯一残存しているワインディング・タワー形式で建設されている事からその保存についての議論はさまざまである。本研究では、この竪坑に着目した志免炭鉱の出炭から閉業までの課程を史的に報告する
著者
五島 寧
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.103-116, 1998
被引用文献数
4

This study clarified about the block formation inside Thi-pak-sia<SUP>n</SUP> (Taipei Castle) under Japanese rule.The frame of Tai-pak-sia<SUP>n</SUP>had been constituted by walls and streets. The Government-General tried to improve the urbansanitation with utilizing the frame. As a result Three-Tracks-Street was built at the place that castle wall had been built, and the major streets continued to exist. However, the direction effected by Peng Shui also continued to exist; these instances do not mean accession of traditional space order. The plan was merely the utilization of existing geographical features; because traditional planning philosophy had not been considered.
著者
竹林 征三 今井 範雄
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
no.15, pp.409-423, 1995

近江の国は、太占より人々が住み、人間の活動の跡が多く遺跡として多く残されている。遺跡の多くは琵琶湖周辺に位置し、人々との関わりの歴史が文明と共に始まったことが伺える。<BR>近江には古くから異常気象や天変地異等に関する記録が残されている。湖周辺の多くの旧家に伝わる古文書等には洪水による災害の記録が多く記されている。<BR>本小文は、占文書や各地に残されている痕跡から歴史洪水の記録を調べると共に、明治以降については、気象状況被害の状況等について統計的に整理し、更には明治29年の大水害を、昭和58年の土地利用状況にあてはめ想定被害状況の比較考察を行った。
著者
松浦 茂樹 藤井 三樹夫
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.61-76, 1994

1875 (明治8) 年、第1回地方官会議が開催され、ここで「堤防法案」が審議された。治水は河身改築・砂防工事等を主とした「預防ノエ」と、築堤を主とした「防禦ノエ」とからなり、地域で工事を行なうことが難しいときは、前者は内務省、後者は地方庁で行なうと政府から提案された。工事費については、地租の改正に従って新たな制度の整備を図るが、治水は一地域に限られたものであって、その地域で負担するのを原則とし、それが困難なとき国から補助すると規定された。しかし「堤防法案」は、政府原案を修正した上で成案をみたが、制定には至らなかった。ただし淀川では、太政官の指令によって土木寮分局が設置され、その事務規程中、成案をみた「堤防法案」の工事執行、費用分担と類似した規定が設けられた。<BR>1878 (明治11) 年、地方財政制度が確立され、治水事業は地方庁で行なうのが原則とされた。当初は下渡金という名の補助金があったが、1881年に打ち切られた。これ以降、大河川での「預防ノエ」以外は地方庁で行なわれることとなったが、地方庁の財政が逼迫し、容易に進まなかった。このため内務省は、補助制度の確立を目指し、1887 (明治20) 年頃には、一定の成果を得た。また、木曾川等では、国直轄の河身改修、県負担の築堤が合わさって大規模な事業が着手された。<BR>1896 (明治29) 年、「河川法」が制定されたが、それは「防禦ノエ」を国直轄で行なうものであった。それまで「預防ノエ」のみ直轄で行なっていたが、淀川流域を中心とし、地域からの「防禦ノエ」に対する国直轄施行の要望が強まり、いよいよ国として「防禦ノエ」に乗り出さざるを得なくなり、新しい制度が必要となったのである。