著者
伊吹 友秀
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.124-133, 2016 (Released:2017-09-30)
参考文献数
34

2015年2 月に英国は世界で初めてミトコンドリア病の患者の卵子や受精卵に対するミトコンドリア置換の技術の利用を認める法律を可決した。この技術が今後わが国でも利用の許可が求められていく可能性がある。そこで、ミトコンドリア置換の倫理的側面について先行研究の論点を整理したうえで、この技術に特異な生命倫理学上の問題として「3 人の遺伝的親」を持つ子どもを誕生させることをめぐる議論について検討し、若干の考察を加えた。結論としては、ミトコンドリア置換に対しては、1)安全性の問題、2)さらなる応用につながるとの懸念、3)生まれてくる児の同一性の問題、4)「3 人の遺伝的親」の問題の4点が挙げられた。4)については、さらに、ミトコンドリア置換は本当に「3 人の遺伝的親」を誕生させることになるのかという点と、3 人の遺伝的親」を持つ子どもを誕生させること自体に倫理的な問題はあるのかという点について検討した。
著者
小椋 宗一郎
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.207-215, 2007-09-20

ドイツでは、医学的に適応がある場合等を除き、中絶手術の少なくとも3日以前に「妊娠葛藤相談」を受けることが法的に義務付けられている。この相談に関しては少なくとも二つの問題が指摘されている。第一に、自発的対話を旨とする相談が法的に義務付けられているという問題がある(「強制としての相談」)。第二に、同相談は「〔胎児の〕生命保護」を目的とすると同時に、「〔相談後に女性たちが出産か中絶かの決断をすることについて〕結果を問わない」ものでなければならないとされる点について議論がある。本論文は、相談の現場に即してこれらの問題について考察する。ドイツのカウンセラーたちによると、実際、これらの問題は実務上の困難をもたらしている。しかしその困難は、カウンセラーと来談者による「率直さ」へ向けた努力によって乗り越えられうる。われわれはこの相談を、生命保護と同時に妊娠した女性たちの援助へ向けたドイツの人々による長期的な努力として理解することができる。
著者
小西 恵美子 デービス アンJ
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.84-91, 2000-09-13
被引用文献数
4

「死ぬ権利」とは、終末期の患者が、さらなる治療を拒否して死を早めることを自らの意思で決定できる権利をさす。「死ぬ義務」とは、終末期の患者や老人は、家族の負担や医療コスト等の社会的要因から、延命のための治療は拒否して死を早める義務があると感じることである。日本、欧米の生命倫理に関心をもつ看護婦、医師および生命倫理学者それぞれ121名、64名を対象に、この二つの概念に対する意識を調査した。結果、死ぬ権利は欧米は全員、日本も大多数が支持した。死ぬ義務については、欧米の支持率は高かったが、日本は支持しない人のほうが多かった。自由記述からしばしば出現したテーマは、「自己決定」、「命の意味」、「公正」、「患者と家族との愛」である。それらの意味の両群の相違点と類似点を探索し、終末医療の問題をかかえる日本と欧米が相互に学ぶ必要を示唆した。
著者
伊吹 友秀
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.244-254, 2014-09-26 (Released:2017-04-27)

現在、生まれてくる子供の性別を選択するための最も有効な方法の一つが着床前診断(PGD)を用いる方法である。わが国では性別の選択を目的としたPGDの利用は許容されていないものの、少なからぬ親たちが海外でこれを実施したことが報道された。そこで、本論文では、わが国における性別の選択を目的としたPGDの利用の是非について考察することを目的として、欧米の先行研究に関する文献調査とそれに基づく理論的な研究を行った。その結果、性別の選択を目的としたPGDの利用については、1)安全性・リスクの問題、2)性差別の助長の問題、3)性比の不均衡の問題、4)親の子どもに対する態度やまなざしの変化の問題が批判的に指摘されていること、親の自律や自由の観点から反論がされていることを明らかにした。その上で、これらの問題点をわが国の文脈も考慮に入れた場合に、どのように解釈されるかについて考察を加えた。最終的に、親の子どもに対する態度やまなざしの変化の問題と関連して、徳倫理学的な観点からの分析を行った。
著者
大河原 良夫
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.169-177, 2006-09-25

法律が、患者の権利として、患者意思を尊重しその意に反する治療はできないとしているとき、患者はどの程度までの治療拒否ができるのか、生命に危険がある場合まで治療拒否ができるか。この問題は、フランスで最近まで未解決であった。2002年3月4日、患者の権利法が制定され、治療拒否権が新たな形で登場した。しかしその直後、これに抵抗するような形で、エホバの証人輸血拒否事件に関するコンセイユ・デタ2002年8月16日判決(命令)が、輸血断行は、説得など一定の要件を満した場合、自己決定権を侵害しないという判断を示した。これによって、同法制定以降も、患者の自己決定権は、「ハーフトーンの基本的自由」に留まるものとなったが、医業倫理法等との関係で、これらの規範抵触が、やはり医師を微妙な立場におくことに変わりはなく、2002年法は判例の流れを断絶しえなかった。しかし、フランス医事法(学)がこれまで積み上げてきた患者の諸権利を考慮するならば、この判決の射程は拡張されるべきでない。
著者
加藤 尚武
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.11-16, 1999-09-13
被引用文献数
3

日本国憲法13条の求める「個人としての尊重」「個人の尊厳」は、クローン人間を生むことを否定しているから、刑法によってそれを禁止すべきであるという意見を批判することが、本稿の目的である。核移植で加藤尚武のクローンを作れば、そのクローンは加藤尚武と年齢も生育環境も歴史的環境も異なる。オリジナル人間とクローン人間は完全に識別可能である。もしも遺伝的にDNAがひとしい人を生むことが、禁止の対象になるなら、当然、一卵生双子の出産も禁止すべきである。クローン人間禁止論者は、クローンとオリジナルが明確に識別可能でもDNAが同じなら個体性を侵害している、自然的な同一DNA個体(双子)の出生は違法ではないが、人為的に同一DNA個体(クローン)を生むことは違法であると主張する。
著者
福家 佑亮
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.4-10, 2018-09-29 (Released:2019-08-01)
参考文献数
17

本論稿の目的は、医療従事者の頭脳流出に歯止めをかけるために、途上国が自国の医療従事者の出国の権利を一時的に制限することはいかなる条件の下で正当化可能であるのか、という問題を検討することである。この問題を考察するにあたって、医療従事者が負う政治的責務に焦点が当てられる。政治的責務の根拠として親子関係や友情との類比関係に訴える連帯責務論も利益の自発的享受に着目するフェアプレイ論も、頭脳流出の文脈においては、政治的責務の導出に失敗している。本論稿は、公衆衛生倫理の枠組みを援用し、過重な負担を負わない限り、基本的人権の維持と創設に貢献せよと命じる正義の自然的責務論が、医療従事者の政治的責務を正当化するのに有望であると論じる。しかし、正義の自然的責務論は、先進国に住まう人々に過重な政治的責務が課せられることを正当化する恐れがある。
著者
松井 富美男
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.58-62, 2003-09-18 (Released:2017-04-27)
参考文献数
8

「人間の尊厳」の語はひんぱんに使用されるわりには概してあいまいである。人間の尊厳があいまいなのは人間の概念があいまいだからである。にもかかわらず、人間の尊厳は歴史的体験性に裏づけられた、まさにドイツ的な了解概念であって、それ自身がさらなる根拠を必要としないのは明らかである。ここでは人間の尊厳は以下のように規定される。第一には、人間は「神の似姿」として創造されたというキリスト教的言説をもとにすれば、人間の尊厳は少なくとも「差異化」と「水平化」の二重機能を有する。第二には、人間の尊厳はその文脈に応じて「生」にかかわるだけでなく「死」にもかかわる。人間の尊厳はこの点で生命の尊厳から明確に区別される。第三には、人間の尊厳は道具化禁令として、すなわちカントの人間性の定言命法として定式化される。しかしこの原理をもってしても育成目的のクローン人間を阻止することはできないであろう。このような場合には、「偶然性」「不確実性」「不完全性」「自然性」などの諸要素を加えて人間像を再構築し、新たに「人間的善」を追求する必要がある。
著者
高島 響子 児玉 聡
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.75-85, 2012-09-19 (Released:2017-04-27)

近年英国で問題となっているスイスへの渡航幇助自殺は、渡航医療の一形態と捉えることができる。本稿では、英国国内の生命の終結をめぐる議論およびPurdy v. DPP判決の内容と判決後に出された自殺幇助の訴追方針を概観し、渡航幇助自殺が英国の自殺幇助の議論全体にもたらした影響について考察した。英国では、渡航幇助自殺を行った患者を手助けした家族は訴追されないケースが蓄積し、Purdy貴族院判決後には、自殺幇助における訴追方針の明確化が求められた。こうして、国内で自殺幇助を合法化することは実現しないまま、渡航幇助自殺を事実上許容する訴追方針が出された。国内の自殺幇助の問題が、渡航幇助自殺を包含する形で一応の解決に落ち着いたともとれる現状にあることがわかった。このような展開がもたらされたのは、渡航医療の存在が国内議論に変化を生じさせた結果だと考えられる。自国内で実施不可能な行為が、渡航医療の利用によって海外で実現されるケースが蓄積されることにより、国内規制の議論に一種の「緊張関係」が生じ、従来の論争構造とは異なる新たな展開が生まれる可能性が示唆された。日本においても、臓器移植や生殖補助医療などにおいて、渡航医療を利用するケースがすでに報告されており、今後はそのようなケースの蓄積が、国内の議論や規制に与える影響を検討する必要がある。
著者
吉次 通泰
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.64-75, 2010-09-23 (Released:2017-04-27)
参考文献数
30

先端医療が不要な終末期医療は、アーユルヴェーダ的には、人間を構成する身体、精神、アートマンの3者を含む全人的医療である。わが国では、末期患者の身体的治療は進歩してきたが、精神的およびWHOの定義する意味での霊的支援は不十分である。本研究の目的は、インド、ギリシア、エジプトの古代社会における終末期医療を検討することである。古代アーユルヴェーダ医学原典、『ヒッポクラテス全集』、『エドウィン・スミス・パピルス』と『エーベルス・パピルス』につき、終末期医療に関する記載を検討した。古代インドでは、医師は不治の患者の治療を放棄したが、医師自身の学識・名声・富を失い、非難を受けるためであった。また、患者あるいは家族に不治の疾患の病名や予後を伝えると、彼らに苦痛・悲嘆を与えるため告知しないのが一般的であった。古代ギリシア、エジプトでも不治の患者の積極的治療を避けたが、告知するのが一般的であった。これは、古代社会における文化の差異によるのかもしれない。本研究は、わが国の終末期医療の議論に新しい視点を提示するものである。
著者
徳永 純
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.99-106, 2018-09-29 (Released:2019-08-01)
参考文献数
49

日本人高齢者には障害に対する否定的な考え方や差別意識があり、生存権に基づき療養環境を得るという意識が弱いことが指摘される。本稿では、戦後高度成長期に形成された労働思想がこうした価値観を形成する一因になったことを明らかにする。製造業が経済成長をけん引し、完全雇用が実現した当時の日本は、古典派経済学者リカードが理念的に描いた経済状態に近く、そこでは働く者こそが社会にとって有用であり、働かない者は差別されてしまう。古典派及びマルクス経済学では労働価値説が分析概念として用いられたが、同時に労働道徳を説く概念装置として機能した。日本ではこの規範概念が憲法や社会福祉政策の根幹に入り込み、生存権が勤労の義務を伴うものとして決定づけられ、伝統的な勤労思想と一体化して機能した。労働価値説が示してきた価値観は転換すべきであり、勤労の義務と生存権を明確に分離する政策的な方向付けが必要である。
著者
服部 健司
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.178-184, 2006-09-25 (Released:2017-04-27)
参考文献数
32

自分の健康を保持増進することを義務とする言説を批判的に吟味することが本稿の課題である。ただし、世界の諸国の保健の実情には大きな差があり、紙幅の制限上、考察をこの国をふくめた先進国に限ることにする。古典的公衆衛生から新公衆衛生運動への転回をながめたのち、健康増進をめぐる現今の言説の特徴を浮き彫りにする。それは、ヘルシズム、医学の擬似宗教化ならびに道徳化、疾病への過剰な意味の付与、日常生活の医療化、疾病の自己責任の強調、医療費削減のためのレトリックである。それぞれについての問題点をあげて検討しながら、健康を増進する義務というものがもしあるとするならば、それは国家の側にあること、ただしそれは国民に恣意的で一面的な健康像をパターナリズム的に押し付けることではなく、環境や社会資源、医療体制の整備に重点を置くものであるべきこと、つまり古典的公衆衛生が中心であるべきことを論じる。
著者
小椋 宗一郎
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.207-215, 2007-09-20 (Released:2017-04-27)
参考文献数
11

ドイツでは、医学的に適応がある場合等を除き、中絶手術の少なくとも3日以前に「妊娠葛藤相談」を受けることが法的に義務付けられている。この相談に関しては少なくとも二つの問題が指摘されている。第一に、自発的対話を旨とする相談が法的に義務付けられているという問題がある(「強制としての相談」)。第二に、同相談は「〔胎児の〕生命保護」を目的とすると同時に、「〔相談後に女性たちが出産か中絶かの決断をすることについて〕結果を問わない」ものでなければならないとされる点について議論がある。本論文は、相談の現場に即してこれらの問題について考察する。ドイツのカウンセラーたちによると、実際、これらの問題は実務上の困難をもたらしている。しかしその困難は、カウンセラーと来談者による「率直さ」へ向けた努力によって乗り越えられうる。われわれはこの相談を、生命保護と同時に妊娠した女性たちの援助へ向けたドイツの人々による長期的な努力として理解することができる。
著者
植村 和正 井口 昭久
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.116-120, 1999-09-13 (Released:2017-04-27)
参考文献数
10

「終末期医療」における患者の「自己決定」に関して、我が国における過去の「安楽死」事件の判例を検証.考察した。これまで7件の「安楽死」事件はいずれも有罪となっている。判決の法的根拠となった昭和37年の名古屋高裁の「六要件」の理論的背景は「人道(生命尊重)主義」である。平成7年の横浜地裁判決における「四要件」の法的根拠として「自己決定権」の理論が挙げられたが、「緊急避難の法理」も適用しており、従来の「生命尊重」優位の思想が引き継がれていることにも留意しなければならない。現時点では「安楽死」を法律が許容する余地は極めて小さい。いわゆる「尊厳死」に関しては、横浜地裁判決において「自己決定権」の理論と「医師の治療義務の限界」が法的根拠として挙げられた。微妙な判断が医師に委ねられた「法的不安定さ」を「科学的客観性」によって補っていると解釈できる。今後の検討は、人の生死における「尊厳」とは何か、「自己決定権」の遡及範囲、患者の「最良の利益」を保障するための方策、に向かうべきものと思われる。
著者
仙波 由加里 柘植 あづみ 長沖 暁子 清水 きよみ 日下 和代
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.147-153, 2006-09-25
参考文献数
17

2003年、厚生科学審議会生殖補助医療部会の「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療制度の整備に関する報告書」の中では、提供された精子・卵子・胚を利用した生殖補助医療(DC)で生まれた子の福祉を尊重するという姿勢から、DCで生まれた人たちに提供者を特定できる情報をも提供するという方針が提示された。そこでDCの中でも、すでに生まれた人が成人し、自らの経験を語ることが可能なAIDに注目し、この技術で生まれた者5名を対象にインタビューを実施して、彼らがどのような提供者情報を望んでいるかを考察した。結論としては、AIDで生まれた人たちは提供者の氏名や住所、社会的情報や医学的情報のみならず、精子提供者のそれまでの人生や生き方、現在の生活、嗜好、考え方などを含む人間性や人柄を知ることを強く望んでいることがわかった。こうした点から法の中では、将来DCで生まれてきた人たちがその提供者と会うことを前提とした措置についても講ずるべきだと考える。
著者
内田 宏美
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.89-94, 1997
参考文献数
7
被引用文献数
1

1994〜1996年度の国立K医療短大看護学科2回生延べ233名の、「あなたの声が聞きたいpartll」と「尊厳死を求めた家族の記録」のVTR鑑賞後のレポートから、対象の人間観・生命観と生命倫理上の問題を分析した。遷延性意識障害者へのケア選択の姿勢から、対象群には命のかけがえのなさや生存の権利を主張する生命尊重派に対して、自己決定の優先性を主張する意志尊重派がやや優勢な傾向がみられた。さらに、自分と家族の場合でのケア選択を比較すると、両派とも同レベルで自分には尊厳死を求める傾向を示し、意志尊重派では家族にも尊厳死を求める傾向がみられた。このことから、生命観の如何に関わらず、意志の捉え方に多様性がなく、無意識に、人間性をもつ人格だけを尊重するパーソン論の立場をとっている可能性が示唆された。以上より、医療者として自己の生命観・人間観を意識化することが重要だと考える。
著者
松井 美帆
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.128-134, 2007-09-20 (Released:2017-04-27)
参考文献数
15
被引用文献数
1

医療に対する自律性について、日米の高齢者を対象に自記式質問紙調査を実施し、比較検討を行った。対象者は国内の地域高齢者125人と米国ハワイ州ホノルル市における日系高齢者94人であった。医療に対する自律性に関連する要因として両群ともに、意思決定とかかりつけ医との関係が認められた。また、家族機能との関連では、国内高齢者では意思決定と家族の凝集性、適応性が正の相関、日系高齢者では情報希求との間に共に負の相関が認められた。また、国内高齢者では検査の目的や薬の副作用などに関する情報希求が日系高齢者に比較して高く、終末期ケアの意向についても意思決定と療養場所の希望、延命治療の意向との間に関連が認められた。以上のことから、高齢者において医療に対する自律性と医療従事者、家族関係は重要と考えられ、国内高齢者に対する支援として、医療に関する情報提供、さらに終末期ケアも含めた意向に関する理解が求められることが示唆された。
著者
川上 祐美
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.87-95, 2017 (Released:2018-08-01)
参考文献数
12

子どもに予防接種を受けさせるにあたって保護者の自律的意思決定が可能な状況にあるかを明らかにするため、生命倫理における自律尊重の観点から独自に調査を行った。18歳以下の子をもつ保護者を対象としたアンケートでは、予防接種を受けないまたは迷う理由として副反応の心配やワクチンの安全性への疑問が最も多くあげられたが、接種時のインフォームド・コンセントの機会が十分でない場合が多いことが示された。また、受けない選択をするとなれば保育所や幼稚園・学校から指導が入るなど周囲の目を気にせざるを得ないこともあり、副反応のリスクは自己責任であるのに自己決定できない状況があるといえる。一方で、働く親からは接種の効率化を望む声もあったが、同時接種後の死亡事故への懸念とともに、子どもの健康や病にじっくりと向き合う余裕をもてない子育て環境が背景にあることをうかがわせる。多角的な情報に基づいた自律的選択のために、保護者には行政や医療機関以外にも信頼できるネットワークが必要である。
著者
鶴若 麻理
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.90-97, 2008-09-21 (Released:2017-04-27)
参考文献数
18
被引用文献数
1

本論文は、台湾の楽生療養院で暮らす元ハンセン病患者14名への聞き取りを通して、強制収容や強制隔離の実態などを当事者の語りから明らかにすることを目的とした。聞き取りによって、日本が台湾を占領していた時代から、それ以後の中華民国政府によっても、継続的な強制収容・隔離政策(〜1960年代前半まで)が実施されてきたことは否定できない。また複数の対象者の証言から、戦後は全面的な外出禁止ではなかったものの、1970年頃まで行動の自由が著しく制限されていたことが示された。対象者は現在の不安としては、高齢化に伴う介護問題と楽生療養院の取り壊しをめぐる諸問題を挙げた。特に楽生療養院の取り壊しをめぐる元患者による反対運動は、自らの生きた証を守り残そうという人としての尊厳を回復する運動として捉えられよう。
著者
鶴若 麻理 岡安 大仁
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.91-96, 2001-09-17
被引用文献数
2

近年、特にターミナルケアの分野で、スピリチュアルケアに関心が集まっている。「スピリチュアル」という概念が、わが国の文化や伝統の中で、どのように展開されていくのか、また患者の「スピリチュアリティ」を把握するために、日本での客観的な尺度を作成する必要があるなどの議論がなされている。しかしながら、それらの議論をより充実させるためには、まず、欧米のホスピスケア理念において、「スピリチュアル」という概念が、いかに展開されてきたのか、またどのようなスピリチュアルケアに関する研究がなされているのかを、改めて検討する必要があると考えられる。そこで本稿では、実際欧米では、ターミナルケアの領域を中心にして、どのようなスピリチュアルケアに関する研究が行われているのかを、文献を通して報告し、今後のわが国のスピリチュアルケア研究の一助とすることを目的とした。