著者
加藤 尚武
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.11-16, 1999-09-13 (Released:2017-04-27)
被引用文献数
3

日本国憲法13条の求める「個人としての尊重」「個人の尊厳」は、クローン人間を生むことを否定しているから、刑法によってそれを禁止すべきであるという意見を批判することが、本稿の目的である。核移植で加藤尚武のクローンを作れば、そのクローンは加藤尚武と年齢も生育環境も歴史的環境も異なる。オリジナル人間とクローン人間は完全に識別可能である。もしも遺伝的にDNAがひとしい人を生むことが、禁止の対象になるなら、当然、一卵生双子の出産も禁止すべきである。クローン人間禁止論者は、クローンとオリジナルが明確に識別可能でもDNAが同じなら個体性を侵害している、自然的な同一DNA個体(双子)の出生は違法ではないが、人為的に同一DNA個体(クローン)を生むことは違法であると主張する。
著者
美馬 達哉
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.12-19, 2021-09-28 (Released:2022-08-01)
参考文献数
39

2020年に発生したCOVID-19のパンデミックによって、世界各地で医療資源(特に人工呼吸器に象徴される二次救命措置の可能なICU病床)が逼迫し、その配分の必要性がICUトリアージとして論じられた。本稿では、①高齢者の扱い、②医療資源配分時の優先順位、③医療資源再配分の問題の三つを中心に、パンデミック時のICUトリアージについての生命倫理学的な議論を概観した。そして、①年齢を治療の除外基準とすることは高齢者差別になること、②優先順位については、不要とする説、医学的必要性による順位とする説、治療的有効性による順位とする説があったが、トリアージの有用性に関するエビデンスが不十分であること、③功利主義的なICUトリアージで医療資源を再配分することは刑法上の問題になり得ることを指摘した。また、生政治の観点から、パンデミックのような例外状況で功利主義的なトリアージが論じられる意味を分析した。
著者
早崎 史朗 仁科 健夫 中井 猛之
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.97-103, 2001-09-17 (Released:2017-04-27)
参考文献数
19
被引用文献数
1

医療の選択の際には, 相手の立場に立って考えることが不可欠である。しかし, 治療の選択にあたって, 患者の自己決定権に基づく判断と医師としての理念が衝突することもある。価値衝突を防ぐことはできるのか。患者の持つ自由はどこまで尊重されるのか。学会や大学の授業でエホバの証人に投げかけられる疑問は, 価値衝突やインフォームド・コンセント(IC)の限界に関連するものである。これらの答えを得るには, 医学知識に加え, 医療倫理が重要な意味を持つ。そこで私たちは, 医療関係者や法律家たちにエホバの証人に関する, 正確な情報提供をすることに取り組んできた。その一つとして, 大学の医学生の授業に招かれ, 講義の一部に加わった。1)倫理観, 2)法的側面, 3)医療の選択という観点からエホバの証人の立場を説明した。授業は, エホバの証人に対する理解を深め対立を回避するのに役立つものとなった。本稿では, 未成年者への対応に関して, 考察を加えている。エホバの証人の信念の根底にある考えを披瀝し, これをケース・スタディーとして生命倫理やICについて考察する。
著者
徳永 純
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.77-84, 2019-09-26 (Released:2020-08-01)
参考文献数
30

多系統萎縮症患者の呼吸補助についての意思決定過程を巡る倫理問題を提起する。多系統萎縮症は根治療法のない難病であり、多彩な神経症状のため意思疎通が難しくなるうえ、突然死の主因となる呼吸障害も生じる。呼吸障害については、エビデンスは不十分ながら、気管切開下陽圧人工呼吸( TPPV) が比較的安定した長期生存を実現する可能性がある。だがTPPVを導入する患者はごく少数に限られる。客観的な生の質 (QOL) を低く見積もられてしまうために、人工呼吸器を着けない選択へと誘導されてきたからだと考えられる。本稿では患者3例と家族のインタビューにより、どのように誘導を逃れ、生存を選ぶ決定をしてきたかを明らかにする。進行期にあっても患者との継続的な関係を築くことによって、わずかな動作や表情から患者の意思をくみ取る「言語ゲーム」を成立させることが可能であり、患者本人の自律を尊重した決定を実現すべきである。
著者
勝又 純俊
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.13-21, 2010-09-23 (Released:2017-04-27)
参考文献数
33

平成12年の「東大医科研病院事件」最高裁判決で「エホバの証人」の輸血拒否への対応の一応の基準が示されたと考えられた。しかし,「エホバの証人」の無輸血治療に関する最近の民事訴訟と,「エホバの証人」の輸血拒否に関する報道をみると,同最高裁判決に依拠するだけでは,信仰に基づく輸血拒否によって発生する民事的,刑事的,あるいは倫理的諸問題を解決できないと思われる。これらの問題点を提示し,今後の検討の材料としたい。
著者
井上 悠輔 神里 彩子
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.107-113, 2006-09-25 (Released:2017-04-27)
参考文献数
19

イギリスの受精・胚研究認可庁(HFEA)は過去15年間にわたって、生殖捕助医療や胚研究など国内での胚を用いる活動を監督してきた。イギリスの法体制は胚の保護すべき価値を成長過程に準じて連続的にとらえており、HFEAが公的な審査組織として個々の事例について判断してきた。しかし、このことはHFEAの裁量への依存をもたらし、最近では特に立法府との権限の調整が問題として指摘されるようになった。生物医学の倫理問題に関連して日本をはじめいくつかの国で公的審査が導入されている中、こうした組織の性質や裁量のあり方をめぐるイギリスの議論は示唆深い。
著者
五十子 敬子
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.94-99, 1998-09-07 (Released:2017-04-27)
参考文献数
40

19世紀後半に英国で、安楽死法に関する問題提起がなされた。日本でもすでに1882年(明治15年)に安楽死法の可否をめぐる議論が提起されている。本論文はそうした新資料の紹介を始めとして、死をめぐる自己決定について、各国の歴史的展開および現況を概観するものである。現代、安楽死論は、尊厳死論に移行する形で広くとりあげられるようになった。そこで本稿では、(1)尊厳死にかかわる問題(2)安楽死法の是非(3)今後の課題と提言に分け、(1)では現代医療が生み出した尊厳死への対応について外国と日本を比較する。(2)では外国の現状を紹介し、日本の判例、学説を検討し、安楽死法の是非を考察する。(3)では今後の日本における意思表示のあり方について提言することとする。
著者
村岡 悠子 加藤 和人
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.37-45, 2021-09-28 (Released:2022-08-01)
参考文献数
40

昨今、民間保険会社において遺伝情報の利用規制に関する検討が重ねられている。本稿では、契約後に発病した被保険者の疾病が遺伝性疾患であることを理由に、支払査定時に「先天性条項」を適用して保険会社の免責を認めた裁判例から、遺伝情報の利用規制において検討すべき課題を明らかにする。同裁判例は、遺伝子検査によらず臨床診断に基づき遺伝性疾患と診断された場合、被保険者が当該疾患により不利益な取り扱いを受けても遺伝情報に基づく差別的取扱いと認識されないこと、そのため、遺伝情報の利用規制によっても不利益取扱いを回避できず、規制の趣旨を没却する可能性があることを示唆する。医療情報と遺伝情報の峻別が困難であることを前提に、利用規制が対象とする「遺伝情報」とは何なのか、議論を尽くす必要がある。さらに、遺伝性疾患を有する者に生じる本裁判例のような不利益に対しどのような介入が可能なのか、保険業界のみならず社会全体でのオープンな議論が望まれる。
著者
戸田 聡一郎
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.4-11, 2011-09-25 (Released:2017-04-27)

本稿では、日本に特異的な植物状態の診断基準(遷延性意識障害)を手がかりとして、その診断基準が世界的な臨床実践にいかに寄与できるかを考察する。日本独自の遷延性意識障害の枠組みに立てば、欧米の基準で無視されがちな、意識の有無が疑われる患者に対しても均一なケアを提供し、いまだその病態の本性に謎の多い最小意識状態(MCS)の疫学的データ収集に貢献できる可能性がある。しかしながら、実際の日本の臨床の体制は、そのような強みを生かせるものではない。加えて、理想的なケア体制を構築するためには、資源配分に関する深刻な問題を解決しなければならない。本稿は具体的かつ現実的なケア体制を考える際に、考察の前提となるべき論点を取り上げる。すなわち、(1)「植物状態」なる用語が喚起する固定化されたイメージの改訂、および(2)理想的なケア提供に向けて考慮すべき「正義」や「意識」といった諸概念の考察、である。
著者
尾形 敬次
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.48-54, 1999-09-13 (Released:2017-04-27)
参考文献数
26
被引用文献数
1

生命倫理の課題の一つは"人間の尊厳"を守ることだといって良いだろう。我々の多くが知っている人間の尊厳の理念とは、基本権の根拠となる概念である。そこでは人間の尊厳の不可侵性が述べられ、権利保障の根拠が人間の尊厳にあるとされる。特に、生存権の根拠とするには、それがいかなる意味かが問題になる。しかし人間の尊厳の概念に一定の了解がなく、そのために先端的な研究に対する倫理的見解にも混乱が生じる。そこで、人間のもつ能力のうちで何が尊重されるべきかを再度確立することが必要となる。ハンス・ヨナスは人間の諸能力のうち、責任という能力に着目し、これを理性や自律という従来の倫理原則に代わる新たな原則にせよと主張する。本稿では責任という能力が基本権の根拠である人間の尊厳に据えることができないかどうかを検討する。
著者
谷口 泰弘 塚田 敬義
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.151-158, 2005-09-19 (Released:2017-04-27)
参考文献数
23

医療における情報の非対称性が1960年代から指摘され、インフォームド・コンセントの法理を成熟させる諸活動、リスクマネジメント等の医療者側の取組みによって問題を克服する試みがなされてきた。しかし、患者側の視点も交えた全体的な機会集合での取組みの必要性を指摘し、組み入れることによって緩衝に向けた更なる発展が期待できる。本研究は、情報の非対称性が存在した上で取引が成立する社会経済活動の中から対処方法等を検討し、特殊領域とされる医療の場において、この問題がどのように関係するのかを検討した。研究材料として、逆選択、モラルハザード、エージェンシー関係を問題群として抽出し整理を試みた。考察は、医学・医療の権威主義的側面と自由主義的側面を対比させ、両者に欠落する問題点を指摘した。知識偏重型の情報の非対称性、稀少資源社会に生きていることの忘却を廃し、社会構成員が主体的に参加することと、その制度設計を行うことの重要性を記述した。
著者
中西 睦子
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.80-88, 1992-11-30 (Released:2017-04-27)
被引用文献数
1

すでに大きな社会的論議の的になっている生命倫理的諸問題について、看護職がこれをどのように捉えているかを明らかにするため、アンケート調査を行なった。調査は無記名回答方式で、看護職指導層を対象とし、調査用紙は、1) 脳死、2) 臓器移植、3) がん告知、4) インフォームド・コンセント、5) 患者の人権についての憂慮、6) 回答者自身の体験の6項目で構成した。回答者は合計830名(回収率77.5%)で、その内訳は、看護管理者481名、スタッフ200名、看護教師140名(職位無回答9名)。おもな結果を示すと、脳死を人間の死として認める者と、現時点では認めない者がともに48%であった。後者は、"脳死判定の公正さ信用できぬ" をそのおもな理由としていた。臓器移植の推進に無条件に賛成した者は14%で、条件つき賛成派が77%であった。そのおもな理由とされているもののうち上位3位は、1) 医師の倫理教育の徹底、2) 大学等の倫理委員会が公正に機能すること、3) データをきちんと公開することであった。がん告知に無条件に賛成した者はわずか10%であったが、条件つき賛成が85%みられ、そのうち70%が"患者が自立していること"をおもな条件としていた。また、インフォームド・コンセントの推進については、56%の対象者が賛成していた。このほか、患者の人権についての憂慮、回答者自身の体験についての回答内容を分析し、あわせてその意味するところを考察した。
著者
松野 良一
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.92-99, 2000-09-13 (Released:2017-04-27)
参考文献数
12

1997年10月に臓器移植法が施行され、日本でも脳死体からの臓器摘出が可能になった。しかし獲得された希少な臓器をどういう基準でレシピエントに分配するかについては、まだ公開の場で十分な検討がなされていない。日本においては心臓、腎臓、肺の場合、医学的条件が同じ場合は、待機期間の長い順で臓器を分配・移植する基準が採用されている。この「先着順」システムは一見平等・公平であるように見えるが、慢性臓器疾患の高年齢層が、若年層よりも早く移植が受けられる可能性もある。さらに肝臓については、疾患の種類と緊急度、血液型適合度を点数化して順番を決めているが、場合によっては飲酒により肝硬変になった患者が、他の要因で肝疾患になった患者よりも先に移植を受けられるという事態が生じる可能性もある。アメリカの臓器分配ネットワーク(UNOS)のデータを分析すると、各臓器の約4割から7割は、11歳から34歳の若年層が提供しており、逆に、臓器を受け取るレシピエントは、50歳から64歳であった。本研究は、臓器提供の最大の予備軍である若者が、自分が脳死になった場合、誰に臓器を移植して欲しいと思っているか、主としてレシピエントの移植前後の飲酒量、病因の無辜(むこ)性、年齢・性別、社会的状況(地位)について調査したものである。結果から、ドナー予備軍の若者は、レシピエント(飲酒者、高齢者、女性より男性、受刑者など)によっては、強い不満を抱くことがわかった。若者の意識を、臓器分配システムに反映させるかどうかは別として、無視すると提供者数が減少する可能性があることは否定できない。
著者
服部 健司
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.22-29, 2015-09-26 (Released:2016-11-01)
参考文献数
23
被引用文献数
2

本稿では、臨床倫理学ケース検討における対話の意味を問い尋ねる。対話は多角的な視座から得られる断片的な情報の綜合と共有、ひいてはチーム医療の実現のためになされるという一般的な見方に批判的な再検討を 加える。その上で、対話が本来的に情報の交換や共有のためでなく、発問を通して潜在的な問題点を発見し、 対話以前に対話の参加者が各自用意していた意見をゆさぶり、新たな見方を模索するために行われるものであることを論じる。
著者
松井 健志 高井 寛 柳橋 晃
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.30, no.1, pp.50-57, 2020-09-26 (Released:2021-08-01)
参考文献数
58

近年、臨床研究における研究倫理審査の受審・承認に関する虚偽記載をめぐる問題事案が国内外において少なからず散見されるようになってきている。しかし、報告される事案の数自体が少ないことに加えて、主たる「研究活動の不正行為」とされる捏造、改竄、盗用の陰に隠されてきたことから、本問題の倫理的な深刻さや何がそもそも問題であるかということについて、研究公正を含む研究倫理学の中でもほとんど検討されていない。そこで本論では、過去十年余りの間に国際的及び国内的に問題となった、研究倫理審査の受審・承認に関する虚偽記載が確認されたいくつかの臨床研究事案を取り上げつつ、本問題について研究倫理学的観点から考察した。
著者
福田 八寿絵
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.67-74, 2012-09-19 (Released:2017-04-27)

治療行為や医学研究に際し、その対象者の同意が治療や研究の正当性の要件となっている。しかし子どもが対象者となる場合には、親権者を対象としたインフォームドコンセントのみで治療や研究がなされることが少なくなかった。国連こどもの権利条約発効以来、医療行為に関しても子どもの意思表明権などを認めることが世界的潮流となってきている。その先例としてイギリスには、親権者の同意なしで子どもが医療の意思決定を行うことが可能となる"Gillick rule"が存在する。本稿は、このGillick Competenceをめぐる議論を、特に治療行為に焦点を当て、子どもの意思決定に関わる医療者の役割と課題を明らかにすることを目的とする。治療行為における子どもの権利の法的枠組みとGillick Competenceとは何か、判例をもとに"Gillick rule"の問題点を検討し、利害関係者の役割とその克服すべき課題について考察する。医療チームは、子どもの生活環境への影響に鑑みて同意能力を評価し、子どもとの信頼関係を築き、子どもの秘匿性、プライバシー権にも配慮することが求められる。意思決定への参加を促し、医療専門職、子ども、家族との間で情報の共有化を図ることが医療専門職の責務である。
著者
新山 喜嗣
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.82-92, 2007-09-20 (Released:2017-04-27)
参考文献数
22

カプグラ症候群では、身近な人物における属性とは無縁な「このもの性」としての<私>が、自分の眼前から消失するという、言わば「純粋の死」を体験することになる。われわれにとっての死も、その核心がこのような<私>の消失を意味するとすれば、そのような死は善きことか悪しきことか、それとも、そのどちらとも言えないことなのであろうか。20世紀の分析哲学は、不在の対象について善い悪いといった何らかの言及をすることが困難であることを教える。このことからすれば、この世にすでに不在となっている死した人物についても、その死が善きことか悪しきことかを語ることができないことになる。今や、自分の死についても、また、他者の死についても、その死の意味の収斂先を失うのである。それでもなお死の意味を求めようとすれば、死を<私>の完全な消滅としてではなく、カプグラ症候群のように<私>の変更として捉える道があるかもしれない。しかし、属性を伴わない<私>の変更は、<私>にとって気づきうることでもなければ、<私>にとって何らかの関係を持ちうることでもない。もはや残された死の意味は、隣の<私>の消失としての他者の死と、将来における自分の<私>の消失としての自分の死という、虚空だけとなる。

1 0 0 0 OA 宗教と倫理感

著者
羽鳥 明
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.3-8, 1993-07-20 (Released:2017-04-27)

キリスト者としての自己体験と信仰に照らし、また自己を含めての近年接触し見聞、体験した、死を目前にした老患者が表した肉体生命の最後の瞬発力の著しい力に注目させられた事例を3つあげ、それを踏まえて、聖書に示された倫理を、新約聖書「ローマ人への手紙」12章2節を手がかりとして、倫理の根本としての神のみこころ神のみこころの3つのポイント(1)神が人類の祝福のために設定された絶対的善悪の規範(2)神が受け入れ、喜ばれるプロセスとしての愛と祈りと忍耐のケアとしての倫理(3)神のみこころとしての、永遠のいのちの希望に基づく完全待望の倫理
著者
森岡 正博
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.4, no.2, pp.141-145, 1994-10-20 (Released:2017-04-27)

妥当な脳死判定基準をどのように決めればよいかについての生命倫理の議論は、ある前提に基づいて行なわれてきた。それは、脳幹に深刻な障害のある人間の、上位脳の機能を蘇生させたり維持しておくような決定的な医療技術は、存在しないという前提である。しかし将来は、「人工頭蓋」「人工血液ポンプ」「脳血管の人工血管化」などの人工臓器技術を、脳外科手術に導入することができるようになるだろう。これらのテクニックを使うことで、脳の一部は死んでいるのに、上位脳の一部は生き続けている状態を作り出せるかもしれない。このようなケースでは、現行の脳死判定基準は再考を余儀なくされるはずである。
著者
木田 盈四郎
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.75-79, 1992-11-30 (Released:2017-04-27)

最近の遺伝、遺伝相談の現状を紹介し、生命倫理との関係を論じた。生命倫理の立場では「生存権を持つヒトを人格と呼び、生存権の否定・蹂躙は成り立たない」と考えている。この人格概念には、先天異常疾患の患者を除外する規定はない。一方、最近の生命科学の研究結果をまとめると「異常は正常の変貌であり」「ヒト集団は、先天異常患者を一定の頻度で含んでいる」ことが分かった。わが国では胎児の生命は妊娠22週以後は優生保護法によって守られている。患者の生存権を認める立場から見れば、妊娠21週までの胎児の決定権は「人格」を持つ親にある。したがって親は、羊水検査を含めた胎児情報を知る権利がある。そこで、その権利を守るために社会は、検査設備を整え、親に知らせる義務があると考えた。