著者
比名 朋子 中井 祐一郎
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.13-21, 2015

<p> 本邦においては、人工妊娠中絶の施行条件は母体保護法によって限定されており、強姦による妊娠以外にも 身体的または経済的に母体の健康が維持できない場合に容認されている。また、その適用の可否は母体保護法指定医によって決定されるが、経済的条件(以下、経済条項と称する)が広く解釈されているために、事実上自由に人工妊娠中絶が行われているのは周知のとおりである。</p><p> 一方、生活保護法は文化的かつ健康的な生活を保証するとともに、妊娠・分娩に関しては分娩費用以外にも妊娠に伴う附帯費用を付加した経済的援助を規定しており、生活保護受給者が妊娠・分娩によって「経済的に母体の健康が維持できない」ことはない。したがって、母体保護法の経済条項を無条件に適用することには疑義が残るが、旧厚生省は生活保護法受給女性における経済条項適用を容認するとともに、福祉事務所や民生委員に経済条項適用の可否決定に関して必要な情報を提供するように通達を行っている。</p><p> しかしながら、生活保護法の主旨を具現化すべき上記公務員にとって、妊娠が生活保護受給女性の健康を維持し得ないことを主張することは不可能であり、母体保護法指定医師とともに矛盾を抱え込まざるを得ない。</p>
著者
蔵田 伸雄
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.35-40, 1998-09-07 (Released:2017-04-27)
参考文献数
17

今後出生前診断の普及に伴い、医療従事者の「助言」と我々各自の「優生的な指向」及び「自由な選択」の結果として、ある種の先天的な疾患をもつ患者の数が激減する可能性がある。選択的中絶は、「生まれてくる子が不幸」「家族に対する経済的負担」「障害児を出生前に中絶した方が、社会全体の医療費を節約できる」といった論拠によって正当化されることが多い。しかしこれらの理由にはいずれも問題点がある。選択的中絶を倫理的に許容できるのは、生まれてくる子に激しい苦痛がある、疾患に対する治療法がない、あらゆる可能な治療を試みても生後数年以内にほぼ確実に死んでしまう、両親が中絶を強く希望し医師もそれを了承しているといった条件のすべてを満たしている場合だけだと思われる。
著者
戸田 聡一郎
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.142-148, 2008
参考文献数
12

遷延性植物状態(PVS)はその診断基準の難しさと同時に患者とのコミュニケーションが困難であるという理由から、様々な倫理的問題を引き起こしてきた。しかし最近、植物状態と診断されたにもかかわらず、実は意識を持っている患者がいることを示唆する研究が報告された。本稿ではこの研究結果を検証し、実験で使用されたパラダイムが特に臨床応用において問題を表出させることを示す。さらにこの問題を解決させるための新たな実験パラダイムを提唱する。この新しいパラダイムは、将来患者とのコミュニケーションを図る方法を構築する上で重要な役割を担う可能性をも持つであろう。重要なのは、科学的に検証可能な問題が、科学のサイドからではなく、臨床倫理の側面から提起されるということである。この考察により、神経倫理学における新たな方法論が存在することが強く示唆される。
著者
岩江 荘介
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.241-251, 2007-09-20 (Released:2017-04-27)
参考文献数
33

遺伝医療の発展と共に、遺伝子診断など遺伝子情報の用途は拡大の一途をたどっている。これまで遺伝子情報に関する生命倫理研究では、「遺伝子情報は、他の医療情報と明確に区別しなければならない程の特殊な性質を持っているか?」という「遺伝子例外主義」の是非を巡って盛んに議論されてきた。一方で、わが国では、遺伝医療の急速な発展に対応するためのルール整備が非常に遅れている、と指摘されている。そこで、わが国の生命倫理研究においても、遺伝子情報の性質や社会に与える影響を冷静に考察しながら、具体的な問題解決を目指した政策的な議論へと重点を移すべき時期にあると考える。本稿では、政策的な議論をする上で有益な示唆を与えてくれるRothsteinの論文について紹介する。そして、わが国の医療情報の取り扱いに関する規制状況を概観し、その問題点を指摘する。
著者
小澤 直子
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.174-180, 1991-04-20

臓器移植は医療技術の進歩によって生み出された最も画期的医療であろう。しかし,その医療そのものが他人の死によって成り立つ医療である以上,種々な問題を含むのも事実である。移植医療先進国であるアメリカにおいても,提供者が移植希望者よりはるかに少ない現実において,その移植患者の選択問題をはじめ,高額医療費の問題などが,倫理的,社会的,法律的,経済的にからみあいながら浮上してきている。本論文は,そうした現代のアメリカ医療のジレンマを臓器移植という医療に焦点を当てながら,現状の厳しさ,問題点など,これから移植医療を再開しようとする日本への,必要な提言をおこなおうとするものである。
著者
今井 竜也
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.38-45, 2013-09-26 (Released:2017-04-27)

海外に渡航して医療を受ける、いわゆる「医療ツーリズム」は、自国の医療水準では十分な治療を受ける機会を得られない人が先端医療を受けるため、先進国に渡航するという構図がこれまで一般的であった。だが今日では、単に機会格差を解消するためだけでなく、規制格差や経済格差を利用する形で、医療技術の発展した発展途上国に渡航し、自国よりも格安に、あるいは自国では受けられない、受けにくい治療を受けるために渡航するケースが増えている。とりわけ第三者生殖医療、臓器移植のように、人間の身体を医療資源として利用する医療ツーリズムは、医療技術の性質に付随する様々な問題や、規制格差・経済格差利用の問題が色濃く反映され、医療ツーリズム全体の規制の方向性を考える上でも、色々と参考になる論点が多い。本論文では、規制の方向性が固まりつつある渡航移植・移植ツーリズムとの比較から、第三者生殖ツーリズム規制の方向性を提唱する。
著者
山本 智子
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.4-12, 2009
参考文献数
36

本稿は、包括的な子どもの権利保障を目的に、「国連子どもの権利委員会(UNCRC)」による「乳幼児の権利(GENERAL COMMENT No.7(2005)Implementing child rights in early childhood)」との関係において、日本の小児医療にInformed Assent(I.A.)を採用するにあたっての課題を提示した。I.A.は、「親の許諾(Parental Permission)」と「患児の賛同(Patient Assent)」という小児医療に特有の2概念から成る。具体的な適用例では、乳幼児は、「親の許諾」のみの適用を奨励されている。さらに、アメリカ合衆国の小児科医によって提示されたI.A.理念には、「子どもの患者の権利」とも「適切なケアの提供」とも異質な、また、法的責任にも対応していない、「医師と親との責任のシェア」(Decision-making involving the health care of young patients should flow from responsibility shared by physicians and parents.)という記述が盛り込まれている。一方、UNCRCによる「乳幼児の権利」は、乳幼児を「社会的主体(Social Actor)」とし、また、乳幼児期を「子どもが条約において保障されたすべての権利を認識する重要な時代」と位置づけている。さらに、乳幼児の力を肯定的に評価すると共に、能力の未熟さ故の乳幼児の権利制限を問題視し、乳幼児の権利の保障を強く求めている。I.A.の採用にあたっては、「子どもの権利」の視点や、臨床経験(実践知)や研究成果に基づいた小児科医による乳幼児の力の評価やその力の独自性を指摘する見解もふまえ、乳幼児観の転換や、乳幼児の未熟さを子どもの権利の支援要素へと転換することが課題になる。また、医療専門職が提示する医療に係る理念の影響についても検討を要する。
著者
大桃 美穂
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.111-119, 2010-09-23 (Released:2017-04-27)
参考文献数
28

透析医療に携わる現場では、長期間の維持透析生活の後に終末期を迎える患者の看取りについて検討を要するケースが増加している。本稿では維持透析患者に焦点をあて、「透析と終末期医療のあり方」を検討した。日本の医療現場では一般に事前指示書が尊重されているとは言い難い。ことに透析医療においては、透析導入から終末期を迎えるまでの長期の間に、患者個人の病状や心理も変化してゆくので、患者の意思を把握する機会をたびたび設けることが必要であると考える。医療者には患者・家族と共に個人に即した終末期医療を作り上げるという姿勢で臨むこと、患者の意思決定を支援することが求められている。実際の事前指示の運用場面では、医療者と患者の橋渡し役として、透析導入期・維持期・終末期と長期にわたる関わりの中で患者との人間関係を構築している透析看護師が担う役割が大きくなるだろうと推測される。
著者
黒須 三恵
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.17-21, 1996-06-30 (Released:2017-04-27)
参考文献数
6

I investigated clinical incidents in which physicians neglected patient's rights in Japan during 50 years after World War II. In the first term (1945-59), the sufferers were the infants and mentally handicapped persons mainly. Some pyhsicians thought their human experiments were not ethical, but they could not change the plan of the experiment. Because their professor had strong powers and decided the plan. In the middle term (1960-79), public health insurance system were accomplished for all people. Since then, they could see a physician easily. But medicines were used carelessly and many patients were damaged by them, for instance, thalidomid, quinoform. The other main incidents were "Wada" heart transplantation and assault or robotomy on a mentally handicapped porson. In some cases physicians lodged a complaint with a police or the Japanese Society of Psychiatry and Neurology. Then the medical association adopted some principles of human experiments. In the latter term (1980-95), brain-dead patients were disturbed upon human rights, though ethic committees which examine human experiments were established in many medical schools. The members of the ethic committees have been almost insiders and males. and deliberated not open to the public. The damages from medicines including the blood products contaminated with HIV occured one after another in this term too. The Ministry of Public Welfare established a standard of human experiments for new medicines, but admitted oral consent from a patient as well as consent by a document. Some physicians organized a patient's rights conference or a board of investigation of malpractice. For the establishment of patient's rights, medical associations should criticize main clinical incidents after World War II.
著者
川端 美季
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.133-140, 2015-09-26 (Released:2016-11-01)
参考文献数
62

本稿は、欧米のPublic Bath Movementの背景及び展開とその基底にある身体観および道徳観を整理したうえで、大正期の公設浴場設立におけるPublic Bath Movementの理念や思想の受容や導入について清潔さの意味を中心に検討する。欧米で19世紀後半推進されたPublic Bath Movementは貧民や労働者の身体を清潔にし、彼らの道徳性を向上させ市民化させるという意味をもっていた。欧米と同様に労働者や貧民をめぐる社会問題を抱える日本でも欧米を参考にして公設浴場を設立するに至った。日本でも公設浴場は労働者や貧民を対象にするものであったが、入浴に労働力の再生産を意味する慰安という意味が新たに付与された。また、入浴習慣が途絶えていた、あるいはなかった欧米と比較する過程で、日本人が清潔を好む国民・民族であるという認識と結びつき、「日本」的道徳性が日本の清潔さには内包されていった。
著者
桑原 昌宏
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.122-130, 1991-04-20 (Released:2017-04-27)

人の死について医療費という経済性や,臓器提供という効率性という観点のみから考えることは避けた方がよい。社会保険からの支出が大きいといっても,脳死者が被保険者の場合,保険料を月々積み立ててきたことを見逃すことはできない。それに,社会保険はもともと多額の医療費が必要な人のために保険料を積立ててきたものだからである。また脳死者への医療費の医療費全体に占める比率は多いとはいえない。健保組合で本人に償還される高額医療費は,医療費の1.8%で,このことからも推測される。回復の見込みのない脳死者への医療費支出は治療のためではないが,その家族のためである。医療保険から埋葬料も支払われているように,家族のために脳死者の医療費が支払らわれても,制度としてはおかしいわけではない。もっとも重要なことは,やはり現在の日本社会で,死についての考え方が多様であって,それらが宗教や伝統に根ざしていることにある。瞳孔(どうこう)散大,呼吸停止,心臓停止という三徴死の徴候がそろうまでは死と認めない患者と家族が現にいる。その人達が貧しくて,患者に人工呼吸器をつける医療費も払えない場合もあるだろう。それが数少なくとも社会保険は,社会的弱者を保護するためにあるのだから,その適用を認めてもよいといえる。医療機関が研究や実験に用いる場合は別である。社会保険制度は,最高裁も認めているように,加入者の相互扶助の精神に基づいているのである。要するに,臓器提供をする,しないにかかわらず,脳死状態の医療費に社会保険を適用してもよいのではなかろうか。
著者
新名 隆志 林 大悟 寺田 篤史
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.165-173, 2010-09-23 (Released:2017-04-27)
参考文献数
14

2009年7月13日に「臓器の移植に関する法律」が改正された。しかし、法改正に至るまでの国会審議には混乱があり議論が尽くされているとは言えず、その結果改正法にも、とりわけ第六条に関して疑問が残るものとなった。それゆえ本稿は、改正法やそれにまつわる議論の問題点を明らかにし、それに代わる臓器移植制度を構想する。一では、六条二項改正の問題を扱う。改正法が取り入れる「脳死は人の死」という考え方について、国会では説得力ある説明が提示されず、かえって問題点や不明瞭さを残す結果となったことを指摘する。二では、六条一項における臓器摘出の条件について、臓器提供の決定者に関する規定やそれに関する思想の変更等についての問題を提示する。三では、これまで無批判に前提され続けた善意(自発性・利他性)に基づく臓器提供に代わる制度の可能性として、互恵性に基づくオプトアウト型の相互保険的な臓器移植制度を提示する。
著者
松本 信愛
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.41-43, 1997-09-08 (Released:2017-04-27)
参考文献数
1

アメリカやオーストラリア等の病院関係者のターミナル・ケアの話には、必ず「パストラル・ケア」という言葉が登場するが、日本ではまだほとんど理解されていない。現在、アメリカを中心に広がっている「病院でのパストラル・ケア」というのは、病人やその家族の「心」を専門的にケアすることである。元来、パストラル・ケアは、死に直面した人々だけを対象にしているわけではないが、特にその真価が発揮されるのは、やはり、そのような場合が多い。本稿では、筆者がアメリカの病院においてパストラル・ケアの訓練を受けたときに経験したいくつかの例を通して、パストラル・ケアというものがどのようなものであるかということを紹介し、日本の病院におけるパストラル・ケアの必要性と可能性を探ってみたい。
著者
柳原 良江
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.48-55, 2001
参考文献数
14

男性中心主義は、女性の生殖能力の保存を成立基盤としており、長い間、女性のセクシュアリティの管理を行うことで、その維持を図ってきた。しかし医学や科学技術の発展により、生存様式が変化しつつある現在、過剰に女性の生殖機能を重視する男性中心主義は、もはや有効性を失ったといえる。性交は二者間で身体摩擦を与えあう現象と捉えられるが、その行為を成立させる必要条件と、行為の間に各自が受け取る感覚によって、当事者は「自己」に影響を受ける。女性においては「自己」への影響が、男性中心主義の文脈で解釈される事により、男性中心主義的社会システムの維持に利用されてきたと考えられる。また、この過程は、生活において避けられないものとして隠蔽され、女性の人権侵害を行っている。しかしそれは、性行為が男性中心主義を維持し続けるための巧妙な装置である状況を示していると言えよう。
著者
加藤 太喜子
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.43-51, 2011-09-25 (Released:2017-04-27)

治療の差し控えや中止を決定するに際して、「医学的無益」という概念がとりあげられることがある。しかし「医学的無益」という概念には、定義が困難である、どの程度無益なら無益とみなすかについての線引きが恣意的である、医療資源配分の問題とともに論じられる危険がある、といった問題がある。医学的無益という観点で治療の差し控えや中止を検討する必要がある場合、公正プロセスアプローチと呼ばれる共同での意思決定の試みがあるが、このプロセスを経ることで、患者の同意のない治療の差し控えや中止が必ずしも倫理的に正当化されるとは限らない。「医学的無益」という概念を使って説明せざるを得ない場合には、どの治療がどんな目的に対してどの程度「無益」かについて、丁寧に注意深く明示する必要がある。
著者
川村 和美 奥田 潤
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.161-166, 2000-09-13 (Released:2017-04-27)
参考文献数
9

さまざまな専門職の中でもとりわけ医療は高度な専門領域であり、医療関係職能(医療職)に課せられる責任は大きい。筆者らは以前、国内の各種医療職団体の掲げる倫理規定の内容を比較分析し、1.序文、2.患者(個人)に関する倫理、3.医療職共通の実務に関する倫理、4.その医療職の専門倫理、5.各国におけるその医療職の特殊倫理の5項目を取り上げた。今回、それらを参考にして世界医師会、国際薬剤師連盟、国際看護婦協会の3つの国際医療職団体が発行している倫理規定を比較し、先に取り上げた5項目のうち医療関係者が共通にもつことが望ましいと考えられる2および3の項目について共通な倫理規定の原則を抽出した。各国の医療職がここに取り上げたような項目と原則をもとに、一定のスタイルに基づいて共通した内容の倫理規定をそれぞれもつことができれば、いずれの職種も患者(個人)ひいては社会に対して共通の高いレベルの意識をもつことができ、医療職全体のグローバルな協調が得られるのではないかと考える。
著者
田中 美穂 児玉 聡
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.96-106, 2014-09-26 (Released:2017-04-27)

高齢化に伴い、世界的にも認知症患者は増加傾向にある。世界各国は、能力の無い人の終末期医療の意思決定に関する諸問題の解決策を模索しているのが現状である。そうした試みの一つが、英国のMental Capacity Act (MCA,意思能力法)2005である。特徴的なのが、能力が無くなった場合に備えて代理人を設定する「永続的代理権」と、さまざまな権限を有した代弁人が、身寄りのない人の最善の利益に基づいて本人を代弁する「独立意思能力代弁人制度」である。本稿では、この2つの制度に焦点をあてて、MCA2005の実態を把握し、終末期医療に及ぼす影響を明らかにするため、国の公式文書や報告書、学術論文などを使って文献調査を行った。そのうえで、司法が抱える課題を指摘した。日本国内においても認知症の増加によって、能力が無い人の終末期医療の決定が大きな問題となるであろう。事前指示のみならず、代理決定も含めた行政ガイドライン、法的枠組みの必要性について議論する必要がある。
著者
松野 良一
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.92-99, 2000
参考文献数
12

1997年10月に臓器移植法が施行され、日本でも脳死体からの臓器摘出が可能になった。しかし獲得された希少な臓器をどういう基準でレシピエントに分配するかについては、まだ公開の場で十分な検討がなされていない。日本においては心臓、腎臓、肺の場合、医学的条件が同じ場合は、待機期間の長い順で臓器を分配・移植する基準が採用されている。この「先着順」システムは一見平等・公平であるように見えるが、慢性臓器疾患の高年齢層が、若年層よりも早く移植が受けられる可能性もある。さらに肝臓については、疾患の種類と緊急度、血液型適合度を点数化して順番を決めているが、場合によっては飲酒により肝硬変になった患者が、他の要因で肝疾患になった患者よりも先に移植を受けられるという事態が生じる可能性もある。アメリカの臓器分配ネットワーク(UNOS)のデータを分析すると、各臓器の約4割から7割は、11歳から34歳の若年層が提供しており、逆に、臓器を受け取るレシピエントは、50歳から64歳であった。本研究は、臓器提供の最大の予備軍である若者が、自分が脳死になった場合、誰に臓器を移植して欲しいと思っているか、主としてレシピエントの移植前後の飲酒量、病因の無辜(むこ)性、年齢・性別、社会的状況(地位)について調査したものである。結果から、ドナー予備軍の若者は、レシピエント(飲酒者、高齢者、女性より男性、受刑者など)によっては、強い不満を抱くことがわかった。若者の意識を、臓器分配システムに反映させるかどうかは別として、無視すると提供者数が減少する可能性があることは否定できない。