著者
河合 康 Yasushi Kawai
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.75-86, 2009-02

本稿では,近年のグローバリゼーションの流れの中で,国際的に関心が高まっている国際教育協力について,障害児教育分野に焦点を当てて検討した。その結果,障害児教育分野における国際教育協力は理数科教育などに比べて遅れがみられる分野であるとされてきたが,21世紀に入り,拠点システム構築事業,国際協力イニシアチブなどの政府レベルでの活動によって,その裾野が広がりつつあることが明らかにされた。特に,協働授業研究,青年海外協力隊派遣現職教員への支援及び関連情報の整備・管理において進展が認められることが指摘された。今後の方向性としては,初期条件の検討とマッチング,学校現場に密着した国際教育協力の展開,通常教育との相違点の認識,留学生受け入れ施策の強化,などの必要性が提言された。
著者
高本 條治
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.189-216, 2001

太宰治の有名な小説作品『斜陽』には「トロイカ」という名が記された「文庫本」が登場する。『斜陽』は,太田静子の『斜陽日記』に依拠して書かれたものとされるが,『斜陽日記』の該当個所にもやはり「トロイカ」という「小さい本」が出てくる。しかし,「トロイカ」というタイトルをもつ文庫本の存在を確認することはできなかった。もしそうした本が実際には存在しないなら,読者は文脈に応じてその本に関する想定を創造的に構成しなくてはならないことになる。小論では,「トロイカ」は,チェーホフの戯曲作品『三人姉妹』を示す符牒ではないかという解釈を提示する。また,そう解釈した場合に,どのような効果が文脈上達成されうるのかを具体的に考察し,「トロイカ」を『三人姉妹』の符牒であると見る解釈が十分に可能であるということを語用論の観点から述べる。In Osamu Dazai's most famous novelette Shayo, we find the description of a paperback labeled Troika. It is well known that Dazai wrote this novelette on the model of Shizuko Ota's Shyo Nikki. Also in its corresponding passage, we can find almost the same description of a small book labeled Troika. However, it has been unsuccessful to identify the actual entity of the paperback-type book titled Troika. If there are not such a book, every reader has to creatively construct some assumptions for the book according to her contextualization. In this paper, I bring up one interpretative possibility that Troika could be the secret code for Chekhov's drama Tri Sestroy (The Three Sisters). I argue how contextual effects can be achieved under this way of interpretation, and claim from the viewpoint of linguistic pragmatics that my interpretation regarding Troika as the code for Tri Sestroy must be convincing enough.
著者
野村 眞木夫
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.145-156, 2009-02-28

本稿は,日本語の人称表現の多様性を確認し,これが人称の観点から類型化した小説においてどのように使用されているかを考察するものである。人称制限との関係,文末の無標/ 有標の選択,テクストの参加者が中心的か周辺的か等を観点としてテクストを観察し,名詞類の階層性に関する先行研究を参照しながら,日本語の人称表現に使用される名詞にも類似の階層性を仮定し,日本語の人称空間を提案する。In this article, first of all, we confirm the kind of the Japanese person expressions and the type of the novels regarding the combination of person. The problem is how Japanese person expressions are used in novels. The texts are investigated from the next viewpoints : 1) the person restriction; 2)the markedness of the predicates; 3)the centricity of the participant of text. Finally, we argue that the Japanese personal nominals have hierarchy, similar to universal hypothesis. Our hypothesis is as the following figure.
著者
北條 礼子 渡邊 由紀子 熊井 信弘
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.513-526, 2002

本研究の目的は,公立小学校への英語導入に関して,教職の有無によって意識に違いがあるかどうかを明らかにすることである。2000年9月に本学大学院1年生215名(教職経験者134名,教職未経験者81名)を対象に,27項目から成るアンケートを用いて集団調査を実施した。集計結果は,分散分析,因子分析,x^2検定により分析した。その結果,公立小学校への英語導入の利点として,教職経験者は教職未経験者と比べると,英語導入によって,「内容を全体的に捉える力が伸ばせる」とも「広い視野と柔軟な思考力を養える」とも感じていないことが明らかになった。また,公立小学校への英語導入の問題点として,教職経験者,未経験者とも小学校での英語担当日本人教月の不足,1クラスの人数が多すぎることを問題点として捉えていることや,教職未経験者が地域に英語導入は当然という雰囲気があると感じていることがわかった。In 2002, English will be introduced to some public elementary schools as one of the alternatives under the newly started curriculum, General Studies. The purpose of this study is to compare how teachers and students in pre-service training feel about this movement. The survey was conducted in July of 2002 with 215 graduate school students of Joetsu University of Education (134 teachers and 81 teachers-to-be), using 27 questionnaire items. The data were analyzed by ANOVA, factor analysis and a chi-square test. The results revealed that: 1) teachers do not necessarily feel that English will enhance the flexibility of pupils' thinking; 2) both teachers and teachers-to-be feel that there are few Japanese teachers who could teach English at elementary school and that there are too many pupils in one class; and 3) teachers do not feel that introducing English into elementary school is strongly expected by pupils' parents and communities.
著者
増井 三夫 宮沢 謙市 海野 浩 大石 義敬
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.199-215, 2005-09-30

本稿はJ.ハーバーマスのコミュニケイション的行為研究法の開発研究第2報になる。中学生の逸脱行為をインタビューからどこまで叙述できるか。この方法の開発が今回試みられる。ここで採用される分析方法はテキスト解釈学の方法でインタビューはテキストとして扱われる。従来はエソノメソドロジーが有力な方法であった。たしかにその方法では生徒の規範的行為は解釈できる。しかし逸脱行為は日常生活世界における事実認識・規範意識・身体表現の諸相が様々な場面に未分化な形で現れる。エソノメソドロジーではこの<状況>を叙述することは難しい(増井他(1):235以下)。本稿はこの複雑で未分化な行為<状況>をコミュニケイション的行為研究法で分析を試みた。分析は逸脱行為の<状況>をその行為の意味づけによって構成した。かかる<状況>では逸脱者が主役となり周りの生徒が観客となる「親密圏」が生み出されており,それは逸脱者に「居やすさ」の意味を付与された意味空間であった。
著者
中里 理子
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.1-14, 2005-09-30

オノマトペは日本語の語彙の特色の一つであり,国語科の授業の中でも体系的に取り上げるべき語群であると思われる。本稿ではまずオノマトペの定義および名称について確認し,その上でオノマトペを指導する際に踏まえておくべき特徴について,教科書の例を挙げながら整理した。その特徴とは,オノマトペが直接的・感覚的な語群であること,その多くが個性的・創作的なものであること,意味内容が語音と語形に大きく関わっていること,語音と語形には共通感覚があることである。これらの特徴を理解することは,オノマトペを体系的に取り扱うことにつながるものである。最後に読解指導の中でオノマトペがどう関連するかを検討するために,小学校教材の「わらぐつの中の神様」を例に取り,オノマトペの効果を広く考え合わせることで登場人物の人物像と心情の読み取りがさらに深くなることを見ていった。
著者
森川 鉄朗 西山 保子
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.365-375, 1997
被引用文献数
1

日本の科学教科書における物理量の計算法は,中等教育と高等教育において,全く違う考え方に立っている。以下,前者を日本の高等学校の教科書に典型的に見られる方法なので日本式とよび,後者を国際単位系や英語圏の教科書に採用されている方法なので国際式とよぶ。日本式の計算法では,単位は数値のわきに置く記号と考えて,数値間で式をたて演算し,単位はあとで調整付加する。国際式の計算法では,物理量は数値と単位の積に等しいと考えて,物理量を単位とは無関係に記号であらわし,単位つきのまま物理量間で直接演算する。本稿では両者の相違を,物理量の分類,物理量の関数,量の計算法の古典などにさかのぼって議論し,さらに日本の中等教科書にみられる問題点を,いくつかの例を参照しながら検討する。未知の量として数値ではなくて物理量を選び,式をたてる,計算法を採用するとよい。日本の中等教育と高等教育との間にある上記の不連続性は,早急に解消されるべきである。There are two different ways of calculating physical quantities in the science education of Japan; the one, called the Japanese method hereafter, has been introducing to high-school students; the other, called the international method, has been adopted by the International System of Units (SI) and by textbooks for English-speaking people. The Japanese method interprets a physical unit as being only a symbol, and is concerned with the arithmetic operations of numbers. The international method considers a physical quantity to be equal to the product of a numerical value and a unit, and multiplies and/or divides one physical quantity by another directly. This paper discusses both difference between Japanese and international methods and many problems awaiting solution in the high-school textbooks of Japan. The discontinuity above-mentioned in quantity calculus should be dissolved to form a better organization.
著者
中里 理子
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.167-176, 2011-02-28

平家物語諸本のうち、古態を残すと言われる延慶本を対象にオノマトペを抽出し、その特徴を整理した。一般にオノマトペは和語のオノマトペ(和語系オノマトペ)を指すが、本稿では漢語由来のもの(漢語系オノマトペ)も取り上げ、比較しながら特徴を見た。延べ語数は和語系の方が多く、異なり語数は漢語系の方が多い。和語系のオノマトペの特徴は、まず、擬音語は延べ語数で擬態語を上回っており、弓矢、刀、軍勢の動きなど、合戦に関する語が多く表現が固定化する傾向が見られた。また、擬態語は泣く様子、人物の素早い動作や力強い動作を表す語が多い。漢語系オノマトペの特徴は、まず、「音の描写」は絃、雨、風の音の3種に限られていた。また擬態語は自然描写に関する語が多く、心情描写とともに、和語系オノマトペに足りない部分を補っていたことが窺われる。
著者
中里 理子
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.316-303, 2004

中古から近代まで「泣く」「涙」を描写するオノマトペを見てみると、擬音語・擬態語ともに基本形はすでに古くから存在しており、時代によって多く使われるオノマトペが多少変化してはいるが、中古に見られたオノマトペのほとんどが近代まで使われ続けている。中世には「さめざめ」「はらはら」「ほろほろ」が定型的表現となり、近世から近代にかけては「しくしく」「めそめそ」が弱く泣くときの表現として定着した。一方、時代が下るにつれて擬音語は泣き声の面で、擬態語は涙の流し方の面で、基本形を変化させた変形が工夫されることで表現に新しさを出していく。擬音語は声の大きさや泣き方の違いを表すオノマトペが工夫され、擬態語は泣く姿全体や泣くときの動作から涙を流して悲しむ姿を表す方向へ、さらに涙がこぼれる様子から涙が目の中に浮かぶ様子を表す方向へと、徐々に描写対象のとらえ方が細かで細密な描写という流れに添って発達した様相が見て取れた。I examined changes of onomatopoeia associated with "crying" and "tears" from the Heian period to modern times. Both of the basic formes of imitative and mimetic words were already used in the Heian period, and most of them were still used in modern times in spite of some changes. Samezame, Harahara and Horohoro became standard onomatopoeias of "crying" in the Kamakura and Muromachi periods, and Shikushiku and Mesomeso became those of "sobbing" from the Edo period to modern times. Many imitative words of "crying" were created to give more vivid expressions to a variety of sounds and ways of "crying". As to mimetic words, objects of description became more detailed like "tears trickling down" and finally focused on "tears" in one's eyes. Both the imitative and mimetic words were made by transforming. As the time went by, close observation made descriptive expressions more detailed. This trend is true of other expressions except onomatopoeias.
著者
小埜 裕二
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.684-696, 2003

三島由紀夫は「海と夕焼」 (昭和三〇年) の主題を「奇蹟自体よりもさらにふしぎな不思議」であると述べた。本論文では<子供十字軍>の史実から本作の虚構性の特質を捉えたうえで、現在の安里が過去に体験した「不思議」をどのように受け止めているのかについて考察した。<海> の象徴性、<夕焼> の終わりとともに「梵鐘の音」が響く結末、<眠る少年> の意味等から、仏教的(禅的)世界の枠組みが「不思議」へのこだわりを消し去るものとして機能していたことを明らかにし、「不思議」の再来を願わないと言いうる境地にいたった三島文学の様相をもとに『金閣寺』 の新たな読解可能性を提示した。Yukio Mishima described, the subject of "Umi to Yuyake (Sea and evening glow) " was "more mysterious mysteries than miracles". In this thesis, first of all, a fiction of this work characteristic was caught from the historical fact of "Child crusade". Next, how the mystery which Anri had experienced in the past had been caught was discussed. It was pointed out that it was the one that the Buddhism (zen) world puts out sticking to "Mystery" from the meaning of symbolism of "sea"and "Sound of the temple bell" and "sleeping boy". In addition, a new comprehension possibility of "Kinkakuji" was suggested from the viewpoint of stage that no wish for reappearance of "Mystery".
著者
宮下 敏恵 Toshie Miyashita
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.509-518, 2003-03

心理療法の面接場面において,クライエントは否定文を多用すると言われている。同じ意味内容をあらわす場合になぜ肯定文を用いずに否定文を用いているのだろうか。否定文には肯定文にはみられない特徴が存在していると考えられる。不登校の子どもが「学校に行かない」という場合と,「学校に行けない」という場合には心理的意味が異なると考えられる。しかし否定文といっても様々な種類がある。そこで本研究では,2種類の否定文をとりあげ,その影響を比較する。被験者は大学生及び大学院生16名(男性6名,女性10名)であった。平均年齢は23.88歳(SD=3.26)であった。被験者は実験者によりリラクセイションが施行された後,ベースラインを測定された。その後,「あなたの身体は動かない」という否定形暗示文と「あなたの身体は動けない」という否定形暗示文が与えられ,その影響が測定された。身体動揺に関するチェックリスト評定,多面的感情状態尺度の評定が求められた。さらに,野原イメージを浮かべるように求められ,その内容が報告された。結果としては,「動かない」という否定形暗示文が与えられた場合は,身体の動きは減少し,感情面の活動にシフトするという調節の仕方をしていることが示された。「動けない」という否定形暗示文が繰り返された場合は,禁止的,抑制的に作用するということが示された。
著者
増井 三夫
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.15, no.2, pp.271-285, 1996-03

従来,ネオナチ・ユーゲントの行動は「単独」であり,「計画され,他から操縦されたものは」少ないと見られてきた。そのうえ,ネオナチ組織の活動について言及する場合にも,それらは個別に取り上げられ,組織間相互の関係についてはいまだ未解明にちかかった。その理由は,ネオナチ組織と活動について,丹念な調査を欠いていたからである。だがこの数年に二つの貴重なデータが刊行された。それは,B.ジーグラーの調査とⅠ.ハッセルバッハのネオナチ内部世界の告自記録である。この両者により,ネオナチの裏面がかなり明瞭になった。とくにM.キューネンを「総統」とする指導者ネットワークの存在およびドイツ・アルタナティーベと旧来ベルリンの組織と活動は,上記の見方に大幅な修正を求めるものとなった。またネオナチ・ユーゲントは,国家社会主義イデオロギーに確信をもち,伝統的なドイツ市民社会の価値と国民主義の世界観に,一般市民および同世代よりもはるかに強烈に同一化していた。その行動は,この価値と世界観を「吐き出し,言語化し,行為で表現」するものであった。